十、犬目番所
紫乃と真之介は幼子のようにひとしきり泣いて気が収まったのかようやく頬に赤みがさしてきた。
兵史郎は二人を抱き寄せ「二人ともようやった、五兵衛の仇も討ち坂本秀興の小倅も討つ事が出来た、あとは江戸に行って殿様に謁見し五兵衛の疑いを晴らすばかりじゃ、よかったのぅ」と二人の背中を優しくたたいた。
そのころ旅人が現場に集まりだし前後には人垣さえ出来はじめた、路上には死骸が五体も横たわり街道を塞いでいたからだが、旅人は通りたくともさすがに血溜まりと無残な死骸の上を飛び越えていく勇気はないようだ。
「これはいかん道を空けなければ、そこのお人 すまぬが手を貸して下さらんか」そう言うと倒れている男の肩を掴み見物する先頭の男に脚を持ってとばかりに目で促した。
しかし見物人たちは気味悪がり誰も手を出そうとはしない、兵史郎は困ったという顔で真之介の方を見た、そのとき見物人の後ろから「儂が手を貸そう」と前に出てきた男がいた。
見れば主持ちの武士のようで恰幅のよい体つき男であった。
「これはすまぬ、血で汚れぬよう気をつけて下されよ」
そう言うと二人で声を掛け合い街道の脇に死骸を一体ずつ縦に並べていった。
「爺様一体何があったというのじゃ、顔が血だらけではないか」片付け終わるとその武士は興味げに聞いてきた。
「あの子らが今し方仇討ちをしたところよ」
「えぇっ、あの子らが五人も討ったと言うのか、そんな馬鹿な…ま、まさか爺様が助太刀をしたとか…」
「そうよ、儂がちょこっと助けてな」と言い、懐から手拭いを取り出すと乾き始めた血糊を拭き始めた。
男は狐につままれたような顔で暫く兵史郎と子らを見つめ首をかしげるとその場を振り返りつつ去って行った、そのころ見物人等は「おい仇討ちだとよ」「あの子らが討ったそうな」「いやあの爺様が討ったらしい」「馬鹿なあんな爺様に刀なんぞ振れるかよ」「しかしあんな爺様と子供でどうやったら五人も斬れるんじゃ」と方々でひそひそ話が囁かれていた。
「紫乃、真之介そろそろ行くか」そう言うと二人の手を取り、見物人を押し割るようにして歩き出した。
峠を越え暫く行くと細い谷川があり、三人はその谷川の水を貪るように飲むと顔や着物に付着した返り血を丹念に拭き清めた。
街道に戻り暫く歩くと犬目宿に着いた、この宿場はいたって小さくそれでも谷村代官所支配の粗末な番所が一軒あり三人は小屋風な佇まいの番所へと入った、だがそこはもぬけの殻で四半時も待たされたとき一人の百姓代役人が入ってきた。
その役人は三人を見て「おや土地の者ではないようだが、番所に何用だ」と面倒くさそうに聞いてきた。
「儂らそこの犬目峠で仇討ちをしたゆえ届けに参った」と兵史郎も面倒そうに言う。
「お前達が討ったのか、して何処のどいつを討ったんだ」と興味げに聞いてきた。
「諏訪高島藩の目付頭・太田宗右衛門と目付衆四人を討ち果たし、三名は残念ながら取り逃がした次第でござる」と兵史郎は神妙な顔を作って応えた。
「何!五人も切っただと、お前らたった三人でかよ…ほぅ武士五人を爺様と孫らでよてたかって斬ったんだ、そいつはすげぇ、それも高島藩の御目付衆を斬ったとは…ククッこいつは笑える」
役人は惚け爺さんとその孫らが悪戯にでもやってきたと思ったらしい。
「馬鹿を言うのもいい加減にせい、さぁ帰った帰った」と取り合わず、兵史郎が慌てて通行手形を見せるも、「しつこいぞ!」と怒鳴り再び外へ出て行ってしまった。
「これは参ったのぅ、だがこうして届けたのじゃから後は知った事でわないわさ、さぁ行くとするか」兵史郎らは番所を出た、外に出ると陽はまだ東にあり昼前と知れた。
「この宿場で昼飯にするのはちと早過ぎるのぅ、次の野田尻宿まで行って昼餉としようか」そう言うと再び二人の手を取って歩き出した、しかし二人にすれば今しがた人を殺したばかり、飯など喉を通るわけはないと思いそう言ったのだが。
(しかし…あと十人もおると自白したが、その十人はどこら辺におるのじゃろう)
まだ十人もの敵が追ってくると知れ、少しばかり兵史郎も気鬱になってきた。
(敵が来襲するのは今日と言う事はまずないだろう、明日は小仏峠を越えるが…大方その辺りで襲ってくる算段であろう、しかし十人はちと多いな これは参った)
昼過ぎに野田尻宿に着いた、この宿場の本陣や脇本陣はまだ新しく、旅籠は大小十軒ほどが街道筋に並んでいた、兵史郎等は飯屋を探すも見つからず、仕方なく一軒の旅籠入口に寄ると中に「飯は出せるか」と声を掛けてみた。
すると「飯屋もやっておりますからどうぞ」と声が掛かり三人は中に入った。
中に入ると旅人が四~五人ほど飯を食っていた、兵史郎等は入口近くの長椅子に座ると「何があるのかね」と女中に聞いた。
「うちは決まった定食しかありませんけど、今日は鮎の塩焼きと茄子の煮物それと汁と漬け物ですが」
「ではそれを三人前もらおうか」と二人の顔を見た、依然二人は暗い顔であった
飯はすぐに出てきた、鮎は大きいのが二匹も付き煮浸しも旨かった、ただ飯は朝の残りか湯洗い飯で幾分水っぽかったが久々の米十割で江戸は近いと知れた。
飯を食って外に出た、紫乃と真之介は未だ衝撃は収まらず、飯もほんの僅かに口にしただけで半分以上も残してしまった、まっ喉を通っただけでもたいしたものよと兵史郎は思った、と言うのも兵史郎も武者修行の昔 初めて真剣の勝負を迫られ、立ち合って相手を殺してしまった事があったが、その時の夜は飯などとても喉を通らなかったからだ。
(当分二人に血は見せたくはないが…明日にも再び見なければならぬとは…)
因果なものよと思いつつ、二人を気遣って歩いた。
三人は夕刻近くに関野宿に入った、幸い野田尻宿よりここまでは敵の追尾は感じなかった、しかし宿に着いても依然二人の顔は晴れなかった、兵史郎も若いころ同じ経験をしているだけに二人の心中は痛いほど理解できた。
二人は僅かばかりの夕餉をとると部屋隅で物思いに耽っていた、兵史郎は「父の仇を討ったのじゃ、なんで思い沈むことがあろうか二人とも喜べ」とは言ってみたが空虚に流れた、気鬱解消は時間でしか解消できないことは兵史郎にも分かっていた。
次の朝、一晩寝たためか二人は幾分明るさを取り戻していた、昨夜兵史郎は両側より二人に抱きしめられた、真之介は半時ほどで眠りについたが紫乃は一時ほどもしがみつき兵史郎の胸に顔を押しつけ震えていた、その時は明日はどうなることやらと心配したが、朝 紫乃の顔を見てほっとした。
宿を出て一刻近くも紅葉を見ながら歩くと次第に二人から会話も洩れだした、やはり若いだけのことはある、紫乃の頬には赤みが戻り美しさは次第に輝きだした。
(きょう小仏峠を斬り抜ければ明日は府中、もう江戸に入ったようなもの、何としても二人を無事に諏訪高島藩江戸屋敷まで届けたいものよ)そんな事を考えながら二人の手を取り一路小仏の関所を目指す。
暫く歩き吉野宿を過ぎたころ正面に相模湖が広がった、紫乃は「諏訪湖より小さいけど水が綺麗」そう言うと街道を外れ湖に向かって駆けだした、それを追って真之介も走っていく。
二人は岸辺の砂場に立つと諏訪湖との違いを指を差して喋り合っている、これで江戸の海を見せたらどんなに驚くだろうと兵史郎は街道を降り二人の所まで歩いた。
「お前達、海を見た事は無いであろう、海はあれに見える反対岸などは無いのじゃぞ」
「じゃぁ岸は何処にあるの」と紫乃が無邪気に聞いてきた。
「お前さん等の伯父さんが住んでる八丁堀は南が海で、そこは江戸湾と言い、その向こうは相模灘と言うんじゃが…その向こうは何処までも海が続くばかりよ」
「じゃあ岸はないってこと…そんなの私が知らないと思って…嘘」
「嘘か…では江戸に着いたら海を見せてやるでな、自分の目でじっくりと確かめてごらん」その時早馬が街道に土埃を上げ小仏方向に走って行った。
(まさか奴ら馬で先回りするつもりか…)と心臓は高鳴った。
たがそのあとに続く早馬はなかった、単騎のみで先回りするのもおかしな話と土埃が舞う街道を見つめ兵史郎は気を静めた。
湖畔から街道に戻ると再び歩き出し与瀬宿を越え小原宿へと差し掛かった、昼にするには少し早かったが紫乃や真之介は昨夜と今朝 宿の食事は半分ほどしか食べられず、ここに来てようやく腹が減ったと言い出したのだ、兵史郎は二人の食欲が戻った事に喜び「そうか腹が減ったか、よし飯にしよう」と街道筋の飯屋に入った。
飯屋は昼時で繁盛し、座る場所とて無く小半時も待たされて窓際にようやく空きが出来た、待たされている間に注文しておいたから出てくるのは早かった、二人は早々に飯を掻き込み始め兵史郎はその姿を目を細め嬉しげに見ていた。
そのころ半里後方の与瀬宿を一団の武士が足早に東に向かっていた。
その一団は諏訪高島藩・勘定奉行の与力同心らで その数十人、街道を往来する旅人等はその一団の形相に驚き何事かと怖れて道を空けた。
昨日夕刻の事である、犬目宿の番所に犬目峠で武士五人が斬られその崖下にも墜落者一人が息絶えており、現在もその骸が街道に野晒しされているという報告が入った。
この報で犬目宿は大騒ぎとなった、そのころ江戸で罪を犯し逃げてきた罪人等が甲府で徒党を組み、天保組と名乗り人家や宿場を荒らしまわっていた、為に甲府の各代官所も捕縛に躍起となっていた時期でもあった、ゆえに武士六人を殺したともなればこの天保組に違いないとして宿場は大騒動になったのだが…。
しかし夜になり情報は夜盗・物盗りではなく六十近い爺様とその孫二人が仇討ちをし、その武士等五人を斬ったという証言が出るに及び騒ぎは収束していった、その頃番所には犬目の名主や長百姓・百姓代らで組織された番所役人五人が集まり、百姓代の伊蔵に昼前番所に訪れた爺様の話を聞いていた。
「確かに昼前ここに爺様とその孫らしき者が訪れ、仇討ちをして五人を斬ったと届けに来たが…その時はてっきり惚け爺さんの戯言と思い取り合わずに帰してしもうた、わしはあんな老い耄れ爺さんと子供らに人など殺せるわけがないと思って…」
「阿呆かお前は、いくら惚け爺さんでも番所にわざわざ戯れ言など言いに来るものか、何でその爺さんの姓名とか氏素性を聞かんかったんじゃ!」
「そんなこと言われても…そう言えば爺さん通行手形を出しおったが…それには…」
「それには何と書いてあったのじゃ」
「んん覚えとらん、というか達筆すぎて読めんかったわ」
「くぅっこの阿呆が、これはえらいこっちゃ、明朝ともなれば谷村代官所から手代様が出張ってこられると言うに、これは我が村の責任問題だにぃ」
「そんなぁ儂はどうすればええんじゃ」と伊蔵は村役の袖に取りすがった。
「知るか!そんなもん」村役らは頭を抱えた。
そして朝になり、代官所から手代二人が到着し百姓代の伊蔵にきつい査問が為された、それによれば殺されたのは諏訪高島藩の御目付衆ということが分かり早々に諏訪に向け早馬が差し向けられた、また老人と子供二人は甲州街道を東に向け旅発ったとの宿場人の話から、三人の身柄を拘束し事情聴取するため小仏関所にも早馬が差し向けられた。
兵史郎ら三人は昼食を済ませると小原宿を出た、あと一里ほどで高尾山北の小仏峠に入る、江戸から来るときこの小仏峠を通ったが、丘状を成し杉の木が生い茂る山道であったと記憶している。
(遮るものは木ぐらいしかない山道、敵十人にも囲まれたならあの二人を護り通すことは難しい、儂一人であれば林立する杉を盾に一人ずつ地道に斬り倒すが兵法であろうが…子らがいてはそうはいくまい、さてさてどういう手で切り抜けるか…)
(いっそ何処かに隠れ、追っ手が諦めるのを待つか…いや奴らも必死、関所前で我らが現れるまでしぶとく待つであろう、ふむぅ…あとは抜け道しかないか、しかしこの地域は全くわからぬゆえそれも難しい、どうせ関所破りを見張る役人に捕まるのがおち…待てよ、いっそ捕まった方が良いのかもしれぬ…)
そんなことを考えながら峠に続く緩やかな登り道を歩いた、また後方を絶えず監視することも怠らなかったが、敵は後方に在りと断定するのは禁物であろう、昨夜の内に我らを追い越し先回りをしていることにも配慮しなければならない。
兵史郎は考えが決まらぬうち気がつけば前方に峠が迫っていた。
(どうするか、わざと役人に捕まるか、じゃが捕らえられ縄でも打たれ曳かれている途中で襲われたら…)そんな取り留めない事ばかりが脳裏を巡り考えがまとまらない。
(これまで二人から聞いた事、そしてあの調書の内容…それらから推し量れば諏訪高島藩で剣の腕前の一等は坂本威一郎、だがあの程度の者が最上級であれば後は取るに足らぬ木偶ばかり、であるならば紫乃の優れたる小太刀の技と、真之介の鋭い撃剣をもってすれば…そう易々と討たれはしまい、それにあの二人は殺人の経験をし その怖れも克服した、やってみるか…)
兵史郎は止まった、そして二人を見つめた。
「お前達よく聞け、もうすぐ追っ手が現れる、あの峠まであと八町ほどだが決戦はあの峠と知れ、峠を抜け関所に逃げ込めれば儂等の勝ちじゃ、敵は十人ほどもいようが…なぁに烏合の衆よ我らに勝てぬはずは無い、ええか!二人ともここで覚悟を決めぃ」
二人はそれを聞き静かに頷いた、二人には今日が決戦になるということは分かっていた、ゆえに迫り来る恐怖から昨夜は布団の中で思わず兵史郎に抱きついたのだ。
そして一夜明け 二人の覚悟は決まった、死ねば父に会える…そんな想いも手伝ったのかもしれない。
そんなけなげな二人の顔を見て、さすがの兵史郎も涙を禁じ得なかった、だが何とか堪え「では、行くか」二人をもう一度見つめ直し歩き出した。
そのころ一里半先の小仏関所では犬目宿より谷村代官所の書状を持参した早馬が到着し慌ただしくなっていた、また江戸から諏訪高島藩に向かう幕府大目付・跡部能登守がちょうどこの関所に入ったところだった。
「この関所に近日中に水野越前守の用人である青山兵史郎という御仁が到着するよってこの通行手形と書状を渡してくれぃ、この青山殿は儂の師匠でもあられる御仁、くれぐれも粗相のないよう丁重に出迎えて欲しい」
跡部能登守が関所の伴頭に命じているとき「上原様、たったいま犬目宿より早馬が到着し、この書状を持って参りました」と番士が駆け込み書状を伴頭に渡した。
伴頭はそれを受け取ると「失礼」と頭を下げ封を切って読み始めた。
「何か異変でも出来致したか」と跡部能登守は首をかしげる伴頭に聞いた。
「はっ、犬目峠で仇討ちが為されたとのこと、討たれたのは諏訪高島藩の目付頭以下五人、討ったのは爺様と子供二人でこの関所に向かっておる由、この三人が関所に着いたなら身柄を拘束して欲しいと書かれておりまするが…」
「何!諏訪高島藩じゃと、それに爺様と子供…爺様が五人もの目付衆を討ったと言うのか、五人も…」
このとき跡部はハッとした。
「その爺様が青山兵史郎殿じゃ間違いない、儂の剣の師匠よ」
跡部能登守は言いながら兄の水野越前守の申し渡しを思い出していた。
跡部良弼は水野忠邦の五才下の実弟で、若いころ旗本・跡部家に養子入りし姓を跡部とし一昨年大坂東町奉行から幕府大目付に異動し信濃守から能登守に遷任していた。
先日兄の老中首座よりお呼びがかかり、西ノ丸の老中御用部屋に赴いた、すると忠邦が「おぬしいま諏訪高島藩を調査中であったのぅ、ちと頼みたい事があって呼んだのじゃが…頼み事とは私事になるやもしれぬが おぬしにとっても他人事では無いゆえ聞いてくれ、その前におぬし五兵衛という剣客を知っておろうが」
「ええ、確かわたしの剣の師匠 青山兵史郎殿の親友で諏訪高島藩の誰それの家に婿入りしたと記憶しておりまするが」
「そうよ、その五兵衛が先月諏訪で何ぞかあったらしく急死したとの知らせを兵史郎が受けたのじゃ、兵史郎めは儂の所に来て「何やら不可解」と言いおって十日ほど前に諏訪に赴いたのよ」
「ほぉぅ師匠殿が自ら諏訪に」
「そうよ年甲斐も無く行きおった、それが案の定よ、ほれこんな書状を送ってよこしわ」
言うと一通の書状を跡部に渡した。
跡部は暫く読んだ後。
「これはいけませぬ、どうも前後は判然と致しませぬが五兵衛殿の御子等を連れて追っ手を逃れ江戸へと逃亡中の由…これは放ってはおけませぬ…」
「そうじゃ、兵史郎に何かあったら取り返しが付かぬ、そこでじゃおぬし いま諏訪高島藩を調査中であったろう、悪いがそれついでに今すぐ諏訪に発って欲しいのよ」
「分かりました、すぐにも出発し途中で三人を何としても保護致しまする」
「そうかすまぬ、ついでで悪いがここに用意した通行手形を小仏関所まで届けてくれぃ」
そんな事があって跡部能登守は諏訪に赴いたのであるが、いま伴頭から渡された書状を読むや(師匠が犬目で五人を討ったというのは推論すれば五兵衛殿の仇を討ったという事になろうか、であるならば当然追っ手があるものと覚悟せねばなるまい、時間から推し量れば今頃は小原宿を出たか途中の小仏峠か…いかんこうしてはおれん)
跡部はキョトンとする伴頭に向かい「我等は只今より青山殿を迎えに参る、もし入れ違いに青山殿がここに来たなら丁重に保護してくれぃ」伴頭に頼むと連れてきた与力同心ら七人に「これより小原宿に向かう、皆の者馬に乗れぃ」と叫んだ。