私がいない、私の人生
目を覚ますと、私は真っ白な部屋の中にいた。どうやら病室らしい。
「あっ」
声のした方へ首を向けると、そこには目を真っ赤にした娘の顔があった。
「……倫」
ぼんやりとした頭をどうにか動かし、私は何とか、娘の名を呼んだ。
「良かった」
一言だけそう返して、娘はボタボタと涙を流していた。
ようやく頭の中がはっきりしたところで、娘から事情を聞かされた。どうやら私は昨日の帰宅途中、車にはねられたらしい。
幸い、加害者がすぐ届け出たことと、救急病院がすぐ近くにあったことで、私は命を失うことも昏睡状態になることも無く、
こうして無事、意識を取り戻すことができたようだ。
怪我も全治1ヶ月と比較的軽傷であり、次の週にはもう、会社に復帰していた。
しかし――この頃から私は、嫌な夢を見るようになった。
私があの事故で、死んだ夢なのである。
しかもその瞬間ではなく、「その後」の夢なのだ。
現実の私はこれまで通りに会社へ向かい、順当に仕事をこなし、何の問題もなく帰宅し、妻と娘と私、三人が団欒して一日を終える。
しかし夢の中には、その「私」がいないのだ。
そこそこ高い地位に就いていた私がいなくなり、会社は混乱している。
家族は私を失い、悲しみに暮れている。
その辛い状況に対し私は、ただ傍観していることしかできない。
そうして段々といたたまれなくなってきた頃に、私は夢から覚め、私がいる世界に戻ってくるのだ。
そんな夢を度々見るようになったが、それでも私は現実の世界に支えられ、どうにか問題なく、私の人生を過ごした。
1年経っても、夢は変わらず見続けていた。
現実の私は昇進し、部長になった。部下も大勢増え、職責に伴う重圧と達成感が隣り合わせの生活を続けている。
一方、夢の世界では、私が抜けた穴はどうにか埋まり、私の部下だった一人が部長になっていた。
現実の私の家庭は、やはり変わらず仲良く暮らしている。娘は高校に入り、部活や面白い先生の話を色々聞かせてくれる。
妻もドラマの俳優がかっこ良かっただとか、面白い漫才を見ただとか、テレビの他愛無い話を楽しそうに話している。
夢の中でも、二人は明るかった。
もうすっかり私を失った痛みと悲しみを乗り越えたらしく、妻や娘が私に対して話していたテレビの他愛無い話を、彼女たち同士で話していた。
さらに時は過ぎ、私は役員の一人になった。
勿論、これまで以上にストレスと報酬とが増え、流石に疲労も濃い。
いや、この疲労感はむしろ、倦怠感と言ってもいいものだった。
何故なら――夢の世界でも私のいない会社は、私がいる現実の世界と同様の業績を、元部下たちが挙げていたからだ。
そのことは私に、「もしやこの会社、いや、この世界は、私がいなくても問題なく動くのではないか?」と、そう思わせざるを得なかった。
夢の中における私の家庭の様子もまた、その思いを強めさせていた。
現実の世界で私に対して話していたことは、夢の中でも、私抜きでも同じように、彼女たちの間で話されていたからだ。
私はすっかり、私自身がつまらなく、無意味なものに思えてきてしまった。
現実の世界でも、夢の世界でも、ほとんど同じように時が過ぎ、事は起こるのだ。
ならば私の存在意義とはなんだろうか? そもそも存在する価値が、意味が、私にあるのだろうか?
その思いが色濃く胸中を満たすようになり、私はとてつもない厭世観に囚われていった。
そのことが私に、基本的な注意をも怠らせてしまったらしい――気付けば私のすぐ横に、車のヘッドライトが迫っていた。
目を覚ますと、私は真っ白な部屋の中にいた。どうやら病室らしい。
「あっ」
声のした方へ首を向けると、そこには目を真っ赤にした娘の顔があった。
「……倫」
ぼんやりとした頭をどうにか動かし、私は何とか、娘の名を呼んだ。
「良かった」
一言だけそう返して、娘はボタボタと涙を流していた。
私は号泣する娘に、ぼそっと尋ねた。
「倫。俺は、……生きてるのか? 生きてて、いいのか?」
しかし泣きじゃくる娘には、私の声はあまりに弱々しすぎて、聞こえなかったらしい――彼女は私の質問に答えず、ただ泣いていた。