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オリジン  作者: MENSA
3/4

オリジン3

 

第四章

 

     1

 

 召集された班員たちが六名、横に並んで隊列を作っていた。月岡と保阪もその中に交じっている。正面向かいに立つのは、中西だ。作戦開始の訓告。とうとうこの日がやってきた。

「我らの目的は、花笠絢を動かしているであろう人物を見つけ出すことだ。どのような手段を使ってでも、彼女の交際関係のすべてを明らかにしなければいけない。それで、ようやく彼女の内情のすべてが明らかとなる」

 公安部は、内調を騙し、機関から金を吸い上げようとする一味について、全力でぶつかっていくつもりでいる。六名ずつに分けられた実行班はすべてで五つ。それぞれ、担当と役割が異なっていた。対象は、皆藤と小見を含むその仲間筋、花笠絢、内調の関係者……。

 人的諜報(ヒユーミント)は基本で、情報収集の方式に当たっては、手口を選ばない強行策が許されている。電話回線、インターネット回線から接収した情報などを、CIA機関員から通報という形で譲り受けることにもなる。通信傍受(コミント)の要員は用意されても、盗聴までの精度は得られない。その欠陥を補填するのが、CIAという協力機関なのだ。

 月岡は、ヒューミントと情報管理要員の、連絡係だった。もちろん、自らも足を使って情報収集に出る。

「焦点は、花笠の財産の一部がどこにあるのかという点だ。いまだに、それは不明のままになっている。間違いなく、彼女には管理する人間がいる。その男こそ、今回の件のフィクサーだ」

 いつのまにか月岡の意見が採用された形になっている。いや、その考え方しか今回の件は筋立てがができないのかもしれなかった。

 それにしても、花笠絢の側にいる、その男は何者なのだろうか。いまだ姿を現していないあたり、相当に警戒心の強い男だといえる。

「フィクサーを引き当てるのは、自分だ――それぐらいの気持ちで臨んでもらってけっこうだ。この時点で、誰がそうなのか、当てがある者がいれば、すぐにでも報告してもらいたい」

 進み出たのは、保阪だった。

「現在のところ、彼女の内偵からは、そうした影は浮上していません。これは、察するに普段に顔を合わせている人間ということも考えられます」

「近辺にいる人間についてはリストアップされている。とくに男については、念入りにチェックを済ませている。その中に存在するならば、そのリストをしらみ潰しに調べていくしかない」

 中西はすでに割り当てについて構想があるらしかった。そう時間を置かないうちに月岡が指名されることとなった。

 これは、手間だけが余計に掛かる仕事で、正直なところ辛いものでしかなかった。だが内調を相手取り、彼らを牽制に掛けては最終的に騙していく班からすれば、労力は小さなものでしかなかった。もちろん、騙していくとはいっても、ここでは支払われるお金を搾取するというようなことではない。支払う段階で約束を破り、それですべてをなかったことにしてしまうのだ。そちらは、すれすれの闘いになることだろう。失敗は許されないが、失敗する可能性も高くある。その役に立たされた彼らを精神面でサポートするためにも、ここは不平を口にすることだけは避けなければいけなかった。

 何にせよ、成功に漕ぎ着けるには、何よりタフな精神力が必要だった。そのためには自分に自信を持たなければいけない。それがなければ体力勝負ともつれ込むだろうこの事案において、最後まで保つことはできない。

「さっそく、始動してくれ。他の班に遅れを取るようなことになってもらっては困る。我らこそが、一番を取るのだ!」

 中西はいつになく、燃え上がっていた。

 外事一課長及び、警備局長にフィクサーの存在を進言し、採用されたからではないのか。となれば、先の会議で存在感を示すことができたはずだった。月岡としても歓迎すべきことだった。進言のコンセプトを提供したのは、自分だ。だからこそ、今後も自分優位に物事が運んでくれる可能性がある。

 班員が三々五々捌けていった。月岡もその後を追い、与えられた司令室に入っていった。 

 

     2

 

 リストアップされていた男を一つずつ潰していく作業は、予想以上の労力を強いられるものだった。

 この男は関係ないと言い切ってしまえば、対象人物はそこで捜査線から外されることになるのだ。そうなると、該当者を取りこぼしてしまった場合、捜査は回りくどい道を辿ってしまうこととなる。

 犯罪歴を含む経歴、交友関係、資産、政治思想……。すべてをくまなく見ていく。

 ざっと検分したところ、どうも該当者がいない印象を持ってしまった。つまり、花笠絢の近辺にはフィクサーは存在しないということだ。

 期待が薄まると、自然と昨晩のことが思い出された。監察室に出向いて、期限が課されていた意見書を提出に掛かった。先に立会人による報告書が提出されていただけに、彼らの心証が少しだけ窺えた。

 明らかに自分たちこそが主導権を握っているのだというような、勢いがあった。

「予定どおり、来週までには審議の結果をだす。それが、あなたの辞令となるかどうかは、こちらの判断次第だ。近いうちに、通告文を掲示板にだすつもりだから、ちゃんと確認してもらいたい」

 松原主任監察官は、表情を殺していた。それだけに、いやな予感を強く感じた。

 提出した意見書は、自分がこれまでに得たすべての情報を盛り込んだ。花笠絢の計画的な行動、企み、性質……。目立った粗などはとくにないはずだった。その書類だけで、彼女の陰湿な狙い、生き様などが読み取ることができる。

 合成写真を認め、警察組織員が謀略にやられるというようなことがあってはならない。それを念頭に置いての作成だった月岡の意見書は、冷静な心さえあれば、単なる保身に入ったものではないと分かってもらえるはずだった。

 それにしても、彼女が強欲な女であるという説明部分には、いまいちインパクトを作り出せなかったように思える。中途半端なままで終わってしまった栞への尋問。引き出すべき事が引き出せなかったもどかしさは、いまもまだつづいていた。

「どうしたんだ、気持ちが入っていないようだが」

 保阪に呼び掛けられ、はっとする。

「なんでもない。ただ、意見書のことについて気になっただけだ。どう処分されても、たいしたことではない……そう頭で思っていても、なんだか気持ちが囚われてしまうんだ。もしかしたら、自分でも分からないうちに動揺しているのかもしれない」

「結果は、一週間後だったか。もう審議の段階にあるわけだから、いまから何をしたところで、どうしようもない。いまの仕事の成果を出すしかないな」

「そのつもりだ」

 月岡は顎を引いて言った。司令室は少ない人員が引っ詰めているだけなのに、人の声が絶えない。用意されている固定電話から公安部専用の携帯まで外着が鳴り止まないからだ。

「それで、リストの件、確認したのか?」

 保阪が、デスクに目を固定して問う。月岡は用紙を取り上げ、見つめた。

「ああ、すでに全部に目を通している。予感としては、すべて外れの可能性が高い」

「そうか。実は、こちらもそうなんだ」

「ならば、フィクサーの居場所は、表面上には存在しないということになる。彼女の裏側にこそ、その人物はいる」

 保阪は言下にうなずいた。分かっていることだ、とでも言いたいのだろう。そして彼は言った。

「その人物との接触は電話だけだ。いまのところ、CIAからの通報は入っていないから、連絡はまだ行われていないのだろう。直截会うとなれば、数ヶ月に一回とか、それぐらいなのではないか」

「そんな周期で会う人間を、よく彼女が信用するものだ。その人物に金を預けているとあらば、なおのこと花笠の考えている事が分からない。恋人であるとこっちは睨んでいるが、そんな距離の遠いところにいる人間と恋愛自体成立しているかも疑わしくなってくる」

「その恋人というのは、先の二件の民事トラブルの際にも影があったんだろう? だとしたら、そいつが彼女を使って、身売りさせたというべきなのかもしれん。金を得るために、情婦を使い回すなんていうのは、金に目がないやつなら当たり前にやる」

「そいつが握っている金は、何も花笠に限ったものではない。プリマヴェーラ、ラ・マジェスターの従業員のうち何人かの資産も握っている可能性がある。もちろん、どこにその資産が隠されているのかは分からない」

「順当に考えると、米光のところに転がっているというべきなんだろうがな。しかし、今のところ、そちらからだって答えは得られていない」

 米光こそがフィクサーであると睨んでいる要員は、何人か存在していた。根強くその線を調べるのは、そうした人間が自らの主張を取り下げないからでもある。

「俺は、米光はフィクサーではないと、最初からそう思っている」

 月岡は頑として言った。ある種の確信さえ持っていた。だからこそ、柄本に彼女に焦点を当てていくよう、言い伝えたのだ。

「それは、おれも同じだ」

 保阪の顔ににやりとした笑みが浮かんだ。すぐさま引っ込められたかと思いきや、彼は生真面目な調子で言った。

「問題は、フィクサーと、米光の関係性だろう。つながっているのか、そうでないのか。つながっているならどういう構図が背景にあるのか、読み取っていかなければいけない」

「米光のほうが上に決まっている。フィクサーはその直下で動く鼠のようなものだ。彼女の捨て駒のようなものではないか」

 握られた、複数の女の資産。米光との上下関係。表舞台には決して出てこない、謎の素性……。

 フィクサーなる男は、犯罪すれすれの行為をするためだけに、闇社会にて生きている。

 月岡は続けて言った。

「キーワードは、やはり握った資産だな。何千万もの金を預けさせるには、稼いだ女たちの納得を取り付けなければいけない」

「ふむ、難しいところだ」

 彼はつぶやいて、腕を組んだ思案に暮れた。ある程度納得はしているようだが、それでも同調という段階までには、まだ随分と距離があるようだった。ここは、彼のためにも明快な答えを提示する必要があった。

「代表取締役としての米光の顔を使えば、わけはない。しばらく、こっちに預けなさい、と彼女らに伝えておく。複数名の資産を共同管理することで、税金対策をする。預け先は、オフショア・バンク。つまり、我らの目に届きにくいところだ。しかし、それは口実だ。本当は、独占するために預かっている」

「もしや、男が花笠の近辺に存在していないのは、すでに逃げたからなのか?」

「いや、まだいるはずだ。言っただろう。花笠とは、恋人であると睨んでいる、と。花笠、米光、そしてその彼女に通じるフィクサーのこの構図は、まだ彼らに成立しているんだ。崩れそうになりながらもなんとか形を保っている」

「だとしたら、預けた金を少しでも返してもらう線をどこかに残しておかなければいけない。こういう時、何より金が安定の材料になるはずだからな」

「分かっているじゃないか。そうなんだ、この構図が成立している裏で、金が支払われている。動きはこうだろう。花笠が米光に、要請する。承諾した米光がフィクサーと連絡。オフショア・バンクにつながっている、国内の個人口座から彼女への法人口座に振り込む。そして、名目、給与として花笠の手に転がす――そんな具合だ」

「なるほど、花笠は固定給じゃない。歩合給だ。だからこそ、支払額に幅が設けられたところで、なんら不審な点は残さない。それに、会社規定を調整することで所属先からアフター業務を行うことも許されている。従業員は否定しているかもしれんが、影ながら業務外での収入が認められる分、ますます月の収入に幅が出やすい。こうなってくると、調べても分かりにくい図式が完成してくることになる。すべては合理的に説明できる」

 保阪の口調には興奮ばかりがあった。眉間に訝しさを湛えるなり、つづけざまに言葉を吹っ掛けてきた。

「要請すればお金は下りてくることは認めるんだが、それでも要求どおりの金額とまではいかないんじゃないだろうか?」

「そこは、米光の駆け引きにかかっている。フィクサーは全額横取りしたつもりでいるわけだが、米光はそのことを認めていない。彼に接触して、要求分の金を振り込むよう指示するんだ。それで値切られつつも何とか得た振り込み分から何割かを接収することで自分の肥やしにする。フィクサーの男を動かす口実は、花笠だ。男は彼女を売りものにしつつも、彼女のことに未練を持っている。そこに付け入っていくことで、この支配関係を維持するんだ」

「花笠を売りものにしたのは、そのフィクサーの男だろう? だったら、未練を持っているというのはおかしいのではないか。それともまだ利用できる価値があるとでも思っているのか?」

「正確に言うと、売りものにしたのは、米光だ。彼女の指示が一番最初だったと思う。フィクサーの男に吹き込んだんだ。こうして、金を得たいのだ、と。その資本金はすべてそちらに預けるといういかにも好都合な条件を持ち出した。フィクサーは当然、実行役を買って出る。花笠を自分の手許に手懐けた上で、計画を吹き込んでいく。実際に行動を起こし、資金を獲得することで、彼ら三人の図式は完成したんだ」

「それにしても、妙な関係だ。花笠はどんな思いで、そいつを見ているんだろうな? 通常の恋愛感情ではないように思えるが……」

「そもそも、人が稼いだ金をごっそり預かっては自分の肥やしにする人間なんだ。まともな感覚でいるはずがないだろう。おそらく、恋愛というものですら、金で買えるとまで思っているのかもしれん」

 保阪は、気のない様相で、首を縦に動かした。

「となると、彼が抱える花笠への未練というやつは、情愛の絡んだようなものなんかではなく、肉体的なものでしかないということか」

 花笠に対し、哀れな感情を持ったのか、うつむきに掛かった。周囲の仲間たちの仕事はひっきりなしに続いていた。月岡は、何とも言えない気持ちのまま、思案に暮れていた。

 

     3

 

 作戦開始から三日目に、動きがあった。

 スカイヒルズ・パートナーズのパーティー会場にて皆藤と接触した外国国籍の男の素性が割れたのだった。オランダ系移民のイギリス国籍の男。M・ヒース。貿易商を営んでいるこの男は、イギリス大使館付き参事官であるワイズマンと、外交セクションという部分で関係があった。

 その日、警備局長の号令により、会議が執り行われた。参加するのは、警察庁側から課長補佐以下二名と、テロリズム対策課の一名。警視庁側からは外事一課長、実行部隊各班長にくわえ、実行要員の代表者が参加した。月岡はその中に含まれていた。中身を記録し、連絡をスムーズにする要員である。

 会議の進行は、各班長の報告が中心だった。

「ヒースは、ワイズマンと通じていることはすでに裏が取れています。先日、スカイヒルズのパーティーにて皆藤と接触したのは、情報を明け渡すためでしょう。現在のところ、皆藤と再会する動きは見せていませんし、再会情報についてCIAからの通報だってありません。よって、すでに問題の情報は明け渡されたのだと考えていいはずです」

「なぜ、ここで第三者の男が登場しなければいけなかったのかということが一番の問題だろう」

 外事一課長が声を荒立てて言った。粗く生え揃った彼の眉毛が、怒りの形にねじ曲がっている。

「おっしゃられるとおりです、そこは、いかにも謎が多い箇所です。小見と接触したワイズマンが皆藤に接触すればいいというだけのことで、わざわざ迂回する必要はないはずでしょう」

「それで、最近、小見に動きがあるのか」

 一課長の目が、会議場を一巡した。

「動向監視役は、わたしの班が担当しています」

 窓際席に近い男が立ち上がって言った。

「小見に動きはありません。目立った言動は控えているように思います。ここ最近、通信社のほうに寝泊まりするのを減らし、自宅のほうに滞在する時間が増えています」

「そのことが前提でそうしているというのなら、意図的なものがある。内偵に気付いているのかもしれん。だとしたら、ワイズマンに渡した情報をさらにヒースにサイクルさせる必要があると判断したのは、やつということになってこよう。それにしてもこの念の入れ様、ただごとではない。やはり気になるのは、内調と小見の接点だ。まだ、見つかっていないわけだが、追加情報はあったのか?」

「それも、得られていません」

 彼は首を振りながら言った。一課長の目許に不快げな皺が寄った。

「こうなってくると、内調がどこに絡んでいるのかまったく分からなくなってくるではないか。やつらの影をキャッチしない限りには、今回のこの作戦は成立しないんだ。それとも、小見は関係者だと見せかけるカムフラージュ的存在でしかないのか? ならばワイズマンかヒースこそ、内調の協力者ということになってこよう」

「小見こそが、内調の関係者であるという見方もあります」

 一瞬、議場内が静まり返った。

「根拠は、あるのか?」

 一課長が問う。声には、高圧的な色合いがたっぷりと乗せられていた。

「根拠はありますが、それは確かなものではありません。我が方の彼への監視から得られた情報を総合すると……という推定でしかないのです。しかし、そろえられた情報の量を考えれば、それだけ信用度は高いものだと受け止めてもらいたいところです。彼には疑わしき部分が確かにながらあるのです。あと、彼が籍を置いています同通信社関連に内調の潜入員が含まれていたとするケースが過去にあったことをここで報告しておくとします」

「特務課の秘密諜報員がそいつの正体だとしたら、最初から我らの監視がつくことを予想していたということになる。となれば、ワイズマン、ヒース、そして皆藤と、国内でわざわざ多重サイクルを掛けたことの意味が成り立ってくることになるか」

 情報の引き渡しは、皆藤がイギリスにある職場――日本大使館に戻っていくことで、王手を掛けることになる。あとは、現地でSISの連絡要員に情報を明け渡すだけでいい。第三者を装った男が大使館に客人として訪問するだけで、あとは密室での取引ができる。

 最後まで通信器機などの文明の利器を使用しないのは、諜報システムの管理網を避けて通るための一手段に他ならない。最も足がつかないやり口は、実は人を介した手作業といった、最も古典的な方法だったりするのだ。

「小見だ。この男の監視を強化することにしよう。いや、彼と連絡を取っている人間全員をマークだ。それで、内調を陥れようとしているフィクサー側の人間をキャッチすることができる!」

 

 会議が散会したあと、班別のミーティングに移行した。

 中西の指示を受け、月岡は作成していた議事録を読み上げていく。小見の徹底マークに加え、関係者一同の洗い直し、スケジュールの調整報告……。班員は、それぞれ独自のスタイルで頭にインプットしていく。外勤組は情報漏洩を防止するためにメモ一つすら持ち歩かないのが掟だ。だからこそ、徹底して脳に刻み込まなければいけなかった。

「我らがここで討論するのは、暫定で決まった図式について、どこにフィクサーの男が絡んでくるのかということだ」

 中西の声は一際大きかった。檄を飛ばすつもりで発した一言なのかもしれなかった。

「小見に焦点が当たっていますなら、小見こそに、フィクサーの影が差し込んでいると考えるべきではないでしょうか」

 保阪が声を上げた。

「我らにはヒントが授けられている。花笠に通じていく線だ。それを参考材料にしない手はない。いまのところ、小見にはそうした影は見つかっていない。これから見つかる? そんなことを期待していたら、我らは確実に取り残されてしまう!」

 最後には、遠慮のない叱咤の気配になっていた。わざわざ熱いものに触れに出る人間はいない。しばらく、気配を探る雰囲気が続いた。

 最初に動いたのは、月岡だった。

「自分には一つの見えている筋があります」

 ほう、と中西は感嘆の吐息をついた。

「どんどん言ってもらって構わない」

「それとは、花笠の件です。彼女は御存じの通り、民事トラブルを二件起こしています。その対象は、守村元内閣官房副長官と、外務省の錦谷です。ここでは、錦谷にこそ注目を向けるとします。彼は、花笠に訴えられる前まではイギリスにて生活をしていましたが、現在は役を降ろされ、ヒラの外務省職員として霞ヶ関にて通常の職務に就いています。ここで、かの者と花笠の関係……それを思いだしていただきたく思います。裁判では、ドイツからスイスを巡回していく出張コースに彼女を同伴させていた事実が取り上げられていますが、自分が実際彼に接しましたところ、この事実を認めています」

「なるほど、その時、花笠にコネクションを作るチャンスがあったということか」

「かなり早い段階で、内調の情報明け渡しの極秘ミッションを掴んだのではないでしょうか。花笠はスパイ要員ではありません。錦谷と交際していたのは金を吸い上げることが最終目的です。しかしながら彼が携帯していた身の回りのもの、そして端末機のデータなどをのぞく機会がいくらでもあったはずで、結果、スパイ行為を働いたことになったのでしょう」

「それについて揚げ足を取るなら、なぜ錦谷がそうした内調の重要案件についての書類を持っていたのかという問題について説明されていないように思える。彼も共犯者だったというのか?」

「エージェント候補だったのでしょう。審査に掛けられていましたが、彼はそれに相応しくないと最終的にそう判断されてしまった。これは、リクルートの失敗ではなく、向こうの拒否による物別れです」

「ふむ、それで彼が弾かれて、大使館の皆藤が選ばれるに至ったというわけか。一連の流れを押さえていたら、皆藤が帰国しただけでどういうことが裏で行われるのかは分かっていることになる。理解していた一人である花笠が彼の監視を徹底するよう、フィクサーに言いつけていた可能性が高い。……正しいのかもな。だとしたら、これですべてが繋がることになった。いや、内調の審査に洩れた錦谷についての情報管理。この問題があった」

「もちろん、機密ミッションですから、錦谷が握った書類には、中身は書かれていなかったと思われます。ただ、彼は花笠を出張に同行させるなどといった過失を犯しておきながら、厳しい処罰は逃れています。これは、機密ミッションのことを口外しないことを火消し材料に使ったからでしょう。内調が政府機関を通じて、人事院に働き掛けた可能性が高いです」

「そういえば、そうだ。自分の傍に女を逗留させたばかりではなく、長期出張に女を同行させるといったとんでもないことをやらかしたにしては、処分は軽く済んでいる。たしかに、これは口利きがあった結果だろう」

 中西の顔に確信の色が満ちていく。

「なるほど、こうなるとフィクサーは皆藤に向かって動くことになる。彼が帰国しているいま、奴らがいつ動いてもおかしくない状況にある。小見ではない。皆藤こそを徹底マークするんだ」

 具体的な割り当てに入った。六名しかいないので、すぐに担当が決まった。月岡は呼ばれず、現状維持ということになった。

「それにしても、我らに合成写真を飛ばして牽制を掛けてくるタイミングについて、時期尚早だったのではないか? 時間を与えすぎると、当然自分たちの手の内までばれてしまうことになる。それだけ奴らは、我らのことをみくびっているとでも言うのか?」

 中西は苛だたしそうに口許を歪めて言った。

「むしろ、我らの実力について、相手に思い知らせてやるチャンスだと思えばいいでしょう」    

 保阪が興奮を交えつつ、言った。いや、と月岡がここで会話を差し止めに掛かった。

「写真が早い段階で仕掛けられましたのは、別の問題があったからと考えるべきです。彼らは内調を相手取って現金を吸い上げるつもりでいます。最初の段階でキーマンの皆藤がその内調の関係者ではないことはもう彼らには分かっています。つまり内調の関係者を早い段階で見つけなければいけない。そこで重要になってくるのが、我らの行動です。内調が動いているであろうことをいち早く察し、疑わしい人物を重点的に見ていく畳み掛け計画……これを傍目で監視しているだけで、わざわざ捜さずとも答えが見つかることになります」

「まさか、うちらのほうに奴らに情報を流す裏切り者がいるとでも言っているわけではないよな?」

 中西の問い詰めには、明らかな険が含まれていた。

「そのようなことは、一言も言っておりません。が、その線には汲むべきことも含まれているということだけは言っておきましょうか。ここで、もう一度原点であります、例の合成写真を思いだしていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 月岡は間をおいた。全員にしっかりと思いだしてもらうことで、これから説明していくことについて確かな理解を取り付けようと思っていた。

「写真に写っていましたのは、小見を尾行中の自分です。不覚にも、尾行中を監視されていただなんてまったく分かりませんでした。油断があったのは否定いたしませんが、しかし思うに相手にもそれだけの技量があったということもまた事実だと思うのです。あるいは我らと同等クラスの相手であったという場合もあり得ましょうか」

 班員は各々の顔をうかがっている。これは認めてはならないことだと、お互いを牽制しているように思われた。

「月岡は、素人なんかではないことは、分かっている」

 中西が毅然とした口調で、口を切った。

「お前がそれをやられたということは、おそらくここにいる誰もが同じようなことをやられてもおかしくなかったということだ」

「それでは、相手は……」

 保阪は言いかけたきり、言葉を呑み込んだ。月岡が即座に話を引き取りに掛かった。

「同胞という可能性も含め、内偵のプロであったということになってきましょう。だいたい、例の合成写真につきましては、すでにプロであると見当がつけられているのです。その筋で考えればもっと意識的に気づく事ができたのではないでしょうか?」

 中西の目が、挑み掛かる態になった。

「それで、お前は、相手についてフィクサーの男によって構成された雇われ集団だと見ているのか?」

「写真の件の技術を勘案すれば、どうしても、その線に落ち着いてきます。我が方の機動鑑識部隊は見破ったものの、監察室がまんまと騙されるような、そんな精度の高いものだったのです。これぐらいのものを作るとなれば、技術者を揃えるのは元より、強烈なバックが必要となってきます。ここは、ある程度の資本を持った、フィクサーによる工作集団が作られたのだと考えるのが、常道というものでしょう」

 中西は大きく息をついて、自分の中の怒気と対峙していた。じっと、月岡を見守りに入る。月岡は一息置いてから、続けに掛かった。

「何はともあれ、彼らの力量はそこまでです。ここからが、我らの巻き返しとなりましょう。さいわいと言いますか、我が方の作戦チームは小見を徹底マークすることが先程決まったばかりです。つまり、それはフィクサー側の人間たちに、内調の潜入員についてまだ誰なのか特定できていないということに繋がります」

「早い段階で、一課長に進言しよう。オペレーションのスケジュールと、内容を大きくシフトチェンジしてもらう。心配せずともよい。諜報にたずさわる身なら、予想のしない方向転換ぐらいは、ざらにある。今回も例外なく受け容れてくれるはずだ。転換が急であればあるほど、作戦は相手の予想を外れてくれる。ここはそこを狙っていくべきなんだ」

「しかし……、それにしても、我らを逆監視して情報を得ようだなんて、実に精神の太い連中ですね」

 保阪が怒りを含めて言った。

「どちらにせよ、その件について、部全体でなんらかの厳しい方策を採ることになると思う。一先ず、合わせて上へ報告することになる。お前たちには、しばらくのあいだ待機してもらうとしよう。次の連絡があるまで、状況を見守っていてくれ」

 中西はミーティング室を慌てて出ていった。作戦の急転換。これからキャップが出向く司令室は、しばらく混乱の騒ぎととなることだろう。

「逆監視をお返しするとなれば、さらなる班員の投入は避けられないのかもしれん」

 保阪のそれは、ほとんど独り言に近いものだった。

「俺は、歓迎したい」

 月岡は語調を強くして言った。

「なぜ? 要員が増えれば、やりにくくなるだけだ」

「自分らの仕事に集中できると思えばいい。今回のこれは、余計な作業ばかりが多くて、ちょっと苛立っていたぐらいだ。それがすっきりとする」

「相変わらず、月岡は前向きだな」

「逆監視された、一番最初の人間だ。不名誉な記録を背負っている分、気持ちだけでも前向きにしておかないと、後がもたないんだ」

 彼は肩を竦め、軽くいなしてきた。

「これから、いやでもそのことを忘れさせてくれる、前向きな情報が出てくるさ。それを勝ち取りにいく。そうだろう?」

 もちろん、やられたままでは終われない。

 月岡はうなずき、真っ直ぐ前を睨み付けた。

 

     4

 

 柄本から連絡がきたのは、彼と約束の日から一日早い、二日が経った午後の四時すぎだった。

 月岡は司令室を一旦離れ、外勤組として外に出た。事務所はいつも通りといったところだった。誰も取り出さないFAXの用紙がトレイに何枚も折り重なったままになっている。

 柄本は月岡を応接室に座らせるなり、まとめていた書類を持ってきた。そこにはここ数日で得た、彼の調査結果がつづられていた。

「お探しのスカウトマンの素性は、割れました。当たり前ですがね、ちゃんと存在していました」

 彼の口調には、いかにも得意な感じがあった。月岡はざっと通し読みを終えてから顔を上げた。

「協力感謝する。どうも、こっちが思っていた以上に、本腰を入れてくれたようだ」

「ぼく自身も、興味があったことだったので、つい本気を出してしまいましたよ。まあ、こういうのはお互い様ということで」

 月岡はもう一度、報告書に目を通す。

 スカウトマンの微細情報が掲載されている。警察の身元照会ほどの精度はないが、充分なものだ。出身地、経歴、戸籍情報、勤務状況……。かなりイレギュラーな道を進んできた男のようだ。苦労人と言っていいのかもしれない。

「大事なことは、そこには書いてありません」

 柄本は背を屈めて言った。いつしか、慎重な顔つきになっている。駆け引きに出る時の表情なのかもしれなかった。

「何か、曰くがあったのか?」

「もちろん、ありましたよ。というより、そっちの方面で何かが出てくることを最初から期待していたんですよね。思っていた通りになりましたよ。そいつは、黒い男です。まず、勤務先。芸能事務所ということなんですが、実態がよく分かりません。本当に、そうした活動をしていたのかも不明。実質的な意味で言う、ペーパーカンパニーですよ」

 月岡は男の経歴部分と、柄本の顔を交互に見ていた。

「中身はなんだったのか?」

「基本、あれですね。イベント支援企業ということでいいんでしょう。そこで採用されている女性たちは、俗な会場に送り込まれる、いわゆるレシーバーというやつですよ」

 はっとする。この方式は、すでに自分が押さえている範疇の情報の一部と一致していた。それで、見えていなかった筋がぱっと明るく浮き出てくるのを感じ取った。

「なるほど、そういうことか。米光……背後には、彼女の存在があるってわけなんだな?」

 柄本の右頬がいやらしく持ち上がった。

「お察しの通りです。そういうことのようですね。しっかり裏も取れています。それとは、履歴です。その男が所属していました会社の一つを調べましたところ、米光の系列会社であったことが確認できました。それも、直截的な系列会社ではなく、かなり回りくどい位置におかれた会社です」

 それは、米光の得意とするところのはずだった。自分の影が及んでいると嗅ぎつかれない、特殊工作。そうしたことができるからこそ、金や権力を駆使して、花笠たちを手懐けさせることができているのだ。

「そうなってくると、花笠は今、米光の手中にあることから、最初から彼女に狙われていたということになってくるか」

「順番としては、スカウトマンの男が米光に目をつけたところからはじまったのでしょう。男は、米光の手下です。ですから、上物を見つけた途端、米光に報告しなければいけません。いえ、報告するつもりで上物を見つけ出したということなのかもしれません。どんな形にせよ、男の手によって、花笠が米光に紹介されたのです。そこからは、彼女の指導の下、勧誘攻勢がはじまったにちがいありません」

「実行されたのは、お得意のプレゼント攻勢ってやつだろう。資金を持っているから、どうしてもそういうやり口になる」

 栞が証言した、当時の絢の部屋にあった小物の数々。やはり、それらは米光の手回しによるものにちがいなかった。

「どういう攻勢を掛けたのかまでは、分かりませんよ。ただ、そのスカウトマンは腕利きだったようですね。使えるお金がたくさんあったのは事実でしょう。あと、人の話を聞くのがうまく、少女たちの心をくすぐる術を心得ていたようです。そうです、彼の手に落ちた女性は、何も花笠ばかりではないということです」

 口車に乗せられた女たちのほとんどが、きっと今も米光の下で働かされているのだろう。

 すべては米光の手回しによるものだ。察するに、彼女は先手を打って出るタイプに違いなかった。あえて狙っていかなければ、このようなことはできない。彼女は、言うまでもなく危険人物のはずだった。彼女に気を許し信用しただけで、あるいは手玉に取られたも同然の状態に陥ってしまう。今後、いっそう注意しなければいけなかった。

「どれほどの女性が、……いや、人の数が彼女の犠牲になったのかそれが気になるところだ」

 月岡は怒りを抑えて言った。

「ぼくが推測しますに、ざっと百人近くが、対象になったんじゃないですかね。もちろん、全員が全員、花笠のようにいまもなお搾取されているというわけではないんでしょうが……。まあ、言ってみれば花笠は特別クラスでしょう。米光が特に目を掛けていて、傍に置きたいと思っている。だからこそ、今もなお彼女の側に居残っているんです」

「彼女がとくに気に入られたことの理由は、何となく分かる。あれだけの美貌の持ち主だ。それでいて、思ったとおりに動いてくれる。こんなにやつにとって都合のいい女はいない。が、そうした便利な駒になってくれるまでには、過程があったはずだ」

「最初に所属した事務所で彼女に何があったのか、と訊いているのですね……?」

 柄本は言いにくそうに顔を歪めて、身じろぎを繰り返した。

「女優の仕事とは言っても、ピンからキリまであります。その内の、端役のほうを事務所は拾っていたみたいですね。それでもスクリーンには出るわけですから、チャンスにはちがいない。事務所としては、それで結果を出せと彼女に強要していたはずです。もちろん、無理がありますし、実際、彼女は成功しなかったのです。そうしたことを繰り返せば、いやでも立場は悪くなりますよね。それこそが、狙いだったのではないでしょうか?」

 柄本は落ち着きのない動きを止め、視線を宙に向けた。

「徐々にながら、事務所の本来の業務である、イベント支援のほうに彼女の仕事をシフトさせていくわけです。売れない女優ですから、彼女としても文句は言えません。その手の仕事の要領を覚えさせ、彼女にそちら方面の仕事が向いていることを意識させていけば、女優としての夢は自然と消えていくでしょうか? もちろん、報酬だって余分に与えたことでしょう。そうして見目麗しい、究極の接待人の完成です」

「いくら、そちらの仕事が向いていると思わせたところで、女優としての希望を簡単に捨てるとは思えないがな。何か、徹底的なことがない限りには。最初からそうした希望がなかったということだったら、また話は別なんだろうが」

「うーん、やっぱりそのあたり、ちょっと強引過ぎるところがありましたか」

 柄本は顎を押さえたまま、考え込んでしまった。

「ここで補填材料といったら、やはり恋愛しかないということになってきましょうかね……」

 フィクサーの男だ。

 ここで彼を登場させ、米光はがっちりと彼女を翻弄する手段を得た。いや、実際恋愛させたはずだ。そうして、花笠は本格的に本来目指すべきだった道から逸れていった。残念なことに、フィクサーの男は真面目な男ではなかった。性的な面でも奔放な考えを持つ、自由な男だった。彼に気持ちを寄せていくうちに、彼女も従来の考えを捨てていくこととなった。それは彼女の本質にまで及んだ。彼女が女優の夢を捨てたのは、その流れの果てだった――。

 するすると導かれる月岡の妄想は、どこまでも尾鰭がついていきそうなものだった。

「それは、大事な要素だ。恋愛。彼女には、それが与えられたのだろう。そのことに関するスキルがなければ、勤め先の業務外活動であるアフター・ワークなどはできない。思うに、最初に付き合った男が、彼女をたくましくさせていったんだよ」

 彼は脱力したように肩を下げていた。

「その男が彼女を狂わせたのでしたなら、なんだかやるせませんね。花笠は後に、民事トラブルを起こす、うちらの呼称で言う〝魔性の女〟に成り果てているあたり、彼女の最初の恋愛は、はじめて恋愛するには相応しくない対象だったということになってきましょうから。だいたい、本当に恋愛感情があって、その男を好きになったのかも怪しいものです」

 月岡は彼の言葉に引っ掛かるものを感じ取った。

「何を言う。好きという感情がなかったら、そっちに転がっていくことなんてないはずだ」

「落ち目にあることを思い知らされる日々に身を置かれていることを想像してみて下さいよ。いやでも逃げ出したくなります、劣等感と闘う毎日……。抜け道の先に男がいたとしたら、誰でもその男に寄り添っていくようになってしまうんじゃないでしょうかね?」

 まともな感覚を保つことも難しい環境。そこから抜け出せる先にいる、自由な人間……。彼女にとって、堪らなく魅力的に見えるようなことはあったのかもしれない。

 やがて、そちらに惹かれていったのは、解放感を求めてのことだったのだろうか。自分の中にあるすべての思いや希望を断ちきり、禁断に踏み込む。それは、彼女自身思い切ったことのはずで、生まれ変わるというまでの覚悟がなければいけなかったように思える。

 実際の所、彼女はそれを選んだのだ。もう現状にしがみついているような女であることを辞めたのだった――。

「そうしたスカウトマンもそうだが、米光の直下にいる人間たちは、みな精鋭揃いのように思える。彼女のことを今、徹底して調べているのだろう? そのあたりについて、何か出てこなかったか?」

「とくに優秀な人間が揃っているとは思っていませんよ。むしろ、王道から転落していった人間たちばかりが揃っていると思います。そういう人間を拾っていくのが、彼女はうまいようですね。もっとも花笠たちについては、巻き込んだという形に近いんでしょうが」

 やはり、彼女の周りにいるのは、経験を積んだ男ばかりのようだ。今回、自分を逆監視に掛けてきた男も、合成写真を造り上げた男も、王道から逸れていった、寄せ集めの男たちに違いない。

 彼らには、不本意な道を歩まされた鬱屈が溜まりきっている。それを、米光はうまい具合に利用し、工作要員に仕立てあげている。

 これから、公安部・特殊作戦チームは米光とフィクサーの男を手中に落としていく。彼らの下に隠れている人間たちについて、リスト表を作っていく必要があろう。造り上げた組織そのものを解体させない限りには、すべては解決しない。

「と、そんな質問を向けてきたということは、そうした一味に、そちらが気になっている人物も加わっているということなんですね?」

 相変わらず、鋭い切り込みをしてくる男だった。少ない情報からいかに本筋を導き出すのか、その術を心得ているのだろう。月岡は彼の目線から逃れて、立ち上がった。

「それは、こっちの話に觝触する問題だ」

「どうも、なにか大きなことでも隠しているような感じがあります。もっとも米光はそれぐらいの相手であることは理解していますが、それでもまだ把握しきれていない所があるように思えます。きっと想像以上の背景が隠れているんでしょう。……と、自分は、引き続き、彼女のことを調べ回って大丈夫なんですかね?」

「ここで、差し止めてもらいたいと言ったところで、お前さんはそれに応じてくれるのか?」

「もちろん、やめませんよ。よほどのことがないかぎりには」

 彼は自分の調子を取り戻して言った。

「ならば、調べていけばいいだろう。俺は、何もタッチしないし、するつもりもない。お前さんが勝手に調べる。ただ、それだけのことだ」

 戸口に向かった月岡に、彼は声を飛ばしてきた。

「もう、こちらに戻ってこないつもりですか?」

「それは、分からない。そうかもしれないし、また、戻ってくるかもしれない。何にせよ、今回のこれについてお互い、忘れるということにしようではないか」

 月岡は振り返って言った。彼は、落ち着き払っていた。

「忘れることはできませんね。あなたは、ぼくにとって大切なお客様ですよ。またきてもらいたく思います。というよりも、拒否されてもぼくから会いに行きます」

「名目がない面会はお断りだ」

「それなら、ありますよ」

 彼の得意な顔に、月岡は完全に動けなくなった。

「今回の件の、後始末。その際には、いろいろ有効な情報交換することができるはずです。とりあえず、今しがた提示したぼくらの情報収集能力について、捨てたものじゃないってことだけは理解してもらえたとは思っていますが」

 彼の中にある根拠不明な自信について、月岡は気に掛かった。生来的に、今の仕事が向いている男なのかもしれなかった。

 警察直下には、協力者を何人も従えている。事件を解決していくには自力だけではどうにもならない場合も多くある。彼もそうした要員の一人に加えたところでとくに問題はないはずだった。

 しかし、月岡は、彼について心まで信用しきれないしこりを感じていた。

「保留にしておくとする。いまのところ、何がどうなるかだなど何も分からないからな」

 すべては、彼次第だ。

 公安の機密事情についてどこまで配慮してくれるか。それを確認しないことには、彼と付き合っていくことは難しかった。

 

     5

 

 中西の進言は一部変更こそあったものの、全面支持といった形で採用されることとなった。

 作戦計画の大幅な方向転換が急遽、全要員に伝えられた。内調の潜入員、小見をカムフラージュするべく、皆藤を集中的に監視していく。フィクサー側の人間をかわし、搾取計画の実現を遠ざけていく狙いだ。

 フリーになった小見への接近は、慎重に実行しなければいけなかった。彼の交友関係を通じて間接的に接触を繰り返し、少しずつこちら側に引き寄せていく。特殊工作員だけに、フィクサーを騙った身分を信用させるには相当の壁がある。かなりの時間を掛けていく必要があった。           

 この時、月岡の班は、別働隊の応援に動員されていた。逆監視を掛けているであろう人物を追い求める役。おとりというべき代役の捜査員を何度も使い回し、ついて回る影がないかを交代で見ていく作業は、まさに消耗戦だった。

 三日はあっという間に過ぎた。まるで手掛かりなし。これではフィクサーの姿を求めることすらできない。作戦は、小見の説得とあわせて同時に成功しなければ、完成しないのだ。焦りはいやでも募った。

 四日目の朝、初っ端から中西から檄の連絡が入った。いつもにまして不機嫌な気配が強かった。進展のなさに、一課長から絞られたのだろう。確実に期限が迫っている状況にあると言えた。

「いまが辛抱時だ。必ず、ターゲットは見つかる。何人かいたところでも、一人さえこちらの手に落ちれば後は一気にいける。いまだからこそ、士気を最高レベルにまで高めるのだ!」

 彼の現場の状況を無視したその内容に、月岡は思わず顔を歪めた。

「キャップ、いまの我らは、そのような状況にはありません。皆、気持ちを維持するだけでやっとといったところです」

 昨日の昼頃までは、誰もがまだ精気のある顔をしていた。が、そこからは一気に悪くなっていった。疲れのピークというのは、突然に訪れるものらしい。

「なんだ、お前まで弱音を吐くというのか?」

「自分は状況を知ってもらいたかっただけです」

「こっちの状況だって、分かってもらいたいぐらいだ。とにかく、作戦には失敗してはならない。全力でぶつかっていくことだけを考えろ」

 中西は任務を成功させることしか、頭にない。それだけに全責任が掛かっている今、一歩も引けない状況に自らを追い込んでいる。

 月岡はそんな彼の様子を想像しているうちに、そういえば個人レベルで見れば、自分も同じ状況に立たされているのだったと思い出す。

 合成写真問題。

 こちらは、確実に進退に関わる危機に瀕しているのは、相変わらずだった。まだ尾を引きそうなことから、やがて中西と同じように追い詰められたような精神になってしまうのかもしれなかった。

 そう思ったところで、ぱっと月岡の頭に思い浮かぶものがあった。それとは、自分が最初に監察室に呼ばれた時のやり取りである。

 月岡は携帯を握り直して、送話口に口を近づけた。

「キャップ、話の途中なんですが、ちょっと思いだしてもらいたいことがあるのです」

「なんだ、こんな時に。何か思いついたことでもあったのか?」

「はい。それとは、我らを逆監視掛けていた人間についてです。そういうことができる人間がプロであることはすぐに分かりましたが、推理が進められたのはそこまででした。実は、身近にその筋につながる情報があったことに今、自分は気づいてしまったのですが……」

 重苦しい彼からの返答があったのは、長い沈黙があった後だった。

「身近……となると、やはり、我らのうちにスパイがいたとかそういうことなのか?」

「いえ、その人物は現役ではなく、過去に本庁のほうに所属していた、旧同胞というやつです。監察室に呼ばれたときにも指摘されましたし、キャップの口からもそのことを伺っています。ここ二三年、公安部からマル特認定が相次いでいるということでした。我が方が所属します公安部と言いますのは、閉鎖的なところです。同士でも、こうした道を踏み外した旧同胞たちについてあまり報されるようなことはありません。それらの人物について、キャップは何かを知っているはずです。いえ、ここでは半年前に追放された男にこそ、焦点を当てるべきなのでしょうか?」

 うーんと、中西が困惑げに唸った。

「半年前に免職処分された男について知っているのは、徹底して立場を追われたという事実だけだ。おれとて素性などの詳細は知らない、管轄外だからな。が、いつかに会議で話題にあがったことは覚えている。たしか、捜査書類を持ちだして私的流用した、というような中身だったと思う。単なる服務規程違反ではなく、刑事罰もあり得る重大犯罪だ。そいつの担当者だってひどく責められていたのをこの目で見ている」

「自分が考えますに、おそらくその男が事件の主要部分に関わっているのだと思われます。どうも、最近に設定された我らの中継ポイントについて熟知しているように思えてならないのです。これは身内情報ですから、知っている者はごく限られます」

 なんだか月岡自身口にしている内に、その確信が高まってくるのを感じた。

「なるほど、そういうことか。ならば、そちらの線から辿っていくのもありだな。もちろん内部事情のことだから、おれが動かなければいけないことだ。そいつばかりじゃなくって、ここ二三年の免職者についても調べを入れるとする。いま取り掛かっている事案については、この件が片付くまでお前に委任することになる」

「了解しました。結果が出るまで、自分がなんとか持ち堪えてみせます」

「頼んだぞ」

 通話が終わっても、熱はつづいた。月岡は、息を整えながら今一度頭の中を整理していた。

 これまでになぜ、こんな単純なところにあった答えに気づかなかったというのか。

 そういえば、内調の人間に威圧を掛けていく一方で、公安部を牽制に掛け、両者を衝突寸前の所にまで追い立てていくという作戦は、素人には思いつかないやり口だ。まず、成功しない。内部に精通した人間だからこそ、できることがある。今回のこれは、まさにそれだった。

 一番の原因は、何より影のある経歴を持った男などが捜査線に一度も浮上していないということにちがいなかった。これは、米光の裏の顔について、中々に把握できなかったことと関係がある。

 結局のところ、今回の事件について、全体像を把握しきれていなかったと言うべきなのかもしれない。これは予想以上にスケールが大きな事件なのだ。自分はこれまでその末端部分だけを特にこだわって見つめつづけてしまっていた。

「何か、あったのか」

 保阪が声を掛けてきた。              

「待っていろ。解決策が見つかった。おそらく、それでもって一気にこの状況がひっくり返る」

「犯人が見つかったということか?」

 月岡は強くうなずいてみせた。

「そういうことだ。逆監視の実行犯は、元警察官だ。それも、公安だった男だ」

「なんと……そんなことが」

 保阪は口を半開きにしたまま、しばらく茫然としていた。無理もない。実行要員リスト表作成に、警察官名簿表が動員されるなど、月岡自身も認めたくないことだった。

「それで、相手は、そいつ一人なのか?」

 彼は早々に頭を切り換えたのか、直ぐさま言った。

「今のところは、その考えでいい。しかし、ここ二三年で組織を飛ばされた男が何人かいる。そいつらも仲間になっている可能性がある。今回の事件は、じつに幅広い技術が使われている。カメラの撮影技術からはじまって、秘撮技術……合成技術までと多岐に及ぶ。ここで組織を追われた男が、特定の企業に潜入する、秘密工作員だったとしたら、うまく筋立てが成り立つ。そういう要員には、とりわけマルチな才能を持ったやつが選ばれるからな。実際、そのはずだろう。そいつらが我らの相手だ」

「なぜ、そういう奴らが下野しているというんだ。それも、良からぬ会社の手下になっているだなんて、なんだかやるせないものがある」

「最近クビになった男について言えば、立場を利用した犯罪行為に手を付けたようだ。捜査情報の私的流用。つまり、事実上の追放でいい。潜入員の切り捨ては、逆スパイの疑いが掛かった結果だろうな。そういう場合は、やむを得ない。隊員同士が疑心暗鬼になっては、捜査も滞る。世の風潮は、疑わしきは罰せずだがな、我が公安部にはそれが通用しないことは知ってのとおりだ。それが業務の上だったとしても、やむを得ずに敵としてまつり上げ、切ることになる」

「なるほど、そういうことか。この事情なら、仕返しに出てきていることの理由がよく分かる気がする。ともかく、今おれらがどういう状況におかれているのかは分かった。これは実に異常事態だ。実は、とんでもない戦争なのかもな」

「こうなってくると、相手の数が少ないことを祈るばかりだ」

「まあな。しかし、おれは期待なんかしていない」

 保阪はそっぽを向いた。監視の目を復帰させる。状況は変わらない。このまま中西からの連絡を待つ流れとなりそうだった。

     

     6

 

 元公安警察官のリスト表が届けられた。四名分。頁の頭にあったのが、予想どおり半年前にクビを言いつけられた男だった。安西郁生。身元割り出しから判明したここ一ヶ月分の携帯情報を通じ、行動範囲が特定された。

 月岡たちは彼が設定した点検コースの一つを張っていた。日比谷線茅場町駅、改札口を抜けていった先のトイレ付近。安西はその日、いつもの通りに東口の出口に向かっていくはずだ。

 月岡のすぐ傍に待機している班員の息は荒かった。まだ若い彼のことだ。血気盛んになっているのだろう。この場所には、月岡と彼しかいないため、名誉を彼が独り占めすることが可能な状況にある。

「おい、落ち着け。いつも通りでいいんだ」

 彼の荒い息は収まらない。

「相手は、元我らの同胞なのでしょう? だとしましたら、普段どおりではやられますよ。ここはいつも以上に気を張っていくべきです」

 彼なりに考えている事があったようだ。月岡はそれ以上何も言わないことにした。見張りをつづける。また定刻便から降りた乗客の波がやってきている。その中で安西に該当しそうな人物を一人一人見ていく。

 その時、ワイヤレスイヤホンに通信が入ってきた。リスト入りされていた男の一人が別の駅にて見つかったという連絡。その男こそが、ライトバンの所有者であり、同時に合成写真の撮影、及び制作者と見込まれている人物であった。安西と同じく、四年前、警視庁から懲戒解雇処分を受けている。名目は不適切行為となっているが、詳細は不明だ。

 別働隊による尾行がはじまったようだ。受信器が、緊迫感まで伝えてきている。

 同僚が月岡に視線を向けていた。

「たぶん、こっちもくるだろう。気を抜くな」

 彼は顎を引いて、うなずく。怯えは見当たらなかったが、冷静さに欠いているように思われた。出る時は、自分が先にいった方が賢明だ。

 ワイヤレスイヤホンから伝わってくる情報を聞き流しながら、監視の目を張りつづける。乗客の波がまばらになった。どうやらまた次の波に持ち越しのようだ。同僚はまだ気を張り詰めていた。最後の一人まで見逃すつもりはないようだ。

 イヤホンの実況に緊迫感が漂いだしていた。男の向かう進路を見定め、取り囲む準備に入っている。もうまもなく、彼を追いつめる捕獲作戦に入る。

「向こうは、予定どおりやっているようですね」

 同僚がイヤホンを気に掛けながら、ぽつりと言う。

「名誉を先取りされただなんて思うなよ。こちらは、こちらの仕事をすればいいんだ。いざという時に、いつもどおりの仕事ができないやつはこちらにいる資格なんてない。実況に翻弄されるな」

「大丈夫ですよ。すこしも翻弄なんてされていませんから」

 彼は素っ気ない風に言いながらも、まだ荒い呼気をつづけていた。自覚がないとみえる。月岡は気掛かりになってきた。

 同僚の首がゆっくりと傾くのが分かった。遅れて改札口から出てきた男に、注意深い目を送っている。月岡も釣られてその男にじっと観察の目を向けた。フーデッドパーカーを着た、若者を装った身なりの男。顔が不意に横向けられたとき、フード下に隠れていた顔がはっきりと露わになった。安西だった。写真よりも、ずいぶんと草臥れている。何より、目つきがかなり尖っていた。

 月岡は一先ず今にも飛び出しかねない同僚の身体を、身を乗り出して押さえに掛かった。

「まず、距離をおこう」

 彼は堪えきれないとばかりに、何度も足を踏み出したり引いたりを繰り返していた。月岡は彼を押さえる両手にさらなる力を込めた。

安西が少しずつ遠ざかって行く。すでに充分な距離感が生まれていた。が、ここは余分に取っておいたほうがいいと月岡は思っていた。

「まだだ。まだ……」

 彼の感情がはち切れそうになっているのを感じ取りながら、ぎりぎりまで間合いを計った。充分すぎるだろうという段階に入って、ようやく手を下ろした。同僚がさっと持ち場を離れ、男の追尾に入る。月岡はターゲットを挟んで彼とは離れた位置に身を置いた。距離を詰めないように、慎重な足取りで進む。

 安西が一瞬あたりを気にした。

 月岡はすぐさま横手に拡がっていたスペースに飛び込んだ。そして壁に背をつけ気配を潜める。しかし、同僚は歩行人を装うことで直進を選んだ。緊張の一瞬。それは難なく乗り越えられた。危険が去ったことをしっかり確認してから月岡はまた通路に戻った。

 安西との距離が二十メートル近くも生まれていた。同僚はその半分を埋めるあたりにて、顔を伏せる格好で歩いている。

 その時、安西が突然走り出した。気配で気づかれたのかもしれなかった。長い通路のその先には、地上出口がある。外に逃れていくつもりのようだ。

「逃すな、全力で走れ!」

 月岡は同僚の背中に向かって声を飛ばした。これは、作戦の一つだった。相手はプロだ。一度も振り返らずに全力疾走で設定した目標地点に突っ走る。身体を掴まれたらそれで終わりだと分かっている分、やるべきことだけに集中する。

 月岡はついさっき身を隠した分かれ道に引き返して、その先にある別出口を目指した。それでもって先回りになるかどうかは、賭けだ。イヤホンを耳に差し込んでから、ポケットに押し込んでいたプレストークボタンを押し、襟回りに仕込んでいたピンマイクを介して同僚とコンタクトを取る。

「西出口に向かっている。そちらに誘導できるものなら、そうしてくれ」

「さいわい、そっち方面に向かう可能性が高いようです!」

 彼の息は切れ気味だった。かなり本腰を入れて走っているようだ。やはり、安西は捕まるつもりはないらしい。

 月岡はあえてスペースを落とし、体力温存に掛かった。地上に出、安西たちの出口がある方面へと向かった。ちょうど人の数が少ない時分だったので、自由に行動できる。ペースを保って、目的地へと向かっていく。

 イヤホンに安西の進行方向が伝えられる。月岡は足を止め、引き返した。頭の中で計算を巡らせていた。あの男を挟み撃ちできる道……。もう一度、地下鉄乗り場へと舞い戻った。それからは階段にて様子見に入る。

 同僚からの続報。

 確実に追いつめていることを確信した。時間を確認しながら、彼が現れるのを待った。

 二分後だった。

 安西が姿を見せた。激しく息を切らし、階段の一段目を降り掛けたところで足を止めている。フードで瞼まで隠れた顔が、月岡を見下ろしている。警察官らしさを失った、いかめしい面相。荒れた生活を送っているであろうことが分かる黒っぽい顔色をしていた。

「なんだ、逃げないのか?」

 月岡が距離を詰めていくその時、安西の背後から同僚が現れた。挟み撃ちの完成だ。

「とくに、逃げる理由ないって、途中で気づいたんだよ」

 安西は低い声を飛ばして、口尻を吊り上げた。

「逮捕されないとでも思っているのか? お前がやってきたことはすべて把握している。何もかも、だ」

 月岡は一歩ずつ、彼に近づいていった。面と向かう位置にまで就いたところで、足を止めた。

「何の罪だ?」

「まず偽計業務妨害罪だ。……合成写真。お前は、我らにそれを送り付けた。覚えがないとは言わせんぞ。それ自体は、別の男が作ったのかもしれない。だが、これを計画したのは、お前だろう。なぜ、こんなことをした? お前は手を貸してはいけない人間に手を貸してしまったんだ」

 しばらく彼は、月岡の顔を見下ろしていた。

「なぜ、こんなことを、だと? ……よく分からんな。ただ、自分がやったことについては、後悔はしていない。おれは、自分で納得してこれをやったんだ」

「とりあえず、来てもらえるか。こんなところで話し合ったところで、どうしようもない」

 彼は素直にうなずいた。自らの手でフードを取り払って、素顔を露わにした。勢いよく息を吸いこんだ後に、すぐさま吐き出した。

 なんのつもりだったのか。感傷的な気配は特になかった。ようやく、諦めがついたといったところなのだろうか。

 同僚の誘導により、階段を下っていく。その模様を月岡はしばらく見守っていた。寂しそうな背中だった。あっさりと追い込まれてしまったことに自分でも不甲斐なく思っているのかもしれない。

 ある程度、自分の能力に自負をもっている証拠だ。この男には、自分が知らない、底知れぬ力が秘められている可能性がある――。

 

     7

 

 聴取室の彼は、いたって落ちついた様相でいた。かつて尋問する側にいた男が、聴取される側に回されていることに、これといった抵抗感は持っていない。 

「たしかに、小見に内偵を掛けているあんたの後について回っていたのは、おれだ。写真撮影については仲間がやった」

 さして表情を変化させることもなしに言う彼は、いま真っ新な気持ちでいる。急な態度の変容ではあったが、月岡は彼の中に潔いものを感じ取っていた。おそらく、嘘をつくようなことはしない。彼から聴取した内容は、そっくりそのまま調書に採用されることになるだろう。

「いつから、この俺を監視していた?」

 月岡はそっと問いかけた。

「そんなに長い期間、監視していたわけではない。写真を送り付ける一週間ぐらい前からか」

 すべての始まりである、小見直志にSISのエージェントであるという疑惑が掛かったのは、いまから二ヶ月ほど前のことだ。計画が始動したのが三週間ほど前と計算したら、ちょうど符合する。

「組織に対して、工作を仕掛けていくのをその段階から狙っていたんだな? でなければ、逆監視なんていう行動は取らないはずだ」

「最初の段階で、工作を仕掛けていくことは決めていた。だからこそ、それに必要な要員も最初から揃えておいたんだ。仲間たち。そいつらを召集したのは、このおれだ。組織の処分について皆、不満を持っていた。それを口実に説得すれば訳はなかった。やつらは、すぐに承諾してくれたよ」

 最初から工作を仕掛けていくつもりだったということは、その段階で皆藤が情報を持って帰国してくることを押さえていたということでもある。安西は、早い段階でフィクサーの人間が握る秘密情報を掴んでいたことから、組織の彼への信頼振りが見て取れる。昨日今日雇い入れた男に、そうした情報を打ち明けるはずもない。それ以前から、組織に貢献する下働きを積み重ねていたはずだ。

 最初に受けた彼の印象を破棄しなければいけなかった。この男を表面だけで判断するのは、危険だと月岡はそう見なした。

 もしや、と思う。

 彼が私的流用した情報というのは、フィクサー側に有利な情報だったりはしないか。現役時代からすでに彼と通じていたということだ。それが正しいのならば、彼が免職させられたとき、ただで去っていくはずもない。仲間の情報。それだって便乗で閲覧し、自分の脳裏にインプットしたということになってこよう。

「工作を仕掛ける対象にこの俺を選んだのは、お前でいいのか?」

「そうだ、おれが最終的にあんたを選んだ。だが、誰でもよかったというのが、正直なところだ。別にあんたでなくても構わなかった。おれの目的は、分かっているだろう? 警察そのものだ。組織を攻撃できればそれでよかったんだ」

 彼は興奮気味に目を光らせている。乾いた唇を湿らせるなり、続けざまに口を開いた。

「いや、あえて言うなら、監察室を狙って攻撃しようと思っていた。やつらは、理不尽な尋問を繰り返して、自分らの都合だけで振り回した結果、このおれを公安から追放したところだからな」

「そっちが、警察を怨んでいるのは、知っている。だが、監察室を憎むのは間違っているだろう。自分が何をしたのか、それを考えてみるんだ。お前は、追放されて当然の過ちを犯している」

 彼は分かっていない、という風におもむろに首を振った。

「おれがやった行為は、過ちではない。正当行為だ。というのも、業務上、そちらの情報が必要だったんだ。上から指示されたわけではないが、暗黙の了解があった。だからこそ、おれは警視庁が管理する機密情報にアクセスし、その一部を持ち出した。任務は機密で、いまだ進行中だったから、チームはこのおれを擁護してくれるはずもない。捕まったが最後、おれは、そのまま監察室の餌食となったんだ」

 彼が監察室と、公安部の双方を怨む経緯は、把握した。双方にダメージをあたえる選択として、公安部に所属する自分が選ばれたのだ。

「もしかして、合成写真を監察室に直截送り付けたのは、この俺が査問に掛けられることを狙ったばかりではなく、監察室の力量についてはかる狙いもあったりしたということなのか?」

 彼はふっ、と失笑めいた息をもらした。

「ちょっとした、遊びのつもりでもあったのは事実だ。まともな審査を掛けることができないやつらのことだ。今回も不当な審理を繰り返して、誤った判定を下すに違いない。例の合成写真を作り出す際は、高いハードルを設けるよう仲間に注文を入れておいたよ。案の定、やつらは引っ掛かってくれた。結果、あんたらが無実の証明と、真実を明らかにするために動き出してくれたんだ」

 まさに狙ったとおりに、ことが運んでくれたということだ。

 彼にとっては愉快な反面、複雑な気持ちが起こったことだろう。一応、誤った判定の結果に免職されたことについては、彼自身、心の中で蹴りがついた。やはり審理はでたらめで、不合理を押しつけるようなものだったと確信した。

 しかし、そのことでもって彼の監察室への怒りが収拾するはずもない。むしろ、それは高じ、さらなる次元の高い攻撃へと彼を駆り立てることとなった。それが、内調の潜入員割り出しといった、高度な諜報作戦の突入だ。指導役を買って出るばかりではなく、計画さえも彼が立てたことだろう。彼は、それができるだけの技術と経験の持ち主なのだった。

「しかし、そんなことをやったところで、虚しくはないのか?」

 月岡は感情を排して問いかけた。安西は平板な顔つきでいた。

「虚しいもクソもない。自分が望んでやったことなんだ。おれはなにも間違ってなどいなかった。それを証明できただけでも、充分なことだ。あの時、おれはヘマをやらかしたのは認めざるを得ないが、それでも重大な失態というまでではなかった。すべては言い掛かりなんだよ。やつらの……」

「お前の顔を見る限りには、まだ警察への未練があるように思える。いまもなお攻撃に出ようとしていることの衝動の大半は、それだろう。ちがうか?」

「未練などはない、と言ったら嘘になるかもしれん。だが、いまのおれには、すっきりとした感情ばかりがあるんだ。だいたい、信頼できない人間がいるところに留まっても、自分が納得できないだろう。はっきりと言っていい、今の立ち位置こそが、幸せなんだ、と」

 それが本心だと言うのなら、彼の歪んだ心は、もはや修正できないレベルにまで達していると見ていいのかもしれなかった。月岡は何ともやるせない気持ちになってくるのを感じた。

 手許にある、尋問調書に目を移した。

「合成写真について、語ってもらいたい。計画的に実行したとはいえ、よくあそこまで精巧なものが作れたものだと思う。これには、仲間との連携、そして被写体である花笠絢の協力がなければできなかったことだ」

「もちろん、簡単には作れないことは分かっていた。その点は、仲間からの提案を受けたよ。それでもって、計画の詳細と日程が決まった。一番の難所は、あんたに気づかれずに撮影を敢行することだ。こっちは、あんたの内偵レベルがどれほどのものかは分かっていた。細心の注意を払わなければ失敗する。それを念頭に行動することになった。連携だ。それでもって、不可能な部分をカバーするんだ」

「ワイヤレスイヤホンでもって、ネットワークを作っていたんだな?」

「そうだ。そこは、おれの持っている技術を出し切って、環境を整えたんだ」

 逆監視を掛けるぐらいだ。公安部が実際にやっている手口と同じ程度のことをしなければ、まず成功はしないはずだった。

 安西は勢いを得たままに言った。

「あんたは、相手を追い掛けるのに夢中だったよ。だからこそ、思ったよりもそんなに難しくはなかったように思える」

 その点について言い訳をするつもりはなかった。月岡はあえて彼の述べたことを黙って受け止めた。

「撮影は、俺を撮る日と花笠を撮る日とを分けたことは分かっている。また、撮影するカメラマンが測量士を装っていたことも分かっている。日にちは違えども、同じ時刻に撮影は敢行された。これに間違っているところはあるか?」

「正しいはずだ。そこまで見破っていただなんて、想像もしていなかったよ。撮影に関しての難点は、やはりあんたを撮影した事後にこそあった。人目につかないよう計画を実行することには、やはりというか、難易度の高い技術が求められた。といっても、こちらには優秀な仲間がいた分、スムーズに事が運んでくれたんだがな」

 少し得意になっている気配が、彼に認められた。この話に突っ込んでいくと、さらに図に乗っていくに違いなかった。月岡は努めて興味のない顔を装っていた。

「モデルに花笠を採用したのはなぜだ?」

 と、月岡は重ねて問う。

「そばに彼女がいたからだ」

「そんなことはない。彼女でなければ駄目だったはずだ。お前のバックには、雇い主がいる。そいつこそが、今回の計画の総元締めだ。花笠はその人物に近いところにいる。だからこそ、彼女がモデルとして送り込まれたんだ。これは、強制だろう。お前のほうに拒否権はないようなものだった」

 安西の顔つきにややぎこちなさが入った。

「総元締めだって? そんな存在はいない。これは、おれの単独行動にすぎない」

「隠しても無駄だ。そっちの背景にある構図は押さえているからな。問題は、その男とお前のつながりだ。普通に見れば、警察をクビになって落ちぶれた身になったところをその男が拾ったといった風に捉えられる。だが、どうもそうではないようだ。俺が察するに、お前は警察官時代からそいつと関係があったように思える」

「何のつながりがあるっていうんだ」

 はねつけながらも、頬元に引きつった気配があった。

「お前が追放された原因となった、私的流用した書類。それはなんだったのか。捜査情報と関係がないなら、そいつをその男に流すつもりでいたということになってこよう。実は、その男は、いま我らが徹底して捜査している要注意人物だ。ある会社の社長と裏でつながり、第三者というべき女を使って多額の現金を自分の懐に吸い上げている。その他にも今のお前と同じように苦しい立場に追い込まれた人間が多数存在している」

 この時、彼の口は耐えるように引き結ばれていた。

「思うに、お前は半年前、懲戒解雇という形で警察を去ったわけだが、その直後に拾い主の下に付き、手下として裏工作の仕事をなしていくのはいかにもスムーズでありすぎたと言っていい。このように考えたら、納得できる。お前には、最初から下野する意思があり、その上で、その男から言い伝えられていた計画を完成させるための必要な情報を持ち出したのだ、と。これなら即座に工作員として働いていたことの理由が説明できるんだ、お前が情報を持ち出したこと自体も、工作の一つだったということになるわけだから」

 安西は強張ったままに、首を振り始めた。

「おれは当時、警察官としての誇りを持っていた。だからこそ、そんな軽率なことをやるはずもない。クビになったのは、向こうから理不尽に突きつけられた結果だと言ったはずだろう」

「警察官の誇りと、適正はまた別の問題だ。お前には、たしかに誇りがあったのかもしれない。しかし、それは仕事の能力についての誇りであって、組織員としての誇りではなかったように思える」

「何を根拠にそんなことを言うんだ?」

「お前を追いつめたときに、感じたことだよ。あっさりと抵抗を止めたし、その気力も見せなかった。自分の中に、〝個〟が確立している証拠だ。組織という単位になびかない人間は、極端に自分を出していくことを嫌う。個性も能力もすべて、だ。あの時のお前は、まさにそうだった」

「だから、なんだっていうんだ」

 彼は急に投げやりになって吐き捨てた。月岡は畳み掛けていくことの好機と受け止めた。

「認めて欲しい。お前の裏に、フィクサーなる男が存在する事を。できるものなら、そいつのことを語って欲しい」

 彼は首を振った。話にならないといった風情だ。それでも月岡は引っ込まない。

「自分の口で、言うべきなんだ。これは、大きな構図をもった事件だ。お前が関わっていることも事をややこしくしている要因になっている。だからこそ、その口で語ってもらうことには大きな意味がある。先程、警察官としての誇りを持っていたというようなことをお前は言った。もちろん、それは過去のものなのだろうが、しかしそれを持っていたとすることは事実なんだ。少なくとも、想いだけはどこかで引き摺るように持っている……。その名残というべきものが発揮されるとしたら、まさにこういう時だろう。ある意味、我らは今も共通して仲間だということさ。……もし、これが違うというのならば、以後、警察官であったという事実さえ口にすべきではないとまで思う」

 彼の目に迷いがあった。

 月岡は彼がその気になってくれるまで、目に力を込めて待った。

「そいつの名前を聞いて、どうするつもりなんだ?」

 彼はぶっきらぼうにながら言った。

「もちろん、捜査対象者だから、畳み掛けていくことになる。誰であるかは、まだ特定できていないが、どのようなことをやってきた男なのかは、もう押さえている。すぐにでも逮捕は可能だろう。一番の罪状は、お前と同じ、偽計業務妨害罪だ。公安部に合成写真を送り付けた直接の指示者……そういう扱いになる」

 安西は少しの間、沈黙に暮れた。

 そして、意を決したように言った。

「そっちが捜している男は、もしかしたらあんたも知っている男なのかもしれない」

 思わず喉が鳴った。

「誰なんだ?」

「桧山謙介という男だ」

 桧山? どこかで聞いたことがある名前だ。月岡は最初こそはピンとこなかったが、まもなく自力で答えを得た。

 ――その男は、會伝社の雑誌に載っていた男のはずだ。

「内閣官房副長官をやっていた、守村の秘書か?」

「そうだ。その桧山だ」

 週刊誌に載っていた、あの桧山が首謀犯だったということはどういうことなのか。

 一度頭の中を整理する必要があった。

 まず第一に言えるのは、守村を陥れたのが、実は彼の側近だったという事実だ。つまり、守村は身内から攻撃されたことにより、その身分から転落していくこととなったのだ。それは、一方で桧山が悪に転落していくきっかけともなった。いや、その時点で彼は花笠に守村の愛人になるよう仕掛けていったことから、彼には元よりそうなっていく芽があったと言うべきなのだろうか。

 いずれにせよ、その出来事を持って、桧山は森村の元を離れていくこととなった。裁判を通して吸い上げた金をうまく自分の元に落としこんだのは、米光の入れ知恵によるものだ。彼女との切っても切れない関係がはじまった。そこから、第二の搾取計画が組み立っていく。花笠は桧山に思いを寄せている分、彼の指示にはさからえない。

 そうして言いつけられるままに彼女は第二の搾取対象者に選ばれた錦谷の元に接近し、スパイ工作を働いていくこととなる……。

 その時、得られた情報の中に、有益なものがあった。

 大使館員がからむ、秘密情報の明け渡しというような、ともすれば国家機密にも觝触しかねない事実だ。日本という国家を相手にできるという条件も、都合が良かった。これはうまくいけば、大量の口止め料をせしめられる大好機だった……。

 月岡は安西と目を合わせた。

「桧山というのは、間違いなく事実か?」

「ああ、自分の雇い主ぐらい、しっかり把握している。その裏に誰かがいるというようなことはない」

「そいつと通じ、警察情報を持ち出す愚かしい行為に走ったのは、金のためだったのか? それとも?」

「基本、金のためだろう。だが、それだけではない。諜報員として、自分の能力について試してみたかったというのもある。しかし、機密情報持ち出しの壁は高かった。自分の力を過信していたようだ。あと監察室への怨み、これは本当だ。公安部に対しても、不満を持っている。それは、自分の無能を認めたくない裏返しでもあろう。おれは、面子に掛けてやつらに仕返しをしなければいけなかったんだ」

 いきすぎた過信。それが彼を狂わせてしまったようだ。

 諜報の世界に飛び込んだ途端、自分の中に過剰というまでの自尊心が育ってしまうことに、月岡にも理解がある。それだけ訓練は厳しいし、苛酷な環境におかれる。結果、自分は特殊な任務に就いていると強く自覚する。いやでも精神力は高いものを維持しなければいけなかった。そこに落とし穴がある。

 だからこそ、中庸の精神の獲得が急務だった。これは、隊員のいち使命でもあるのだったが、厳密な意味では拘束されないことでしかなかった。最終的には隊員個人の管理に任せられるということだ。一歩勘違いしてしまえば、そこからは底なし沼だ。どこまでも収まりがつかない悪意識と付き合っていくこととなる。

「わかったぞ。持ち出した情報は、イギリス大使館付き参事官を務めている、ワイズマンに関して、だな」

 彼については半年以上前からイギリスの諜報機関員であることは分かっていた。

 彼に抵抗感の滲んだ、うなずきがあった。

「まあ、そういうことだ。ワイズマンの情報だ」

「事前にイギリス大使館員をしている皆藤が機密情報を受け取りに国内にもどってくることを察していた。その期日も把握していた。だからこそ、彼に対し、コンタクトを取る人間を早いうちに押さえなければいけなかった。ワイズマンはその急先鋒に挙げられた対象だ」

 月岡は息継ぎをしてから、間髪を入れずに言った。

「ワイズマンは我々の監視対象でもあった。そこで、お前らと俺らの接点が生まれることとなる。ワイズマンのエージェントとして疑われている小見。彼は、我らのマーク対象であった。自分らの捜査範囲内にいる上に、我らが執拗に追っているとあらば、お前らも気に掛からないはずがない。我らは、ぶつかるべくしてぶつかったというべきなのか?」

 安西は一度うなずいてから言った。

「ぶつかったのは、必然というべきだろう。誰が問題の機密情報を持っているのか、火急の問題だった。もちろん、その人物が内調の工作員であることは把握していた。それで、ワイズマンと小見、その他彼らと通じる者、皆藤……その中から、重要情報をもっている人間を割り出していく作業に入っていくことになるわけだが、それよりも先ず、重要人物の裏で動いているであろう内調に圧力を仕掛けていく必要があった。――それが、写真工作だ」

「我ら公安が動いていると思わせる必要があったのは、お前らの存在をうまく隠すためでもあったはずだろう。お前らの最終目標は、口止め料の吸い上げだ。いわゆる詐欺行為だ。それが成しうるには、相手をまず混乱させなければいけない。混乱をさせるのにもっとも有効な手段が、時間がないと思わせることだ」

「そのあたりは、さすが同士というべきか。公安の人間ならば誰だって、当たり前のように分かっている。しかし、内調の人間はそうした常識を共有していない。我らの外側にいる男だからな。だからこそ、こうした時間的圧力はやつらに効くはずなのだ」

「しかし、内調の混乱を取り付けたところで、お前は答えを出すことができなかったようだな」

 月岡は冷静を維持したままに、努めて威圧を込めて彼に迫った。

「もしや、そちらでは、誰が国家機密情報をもっているのか把握できているというのか……?」

 彼からの食いつきは、感情を剥き出しにするというぐらいに大胆なものだった。さらに言葉を連ね、焦りの感情を露わにしていく。

「誰なんだ? 小見か? 皆藤か? ……それとも、また別の誰かなのか?」

 月岡はしばらく黙って彼を見ていた。やがて、顔を持ち上げておもむろに言った。

「まだ、今回の捜査は片がついていない。だからこそ、ここで明かすわけにはいかない。それで言うなら、そっちは今日という日まで、独自の捜査を掛けてきたのだろう? だったら、ある程度見当ぐらいはついているはずだ」

「皆藤と接触したヒースという男だ。その男に目をつけていたわけだが、答えははっきりとしていない。もし、彼がそうだというのならば、皆藤その人が、内調の潜入員だったということになってくるわけだが、実際そうなのか?」

「それは、我が方を逆監視掛けた結果に得た、裏も何もない情報だろう。我が方が意図的に誘導していたとしたら、どうする? その答えは間違っていたものだということになる。実際、間違っていたんだよ。それだけ、お前らの捜査というやつは、中身のない、ぺらぺらなものでしかなかったということだ」

 安西はくっ、と悔しそうに洩らすなり、目許を歪ませた。

「我らの手の内まで、すべて把握しきっていたという訳か。それで、今日まで我らを翻弄していた……、とてもじゃないが、組織ぐるみでやる事じゃないな」

「国家の機密を守るためだ。そこから意識がぶれてはならない。そのためならどんなことだってやるというぐらいにまで思っている。お前には、そうした感覚がなかった。どうやら、監察室の処置は間違っていなかったようだな、少なくともお前については」

 彼は前のめりにうなだれた。拳が机の上に載っている。かなり無理な体勢で顔を上げるなり、苦し紛れに言った。

「あんたも今、監察室の査問に掛けられているんだろう? だったら、強く言える立場にはないはずだ」

「どうなるかは分からない。自分に非があれば、それに従うしかない。ただそれだけのことだ」

「それで、おれと仲間が仕掛けたことについて、早速報告にあげるってわけか?」

 月岡は首を振った。

「今回のこれは、公安事案であることは、お前にも分かっているはずだ。お前らの罪は組織内で処理されても、そのことが監察室に報告されるわけではない。別件として扱われることになるはずだ。そればかりではない、事件の大部分が、不透明なままに閉じられることになるだろう。もちろん調書だって、合成写真の記述部分について、別の言い回しに書き換えられることになる。後から誰かが調べた所で分からない」

「あんたは、それで納得できるのか?」

「よく分からないな。ただ、組織がどういうものかはよく分かっている。従うしかないんだ。そのことについて不満はない。すべてがなるようになるだけのことだ。もちろん、何があったところで誰も怨みはしない。お前も含めて、だ」

 彼はよく分からないといった風に、首を振っていた。

「おれなら、無理だ。誰かに、不満をぶつけなければどうしようもないんだ。あんたは、それがないという……」

「厳密に言うと……、それなら、ある」

「誰だ? 監察室か?」

「そんなくだらないところではない。事件解決の先だよ。お前がさっき口にした、桧山だ。彼に自分のエネルギーのすべてがいく。それは、怒りではない。純粋なまでの昇華の精神だ」

 月岡の心は今、晴れやかな感情と同時に、内から昂ぶってくるものに溢れ返っていた。

「すべてを解決し、終わっている頃には何もなくなっている。いつもそんな感じだよ。お前にそのことが分からないとは思えない。思いだして欲しい。現役の頃の、自分を……」

 訴えが効いているのかどうかは、分からない。しかし、月岡は彼から顔を逸らすようなことはしなかった。

 安西は堪えるような顔を固定したまま、ただ、じっと虚空を睨んでいた。

 

 

 

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