三、金沢宿
兵史郎が宿を出たのは昼九ツを少しばかり過ぎたころであった、辻に出ると陽は既に真上にあり朝方の慌ただしい往来は今はなかった。
(あの二人のせいで寝過ごしてしまった、さてどうしたものか…きょうは下諏訪まで歩き諏訪下社に詣でようと思ったが中途半端な時間になってしもうた…)
辻を左に曲がれば下諏訪、右だと甲府から江戸に至る、兵史郎は暫く考え右の街道へと踏み出した。
結局、下社に詣でれば三刻ほどは要しよう、となれば今宵もこの諏訪宿に泊まらざるをえない、それがどうにも鬱陶しいと感じたからだ。
(せっかく諏訪まで来て下諏訪に行かぬとは情けない限りじゃが…まっ今回は諏訪上社本宮の方に詣でるとしようか)
昨夜の高田家の冷遇といい、訳のわからぬ物騒な一団もしかり、それより何より夜の啜り泣きが堪えた、それらの鬱陶しさが相まって兵史郎をこの諏訪より一刻も早く離れたいと感じさせたのかもしれない。
途中 宿で旨いと感じた野沢菜漬けを買い甲州街道へと入った。
(この時間だと今宵の宿は僅か四里ほど先の金沢宿になるか…ならばそう急がずともよいな)
兵史郎は歩調を落とすと街道を紅葉に彩る景色を眺めつつ歩き出した。
街道は次第に狭くなり左手に赤黄に染まった山が連なりを見せ始めた、暫く進むうち足長神社の鳥居を横目に そこを過ぎると右手に諏訪大社上社本宮に続く参道が見えてきた。
(ここが本宮か、たしか軍神・建御名方神を祭ると聞く…これは詣でねばなるまいて)
兵史郎は本宮を詣でるべく参道へと入っていった。
本宮に詣で ここで一時ほどを過ごし再び甲州街道に戻ると東に向かって歩き出した。
街道は次第に盆地から山間へと入っていく、兵史郎の行く手右側には深い峰が広がりを見せ紅葉に山々が燃えているようにも見えた。
「何という絶景じゃろう、江戸ではこれほどの景色は見られぬであろう、そういえば五兵衛め…手紙には諏訪の景色については一切触れとらんかったが、ククッあやつ若い頃より花より団子じゃったものなぁ」
秋の長閑なる午後、兵史郎は五兵衛と過ごした若き時代に想いを巡らし、次第に心は若やいでいった、だがその夢想は突如緊迫した足音に掻き消された。
後方より数人の足音がこちらへと迫って来ていた、その足音は昨夜のものと重なり、浮かれ気分は瞬時にして緊張へと変わっていく、兵史郎は耳を澄ませ足音との間合いを計りながら街道中央から縁へと移動し そのまま振り返ることなく脇差しの鞘を三寸ばかり帯より抜き出した。
(んん…殺気はない)足音に減速感がなかった。
(どうやら狙いは儂ではなさそうだ…)
やはり感じた通り その一団は兵史郎に一瞥もくれず横を勢いよく通り過ぎていった。
人数は五人、昨夜と同じ一団と見た。
(よく走る連中よのぅ、いったい何を追っているのか…)
そのとき岡田益太郎・真之介・紫乃の男女三人の名が不意に思い浮かんだ。
昨夜 彼らが放った曰くありげな物言いと殺気が脳裏に蘇る、彼らは未だ男女三人を血眼になって探しているであろうか…。
この美しい景色とは裏腹なる彼らの執念…そんな殺伐とした異臭を撒き散らし過ぎ去っていく後ろ姿を見ながら兵史郎はふと想った。
(そう言えば儂を見過ごしたということは、風体が似ている岡田益太郎とかいう御仁は既に奴らの手に落ちたということでは…そして拷問などを加え真之介・紫乃とか言う男女の所在を聞き出し、今まさに追補の途中にあるということでは…)
(待てよ…昨夜の殺気といい、すぐさま抜身をかざす奴らの緊迫した行動を推量すれば生け捕りは端っから考えてはいない、奴ら三人を殺すつもりだ…)
(いやはやこの太平の世になんとも血生臭い話よ)
兵史郎は他人ごととはいえこれより殺人が実行されるを推理してしまった…それほどに通り過ぎた武士らの形相は血走り、まるで獲物を探す山犬の如くに映ったのだ。
そのとき兵史郎の脳裏には まだ見ぬ真之介と紫乃とか言う男女二人の像が浮かび上がった、なぜかその像は若やいだ男女の像であったが…不思議と顔だけはのっぺらぼうである、兵史郎は嫌な気分で再び街道中央に戻ると東に向かって歩きだした。
行く手に聳える八ヶ岳が夕日に染まりだしたころ兵史郎は金沢宿に入った、この金沢宿は山間の小さな宿場町である、江戸から来るときこの宿場をほんの一瞬で通過したのを覚えていた。
まだ明かりが灯らぬ繁華を歩きこの宿場で最も大きい宿を探す、それは昨夜の宿への反発からだろうか、暫く歩きようやく構えの立派な宿を見つけた。
「御免!」と入口より奥に声を掛けた、だが中は閑散とし女中など係の者は見当たらなかった。
「頼もう!」ともう一度大声を発した、すると奥よりドタバタと足音を立て女中が出てきた。
「これはこれはお早いお着きで、すぐに足洗をお持ちしますんでここに座ってお待ち下さい」そう言うと上がり框を駆け降り右奥へと引っ込んだ。
(いやはや立派なのは店構えだけかよ…)
兵史郎は笠を脱ぎ、脇差しを腰から抜き取って上がり框に座り草鞋を解き始めた。
次第に目が慣れてきたのか暗かった宿内の造りが細かに見えてくる、それは昨夜の宿より多少上等であろうが虚仮威しの装飾ばかりが目立だった。
奥より先ほどの女中が重そうに桶を抱えて現れ兵史郎の足下に置いた。
「お客さん、えろう早うにお着きですが下諏訪からおいででしたか」と聞いてきた。
「いや上諏訪からじゃが、出るのが遅うなったゆえ中途半端になってしもうたのよ」
と苦笑いを浮かべ桶に足を浸した。
「それにしても客の入りが少ないようじゃが…」
「へえ、混みだすのはこれより半時ほど後の頃で、この時刻はまだ早うございますよ、それでお客さん部屋はたんとあいておりますが…如何なされます」
「んんそうじゃなぁ、出来れば中の上ほどの部屋にしてくれるか」そう言いながら濯いだ足を手渡された手拭いで拭き上げた。
「では部屋に御案内します」と先導する女中の後に従った。
案内された部屋は二階で、部屋入口上の鴨居に「紅葉の間」と書かれた表札が掲げられ、中は八畳間と広く畳は新しかった、また窓側に面した障子奥には細長い二畳ほどの広縁が設けられそこには小さな座卓も置かれ いかにも高そうな部屋に感じた。
この部屋はどう見ても中の上とは思えない、どうやらこの宿でも上等部屋の部類であろう、応対に出た女中は兵史郎の着ているものや帯・腰の飾物から瞬時に上客と見たのかもしれない。
兵史郎は一瞬たじろぐも、懐具合は潤沢であることを思い出した。
(この辺りの宿であれば一泊百五十文が相場、しかしこの部屋はどう見ても二倍以上になろう、まっ今宵は思い切り贅沢してみるか)と微笑んだ。
女中は一旦引き下がると暫くして浴衣や茶の用意を調えた盆を携え部屋に入ってきた。
そして茶を湯飲みに注ぎ座卓に置くと「お客様、その窓から望む裏山の紅葉は綺麗で御座いますよ、それとこの宿場から次の蔦木宿までは紅葉がいまは盛りで、それを目当てにこの宿にお泊まりのお客様も多いんですよ」と兵史郎を見上げた。
「そうかそんなに綺麗なのか、それは明日が楽しみじゃ」
兵史郎は言われた通り窓の障子を開け宿裏を望んだ、言われた通り宿裏の景色は絶品であり部屋の名を「紅葉の間」としただけのことはあると感じた。
暫く眺め座卓に座ると茶を啜った。
「ちと早いが風呂にでも入ろうかの、出てきたら旨い肴と銚子の二・三本も持ってきておくれ」と頼んだ。
女中はそれを聞き、思った通りの上客であったとばかりに「かしこまりました、では夕餉には板前にせいぜい腕によりを掛けさせますよって」と嬉しそうに浴衣を差し出してきた。
兵史郎は女中が引っ込むのを見て茶を置くと早々に衣服を脱ぎ浴衣を着てみた。
(おっ、ちょうどよい丈ではないか、珍しきこともあるものよ)
やはり上部屋の客には浴衣選びにも気を遣っているようだ、しかし明朝の支払いはどれほど請求されるやらと思わず苦笑も洩れた。
翌朝はいつになく爽やかに目覚めた、久々の旨い肴と酒 それと上等な布団で熟睡したせいであろう、兵史郎は大きく伸びをすると手拭いを持って階下の風呂場へ降りて行った。
まだ朝早いのか他の客は見当たらず贅沢にも大きな檜桶に一人ゆったりと沈んだ、湯は薄く濁ってはいたが硫黄の臭気は薄かった、昨夜女中の話では宿裏の扇状地に源泉があり、昔は熱い湯がわき出していたが今はぬるく 沸かしが必要とも言っていた。
この辺りは「金鶏金山」と呼ばれ、鶏が羽を広げた姿に似ている金鉱脈があることからそうつけられたのだと言う、また近くにはその昔 武田信玄が採掘した金山が八カ所もあり、その一つが金鶏金山と聞いた。
この金鶏金山からは九十貫目の良質な金が産出し、甲州金二十四万両が作られたと伝えられている、また信玄は羽の形をした鉱脈のうち片羽だけを採掘し残る片羽は後の軍資金に残したとも伝わり、その時代に穴の入口は隠されたと伝わるが今もって所在は掴めず、現在も多くの試堀が行われているという。
兵史郎は湯殿に四肢を伸ばしゆったり寛ぐと、うつらうつら回想に耽りだした。
(ふぅっ、江戸に帰ったとてすることがない、いや…そう言えば越前守様に身辺警護を頼まれておったのぅ、じゃが儂がしゃしゃり出れば息子・兵一郎の面目をつぶすことにもなろう、ふむぅどうすれば良いのか…)
兵史郎が齢五十になったとき長子の兵一郎に家督を譲った、しかし越前守は兵史郎の腕を惜しみ捨扶持にしては法外な百石扶持で御家の用人として再度召し抱えた、だが用人とは名ばかりで月に二・三度出仕し相談や茶の相手をする程度のお役である。
用人になった当初は月五回ほども出仕し相談役として また使い役として働き、出仕せぬ日は屋敷裏の道場に訪れる大名家や旗本の子息らに剣術を教えていた…しかし最近は越前守が天保の改革に着手し多忙を極めているせいか出仕しても御用部屋に呼ばれることは希となり出仕の足は次第に遠のいていった。
今年になってからは出仕は月一度となり控えの間に詰めるも呼ばれることはまず無く、他の御老体や用人やらと囲碁将棋でひがな一日を過ごしていた、つまりは楽隠居そのもの生活であった。
体が歳相応に老け込めばそれはそれで楽隠居にその日をうつらうつらと過ごせよう、だが兵史郎は違った、今もって血潮滾る己の身を鬱陶しいほどに持てあましていたのだ。
兵史郎が二十歳を越えたころであったろうか、兄が止めるのを説得し二年という期限付きで諸国武者修行の旅に出た、思えばあの緊張した日々が生涯で最も充実していた時期と今は覚える、この太平の世 諸国を巡り旅の埃と汗で薄汚れた男が試合を申し込んでも鼻であしらわれ門前払いが殆どであったが、中には立会に応じてくれる道場もあり 試合って縁を深く結んだ剣客も少なくなかった。
しかしこの世は広い、辺境にこれほどの達人が存在したのかと思わされるときもあり、試合で肩を打たれもう剣は握れぬと安宿の床で痛みに藻掻き苦しんだこともあった。
大番方の裕福な旗本の家に生まれ、これまで何の苦労もなく育った兵史郎にとって武者修行の旅は壮絶の一語に尽きた、備前から備中へと赴いたときは山中で道に迷い六日間も彷徨し百姓に助けられ命が救われたなどは序の口で、芸州安芸では空腹に耐えかね腐敗物と知りながら貝肉を口にして生死の境を彷徨ったこともあった。
そして修行が半年も過ぎたころ兄からもらった金などとうに底を尽き、人足をしたり博打や道場破りをしながら旅を続けたが、ときには道場主をやり込めて恨みを買い 命からがら国境を越えた事も何度かあった。
そして旅が一年半も過ぎたころ鋭い剣技に老獪さが加わり、京・大坂・中国筋には向かうところ既に敵はなく、兵史郎は剣客を求め九州へと渡った。
特に九州諸藩は剣技が盛んな土地柄でもあり、他流試合を拒む藩や道場も少なく、ここでは半年余りをかけ九州全土を荒らし回った。
この旅で兵史郎の肉体と精神は旅に出る以前とは比べものにならぬほど頑強になっていた、それはたった二年で人はこれほどまでに変貌できるだろうかと言うほどのものである。
貌には蓄えられた無精髭と深く刻まれた皺、そしてはち切れぬばかりの肩や胸板を露わに悪臭紛々と放つその大男は墨摺絵から抜け出た「大江山酒呑童子」そのもので、兄との約束通り二年を過ぎた夏口に江戸四谷の屋敷に帰ったときなどは、対応に出た下女は兵史郎を見た途端 恐れ戦き屋敷奥に逃げ込んだほどである。
あの色白な優男が鬼になって帰ってきたと江戸の名だたる剣術道場にも知れ渡り、日々多くの剣客が試合を申し込み、それをことごとく撃ち払ったのもその頃であった。
兵史郎が撃剣館の塾頭に上り詰めたはそれから少し後のことで、そのころには兵史郎に敵う者は道場にはもういなかった、あの剣の天才五兵衛でさえも三本撃ち込んで辛うじて一本取れようかと言うほどであった。
そんな状況から江戸ではもはや敵無しの想いは募り、再び武者修行の旅を夢見るようになっていった、兵史郎は今度もし行くなら東国と決めていた、それは東国の常陸や岩城、また奥州にはまだまだ隠れた剣客が多く存在すると師匠から聞かされていたからだ。
しかしその夢は水野家剣術指南役の声がかかり、また妻を貰ったことで潰えてしまった。
そして以降は水野家江戸屋敷にあって、素人同然の殿や御子息そして水野家家臣を相手に指南役としてつまらぬ日々を重ねもう三十年も経とうとしている。
この長きにわたる平穏な暮らしで己の心奥に燻る焔は消えてしまったのか…。
いや違うまだ消えてはいないようだ。
それは一昨日の夜、賊徒に囲まれたとき確かに燃えたぎる焔を感じた、それはまさに麻薬の如く四肢に染み渡り、快感にも似た震えるほどの闘争心が沸き上がったからだ。
そのとき冷たい水滴が兵史郎の肩にポトリと落ち ふと我に返った、それはあたかも殺陣の暗闇から朝の目映い光の前に引き出された感覚でもあった。
気付けば四肢は強ばり手に持った手拭いは引き千切れんばかりに引き絞られていた。
兵史郎は「ふぅっ」と肩の力を抜き 湯を掬うと顔にかけごしごし擦った。
(儂に…まだそんな闘争心が残っていたのか…)
兵史郎は湯面に両手を揃えると その手の平を不思議そうに見つめ首をひねった。