六、石和宿
塩川の中州赤坂にある茶店に二人を伴うと奥に声をかけ茶と飴湯を注文した、兵史郎は二人に向き合うと寛いだ感じに笑顔を造り 事の顛末を話すよう促した、二人は一瞬顔を見合わせどちらが喋るのかを目で確認し合い紫乃の方が改まった顔で口を開いた。
「爺に話を聞くまで私も真之介も父が御城で大目付の職をされていたことぐらいしか知りませんでした…父は家では御勤めの内容を殆ど話しませんでしたから。
でも追われるように家から逃げ宿で真之介と落ち合ったとき爺から父の事をいろいろ聞かされ驚きました」
「爺とは誰の事じゃ」
「爺は我が家の用人で岡田益太郎ともうします」
「やはりな…して岡田益太郎はそなたらを逃がしてその後は如何致した」
「分かりませぬ、湖畔の高島屋という宿に真之介を連れてきてから江戸藩邸の住所と殿様への書状を差し出し、坂本一派が血眼で探しているゆえ明日早朝 甲州街道を江戸に向けて発てと言い、すぐに後を追うが彼らの目を眩ますため爺は一旦江戸とは反対の西へ目立つように走ると言って宿を出ていったのです…でもそれっきり爺とは」
「ふむぅ岡田益太郎は坂本一派を西に誘うと言っておったのか、じゃが江戸に向かうおぬしらが追われるとは如何した事よ、或いは既に敵の手に落ちたのやもしれぬな…」
「そうでござりましょうか」と紫乃は不安顔で兵史郎を見た。
「ところでおぬしらの母じゃが…その坂本一派とやらの手の内に落ちたのかえ」
「はい、爺が屋敷に立ち戻り物陰で見た時には母は駕籠に押し込められ城に向けて曳かれていったと申しておりました…」
「そうか、それは心配な事よのぅ…、では本題に入ろうか」
と二人を見たとき 奥から腰の曲がった婆さんが盆に茶と飴湯をのせ運んできた。
婆さんは長椅子に盆を置くと「お客さんらは諏訪から来たお人かえ」と聞いてきた。
兵史郎が「そうだが…」と応えると婆さんは「気をつけなされ、半時ほど前に三人の御武家様が爺さんと若い男女ずれはまだここを通ってはいまいな、と念を押すようにお聞きになりましてね、何とのう薄気味悪い御武家様方で慌てて甲府柳町宿の方に走って行かれましたが…まっあんたらの事でなければよろしいのですが」そう言うと首をかしげながら奥に引っ込んだ。
「奴らもう体制を立て直したというのか、どうやら先回りして再び待ち伏せの手で来るつもりよのぅ…ご苦労な事だ、さて話の続きじゃが五兵衛の事を話してくぬか」
二人は敵が待ち伏せしていると聞き不安になったのか湯飲みを握ったまま固まっていた。
「なぁに敵の五人や十人 儂がいれば何ともないわさ、さっ怖がらず話してみよ」
紫乃は促され暫く考えた末、兵史郎を見つめながら木訥に話し始めた。
昨年の一月十四日の事で御座います、諏訪高島藩の初代藩主頼水様の祥月命日に当たるという日、殿の長子であられる忠誠様(幼名:鍈太郎君)は少数の供をお連れになりお忍びで諏訪家の菩提寺になる茅野上原の頼岳寺に墓参りに向かわれたのです…。
頼岳寺は諏訪高島城から南東一里半の千野上原にあり、境内は広く所々には残雪が光り静まりかえっていた、ここは曹洞宗の禅寺で本堂に向かって右隣りに朱色の霊廟があり左から初代藩主頼水、父母の頼忠・理昌院が祀られていた。
忠誠の一行は祖霊に廻向を手向けると本堂に参内し 陽が暮れ始めたころに帰途に就いた、時刻は夕七ツ半頃で山門を出て坂を下り右に折れて高島へ続く街道を進んだ、暫く歩き姫宮神社参道の狛犬前を通過した頃には陽はどっぷりと暮れ空には星々が見え始めていた。
「若君えろう遅うなりましたなぁ」と高田五兵衛は忠誠に声を掛けた。
「爺、すまぬ急に思いつき城を出るのが遅くなり こんな時刻に…」
「何をおっしゃいます、先祖を敬うに謝りなどは御座ろうか、さぞお腹も空かれた事でしょう、あと半時ほどで城に着きますゆえ、暫しの御辛抱を…」と言いかけたとき右手参道横の林から ばらばらと数人の男が手に手に抜いた刀を携え飛び出してきた。
男らの装束は襤褸着を纏ってはいたが、身のこなし刀の手慣れた扱いから武士とすぐに判別できた。
天保騒動以降、信濃の街道筋でも治安悪く夜盗物盗の類いが出没し旅人から金品を強奪したり人さらいや殺人などの蛮行が日常化していた時代であった、これらに対処するため諏訪高島藩は甲信国境近くまで藩兵の警戒の手は広げられていた。
しかし賊らは神出鬼没で徒党を組み、武器を携えているためその取締や捕縛には困難を極めていた、そんな背景から五兵衛はこちらの身成を見ての追剥の類いと思った。
だが彼らが放つ殺気は尋常でなく、明らかに全員殺すのが目的のようだ、このとき味方は忠誠に仕える御側衆二人と五兵衛、それと五兵衛が伴った目付一人の計五人、しかし剣を使えるのは若君忠誠と五兵衛のみで、目付の一人は多少の役には立とうかという程度の若輩であった。
それに対し相手は七人、それも屈強な男らに見え明らかにこちらの方が分が悪い、五兵衛は城を出るとき御忍びとて供回りも少なく時刻も遅いゆえ一抹の不安を覚えたが城から僅か一里半のところ、まさか賊など出まいと高を括ったのが迂闊に失した。
若君にもし怪我などさせたなら老い腹斬ったくらいで済む話ではない、五兵衛は相手の殺気をよみ土壇場の危機に思わず呻いた、これがもし五兵衛一人であれば相手が七人いようと造作なく殲滅できようもの、しかし供ずれの安全を考えればどうしても防御に回り攻撃は制限されてしまう、故に思わず呻いたのであるが。
敵は不気味にも一切声は発しない、その殺気は尋常ではなく端っからこちらを切って捨てる殺気臭を紛々と放ち、慎重に間合いを詰めてきている。
そのとき賊の二人が若君に対峙すると問答無用とばかりに切りつけてきた、若君はこれを後退してよく防ぎ横に体を躱すと賊一人の喉に突きを入れ右に飛んだ、と同時に五兵衛にも賊が襲いかかる、これを合図に残る賊の四人が供ずれめがけ一斉に斬り込み、辺りは怒号に満ち混戦模様となっていった。
五兵衛は「若君を守れ!」と若君の近くで奮戦する目付に叫びながら 襲い来る賊を瞬く間に二人を切って捨てた、そのとき若君の御側衆に馬乗りになって刃を突き立てている賊が目端に入り、返す刀で賊の背中に深々と刀を突き入れた。
僅か一瞬で賊は四人を失うと浮き足だった、そこをめがけ若君は新たに対峙した賊に右袈裟懸けに切り込んだ、その早さはすさまじく賊は防ぐ刀が間に合わず刀を握る左腕で打ち太刀を受け悲鳴を上げた。
この悲鳴が合図となったのか 賊は一目散に林へと引き、そのまま遁走に移った。
辺りは血の池が方々に出来、倒れた賊四人が月明かりに照らされ転がり回っていた。
即死は五兵衛が突いた賊一人で あとは腸をはみ出させ悲鳴を上げる者や、血を噴き散らしのたうち回る者などまるで辺りは地獄絵と化していた。
味方で負傷した者は御側衆の若者一人、胸を刀で数カ所突かれ口から血泡を噴き悶え苦しんでいた、五兵衛は駆け寄ると若者の胸を開いた、しかしすぐに(もう駄目か)と思った、敵の切っ先は肺を貫いていたのだ。
若者は呼吸できないのか五兵衛の腕を掴むと体を苦しそうに反らせ引きつるような喉笛を鳴らした、そして一際大きく震えると次第に弛緩していった。
やがて賊らも次第に藻掻きは緩慢となり次々に息絶えていった、忠誠はそれを忘我の中で見ていた、手には未だ肉を斬った嫌な感触が残っている、生まれて初めて人を斬ったのだった。
忠誠は戦いの中、無我の境地で五兵衛から厳しく受けた修行通りに体は動いた、しかし今は刀を握る手は強張り 脚は無様なほどに震えていた。
五兵衛はそれを見るや「御怪我は…」と叫び思わず若君を抱きしめた。
(あぁぁ嬉しや若君は生きておられた)そう思うと一気に涙があふれた。
五兵衛は若君を危険に晒したとして閉門蟄居を申し渡され屋敷に逼塞の身となった、しかし若君が心配でならなかった、今回の暗殺未遂は坂本一派の企てと分かるだけに いつ魔の手が伸びるやも知れず屋敷でこうして逼塞している事に耐えられなかった。
逼塞して五日目、密かに腹心の目付・榊原伊代助を屋敷の裏口に呼び出し、若君を城から出さず食事の御毒味も三之丸派の目付衆が最後に責任をもって行う事を厳命した。
この命に従い三之丸派の目付衆はすぐに動いた、それら活躍により若君は完全防備され御櫓脇派は若君に手が出せず特に坂本一派の焦りは募っていった。
若君忠誠は以降外出することも無く、異変も起こらず無事に月日は流れていった。
九月に入り五兵衛は藩主諏訪忠恕公から赦しが下され閉門は解かれた、そして十月二十日若君・諏訪忠誠に跡目相続が幕府より正式に認められその御礼に江戸城に参内すべく諏訪を発った。
諏訪忠誠の行列は百二十人規模の行列となり藩兵三十人が完全防備で御駕籠を取り囲む物々しい行列となったは言うまでも無い、その中には高田五兵衛の姿もあり常に駕籠の横に位置し飛び道具より体を呈して駕籠の中の新藩主をお守りし江戸に向かった。
天保十一年十一月五日、諏訪藩江戸上屋敷において正式に家督相続の儀が執り行われれ、高島藩九代藩主の継承は無事に済み、翌六日 江戸城西ノ丸御殿の伺候席・帝鑑間で待つ内に取次衆から御声が掛かり、奥の黒書院で将軍・家慶に晴れて謁見が許され相続を祝う御言葉を賜った。
その後、新藩主諏訪忠誠はそのまま江戸に残り、隠居の身となった忠恕は病気が小康するのを待って翌天保十二年五月に江戸を発ち諏訪に帰還した、それまで江戸に逗留し忠誠のおそば近くで仕えていた五兵衛も忠恕の護衛のため諏訪に帰ってきた。
諏訪忠恕は諏訪に戻ると病は快方へと向かい、六月中頃には床上げも済み新藩主忠誠の意向にそって御櫓脇派の行状調査を大目付高田五兵衛に命じた、五兵衛は以前より書きかけの「御櫓脇派行状調書」を書き進めながら留守中の特に坂本一派らの収賄行状を三之丸派の目付衆から順次聴取を開始した。
そんな矢先の八月中頃、朝早くに高島西の高田屋敷に御櫓脇派目付頭以下捕方十二名が突如押しかけ、「上意である」と上意状を掲げながら屋敷内に踏み込んで来た。
五兵衛は御櫓脇派の傍若無人なる急襲に「貴様ら気でも狂ったか!、殿が知ったならただでは済まぬぞ!」と叫んだ。
しかし目付頭は顔色一つ変えず「何をたわけた事を!殿の思し召しである、収賄の容疑により城にて審問致す、嫌疑を晴らしたくば聴問の場で抗弁なされよ」と静かに応えた。
殿の思し召しと聞いたからには抗いも出来ず、五兵衛は家人らに「すぐに帰ってくるから安心して待て」と言い、用意された駕籠に乗った。
呆然と佇む家人をよそに駕籠には縄が掛けられ早々に出発した、次いで残った目付下役らは屋敷中を土足で踏み込み、五兵衛の書斎から他の部屋まで虱潰しに捜索し書類という書類全てを持ち去った。
それから半月近くが経ったが城からは何の音沙汰もなかった、家人らは五兵衛の安否を気遣い元五兵衛の部下だった三之丸派の目付衆に頼み密かにその安否を調べてもらったが二之丸奥には近づけないとて安否は杳として知れなかった。
それから五日経ち、家人の元に三之丸派の目付衆が次々に罷免されたとの風聞が高田家にもたらされ、その二日後突如御櫓脇派の目付衆が高田屋敷に踏み込み込んできた。
「大目付の高田五兵衛殿は先月十八日城中で目を放した隙に自ら切腹して果てた、死んで詮議を逃れるとは卑怯千万、代わりに奥方を取り調べるよって捕縛する、それと大目付が残した証拠書類がこの屋敷にまだ隠されているはず、隠すと為にならんぞ!」と震える奥方を脅し再び家宅捜査に及んだ。
このとき用人の岡田益太郎は娘の紫乃を裏口より連れ出し近くの自邸に匿った。
「御櫓脇派の者らはこれを探しておりまする」と言って紫乃の前に書類を差し出した。
「これは以前旦那様が、儂に近々難儀が生ずるやも知れぬと言われ、私めに預けた書類で御座ります、何とかこれを城中の大殿にお届け致しとうござるが城門全ては現在御櫓脇派の者らに占拠されておりまする。
こうなったら江戸まで走り若殿忠誠様へお届けするより手は御座いませぬ、これより私めは真之介様を塾に訪ねこのことを御知らせもうします、お嬢様は諏訪湖畔の高島屋という宿で我々をお待ち下され」そう言うと走り出た。
紫乃は何が何やら分からぬままに書類を風呂敷で包むと背に結び、下男に伴われ路地を隠れるように走り湖畔沿いを温泉宿の高島屋に向かった。
紫乃の辿々しい言葉は聞き取りにくく、粗方こういうことであろうと合点はしたが、それでも事の前後が飛んで要領を得ない、三之丸派とか御櫓脇派と言われても何のことやら見当も付かずもう少し事ここに至るまでの経緯と諏訪藩の背景が知りたかった。
しかし紫乃は肩で息するほど思い出すのが辛いのか、今にも泣き出しそうに顔は歪んでいた。
「紫乃さんもうよい、詳しい事は今宵の宿でゆっくり聞こう、さぁ二人ともそろそろ腰を上げようか」そう言うと財布から銭を掴み「婆さんここに置くからな」そう言うと盆に銭を置き三人は立ち上がった、
空は相変わらず晴れ渡り雄大なる富士を見ながらの旅である、若い二人は時が経っても賊が現れない事から次第に笑顔も戻りはじめていた。
塩崎を過ぎ甲府の町に着いたころ昼になった、三人は老中支配の甲府勤番所を訪れ水野越前守宛てに至急書状を届けて欲しいと頼んだ、応対に出た番士は幕府老中首座・水野越前守と聞いて目を剥き奥に引っ込んだ、直ぐさま手代格が平身低頭に現れ用向きを聞いてきた。
「それがし水野忠邦が用人 青山兵史郎と申す者、越前守には火急に知らせたき用がありてここに書状を持って参った、早馬か早飛脚で江戸上屋敷まで届けて欲しい」と告げ、身分証明として通行手形を見せた。
通行手形に記された水野家の押印を見た手代は書状を押し頂くように持ち手形を見聞すると「ではこれより早馬を仕立てまする、後はお任せ下され」と胸を張った。
甲府勤番所を出て飯屋を探した、飯屋は町中とてすぐに見つかり三人は暖簾をくぐった。
「青山様、先ほど番士に渡された書状は…」と紫乃が不審げに聞いてきた。
「あの書状か、あれはおぬしらの通行手形をすぐにも発行し小仏関所に至急届けて欲しいという書状じゃが」
「まぁ…幕府の御老中様に何と大それた…」と目を丸くし絶句してしまった。
「そうよのぅ、早馬が来たともなれば殿は何事かと驚くであろうのぅ、プフフッ」
言ってから忠邦のいつもの仏頂面が目頭に浮かび兵史郎は思わず噴いた。
「これでそなたらは江戸に入ることができる、良かったのぅ」
「何から何まで青山様には御面倒をおかけし誠に有り難う御座いまする」と神妙顔で二人は揃って頭を下げた。
「なに五兵衛の御子達であれば何の面倒かよ、昔の奴の恩に比べればとても足らぬ事じゃて、今後も気兼ねのう儂に甘えればよい」そう言うと顔を綻ばせて二人を見つめた。
甲府で昼餉を取ると甲州街道に戻り南下した、そして今宵の宿と決めている栗原宿へと歩を進めた、甲府を出てから一刻ほど歩き石和宿に入いったころ、少々歩く速度が速かったのか紫乃が脚が痛いと言いだし、ために兵史郎は通りの履物屋に入った。
店で草鞋と足袋を三人分買い求め、それに履き替えると暫く休ませてくれと軒先を借り休んだ、紫乃や真之介にしてみれば初めての長旅である、旅慣れぬ脚での強行軍は若い二人には辛かったであろうかと兵史郎は思った。
(どうするか…今宵の泊まりはこの宿場にするか、しかしまだ陽も高いし栗原宿まであと二里弱程度、一時も歩けば着ける距離か…酷かもしれんが少し無理をさせるか)
一行は四半時余りも休憩を取ると「もう少しで栗原宿じゃ、二人とも頑張れ!」そう言うと紫乃の手を引いて再び歩き出した。
それにしても敵の待ち伏せが無い、宿の婆さんの口振りから想像すれば敵は先行して待ち伏せの構えを見せるはずと読んだが依然その気配は無かった。
(昼の日中、こうも街道に人が出ていれば待ち伏せは無理であろうか)とは思ったが以前の不意打ちの反省から油断禁物とばかりに辺りに気を配り、他の複数連れの旅人らの後について歩いた。
しかし笛吹川の橋を渡り三町ばかり歩いたころ右手林の奥より殺気が放たれているのに気付いた、明らかに木々の陰からこちらを覗っている様子、兵史郎は立ち止まると目を瞑り指を折りだした。
(ふむぅ敵は四人ばかりか…)暫く立ち止まり腰を僅かに落とし構えた。
二人は兵史郎が急に立ち止まり目を瞑ったのを訝しんだ、そして気がついたように辺りに目を泳がせると怯えた顔で兵史郎にしがみついてきた。
(おや…気配を消しおった、引いたのか ふむぅ何故襲ってこぬ、数が揃わぬのか)
兵史郎は目を開けると「敵は引いたようじゃ もう心配はいらぬ、さぁ行こうか」そう言うと二人の手を強く握って再び歩きだした。
夕日が西の空を染める頃 三人は栗原宿に入った、そしていつもの様にしつこい客引きに引かれ とある一軒の宿屋に投宿した。