十二、江戸へ
紫乃の遺骸は関所から半里ほど東に行った浄土真宗の桂徳寺で葬儀は行われた、葬儀が終わると真之介は遺骸を諏訪に連れて帰ると言ってきかなかった、しかし兵史郎は この季節では腐敗が進み紫乃が可哀想と泣きすがる真之介を諭し翌日荼毘に付した。
葬儀には跡部能登守とその一行、それと小仏関所の者らも参列してくれた、荼毘を済ませると兵史郎は寺の小庫裏客院に跡部能登守を呼び礼を述べるとともにこれからの方策を相談した。
「おぬしこれより諏訪高島藩に乗り込むと言うておったが…暫く待ってはくれまいか、今おぬしが動けば諏訪高島藩は御取り潰しの憂き目に遭うは必定。
この度の件は確かに御家騒動ではあるが五兵衛の心根を慮れば藩御取潰しは忍びない、おぬしさえ一時目を瞑ってくれれば儂が何とかする、のぅ少し待ってはくれぬか」
「師匠、現状幕府も財政逼迫の折、財政の再興をめざし兄者越前守は日夜幕府財政基盤の確立に躍起となり緒改革に尽くしておられまする。
たった三万石の高島藩と言えどその実は倍近いと算出され天領化出来れば改革に弾みがつくというもの、またこれを契機に家内が騒がしい西国諸藩も逐次天領化出来ぬかとそれがしが主導で現在検討を進めておる最中、いくら師匠のお頼みでもこればかりは…」
「わかっておる じゃがこの通りじゃ、貴公には初めての頼みじゃ、曲げて儂の言う事を聞いてくれぃ」と兵史郎は深々と跡部能登守に頭を下げた。
「しかし…それがしが目を瞑ったとて水野越前守は黙ってはおりますまい…」
「それも儂から殿に言って何とかしよう、けしておぬしに責任が及ぶような事はせぬ」
「ふむぅ…参りましたなぁ、まっ師匠がそこまで言われるのなら…今一度考えてみましょう」
「そ、そうかすまぬ、儂が納得出来る始末と致すゆえどうか頼み参らせる」
その後一時ほども話し合い跡部能登守は仕方なくも納得した。
その翌日、跡部は兵史郎の願いを受け入れ諏訪には行かず兵史郎と真之介を伴って江戸へと向かった。
江戸に着いた兵史郎は真之介を四谷の屋敷に連れてきた、泥と汗にまみれた爺様と子を見た長男の嫁(琴絵)は「まっ、こんなに汚れて…舅殿すぐに風呂を用意致しますからこの子と一緒にまずは風呂に入って下さい、それとこの子は何処から連れてきたのです」といつもの甲高い詰問口調で聞いてきた。
「おぅ、この子は儂が言うた親友・五兵衛の長子真之介よ、連れてくる途中これの姉が儂の目の前で殺されてのぅ…まっ、この子が屋敷におる間はよう面倒を見てはくれまいか」
兵史郎のこれまで見せた事もない悲痛なる顔を見た琴絵は「まぁ…」と絶句したまま兵史郎と真之介を哀れむように交互に見ていた。
その日のうちに琴絵は事の子細を兵史郎から聞くと、真之介が諏訪藩主に目通りしても恥ずかしくないよう紋付き袴の類いを特急で仕上げるよう呉服屋に注文した。
衣装が出来るまでの間、塞いでいる真之介を江戸見物にでも連れ出そうと「何処か行きたいところはないか、そう言えば海が見たいと言うとったな、どうじゃこれより出掛けようか」と真之介に問うた、だが真之介は項垂れたまま何処にも行きたくないと応えた。
「男がいつまでいじいじしておるのじゃ!」と叱りつけ兵史郎は真之介の手を取り無理にでも外に連れ出した。
兵史郎の屋敷は四谷御門の近くにあり、裏は御先手組の組屋敷があった、屋敷の門を出て東に向かうと江戸城の西ノ丸が間近に見えその雄大さは真之介の心を圧倒した。
「こんなに大きな建物は初めてです」と真之介は目を見張った、その西ノ丸を見ながら半蔵御門を右に折れ、内堀沿いに井伊家の屋敷を過ぎ桜田門に至った。
暫く歩いたが江戸見物にしては城周りを歩いているに過ぎないと真之介は思った。
「青山様、何処に行かれるのですか」と不審げに聞いた。
「そうじゃのぅ、せっかくここまで来たのじゃから八丁堀まで脚を伸ばそうと思うてな」
「伯父の木俣清右衛門様の所に行かれるのですか」と真之介は久々に目を輝かせた。
「そうじゃ、木俣清右衛門殿は五兵衛の兄上に当たるのじゃな、儂も若い頃に二・三度お目に掛かった事があったが、優しげなお人と記憶しておる、もう三十五年も昔になるがの、して清右衛門殿は御達者か」
「わたし…清右衛門様にはまだ会った事は御座いませぬ…」
「そうか、江戸と諏訪ではそうも行き来は出来ぬからのぅ、まっせっかく江戸に来たのじゃから一目会っておくがよい」
八丁堀組屋敷は南北約六町、東西は三町ほどもあり、元々この地は寺町で江戸初期に埋め立てられたものだ、寛永十二年城下の拡張計画に伴い玉円寺だけを残し他の寺は郊外に移転させ その跡地に与力・同心の組屋敷の町が出来たそうである。
兵史郎らは数寄屋橋から白魚橋を通り弾正橋より八丁堀界隈に入った、しかし昔来たときと違い町は大きく変わっていた、兵史郎は昔の記憶を辿り暫く歩いたが結局見つからず、仕方なく弾正橋まで戻り番屋で木俣家組屋敷の所在を聞いた、だが聞いた通りに歩いたがそれでも見つからず通りで桶を修理していた職人風の男に尋ねた。
「木俣様の組屋敷ならこの奥の右手にありますよ」と路地を指さした、二人は言われたままに狭い路地を進むと右側に古めかしい表札が掛かり木俣と読めた。
少し傾いた門扉を開け中に入ると百坪ほどの敷地に母屋とその裏に小さな離れが垣間見えた、それを見たとき兵史郎は往事の記憶を瞬時に蘇らせた…しかし当時と余りにも異なる寂れ感に愕然とした、一瞬訪問することが躊躇われたが気を取り直し入口で「頼もう!」と声を掛けた、一方真之介は母屋の造りや庭を見渡しながら顔を曇らせている。
目の前の組屋敷は諏訪の屋敷に比べれば四分の一にも満たない大きさで、庭と言っても荒れた畑で手入れもされていなかった、見るもの全てが見窄らしく廃屋の感さえあった。
幼い頃から江戸の八丁堀に住まう伯父の話は自然と膨らみ、思いの中では御殿のような立派な屋敷に作り替えてしまったのかもしれない。
暫くすると軋む音と共に扉が開かれ三十前後の痩せた女が現れた、「何用で御座りましょう」女は二人を鬱陶しそうな顔で見つめた。
「それがし老中水野家の用人で青山兵史郎と申す者、ここに伴いし者は貴家・木俣清右衛門殿の甥になる諏訪の高田真之介に御座ります」と丁重に応えた。
女は老中水野家用人と聞いて恐れ入ったのか、平身低頭に「左様で御座いますか、生憎主人は勤めに出仕致しております、お急ぎでなければ夜にでも出直して頂けますれば…」
「待たれよ、この子は諏訪から遠路はるばる伯父殿に会いに来られたのですぞ」
「はぁ確か諏訪の方に舅の弟が住んでいると嫁いだ昔に聞いたことがありましたが…わたしには分かりかねます…」
「では木俣清右衛門殿はご在宅か」
「はい、離れで伏せっておりますが…」
「あの裏手の離れじゃな、ではそちらに廻るといたす」
言うと真之介の手を取り歩き出した、すると女は「散らかしておりますので…」と慌てて止めようとするが、兵史郎は「よいよい」と言いつつ無視して歩いた。
離れの腐りかかった戸口を無理矢理こじ開け中に入った、一見して病人が伏せっているのが分かるほど饐えた異臭が漂っていた、そして玄関横の薄暗がりに一人の老人が布団らしきものの上に座って正面の剥がれ落ちた壁を虚ろな目で見ていた。
兵史郎はその老人があの清右衛門とは判別が付かなかった、白い髭に深く刻まれた皺、あの往年の面影は微塵もなく、薄汚れた衣を纏い呆然と佇む見知らぬ老人にしか見えなかった。
「清右衛門殿で御座ろうか、それがし四谷の兵史郎で御座る」と少し大きめの声で老人に声をかけた、しかし老人はただ壁を見つめるだけで声には反応しなかった。
兵史郎より確か一回りも歳上と記憶している、だとしたら六十七・八…惚けていても不思議はなかろう、もう一度声を掛けたがやはり反応は無い。
「真之介、残念じゃが帰ろう…」
二人は老人に一礼すると真之介を追い立てるように離れから出た、真之介は項垂れ元来た道を引き返し戸口を出たが…あの女は見送りにも出ては来なかった。
三十俵二人扶持、食うのがやっとの身の上で老いに伏せった老人を身綺麗にして看護する余裕などあろう筈もない、やはり来るのではなかったと兵史郎は悔いた、それ以上に真之介の心情を慮ればやるせなかった。
もし兵史郎がこの件に関わらず、姉弟が奇跡的にも江戸に辿り着き、この屋敷に逃げ込み救いを求めたなら…どんな事になっていたのだろう、だが兵史郎はその先の想いは止めた。
「真之介疲れたか、この近くに旨い鰻を食わせる店があるよってそこに行こう」と歩き出した、八丁堀南端の中ノ橋から木挽町に入り諏訪高島藩の上屋敷前を通った。
「ここに藩主・忠誠様がおられる、近々ここに来るよっての」そう言うと木挽橋を渡り森山町角の「江戸前大蒲焼き鰻屋」と大きな看板が出ている店の暖簾をくぐった。
席に座ると「真之介は鰻重と鰻丼どちらが好きじゃ」と聞いた。
「あのぅ…鰻はぶつ切りで煮るものと思っておりましたが、あのように開いて焼いたものはまだ食べた事がありませぬ」と近くの席を見て珍しげな顔で応えた。
「そうか蒲焼きは初めてか、ならば鰻丼がよいかもしれぬな」そう言うと店の者を呼び鰻丼二人前を注文した。
鰻丼が運ばれると兵史郎は割り箸を割ってやり「これはな蒲焼きといい、うなぎを蒸すことで強い脂を抜き口当たりを柔らかくした焼き方よ、ほれ飯の中程にも蒲焼きがかくれておるぞ」言うと兵史郎は飯の中に箸を突き入れ飯の間にうなぎが挟まれているのを見せた。
真之介にすれば割り箸を見るのも初めてであり、それよりも蒲焼きのえも言われぬ旨そうな匂いに驚いた、さっそく蒲焼きを摘まむと一口頬張った、すると目を輝かせ「こんな旨いものが…」と絶句し兵史郎を見た。
うなぎ屋を出ると本数寄屋町を横切り数寄屋橋を渡った。
「真之介、鰻は旨かったか」
「はい、生まれて初めてあんな旨いものを食べました」
「そうか、そんなに旨かったか 今江戸で旨いもん四天王は蕎麦、寿司、天麩羅、鰻蒲焼きが相場となっておるらしい、ならば次は寿司か天麩羅を食べようかのぅ」兵史郎は目を細め真之介の機嫌がなおってきたのを喜んだ。
翌々日、真之介の衣装が仕上がり、それを着せて老中主座水野越前守の屋敷を二十日ぶりに訪ねた。
「ふん、おぬし半月の暇と申したではないか、もう九月も終わろうと言うに」といつもの難癖から始まった。
「まぁまぁ殿様そう御怒りめさるな、ほんの五日ほど遅参しただけでござるのに」
「しかし無事で良かったのぅ、あらましは一昨日跡部能登守より聞いた、娘紫乃には可哀想な事をしたのぅ、してそこ元が弟の真之介か」と忠邦は真之介を頼もしげに見た。
「わたくし高田五兵衛が一子真之介と申しまする、このたびは御面倒をおかけし誠に申し訳御座りませぬ、この御恩は終生忘れませぬ」と深々とお辞儀した。
「ほぅ聡い子じゃ、おぬし何人も敵を倒したと言うが…その歳で末恐ろしい強者じゃて、何ぞ褒美を取らせぬと行かぬな」と言いつつ兵史郎の顔を見た。
「兵史郎、能登守からおぬしの意向を聞いたが幕府とてこのたびの仕儀を見過ごす事は苦しいぞ、そこでじゃ貴公の思いの内を知りとうてな、今からええかの」と微笑みを消し兵史郎を見た。
「承知」と応えると、忠邦は手を叩き用人を呼び「この子に奥で何か甘いものでも食べさせてはくれぬか」と言い真之介を部屋から下がらせた。
真之介が部屋から出るのを見届けると、兵史郎は深々と忠邦に頭を下げた。
「このたびは出過ぎた真似をし跡部殿には難儀を御掛け申した、また諏訪高島藩の詮議の件につき一介の用人が出しゃばる筋のものではない事は承知で跡部殿に了解して頂き、殿の御顔を御潰し致したは不敬のいたり、ここに平にお詫び申し上げまする、どうか御容赦下さりませ」
「ふん、おぬしは儂の腹内を見透かした上でやるから…腹もたたぬわ!、して諏訪高島藩の上屋敷にはいつ乗り込むのじゃ」
「はっ、これより参る所存で御座いまする」
「何っこれからだと…用意は調っておるのか」
「用意も何も、藩主忠誠様は近年希なる英明な殿様と聞き及びまする、五兵衛が教えた出来物なればうまく取り計らいましょうぞ、それに跡部殿も伴うて行きますからの」
「なに!弟も行くのか、彼奴そのことはこれっぱかりも言わなかったぞ、奴は師匠殿に心酔しておるからのぅ。
そう言えば儂も忠誠殿には数度会ったが…父君が忠恕殿かと思うほどの切れ者じゃったなぁ、あれならば将来若年寄…いや老中まで上り詰めるであろうのぅ。
儂とて高島藩に恨みは無し、単なる家来どもの覇権争いに過ぎぬ、幕府に徒なす事柄でもないゆえこの度ばかりは勿体ないが目を瞑ると致そう…まっ細かい事はええ、おぬしがここに何を言いに来たかなんぞは目を見れば分かる事よ、ククッまぁ 弟と良きに計らえ まかせたわ」
「これはありがたき御言葉、そう来ると思おておりました」
「こやつぬけぬけと、それよりもあの真之介も姉を亡くし悲しみの極みであろう、兵史郎よ、あの子の身が立つようくれぐれも頼んだぞ」と暖かい言葉を投げ掛けてくれた。
兵史郎の本音としては忠邦にいくら頭を下げても下げ足りないと思ってはいるが、いつものように「ではまたいずれ」と礼もそこそこにそそくさと上屋敷を辞去した。
そうして二人は木挽町に昼過ぎに到着し門前で跡部能登守とその供の者らと落ち合い諏訪高島藩の上屋敷に乗り込んだ。
老中首座・水野越前守の用人と大名取締役の大目付・跡部能登守の来訪は、国元の騒動がこの上屋敷にも既に伝わっていただけに屋敷内は「すわ何事!」と上を下への大騒ぎになっていった。
客間に通された三人の前に江戸家老の千野頼隆が畏まって応対に出た。
「これはこれは大目付様と水野家の御用人様が揃ってのお越しとはただならぬ御様子、我が藩に何ぞ問題でも御有りで御座ろうか」と平身低頭に聞いてきた。
「今日は忍びで参った、ここに貴藩の大目付・高田五兵衛の子を伴うて来たと言えば察しは付くと言うもの、それでもお惚けもうされるおつもりか!そちでは話にならず、藩主忠誠殿をここにお呼び下され」と跡部は千野頼隆を威嚇するように睨めつけた。
「は、はぁ平に御容赦を、殿は御城より只今下向の途中、今暫くお待ちの程を」と言いつつ頭を畳に擦りつけ あたふたと部屋から出て行った。
真之介にしてみれば三之丸派の首魁・千野頼隆は直視も叶わぬ雲上人、それを叱りつけ平身低頭させる二人はどれほど偉い人達なのかと畏れ入り、ましてや危ういところを助けられ抱いてもくれた兵史郎を畏敬の念で呆然と見つめてしまった。
「真之介何を見ておるのじゃ、なぁにすぐにも終わるよってそんなに緊張せずとも良い、脚が辛ければ崩してもよいからの」と真之介の肩を叩いた。
それから四半時も待たされた後、藩主忠誠公が部屋に入ってきた、相手は忍びで来たと知らされたのか三人に対座の形で忠誠は正面に座った。
能登守殿お久しゅう御座ります、また大目付高田五兵衛の御親友であらせられる青山殿の事は五兵衛より幾度も聞かされておりまする、こうして面目なき事でお会い致すは余の不徳とするところ、深く陳謝する次第で御座いまする」
この二十そこそこの若き藩主は奢る事なく越前守が言っていた通り、なかなかの出来物であった。
「ここに高田五兵衛がしたためた調書がござる、目を御通し下され」言うと兵史郎は紫乃が大事に背負っていた調書十二冊を忠誠の前に差し出した。
「国元の騒動は二日前にこの屋敷にも届いておりまする、御貴殿が五兵衛の子らを助け坂本一派等の手からお救い頂いた事も、またこの子の姉が小仏峠の戦いで討ち死にしたことも…真之介と申したかの、さぞ辛かったろうに これは全て余の不徳であった、ここに詫びを申す許してくれぃ」そう言うと忠誠は真之介に向かい頭を下げた。
「忠誠殿にはもはや全てがお分かりのようじゃな、ならば貴藩の御処置は如何様な事になろうかは察しが付くというもの御覚悟めされよ。
と申したいところ…我が師匠の青山殿が五兵衛殿の心中を慮れば厳しい処置は忍びないと申される、また老中首座もこの青山殿が口説かれた由、これにより儂の存念でこの度の不都合はお構いなしと致す。
但し 悔しくも謀られ憤死した五兵衛殿のこと、捕らわれし奥方の事、それとこの真之介の事、御櫓脇派の処分の事、今更細かくは申さぬがよしなに取り計ろうて下され」
「跡部能登守殿、青山兵史郎殿 この度の御貴殿等の御厚情は身に沁みて感じ入り候、忠誠生涯忘れませぬ、早速にもこの調書を読み 断固たる処断を国元で行う所存、諏訪高島藩のこと以後よしなにお取りはからいのほど御願い奉りまする」と藩主に似つかぬ深々たる平伏を三人の前で行った。
諏訪高島藩邸を兵史郎と跡部は辞去した、藩主忠誠公は真之介が身が立つよう取り計らいますよって、このまま上屋敷でお預かり致しますると応えたため真之介を置いて出てきたのだ。
そのとき兵史郎は真之介の顔を見た、目には涙を溜めていたが「ここに残り早々に母上の解放に向け藩士の方々と行動を共にする所存、近日中にも諏訪に戻りますよって、ここでお別れ致しまする、これまでの我ら姉弟への御厚情に心より御礼申し上げまする」と屹然とした態度で兵史郎に応えた。
「そうか…それで良いのじゃな、ではこれにて失礼致す」
そう言うと上屋敷の門をくぐった、だがこの胸内に吹く風は冷たく無性に悲しみがこみ上げてくる、五兵衛の子を知らぬ間に我が子と勘違いしていたのか…それとも余程に深く愛したのか、この悲しみが癒えるには相当の時が必要であろうと兵史郎は思った。
その時不意に紫乃のあの嫋やかな白い貌が脳裏に浮かんだ、(あぁもう一度あの笑顔に逢いたいものよ…)そんな思いが俄にこみ上げ涙が湧いた。
「師匠、お歳をめされたようですな…どうです このまま一杯やりに行きませんか」
と跡部が兵史郎の涙顔を覗き込んで言った。
「そうじゃのぅ、このまま帰るのはちと辛い、一杯と言わず酔いつぶれようかの」
そう笑って応じた。
「では日本橋に行きましょうぞ」
二人は秋風吹く木挽町を後に日本橋の繁華に向かって歩き出した。
諏訪騒動の巻、終わり