⑥
目覚めたのは暗闇の中。
冷たい石の床に転がされていて、鎖は相変わらずに煩く嫌な音を立てる。ガタガタと揺れているので、どこかへ運ばれているらしい。
同じ闇の中では、獣の身動ぎと、息遣い、どれも諦めの色が濃い。自分の置かれた状況は判っているのだろう。
それと、人間の臭いがした。嗅いだことのないほどに濃い、嫌な匂いだ。獣でありながら、獣でない、彼ら独特の。遠くに微かに喧騒も聞こえる。
「ちょいと止めておくれ」
近くで声がした。男声。聞いたことのない声だ。
それにネズミの狩人が面倒そうに答えて、揺れが止まった。
「これから都に行かなきゃならねぇんだけど、なんか用?」
「少し、ほんの少しでいい、乗ってるものを見せてはくれないだろうか?」
「ンー、いいケド、都で売るもんは売らねえヨ」
「それで良い」
「……冷やかしは承知しねェ」
ネズミの狩人の態度に、客らしき声は苦笑した。
そして、被せられていた布が下された。
乗せられている獣が鳴き、身動ぎをした。
光が眩しい。場所は道の上らしい。私たち売りものは馬車の荷台に積まれていたようだった。
「……どれも珍しいものばかりじゃないか、外傷もない、腕が良いな」
「世辞はいいから早くしろヨ」
その客は長い白い髪で、あまり見ない民族衣装らしいものを着ていた。――和服? だっただろうか。
彼は何かを探して目を彷徨わせ、そして、私を見た。
「竜の雛もいるのか、呪具がついている」
心なしか、男の顔に険が入った。それを感じ取ったのか、ネズミの狩人は嫌そうに返事を返した。
「元から付いてたんだヨ、おれだって竜なんて捕まえる気は無かったけど、掛かったんだから儲けモンだろ。そいつは売らないからな」
「なるほどな。しかし轡はしないんだな? 噛むぞ」
「それでイイんだ。竜を従わせられると思ってる奴らに、教えてやれば良いのサ」
「ほー……、あんた良い人だな」
ネズミの狩人は肩を竦めて何も言わなかった。
男は私をじっと見つめている。私もずっと目が離せないでいる。
鱗がざわついた。嫌な感じだ。
けれどしかし私が身構える前に目をそらし、ネズミの狩人と別の獣の話を始めた。
『全く間抜けな飛竜だね、たとい雛でもネズミ風情に捕まるなんて』
竜の声がした。驚いて耳を立てる。あたりを見回す。けれど、竜らしき人物はいないし、男はネズミの狩人と話している。
『わからないの、これだから飛竜はねぇ、ロンを知らない?』
ロン? ――龍、そうか。見慣れた竜とは違うから気付かなかった。
この民族衣装のようなものは龍が好むと聞いたことがある。
龍は同じ竜の一種でありながら、飛竜を毛嫌いしている連中だ。
性質も姿も違う。飛竜などは主に破壊を司るに対し、龍は自然や治癒を司る。他の竜と違い、人に紛れて生きているもの好きなのだと聞いた。
白い男の方を見れば、目が合った。男は――龍は薄く笑って見せた。すぐに目は逸らされた。
『出してあげようかと思ったけど、その呪いは飛竜が飛竜にかけるものだね、なら故郷には帰れまい。飛竜のものは龍が外すのは難しいし、それを掛けた者が強力に過ぎるな、打つ手なしだよ』
どういうつもりで話しかけて来たのだろう。
返事を返すことができないので、唸り返す。
『お話も出来ないのか、酷いことをするなあ。あの飛竜はやっぱり好きになれん』
兄を、【夜の君】を知っている。この龍は。
「では狩人、この鳥を貰おう」
「金五百」
「また、随分ふっかけるね」
「鼻から値段は気にしてないだろォお客さん、お見通しだよ、さあ買った買ったァ」
「はいはい」
龍が金を手渡す。
このまま行ってしまうのは困る。
もう少し話してくれないと。
呼び止めようと少し音を立て暴れてみる。彼は目線だけ寄越した。
『またね、おちびさん。きっとまた会う。そして君は、これからたぶん良いことがある。約束しよう。貴女の行く先に幸あらんことを祈って、ではまた近いうちにな』
そう残して、白い龍は去って行った。少し歩いたところで鳥かごから鳥を放していたのが見えた。ネズミの狩人は愉快そうにそれを見てから、また荷台に布をかぶせた。
ガタガタと荷台が揺れ、馬車は進み始めた。
――良いことなんてあるものか。
私は目を閉じて、次の目覚めを待つことにした。
♢♢♢♢♢
日入りの頃、属国シュトラの王城に一台の馬車が着いた。お飾りの門兵が稀に見る来客にあたふたと対応し、門を開けた。
それを見た一人の近衛騎士が王室のドアを蹴破る勢いで開け放つ。
「アラン、ネズミが来たぞ。なぜ申し入れを受ける? あんな汚らしい――」
白銀の髪の騎士は声を大にして、あからさまにイラついている。彼は稀に来るあの商人を毛嫌いしていた。
「リョダ。口を慎みなさい」
王室の奥から一人の従者が現れる。従者は足までを隠す長いローブを着ている。鮮やかであり、神官のそれとは別もの。
それを見て近衛兵リョダが不服そうに眉を寄せた。
「オレはあいつが嫌いだ、お前もだろユーレン」
「まあ、好きでは、ありませんよ。しかし私たちが彼を嫌うのはお門違いでしょう」
「綺麗事ばかり言うなよな、てめぇだって殺してやりたいほど憎いくせに」
二人の間に険悪な空気が立ち込めた。
そこにユーレンが現れたと同じ方から、美しい金の髪を持つ、この国の王が姿を見せる。王の名はアラン。
「リョダ。僕が彼を入れるのは、僕が好きでやっていることだし、それに、救えるものは救いたいでしょ」
彼は車椅子に乗っている。身体が弱く、長く地力で歩くことができない。透けるような白の肌は、生まれてこのかた、満足に日の光を浴びてはいない。
主君の姿をみて、リョダはバツが悪そうに頭を掻いた。ユーレンは懐から眼鏡を取り出して、鼻に掛けた。
「リョダ、貴方は陛下の椅子を。わたしは代金を持って参りますので」
指示を出して、ユーレンは部屋から出て行く。
リョダはアランの車椅子を押して、外に向かう。
「リョダ、心配をかけてごめんね。でも、リョダには言ってなかったけれど、今日来るのは、その、――竜、なんだ」
「竜……?」
不貞腐れていた近衛は驚いて聞き返す。
「そう、竜。……少し大事な事だよ、僕らにとってはね」
リョダは何も言わずに椅子を押し進めた。
アランは静かに目を伏せた。
♦︎♢♦︎♢♦︎
目を覚ます。なにやら人の声が近くて騒々しい。幾らか前に馬車から降ろされたのはぼんやりと感じていた。腹が空いていて無駄に体力を使いたくなかったし、眠かったので従った。
人の声の耳障りなこと。
私はこれからどうなるのだろう。
恐怖より諦めの気持ちが勝っていた。
細く目を開けてみれば、目敏く灯りがこちらに向けられた。起きたことに感づかれた。
仕方がないので起き上がる。鎖が耳元で煩い。
「……竜が起きた」
「本物か? やけに大人しいな」
「雛ならば手懐けやすいのでは……」
ボソボソ声も全て聞こえているんだよ。
着飾った裕福そうな人間たちが檻を取り囲んでいるのには、さすがに驚く。人間の匂いに鼻が慣れたらしく、包囲されていたことに気付かなかった。
ネズミの狩人の気配がないので、もう売りに出された後だろう。
急に檻の隙間から何かが差し込まれた。驚いて身構えれば、肉だ。棒の先端に刺さっている。
「ウチに来ないか? 美味い飯を毎日やろう、欲しいものはなんだってやろう、どうだ」
棒の先の男が言った。
ガシャアン! 別の方から柵が叩かれた。直ぐにそちらを見る。
「わたしのところがいいぞぉ……、わたしを選べ!」
「いや、こっちだ、わたしは今まで多くの成績を残しているし、これからもそうだ!」
「止め止め! お前らみたいなのが選ばれるものかね! 余計なことは言わん、わしはどうだ?」
「老いぼれがなにを言うか!」
老人、男、男!
誰かが話し始めれば、声は四方八方飛んできた。
気を引こうと、ものが投げ入れられる。音が立つ。
――怖い……
背中に物が当たる、瞬時に振り向く。転がるのは赤々と熟した果実だ。
「おまえさん、ワシはどうかね、広い家を作ってやろう、川を流そう、木陰も作ろう! 望むならなんだってしてやる。どうかね、あの飾りにしかならんシュトラの出来損ないよりは――」
「おい竜、こっちを見るんだ!」
身体に何かが当たる。振り向く。
辺りが一斉に喚き立っている。耳が痛いくらいだ。
カチカチと歯がなり始めた。鱗が粟立つ。耳が伏せる。わあわあと声だけが大きくなって、意味をなさなくなる。騒音。嫌いだ、嫌いな音だ。視界が歪む、霞んで、感覚だけが鋭く。
尾に何かが触れる――
瞬間、私は何かを噛み砕いていて、唸りを上げていた。
悲鳴、どよめき。
砕けたのは杖だった。口の中から砕けた鉱石が落ちた。持ち主らしき男は、痛めた手をもう片方の手で押さえて、情けない目をしていた。
辺りは静まり、怯えの小声と、恐怖の視線。
――『教えてやれば良いのサ』ネズミの声を思い出す。
――これは警告だ、人間ども。
次はどうして欲しいんだ?
「――みなさま」
鬨の声だった。強くないのに、綺麗に頭に響く。美しく、力のある、――竜?
尖った神経が宥められた。
「本日はもうお帰りを。また翌日いらしてください」
周りを囲う人々が声の主を振り返る。人垣に隙間が生まれて、一人の青年が佇んでいた。見つけたことに安堵した自分がいた。
――月。それも、満ち月。ああ、今は夜だったのか……。
彼の姿が月の光を受けている。違和感なく、月に溶けるかのような、金の髪、白の肌。
気を取り直した人々から不満の声が漏れ始めた。そして、彼はそれを制すようににっこりと微笑んだ。
「皆様も、寝起きに騒がれるのはお好きではないでしょう?」
その一言で数名がその場を離れた。
「シュトラ王の言う通りだ。私も皆も、竜に不快を与えたい訳ではないだろう。帰らせていただく。では、また後日」
一人がそう言えば、周りも取り繕うように頷き、足早に去っていく。
ここは室内だった。広く白い石畳、大きな窓、燭台が細々と光を紡いでいたが、それより窓の外の大きな月の光が部屋を満たしていた。
その部屋のほぼ真ん中に立つ彼は、最後の来賓が退出すると、深く息をついて背後の椅子に腰掛ける。大きな車輪の付いた車椅子。
その椅子に白銀の髪を携えた一人の騎士が寄り添う。見事なはずの銀髪は無残な形に切り揃えられていた。剣で伸びた分だけ落としたような。
その騎士は眉根を寄せて、男たちが出て行った扉を睨みつけていた。隠すことのない、敵意と殺意。
「リョダ。撫でてやろうか」
月の色の男が悪戯っぽく笑って言うと、騎士の雰囲気は和らいだ。
「……やですよ」
「ではそれは後に。僕は彼女を見たいんだ、連れて行ってくれる?」
……彼女?
じっと見つめていると、彼も見返して優しく微笑んだ。
彼が目の前に来る。私は身構えるのも忘れて彼を見ていた。
「初めまして、姫」
姫?
小首を傾げれば、銀騎士は苦々しくつぶやいた。
「アラン、さすがに姫は無い」
「そう? あながち外してはいないと思うけど……君は不服かな?」
微笑みかけられて、気付いた。
彼女も、姫とやらも、私のことだ。
ビックリだ、素直に。こう、個として扱われるのが、久しくて。
私は自然とおすわりの姿勢でいた。
近くで見ると、判ったけれど、彼は人間だ。とても美しい、人間。――美味しそうだった。とても。彼なら、そう――きっと食べられる。幸いに足が悪いらしい――
不意に彼が柵の隙間から手を伸ばしてきて、とっさに身構える。そして、我に帰った。
私は相当にお腹が空いているらしい。
騎士がその手を直ぐに引っ込めさせた。
「アラン、止めろ」
「……ダメか」
「良いわけがないだろ、持って行かれたらどうする」
「ははは、まさかぁ」
「……莫迦」
私も、人間は――彼は特に、食べたくない。
人間は不味そうだし、けど彼は美味しそうだし……、でも、食べたくない。
あと気が付いた。リョダと呼ばれるあの騎士。彼は警戒をして私を睨むけど、おそらく人じゃない。ネズミの狩人と同じ類い、恐らく獣人だろう。獣らしい耳はないけれど。
「仕切り直そう。――初めまして、僕はアラン。アラン=シュトラディージェ。属国シュトラの王をしている。と言っても、見て分かるように、僕は体が良くない。見かけだけのお飾りなんだ。
そんな矮小な僕なのだけれど、君を助けたいんだ。鎖を、外そう。僕は君に空を飛んでいて欲しいし、呪具も、取ろう。君の美しさを損なう。僕なら全部してやれる。――ただ」
優しく微笑んでいた彼が言い淀んで、悲しそうな顔をした。
「ただ、君を逃すことはできない。それだけは、僕の力では出来ない。でもそれ以外は何でもする。そして、そのために、僕の頼みを聞いて欲しいんだ」
彼は真っ直ぐに私の目を見ていた。蒼く、けれど優しい、闇の中を導く、温かな月の色をしていた。
それは私のどこまでをも見透かそうとするようで、気分は良くなかった。寧ろ不快だ。けれど、目を逸らせなかった。逸らしてはいけない。そう思う。
「僕と……。僕と、――契約を結んで欲しい」
彼がまた、身を乗り出して手を伸ばした。騎士は目を細めこそすれ、止めようとはしなかった。
契約? 契約って……ケイヤクって、なに?
スルナ
脳裏に声――いや、意味が浮かぶ。
契約ヲシテハイケナイ
これは……何?
自分の内側に意識が全て向いた。体が硬直する。
契約ハシテハイケナイヨ――
痛い、どこが、どこが痛いのか。痛い、痛い頭が、ぜんぶ、全部――くびが、いたい。
「……どうし――」
「アラン! 手を引っ込めろ!」
ウウゥ……アァ……
――唸っているのは、私だ。
アァァッ……ァアアアアァァアアアアアーーーーッ‼︎‼︎
――痛い苦しい誰か。……助けて。
♢♢♢♢♢
「リョダ! 陛下を連れて離れて!早く!」
廊下から叫びを聞きつけたユーレンが走ってくる。走るのは得意じゃないのに。
ユーレンが檻の中へ玉を放った。それは床に当たると弾けて白い煙を生じた。
驚いたのか、竜は咆哮を止めた。
ユーレンは袖で口を覆い、テーブルクロスを引っ手繰ると檻に被せた。
「ネズミが残していった眠り玉です」
檻からは小さく唸り声が聞こえていたが、やがてそれもなくなった。
「効いたようですね」
「ネズミもたまには役立つんだな」
「……リョダは彼を嫌い過ぎ。彼はそう悪い人じゃ無いよ。
ユーレン、竜の寝床を移してやろう? 来賓たちが汚してしまったし、彼女にとっては狭い」
「そうですね……。では、リョダのを使いましょう。良いですね、リョダ?」
「別に執着はしてねぇよ、もう要らない物だ。オレが取ってくる」
リョダは銀獅子で、雄だけれど、美しかった鬣は全て切り落としてしまった。伸ばせば良いのに、ずっとあのままだ。僕のために。
僕は、竜に角がないのは雌であると知っている。母に教わって。
既に居なかった父は竜に選ばれたのだと聞いた。雌の、美しい、白い竜に。――母も父も昔に僕を置いていってしまったけれど。
僕もどこかで、選ばれるんじゃないかと、そう思っていた。
「ユーレン、駄目だ、やっぱり」
「……何がいけないんです?」
「契約。僕じゃ無理なんだ、資格が無かったんだ。それで彼女を苦しめたのかもしれない」
「やり方を間違えたのかも」
「やり方を知っているのは、竜だよ。認めてもらえなかったんだ」
「……。」
「だからね、僕は……、止めようと思う。契約は、しない」
「ですが、それでは」
「でも諦める訳ではないよ。契約をしたかどうかなんて、周りはわからない。やり方は竜だけが知っているんだ。だから、もう一度頼む。契約じゃなく、手を貸してもらうんだ、もっと公平なやり方で。僕は、彼女と――竜と、友として向き合いたい」
ユーレンが笑う。
「貴方は、そういう方だった」
「うん。――リョダや、ユーレンと同じようにね」
「リョダが拗ねますよ」
「どうかなあ、まあでも、猫だからなー」
「猫ですからね」
「ユーレンは?」
「私は聡明な鳥ですから」
「ふふ、どうかな」
「何です、怒りますよ」
ユーレンは歌鳥。
その美しい歌声のために獲り尽くされた、生き残りだ。
僕は――シュトラの王は、一人では歩けず、病に弱く、戦にはもちろん人前にもほとんど出ることが出来ない。そして、子孫は生まれつき残すことができないし、寿命はきっと短い。僕で途絶える王家。だから両親は殺されても、僕は生きている。
シュトラにとって本国である隣国リーザから許されるのは、お飾りの警護と、蔑まれた獣たち。
それでも僕はこの国を立て直せる。それを証明する。
こんな僕を慕う人がいる限り。
今夜は月がやけに綺麗だ。災厄か、僥倖か。何を予知するのだろう。