③
『おい星の。飛べたのか?』
「今その話関係ないじゃないですか!」
私は飛ぶことに精一杯なので、話しかけないでください。
『なぜ人化を解かない』
「事情があるんです!」
もし解いて飛べなくなったら泣く。絶対泣く。【暁の君】は絶対私を乗せないだろうし。
『だが、竜体の方が速い。私より遅くては案内にならん』
「……う、わかりました。落ちたら拾ってくださいね」
何も案内しないで、場所を伝えればいいが、そうすると私がいの一番に兄のところに行けないじゃないか。
それはちょっと情けないじゃないか。
だから無理を通して、案内役に徹している。
ああ、どうやって人化解くんだっけ。
溶ける、溶ける、溶ける……。星、夜、闇、竜。
夜に飲まれる心地よい感じがして、いつの間にか閉じていた瞳を開けると、身体を滑って行く風が気持ちいい。風が避けてるみたいだ。
くるくると回転をしてみる。
気付いたけどものすごく速い。人だった頃がバカみたい。
後ろで風が動いて、【暁の竜】が追いついた。
『やればできるじゃないか、【星の君】』
『それ、やめてください』
ちょっとできるようになっただけでこれだ。
ああやだやだ。皮肉ですか。今まで頑張ってなかったわけじゃないよ! やり方が悪かったんだよ……、きっと。
くるくる回りながらそんなことを考えていた。
今となっては飛べなかったことが嘘のよう。
むしろ何故飛べなかったの。【風の竜】と同じようなことを自分が思っていることに気付く。
飛べない後輩がいたら、わからない気持ち、わかってあげよう。いないだろうけどね!
くるくる回りすぎて翼を広げたときに加速しすぎて驚いた。
『星……』
『えー! なんですかあ!!』
風の音と、距離で、暁さんのつぶやきは聞こえなかった。
そして、火山からこの崖までは遠くない。
加速しすぎて通り過ぎそうになった。
崖の真ん中に、ぼんやり一人立ってる。黒い髪も、綺麗な黒い服も、夜に溶けてるから、【夜の君】に違いなかった。
わああああああ!
にいいいい!!!
『おい、星の!』
制止は聞かなかったことにする。
急降下の途中で人に化ける。竜の時にはなかった風の抵抗が酷く重い。
特に、【夜の君】の周りはひどかった。風の壁があるみたいだった。勢いのままに突き破ってしまうと、彼がこっちを見上げた。
夜の闇じゃない、冷たい月の色だった。
それに怯んだけれど、止まる術を知らない。
「あ、ちび。おかえり」
声は優しかった。
突っ込んだ私を上手に片腕で抱きとめて、すごいと思う。
あ。片腕を庇った。不意をついたからか、誤魔化せなかったらしい。剣を持っていた方の、左腕だ。
見れば月の瞳にバツの悪そうな色があるようなないような。
直ぐに後ろから【暁の君】が到着した。
【夜の君】は直ぐに視線を彼に向けて、嫌な顔をした。
「なんで暁が来るわけ」
『【星の竜】に呼ばれたからだ。なにがあった。彼女の説明は要領を得ない』
「あーあ、ちびだけ来ればもう少し喜んだよ」
『説明をしろ。ここら一体、力がおかしい。痛いくらいだ』
「そりゃ日の竜に夜の力は酷だろうさ」
『そういう話をしたいわけではない。どうした、夜』
「別に、どうも?」
二人の会話に険があった。いや、【夜の君】がそうなるよう仕向けているのは明白だった。
あたりが酷く嫌な感じになったきた。
私にとって安らぎである夜の気配が牙を剥いている。
不安になって、彼を見上げる。
子供の私が抱きついて、彼が片手でそれを返している。その力が優しいのがどうもアンバランスで異様に思えた。
『……落ち着け、【夜の君】。何があったかは知らん。取り敢えず、眼だけでも戻したらどうだ?』
言われた言葉にすぐ返さず、彼は手のひらで目を覆った。離れた腕が寂しかったりするのは内緒だ。
「……戻らない」
『何?』
「だめだ、イライラする。疲れた、ああ夜が明けなければいいのに、ごめん暁、ごめん。ちょっと、離れていてくれると助かるな、お前の日の気配が、どうしようもなく嫌だ」
『……、わかった。夜が明ける頃、また来よう。その時に説明をしてもらう』
「うん、わかってる……」
バサリ。風を打って、【暁の君】は火山に向けて飛び去った。
あたりの嫌な感じは溶けて消えた。
しん、と夜らしい静けさを取り戻す。
まだ【夜の君】は目を覆っている。
動いてはいけない気がしてそのまま抱きついていた。
人間の気配はなかった。どうなったんだろう。何があったんだろう。
全て私のせいなのだ。
私が崖なんか登らなければ。
飛べないままだったろうけど、兄に何かあるよりずっと良かったはずだ。
「ごめんなさい」
何をするのが正解なのか、わからない。ただそれだけを告げた。
返事がないのが、つらい。
あ、やだな。なんか、泣きたい。泣くなんて意味わかんない。竜ってこんなに泣かないよ普通。私が泣く理由はないし、どこにも。
抱きついていたのを離して、こっそり手で拭う。思ったより大粒だったそれはきらりと輝きながら足元に落ちていった。
左腕、どうしたんだろうな。
そっと見ようとして、静かに離れたつもりだった。
「ちび」
呼ばれた。
続くかと待っていたが続かなかった。
とにかく左腕。
覗こうとすると、彼が半歩下がった。私から左腕を遠ざけたらしい。
表情を伺おうと見ても、覆っていてわからない。
「あ、の」
「ちび、向こう向きなさい、向こう」
「え? あ、はい」
回れ右。
相変わらず星が綺麗。
月はどこかと探したけれど見つからず。そういえば今日は月無し日だった。
おわ、あ。
後ろから腕が回った。軽く重みがかかる。
「星の気配は、落ち着く」
それはほら同じ夜の気配だからで。
私も夜は落ち着くから。
「飛べたじゃん、やったね。これで飛竜の仲間入りだ。えらいえらい」
むしろ飛べなかったらどうする気だったんだろう。
「後で飛ぶとこ見せて。ああ暁が一番なのは癪だな……」
「あの。」
「ん」
「何がありましたか」
返事は無い。
こんな【夜の君】初めてだ。
なんだか、脆い。優しい声色なのは変わらない。
「【夜の君】」
「嫌だ」
私の呼びかけは速攻の拒絶に切り捨てられた。
私も私で落ち着いて、兄なんて絶対に呼べない。
「それは嫌だと言ってる。ちび」
「いやでも、左腕、怪我しましたか」
「かもしれない」
「見せてください」
「嫌だね。治癒ぐらい自分でする」
いや、できてないじゃんか。
よくわかんないな、もう。
「今夜は、夜が優しいね。ちび。月がないから、星が綺麗だ」
思いついたように彼は言ったけど、話を変えたかったのだろうか。それほどしたくない話なんだろうか。
やっと飛ぶことを覚えた雛には考え及ばないところだ。
「そーですね」
「ちびは寝れないだろうね」
「そうなんですか?」
「星が呼んでるだろう」
言われて、改めて星を見つめる。
あ! 今あの星が呼んでる!
何てことはさすがにない。ただ、ざわざわという興奮があるだけ。
黙っていると後ろで【夜の君】が小さく笑った。
「飛びたいだろ」
飛ぶ。その一言で翼が緊張する。
多分飛びたいんだ思う。
「飛びたい」
呟くと、かすかな笑声とともに頷きが返る。
口に出すとそれは、現実味を帯びた。
飛びたい。
「竜と人、どちらが得意か」
「竜!」
勿論だった。だってあれはそのために適した身体だから。ゆっくり空に溶けるのは、どんな気持ちだろう。
了解の返事とともに、後ろで【夜の君】が溶けた。
私もそれに続いた。
ころりと話を変えられてることに気づかないほどには未熟で、そしてきっと星に呼ばれていた。
私の飛ぶ姿に『変わってる』と彼は言った。
彼は夜の闇に溶けて、私は星空に溶けているんだろう。
空の高いところ、星に近づきたくてそこを飛んでいると、『流れ星だ』と言われた。
確かにそうなのかもしれない。この飛び方があってるんだとしたら、やっぱり私は【星の竜】らしい。
興奮に浮かされ、歓喜に吠えながら飛んで見た彼の瞳は、当たり前のように夜の色を取り戻していた。
夜風を切って飛ぶ。翼の付け根も痛くないし、疲れない。
夜空を楽しみ、遠くの人里の灯りを楽しみ。
しばらく楽しんで飛んだ後、着地が出来ないことを思い出し、着地の練習。ちょっとは様になったところで、飛び降りて飛ぶんじゃダメだと指摘をされて、地面からの飛翔の練習。
そうこうしているうちに、忍び足でやってきた夜明けは、闇を退け、星を霞ませていった。
『夜が明ける』
【夜の竜】はどこか名残惜しそうに呟いて、地に降りた。私も大分様になった飛行で降りて、空を眺める。
脱力感。星が霞んで行くにつれて、満ちていたちからが抜けていくのが、なんとなくわかる。初めての経験で、満ち足りた気分だった。
♦︎♢♦︎♢♦︎
空が暁に染まった頃、約束通り【暁の君】が悠々と空を渡って来た。【夜の君】が夜に溶けるように、【暁の君】も空と同化をしていた。
ふわりと着地をすると、煌めく鱗が眩しかった。
『定刻だ。さて、気分はどうだ、【夜の君】』
私以上に眩しそうな彼は翼を広げて身体を覆い、影を作っている。
『すこぶる良くないね、朝は好まない。暁がいるからもっとヤだ。寝たい。』
『なるほど、良さそうだな。特に、朝に竜体のお前は久しぶりに見た。夜の加護を受ける竜は夜に寝ない方がいいのやもしれぬな』
そ、それは本当でしょうか。
あの時間は水泡に……?
いや、そんなことは無いはず。きっと。多分。
そして竜体のお二方が並ぶのは確かに珍しいことに気付く。
竜によって体の作りが違うのがよくわかる図だ。勉強になります。と言っても本当の姿なのかはわからない。いくらでも変えれるからね、実際。常にちからを使い続ける形になっても差し支えにない彼らだ。きっと余裕に違いない。
だって現に【夜の君】の大きさはその時々だということに気付く。本当は大きいのか小さいのか。
彼ら二人は飛竜の中でも特出して空の竜であるから、翼は大きく、飛びやすい体であるものの、がっしりとして逞しい【暁の君】と滑らかで線の細めな【夜の君】。
雄の証の頭角が無ければ、二頭が並べば体格差で雄と雌にされそうである。
【暁の君】みたく物理強そうなやつは鱗が硬くて、ちからも荒いらしい。【夜の君】は速さとちからの精密さかな。そんな枠に収まる二人じゃないでしょうけど。
……本気バトルしたらどうなるんだろ。
ちなみに【暁の君】に鬣は無い。体毛があるのは高位中の高位の証なのだそう。でもどっか他の種族の竜はみんなあるらしい。ロンとかいう、飛竜と仲悪いとこ。見たことないし、よく知らないけど。
私に鬣があるのは、……何かの間違いだと思うの。
お二方を交互に見ていたら、不意に【夜の君】が人に化けた。曰く『陽の気を竜体で浴びるのは敵わないね』と。なるほど、と私も続き、【暁の君】も続く。今の刻が本領の彼は、最早神々しいくらいで目に痛かったのでとてもありがた
い。
「説明を求める」
「はいはいわかってるよ。けれど説明と言っても、人間がいたから蹴散らしただけだけど?」
「足りない。ここに人間がいても、もとからそうなる可能性はあったし、蹴散らす必要はない。竜がいることを知られることになりかねないにもかかわらずそうした理由。そして、その人間は何処へ? 苦戦した理由は」
こんなことになったのは、全部私のせいなのだ。
そう伝えようと思って口を開けば、隣の【夜の君】にボスンと鼻面を押された。口が閉じる。
何事かと唖然としたが、特に弁明はなかった。
多分これは吠える犬を制するような感じで、喋るなということだろうなと思う。とりあずは従って、大人しく口を閉じておくことにする。
「彼等はどうやら竜がここらにいることを知っていたようだった。そして敵意があったようなので迎撃した。そして……ふあ、んー眠い、帰っていいですか」
「おい全く足りてないぞ。緊張感とかも全く」
「いやもう無理だって。朝早いし。星だって眠そうだし。今日はもう帰るー……」
名指しされてはっとなる。今寝てたかもしれない。
完全に朝になったあたりから、もう疲労とかで確かに眠い。いやでも、事の顛末を知りたいよう。いやでもものすごく眠くて今も実は意識朦朧です。
【暁の君】は呆れたように一息ついた。
そしてじとっと相手の顔を睨めつける。
二人の視線が交錯して、折れたのは【暁の君】。
「では、夕刻。――きちんと始末はつけろよ」
「はーい。心遣いに感謝。ほら、ちび、帰るよ」
私はこくりと頷いた。
もう眠くて。極め付けにふわりと首元を撫でられたのが最後。くにゃりと頭が落ちて、もうダメだと悟る。
遠くで苦笑が聞こえる。
「しょうがないから連れて帰るよ」
それだけ聞いて、ころんと意識が途絶える。
まったくもってだらしなかったと後から反省することになるであろう。
♦︎♢♦︎♢♦︎
はっと目を覚ますと、仄暗い。
光加減的に夕を過ぎた頃か?
働かない頭を振って、ぱちくりする。
ここは……どこだ?
洞窟だ。岩肌の。私のねぐらに似ているからすぐには気づかなかっけど。外の光加減の所為でなく黒い岩、そして宝石のようなものの原石もちらつく。
わーここ自分家じゃなーい。
来るのはいつぶりか。ここ兄の家です。
寝る前、えーと。えーと。あ、寝落ちしたんだ。連れ帰る発言をしてたのはたしか聞こえていたけれど、まさか自身の家に連れ帰るとは何事ですか。私のとこに放り込んでおけばよかったものを。
そしてね。なぜこの家に主人はいないのかね。
かあ、とどこからか聞き覚えのあるような、ないような大変不愉快な声が聞こえた。
烏が鳴いてる……。夕刻を、過ぎています、ね――!?
もしかして昨日の話をしに行ってるの!?
起こして欲しかった!
当事者なんだけどな!!
完全に目が覚めたので、洞窟から飛び出す。
勢い込んで忘れていたけれど、彼の寝床は断崖絶壁である。それに鬱蒼とした木々が日を遮っていて、まあなんとも彼らしい。
久しぶりに来たので忘れていたよ。
でもまあ飛べるって便利! まだちいちゃいころは乗っけてもらってたねー懐かしいねー!
くるっと一回転して、目指すはとりあえずみんないるとこ。人に真似た家が建ってる集落。多分そこにいると、いいな!
しかし昨夜できたからと言って今できるわけではなく。
うっわ飛べねー!
たった半日ほどのブランクだが。
コツを取り戻すのにしばらくかかったのは、埋葬したい思い出だ。近くに誰もいなくてよかった……。