出会い
今年の夏は猛暑だ。
6月から真夏の暑さが続いている。
セミの割れんばかりの鳴き声。
昼間は照りつける熱でアスファルトから陽炎が立ち昇る。
噴出した汗がシャツに纏わりついた。
少しでも日陰に入ろうと街路樹の下を歩く。
外回りの営業マンなんて家業は好きでもやるもんじゃあない。
スーツ姿の俺、和泉 悟は、田崎工業日本橋営業所で加工機械の営業をしている。
今日一日のノルマだった営業分をこなし、会社には寄らず直接社宅へ帰ることにした。
時計を見ると時刻は午後6時。
まだ陽が高い。
社宅で食事をとってから外へ飲みにでも繰り出そう。
今日は俺の誕生日だ。ちょっとした贅沢してもいいだろう?
そんなことを考えていた。
「今晩は。和泉さん。」
社宅門扉手前で見ず知らずの若い女性に声をかけられた。
相手もスーツ姿だ。
「俺?えっと貴方は?」
「和泉さんにお願いしたい修理があって直接こちらに伺わせていただきました。
田崎工業の佐藤さんからの紹介です。私、こういう者です。」
ワインレッドの革ケースから彼女が取り出した名刺を受け取った。
そこには、『三吉重工 第三製造部製造課 鈴木 薫子 』と書かれていた。
いきなりこれから修理かよ!
「ちょっちょっと待って下さい。一度佐藤に確認を取らせてもらいますから。」
胸ポケットから携帯を取り出すと佐藤課長にかけた。
イラつきで思わず声が上ずってしまうのを感じながら。
「佐藤さん、俺です。あの。今社宅に戻ってきたんですけど
三吉重工の鈴木さんって方が修理依頼でみえられてるんですが?」
「すまんなー。今そっちにいってるのか?俺の上客さんなんだよ。
なんとかしてやれないかなー。」
「だからってね俺の居所まで教えます?普通。」
「しゃーねーだろ。お前、とっとと直帰しやがって。
携帯も出ねーし。それにお前の自宅じゃなく社宅だしなそこ。何か悪いか?」
「まあ、そうですよね。」
言われてみればそうなのだ。
今回だけではない。
安い社宅に住んでみたはいいが社内で居所が必ず知られているだけに、
簡単に呼びつけられたり、使い走りをさせられている。
今にして思えば社長の社宅に住むなら都内で4万の好物件という口車に騙された俺が悪いのだ。
しかも営業で機械修理もそこそこ出来る俺は田崎工業の中で貴重な存在だったりした。
「旋盤の修理依頼だ。お前ならすぐに見積もれんだろ。行って来い。」
「わかりました。」
仕方ない・・・か・・・。
電話を切って薫子に歩み寄る。
「工具と機材の準備に時間を貰ってもいいですか?」
「いえ、全てこちらでご用意していますので。和泉さんさえ来て頂ければ。荷物になるでしょう?」
「そうですか。なら、お言葉に甘えさせて頂きます。」
彼女が乗ってきていた車は、営業用のバンだった。
俺を助手席に乗せ発進した。
いいもんだな、こういう時間も。
仕事でさえなければ美人と二人きりなのだから。
横断歩道に立つ明日から夏休みに入る学生たちの姿を横目にしながら、
真夏の夕暮れの広がりを見つめた。
ボーっとしていると首都高速の入り口に入ろうとする薫子を見て俺は慌てた。
「高速使うって、あの工場ってどちらなんですか?」
まさか、都内だよな。今日は俺の誕生日なんだぜ。
まだ夜は遊ぶつもりでいるんだからな。
「伊豆です。」
薫子がさらっと言った。
「伊豆!!」
いったい何時に家に帰れるんだよ!
「すみません。」
ハンドルを握っていた薫子がちらりと俺の方を見て頭をさげた。
そうだ、きっとこの子には罪はないのだろう。
彼女の上司の無理難題に彼女自身俺と同じように付き合わされているのだろうから。
声を荒げた自分に恥じる。
「ああ、構いません。この間なんて名古屋まで深夜修理に行ったこともありましたし。」
「申し訳ありません。ただそう言って頂けると助かります。」
彼女の運転する車は、東京から神奈川を抜け静岡へ入った。
陽はもうとっくに沈んでいるが夏の夜空は心なしか青い。
車は、ひとかげもなく民家もない外灯すらない真っ暗な海岸線に着いた。
すれ違う車もなかった。
こんな場所に工場があるのか・・・・?
車を降るように薫子に促された俺は、少々不審に思いながらも後ろに付いて歩いていった。
海辺へ向かっているんだろう。
波の音が聞こえる。
空には三日月が昇っていた。
闇の中、桟橋の先に白い船体が見えた。
「船ですか?離島なんですか?」
「はい。こちらに乗って頂きます。どうぞ。」
薫子は、先に船に飛び移り、俺へ手を差し出した。
それを握り俺も船に移る。
やわらかい手の感触にどぎまぎする心を抑えて。
その瞬間、船は動き始めた。
いきなりだったので、俺は、倒れそうになるのを堪えた。
「さあ、中へどうぞ。」
案内されるがままに薫子に付いていくしかなかった。
甲板から螺旋階段をおりると、そこが操舵室になっていた。
美しい白銀のカーブを帯びた部屋で、
前方中央に大型パネルの上に緑色に浮かび上がる文字があり
速度やもろもろの数値を示しているようだった。
それは見たことも無い象形文字で。
「ねぇ。これどうみても日本製のものともおもえないんだけど
どこの船なのかな。」
驚いた。最新式を超えている。
「操縦してみますか?」
そう薫子が言うと目の前にある操作盤まで俺を連れて行き、
操作盤の上に俺の手を置いた。
「え?」
「さぁ。」
不思議な感覚だった。
表示されている象形文字が頭の中から読み解いていく。
それも自然に、次々と。
操作盤のスイッチの位置も操舵方法も全て頭の中にあった。
いくつかのスイッチを押すと舵がせり上がってきた。
それを掴み左右に船を操る。
「これは!どうなってるんだ。」
「君はいったい誰だ!?」
「もう気がついたんじゃないですか?」
腕組をしながら俺のことを観察していた薫子が言った。
「この船は地球のものじゃない。」
そうだ。地球のテクノロジーで作れるものではない。
さっきからずっと頭の中から今まで得た知識とは違う何かが
膨大にあふれ出ようとしている。沢山の何かを思い出すかのようだった。
頭が痛い。何故だろう。
「なのに、読める・・・・。」
「そうです。既にあなたが今話している言葉も日本語じゃありません。ディッツ星の言語ですよ。」
俺はとっさに自分の口に手をあてて塞いだ。
最後まで読んで下さってありがとうございます。