①
誤字脱字あるよきっとあるよガクガクブルブル
目覚めると、目の前にはじっちゃんがいた。
寝起きの悪い私は、それが誰かなんて構わず、もう一度眠りにつこうと、重力に抗おうなんて無謀な真似をせず、瞼を閉じる。
「おお、これはこれは……」
じっちゃんが、年寄り相応の顔を優しくくしゃくしゃにした。
「我らの母なる【星の君】よ……、お目覚めなされ」
じっちゃんは、優しくそう言うと、こちらに手を伸ばした。それがはるか高いのは、私が寝転がっているからだろう。
私の脇の下に手が差し入れられ、あれほど居心地の良かった布団から引っ張り出される。
なにするの!と非難の声をあげようとして、吐き出されたのは黒の煌めく炎だった。喉が焼けて、むせる。
なんなんだ、と布団のある場所に目を向ける。
布団は、泥だんごを作る際の泥土によく似ていた。
じっちゃんが、周りを囲む人々になにかを告げて、観衆は喜色の声をあげた。
色とりどりの髪色に目を見開いてほんの少し意識を呼び起こす。
そして、なにやらくすぐったいような眼差しのなか、一人多分別種の視線を送ってくる、見慣れた黒髪黒目を見やる。
私のよく知る黒髪黒目とはまた違う、質良いものだった。そんな彼は底冷えするような視線を向けているのだった。例えるなら芯からくる冬の夜の冷たさだ。
私は恐怖を感じて視線を逸らした。じっちゃんの笑顔を何となく見る。怯えたせいか、尻尾がぷるりと震えた。
尻尾、が?
違和感を感じた瞬間、異なる二つの波が溶け合うように、大きな波に飲み込まれるように、私の中から多くが抜け落ちるのを感じた。
それからはあんまり覚えてないし、生まれた時のことは忘却の彼方だった。
♦︎♢♦︎♢♦︎
『やい、星の!なんでお前はそんな遅いんだ!もっと早く飛べよ!』
『うるさいな、晴の!これでもがんばってるほうだっての!』
『そんな生まれたてみたいに飛ぶやつがあるかい!』
けらけら笑って【晴の竜】は私の周りをこれ見よがしに旋回して飛び去っていった。
火竜のくせに、静竜に逆らってどうなるか、わかってんのかー!
ちなみに静竜とは、火、水、雷、土、毒等の加護を純粋に受けていない竜のことである。要するにそれら単純な奴らより複雑で強い。というはずなのであるのだけれども。
風 の 加 護 が う ま く 受 け ら れ な い !
なんなの!
なんでみんなあんなにスイスイ飛ぶわけ!!
どんなに羽ばたいても、羽を斜めにしても、真っ直ぐにしても、別々に動かしても、全然飛べない!!
辛うじて風を捕まえて、宙を舞うことくらいはできる。が、風に乗れない!
意味がわからない!
故に、広い里を一周するという飛行訓練で毎度ビリを獲得する。本来飛行の苦手な土竜が寄り道するレベル。この訓練が1日がけなのは私のため。他のみんなは昼までには着いて、ご飯食べてるんだから!
スペシャリスト【風の竜】のお兄さんにコツを聞いても、なぜわからないのかわからないという意味のわからない答えが返ってきた。
わからない者の気持ちがわからないのにスペシャリストってどういうことなんだい!!!
そういうわけでまるで蝶か蛾のように(悲しいながら限りなく蛾)舞って舞って足掻きまくって宙を進む。
これじゃ蛾にも失礼だよ。
ああ。
もう翼の付け根が痛みを訴えている。もうつかれちゃった。私は諦めて地面に降り(落ち)た。
飛竜の基本ステータスの飛行ができないなんて竜として絶望的だ。この里は飛竜しかいない。飛ばない竜もいると聞くが、生憎私は飛竜だし、翼あるし。
風を切るためのシャープな鼻先をだらしなく下げて、四足竜らしく4本の足をしっかり地につけて歩くことにした。
すると隣を疾走して行った【砂塵の竜】に、
『犬の真似かい? これまた随分と上手いじゃないか』
と野次を飛ばされ、苛立ちに任せて近くの木をなぎ倒した。
すると運悪く隣の木にぶつかってしまい、また運悪くそれがドミノ式に私の方に倒れかかってきて、飛べないししかも反応速度が遅い私は押し潰される。
内臓が出る代わりに真っ黒に煮えたぎった炎がこぼれた。もしかすると血が混じってるのかもしれない。喉が焼けて痛かった。変に潰された翼が悲鳴をあげていた。
けれど悲鳴をあげてはならない。
それは悲しくもこれ以上【星の竜】の評価を下げないため。私なんかがかの伝説の【星の竜】だなんて私ですら信じないのに、そうらしいのだ。
煌めく黒い炎と、輝く鬣と、夜空の鱗と、もう私の身体の全てが【星の竜】を肯定する。ああ、少しくらいまがい物らしい欠陥とか、あったらマシだったかな。
さて、どう脱しようかなあ、燃やそうかなあ。
星の炎は、例え火の加護がそっぽを向いても素晴らしい底力を持つので、下手な火竜より強い、らしいのでみずみずしい木でさえ炭にすることが可能だ。けれど火の加護が火力の調節を出来ないようにした。
里を燃やすわけにはいかなかった。
あと私に残されたのは、きっとすぐ来るであろう助けを待つばかり。悔しくて涙がこぼれた。涙は地に落ちて綺麗な石に変わった。【星の竜】の素晴らしき特徴らしい。そんなもの、あっても泣いた情けない証拠になるだけで、いらなかった。泣くもんか。食いしばって一粒こぼれた。
頭上から、待っていた声と違う、皮肉げな声がかけられる。
『おやおや、大丈夫かな【星の君】』
『あい、れん…の』
【愛憐の竜】。彼は、慈愛の木竜だ。自然の加護ならお手の物だった。第一【星の君】なんて呼ぶの、こいつくらいだ。
尊ぶべきお方は、竜と呼ばず君とお呼びする。
呼ばれるのは長と若君と、それくらいだが、私みたいな伝説の種族もそう呼ばれる。ちなみに子供は大抵の成竜を君と呼ぶ。
私も昔はそう呼ばれてた。17年竜で生きて、最初の5年はかろうじて呼ばれていた気がする。
特に、人に初めて化ける所あたり。15年前かな。
人に化けて人のすることを真似るのは、私以上に得意な竜はほとんどいなかった。特に同世代には全く。
けれど、そんなの何になろう。私は竜で、人じゃないんだから。人だとしたら当然の動きができるだけで、人としても誇るに足らず。
つまるところ、私に君なんて呼ばれる資格はなかった。
だから、呼ばないで欲しかった。
惨めな姿だって見られたくないし。早くどっかいってよ。
『【星の君】、その木をどかしてあげようか。いや、別にいいかな。木竜の助けなどかえって貴女の邪魔になるでしょうな。どうすればいいかな』
本当に君と呼ぶほど尊敬してるなら、こんな口利かねーだろーが!
私が反撃に破壊である炎でも吐けば、自然の加護の木竜はひとたまりもない。けれどそれができないのを知ってるからこう言う。
誰よりも早く進めるのに、後ろからゆっくり来るのは、私の惨めな姿を見ることを楽しみにしているからに違いないのだ。だって彼以外見たはずのないことで馬鹿にされることがあるから。
慈愛の竜なんて称号、燃やしちまえ!
頭上なので睨むことすらままならない。
憤って身体に力を込めると翼が本当に悲鳴をあげて潰れた。
さすがにこれには我慢ならなかった。
絹を裂くような悲鳴をあげて、挙句、星の炎を撒き散らしてしまった。
ふと我に返って見ると、残ったのは一面の業火と炭と灰と、ひしゃげて泣きたくなるほど痛い右の翼のみ。【愛憐の竜】はとっくに逃げたらしい。死骸が無いもの。
ああ、泣いてもいいかな。泣いてもいいよね。
いや、ダメだって。なんで泣くのさ。
涙って自分が可哀想で流すんだって、どっかで聞いた。私は自分を可哀想だとは思いたくなかった。
それで泣き喚くことは、ぎりぎりで避けてきた。
もうつらいよ。
私は【星の竜】。火竜たちと違って、両親を持たず生まれる。兄弟なんていないし、卵じゃなくて土から生まれた。
ここで泣いて助けを呼ぶ相手もいなくて。
座り込んでいると、遠くから風を切る音が聞こえてきた。好きな音だった。空を見上げると、夜の帳が半ば下りている。星が見えて、目を背けそうになる。
でも、呼ぶ相手なら一人いたかなあ……。
『星の、いるかい?』
【夜の君】。本来私なんか、一番に捨て置くはずの、若君だ。次期竜王だ。そしてただ彼だけが私に優しい。
私は赤子のようにぴいとちいちゃく鳴いた。
『そこだね』
聞こえなければいいのに、と思って小さく鳴いたけれど、聞いてくれるんだもんねえ……。
風が鳴いて、近くに大きな気配が降りる。
本来火に負けるはずの風は、熱風とならず、冷たく心地いい。ーー夜風だった。
火が負けて、消え飛んだ。あとは燻るばかり。
私の何倍も大きいのに、足音は夜そのものに静か。まさしく静竜。
『ごめんなさい、【夜の君】。また、できませんでした』
情けなくて顔を上げられない。
『星の。謝罪は目を見ていうものだ』
咎める声は、優しい。
ちらりと伺い見る。私の右隣、翼を畳んだ漆黒の竜が座る。輪郭は夜に溶けて、燻る火の明かりもその黒を現すことは許されない。そんな、黒。
『……ごめんなさい』
真っ直ぐ見れたわけじゃないけど、百点なんて貰えないけど、それでも彼は優しく頷いた。『許す』と。
『さて、おちびさん。【夜の君】、だなんて随分と他人行儀だね?』
私はいつも彼を兄と呼んでいた。彼はそんな私をちびと呼んだ。
幼い頃の【星の君】だった私に許された彼を呼ぶ言葉。今の私に呼ぶ資格なんてあるものか。私が初めて呼ぶのをやめたのはいつだったか。あのときの彼の瞳は忘れられない。それから毎度のように、このやりとりをする。
何を返していいか、私は押し黙る。
彼は急に翼を広げた。びくりと身体が跳ねる。ひしゃげた翼に力が加わった。思わず呻く。
ただ彼は残った火を消しただけだった。
『……ばかだね星の。困ったら呼べって言ったよね。その翼で飛べるの?』
呼べるわけないじゃん!
次期竜王とうたわれる、【夜の君】を、軽々しく。
そして、そんなことを言えるはずなく。
『ごめんなさい』
うつむいて謝るばかり。ついさっき、目を見て謝罪をするものと注意をされたばかりなのに、また俯いた。つのる罪悪感。
『【星の君】』
反射的に彼の顔を見た。
彼がそこに触れてくるとは、思わなかったからだ。
『そんなに嫌かい、これ』
夜の瞳に当てられて、とっさに視線を落とした。
『……とにかく帰ろうか。大丈夫、里に被害は出てないから』
彼が傾けた背に乗るのは気が引けた。
『こら早く。早く帰らないと私が暁に怒られるからさ』
そう言って、置いて帰らないのは彼の優しさだろう。
『ごめんなさい』
『謝ったら追放』
ちょっと冗談きついよ。
私は痛む翼をおして、申し訳なさそうに背に乗ったけれど、本当はどうしようもなく嬉しい。
『お腹空いただろう、何が食べたい?』
そう言って彼は翼を広げ、羽ばたいた。この時ばかりは、風が強く鳴く。その声に隠れて、私は小さく兄と呼んだけれど、聞こえてないといいなあ。
あとちょっと泣いたけど、別に自分のことは可哀想だとは思ってないからね。
【夜の君】は、背に星を載せて、夜の闇に溶けていった。それは一つの流れ星にも見えた。
♦︎♢♦︎♢♦︎
「なぜ報告を怠ったのだ!」
帰ると、私と同世代の子竜たち、取り分け、下敷きになった私を目撃しただろう子達が集められていた。
【暁の君】の怒声が響く。人に化けていても、彼は恐ろしい。
私は翼が障るので、人化は後回し。隣で、私を下ろした【夜の君】が溶けるようして人に化けた。
竜の私は、座っていて人の彼の胸部あたりの大きさしかない。私の世代でこんなに小さいのは珍しいを通り越して異常なんだとか。
「ものすごく痛いけど、我慢してね」
【夜の君】の声がかかって、身構える前に痛みが襲った。呻き声すらあげなかったことを褒めて欲しい。
ひしゃげた翼はそのままにするとそのまんま治って飛べなくなるので、力技で戻してから治癒術だ。
「よく鳴かなかったね。こういうの泣き叫ぶ子は多いからさ、えらいえらい」
痛かった。あと褒めてもらえた。我慢した甲斐があったね。
【夜の君】は治癒も使える。だって全知全能のトップ竜王になる方だからさ。当たり前なんだけど、実は同じ分類の私(なんかと比べるのはおかしいけど)はなんもできないから。更にすごいと思うというか。私からしたらみんなすごいんだけどね。ちなみに治癒が本領なのは雷を友とするヤツら。
治療の間に、説教は終わりを見せた。
【暁の君】のは正しいことを簡潔に言う。わかりやすい反面、圧力強い。
【暁の君】は堂々たる面持ちでこちらに来た。
怒ってなくてもなんか恐いのが特徴。こんなこと口が裂けても言えないぞ。
「やあ暁、お疲れさん」
「戯言を。おい星の、遅れを取っている。怪我があるなら雷竜に頼めばよかろう」
怒りは真っ直ぐ私に向いていた。
『ご、ごめんなさっ』
「まあまあまあ、暁さーん。そう恐い顔を子供らに向けないであげてよ」
「顔は生まれつきだ」
「はいはい、知ってる。治癒ぐらい私もできるからさ」
咎める目線で私を刺しておいて、【暁の君】は折れた。別に私が遅れても、待つ家族もいないことに気づいたのかもしれない。
「まあ、いいだろう。しかし今夜は会談がある。【夜の君】はくれぐれも遅れぬようにとのことだ」
「欠席はできる?」
「わかりきってることを聞くな」
そう言い残して、【暁の君】は去っていった。
「いつもだけど、暁はああいうやつだから、何も怯えたりはしなくていいんだよ、星の。」
私は項垂れるばかり。私が悪いのに変わりはないし、そして明日はきっといつになく周りの子は私を嫌がるんだろつなと思うと、鬱々ともなる。
どうすればいいのか、わからないな……。
とりあえず次世代の長たる彼に欠席はいけないですよと釘をさすと、ちょっと寂しそうにされた。
夜の帳は下りきっている。
少しと待たずに彼は会談とやらに行ったしまった。
本来私に構う必要はないのに。「ごめん待ってて」と言って翼だけ出して飛んで行った。人化しながら翼を出すの、私は苦手なんだよなー。竜で飛べないから挑戦してないけど。だって唯一得意な人化で惨めとか笑えない。
私がちょっと工夫してため息をつくと、煙が円を描く。
それを追って空を見上げると満天の星空。
きっと空を飛べでもしたら、私もあそこに溶けるんだろうか。兄のように空に溶けるのは、きっと気持ちが良さそうだ。
思えば今は誰もいなかった。
子供のうちは夜はきちんと寝ないと加護が十分に受けられないと聞いて、夜の分類の私が夜の加護を受けられないと本当に笑えないからいつも早め早めに寝ていた。
疲れていたし。
しかし、今回は治癒術のおかげか、疲れと呼べるものは見当たらない。翼が訴えるように痛いが、子竜の自己治癒力舐めんな。特に今は私の本領のはずだった。
暇を持て余して放り出した後ろ足をニギニギしていると、私には脚があることを思い出す。
私の里は、活火山の裏、そしてその周りの樹海一体だ。崖や谷なんてわんさかあるし、私たちのねぐらは、活火山とか岩肌に作った穴とか木のうろとか、そこだ。
あとは村に扮してポツリポツリと簡素な家が建つが、我々に寝具は必要ない。岩の褥に抱かれ夜をかけて風を子守唄にする。
そんな夜だ。ご飯を済ませた子竜は寝るところだろうし、成竜は会談だろうし。
今は誰も咎める者も馬鹿にする奴らもいない。
練習、しよう。
タッと音を立てて立ち上がる。一応四足竜だ、二足より駆けることは得意なはずだ。
あそこの崖まで。崖から飛び降りてみようと思う。バンジージャンプ。ジャンプじゃなくて跳ぶんじゃなくて、飛ぶ。風に乗るイメージが欲しい。飛べない竜が崖からの飛行は自殺行為だとさせてくれなかったけど、そんなこと言ってられないくらい切羽詰ってるのは重々承知だし。
だって飛べない飛竜なんていないから、きっと成竜の儀を超えられないで死ぬんだろう。死というのは知らないけど、私に恐怖を与えた。
やるっきゃない。ないのだ。
向こうは人里から入ってこれる場所だから竜は住まないし、人が来ると言っても凶暴な獣の住処である樹海を超える奴らは滅多にいない。
いこう、と決めてみると、空の星は私を歓迎してるように思えた。
あの星に近づいてみよう。
私は空腹も忘れて一歩歩き出した。
なにより、夜風が私を押している気がした。