羊達が黙る時
食べるという行為を、どう解釈するか。
これは、当然ながら人によって異なってくると思う。
食欲を満たすための単純な生命活動か。
生きるための栄養補給と割り切るか。
自身を自然の一部に見立て、そのサイクルを感じる信仰に近い概念か。
味を楽しみ、食を楽しむという、娯楽的。または快楽的な側面か。
他にも色々あるかもしれないが、僕程度が思い浮かぶのはこれくらい。かく言う僕がどれに当てはまるかと聞かれれば、どれもうっすらと該当する。としか言えないだろう。
三大欲求は人並みに持っていると自負しているので、食欲の為に食事はする。
それが栄養補給だとは分かりきっている事だし、たとえば野外でバーベキューなんてした日には、大自然を感じることだってあるだろう。
旅先で有名な食べ物が出れば、その味やらを楽しむ感性だって持ち合わせている。つまるところ、僕はどこにでもいる在り来たりな人間なのだ。
では、そんな僕が何故こんなエセ哲学じみた事に頭を悩ませているかといえば……。それは、本日味わった恐怖体験が三割程。残りの七割は、今まさに僕が陥っている現状が由来する。
現時刻は夜中の二時。場所はサークルの相棒が借りているマンションの一室だ。
外食いかない? 夏だし焼き肉にしよう。何て謎の流れで、相棒に連れられて、それなりな値段のお店に入ったのが七時間前。
サークル活動特有の怪談プラス恐怖体験で、思わず背筋が凍ったのが六時間前。
ほんの細やかな理由で、相棒の部屋に泊まることになったのが五時間前。
相棒の部屋に着き、シャワーを借りたり、何だかんだの後に二人でベッドに入ったのが二時間前。
で、浅い眠りの後に結局目が覚めて。今に至る訳だが……。
「んっ……」
すぐ目の前で、悩ましげな声がする。何度か瞬きすれば、途端に視界がクリアになった。
それなりに夜目が利くとはいえども、照明が落とされた暗い部屋の全貌は確認できない。というか、そもそも僕は今、窓の傍に配置されたベッドにて、その窓側を向いて横になっているのだ。背後など見れる筈もなかった。
僕が認識出来るのは、網戸にしている窓のすきま風。静かに揺らめく薄紫のカーテンと、そこからぼんやりと漏れる月明かり。そして……。
何故か僕の腕を枕として引っ張り出し。スヤスヤと眠る相棒の姿だった。
肩ほどまでの緩めにウェーブがかかった亜麻色の髪は、月の光を反射して、幻想的に輝いている。それは、ビスクドールを思わせる白い肌も同じ。ここまで月が映える容姿は、日本人離れを通り越して何処と無く浮世離れした妖精を思わせる。
この女性こそ、僕のサークルの相棒、メリーである。
因みにメリーとは彼女自らがとある都市伝説にあやかり、名乗っている名前であり、本名はまた別にある。
シェリーで始まり、やたら長い挙げ句、途中で日本姓も入る、色んな意味で壮大な名前なのだが、当の本人は誰に対しても本名では名乗らない。ので、一応僕もそれについては閉口しよう。
閑話休題。今まさにそんな美人さんが僕の腕枕で寝ている訳だが、僕から出る言葉はただ一つ。
「……どうしてこうなった」
思わずそんな呟きが漏れる。
少なくとも僕らは、互いに背中合わせで眠った筈だった。なのに、たった二時間寝て起きたらこうなっている。今に始まった事ではないと流すにしても、付き合っている訳でもない男女がこれは、些か問題があるような無いような……。まぁいい。
現実逃避のエセ哲学もネタが尽き、最早思考停止してこのまま寝直そうか。何て思い始めていた頃。
不意にゆっくりと、メリーの瞼が開かれた。
宝石を思わせる綺麗な青紫の瞳が、至近距離から僕を見つめる。多分互いに無表情になっているんだろうな。何て思いながら、さてどう声を掛けようかと迷っていると、メリーはいつものように顔を綻ばせ。
「私、メリーさん。今、貴方の腕の中にいるの」
御約束と言うように、己が掲げた名を。それを連想させる口上を述べた。
都市伝説……彼女が語る名前のお話と同じように、今回の件はそれに該当するのだろうか。そんな事を思う。
何とも言えないけれど……。ただ、言えることは一つ。
世の中には、知らなくてもいいことが。蓋をして見なかった事にした方がいい物が、確かに存在するのだ。
「あの、無反応だと私も対応に困るんだけど。というか、今この状況すら少し混乱してるんだけれど」
考え事をし、沈黙していた僕に何を思ったか、メリーは困ったようにはにかむ。
口上には、照れも含まれていたらしい。光源が月明かりのみだからよく見えないけど、その白い頬には、もしかしたら赤みが差してるのかも。そんな想像をしたら、急に気恥ずかしくなってきたので、一応弁明を述べておこう。
「因みに僕が起きた時からこうなってたんだ。だから僕が腕を差し出して君を乗せたのか。君が僕の腕を引っ張り出したのかは謎だよ」
「前も似たような事があった気がするけど……まぁいいわ。おはよって言うには、まだ早いかしらね」
結局僕の腕から頭を離さないまま、メリーはそう呟く。「夜中の二時ちょっと過ぎだよ」と、教えれば「ワオ。丑三つ時ね。出来すぎだわ」と、おどけたように笑う。その笑みが、少し前に見たものと重なり、少しだけゾクリとする。そんな僕を知ってか知らずか。メリーは目を細めながら、僕の顔を覗きこんだ。
「……眠れないの?」
「わりと。誰かさんが随分と怖がらせてくれたからね。でもまぁ、今こうして考えてみると、冷静に受け止めている自分がいるんだ。出来もしない考察も交えてね」
僕がそう答えると、メリーは「ふぅん」と、間延びした声を上げながら、そっと手を伸ばす。白くて細い指が、僕の頬に触れ、落書きでもするように動き始める。
「〝自分がどこへ向かってるのか見ることの出来るのが昼です。ベッドに横たわって心配することの出来るのが夜です〟……柄にもなく、怖くなっていた自分がいたの。今回の検証で、貴方が私の事を嫌いになっちゃうんじゃないかな? ってね」
「……『スヌーピー』の、サリーの台詞だっけ? てか僕が君を嫌うって? なかなか面白い冗談を言うね」
僕がせせら笑うと、メリーがムッとした顔になる。「スヌーピーはあくまでキャラクター名よ。作品名じゃないわ」何て的外れな反論つきで。可愛い。と、少しだけ思ってしまった。
「〝眠れぬ夜こそ、神が与え給もうた貴重な時間である〟だから僕は、色々あってもここにいる。というか、何かと変な目に遭うのも今更だろうに」
「……カール・ヒルティね。考える時間があった……そういうこと?」
「そういうこと。そして考えるまでもなかったって結論に達したのさ。だから心配は無用だよ」
実際に背筋が凍るような思いもした。
洒落にならないなぁとも感じる。
けど、僕が彼女とこうして相棒である事には何ら影響を及ぼさない。
恐怖体験、心霊・怪奇現象などが来るならば大歓迎。何故ならば……。
「渡リ烏倶楽部の今回の活動報告は、怪物とのニアミスでした……。今迄のパターンからして、忘れた頃にまたニュースに出て来て、思わずブルッとするのかな?」
メリーの亜麻色の髪にそっと触れながら、僕は肩を竦める。そんな僕を見るメリーもまた、いつもの調子を取り戻したらしい。さっき一瞬見せたしおらしさは成りを潜め、クスクスと忍び笑いを漏らした。
せっかくだ。こうして笑えているうちに語っておくとしよう。つい数時間前の出来事を。
これは、大学非公認のオカルトサークル。渡リ烏倶楽部。その活動の最中に起きた……少し怖い話である。
※
言うなら今だと思うので、この辺でカミングアウトさせて貰おう。
僕こと滝沢辰は、幽霊が視える。
もっと正確に言えば、この世にあらざるものが視えるのだ。
荒唐無稽な話に思えるだろうか? けど、実際に小さい頃からそうだった。
お葬式では、御本人が視えて。
墓場ではよく幽霊に挨拶されて。
事故現場では、恨みや未練を残した霊を目撃する。
世間でいう妖怪と思われるものにも会った事もあるし、極めつけはテケテケと踏み切りが上がるまでの間、雑談したことすらある。
僕にとっての救いは、こういった事象が日常茶飯事ではなかった事に尽きるだろうか。日常茶飯事だったら……。多分人としてまともな社会活動は送れなかったに違いない。
だが、救いは同時に、呪いにもなった。適度な非日常。それは、何も知り得なかった僕にとっては、ただ興味が惹かれる、冒険の扉のようなものになってしまったのである。
以来僕は今日に至るまで、フラッと色々な所を訪れては、奇妙な体験をして帰って来ているという訳だ。
見えないのが普通。では、それが見えてしまう僕は何者なのか。それを知るのが、僕が奇妙な体験と平行するように、幾度も危険な目にあって尚、長いこと探索を続けている理由の一つである。
……単に僕がオカルト大好きという、わりと俗っぽい理由もあるのだけれど。いや、寧ろ大部分がそれだけども。
でなければ、メリーと一緒にオカルトサークルなんて立ち上げない。それは、僕が僕である為に必要な事であるからと言っても過言ではないのである。
幽霊や、この世に存在するありとあらゆる怪異。不思議。超常現象。都市伝説を調査し、暴き、追い追われ。それが、僕たち『渡リ烏倶楽部』だ。
……変なサークル名だと思う。
これはメリーの謎センスである。
りがカタカナなのがポイントらしい。……メリーの感性は、時々よく分からない。
同じオカルト狂いの変態で、気の合う相棒でも、彼女にはよく意表を突かれたり、背筋を寒くさせられるのはご愛敬なのだ。
メンバーは二人。
幽霊やらを視れて。それらの存在や領域に干渉・侵入出来てしまう僕。
幽霊やらを視れて。それらの存在や領域を無差別に観測してしまうメリー。
大雑把に言ってしまえば、メリーが手掛かりを受信。二人で探し、現場を見つけたら調査。必要あらば僕が干渉する。この無駄に高いシナジーを利用して、僕らはありとあらゆる非日常に触れているのだ。
サークル立ち上げの発端は、そこそこ長いのでここでは割愛しよう。
因みに本日の活動は……。
「カルビと、砂肝に……あと野菜セット。取り敢えずこれで。貴方は?」
「僕もカルビ。それから肩ロースに豚トロかな」
「かしこまりました~」
ポニーテールの女店員さんが、パタパタとかけていく。カラーコンタクトでもしているのだろうか。特徴的な目色だった。
因みにただいま外食なう。怪奇? 何それ美味しいの?
……冗談はさておき、本日は活動とは名ばかりの、純粋なブレイクタイムとして、僕はメリーと共に焼肉屋を訪れていた。オカルトサークルだからといって、年中変なものを追い掛け回している訳ではないのである。
追加注文を終え、僕らはテーブルのお皿に残された残りの肉を網の上に乗せていく。
ジュウジュウという音と共に、食欲をそそる脂の匂いが立ち上った。ハラミと牛タンだ。どっちが頼んだとかは特に気にせず。乗せてつついて、思い出したように相手に勧める。そんなスタイルだ。
「お肉って、羊が一番美味しいと思うんだ」
「羊で一括りなんて、随分と大雑把ね。てか、羊なんて焼肉屋に無いわよ普通」
「そうなんだよ。悲しいことにね。ジンギスカンも、ラムも好きなんだけどなぁ……。あ、牛タンどう?」
「……遠慮しておくわ。唯一食べられない肉なのよね」
「へぇ? 何でまた?」
僕がそう問えば、メリーは「え? 言っていいの?」といった顔になる。「あまり気にしないからどうぞ」と、僕が牛タンに塩コショウをまぶしながら続きを促すと、メリーはおずおずと遠慮がちに口を開いて。
「上手く噛みきれないってのもあるし……何か牛とディープキスしてるみたいで……」
「お、おう……」
予想以上にヘヴィな答えが帰って来た。正直そう来たか。と思いつつ、今更食べるのを止めるのもあれだから、そのまま口に入れる。それを見たメリーは、ホッとしたかのように息を吐いた。
でも、何だろう。どうにも顔色が悪いように見える。
「よかったわ。食べる気なくされたら、罪悪感がちょっと芽生えそうだったもの」
「気にしたってしょうがないじゃないか。……寧ろ、焼き肉でよかったの? 何かメリー、元気ないよ?」
「……そうかしら? そこまで体調は悪くないけど」
健康と元気は違うんだけど。とは言わない。ただ、少しだけ言葉に詰まったのが見て取れた。無理に聞くべきか否か迷いながらも、手を差し伸べられるなら差し伸べるべきだろうか。何て思うので。
「〝夜の中を歩み通すときに助けになるものは、橋でも翼でもなくて、友の足音〟らしいよ? 僕は助けになれるだろうか?」
「ヴァルター・ベンヤミンね。でも友の足音だけじゃ、不安だわ。暗いんだもの。隣にいるのは本当に貴方か、否か」
「……手でも繋ごうか? 今なら懐中電灯も買ってくるよ?」
「……〝男女の間では友情は不可能だ。情熱と敵意と崇拝と愛はあるが、友情はない〟貴方といると、たまにこの言葉が真実にも真逆にも思えるわ」
「オスカー・ワイルドだね。……なんでまた?」
「全部該当するんだもの」
おいちょっと待て我が相棒よ。君は僕に敵意なんて抱くのか。
僕がひきつった顔を見せていると、メリーはため息をつきながら。
「敵意というより、ささやかなムカつき? いくじなし~とか、ヘタレ~とか」
「近年稀に見るほど僕は傷付いたぞ」
「ささやかな。よ。本気にしないで。友情とか、愛情とか……そっちの方が大きいわ」
互いに冗談を飛ばし合うのはいつものこと。そんな事をしているうちに、メリーは少しだけ顔を伏せ、「最近寝不足なのよ」と、本音を呟いた。
寝不足ね……。ジェットコースターで居眠り出来る彼女がそうなるなんて珍しいと思う。
結局どう返すべきか迷い、僕がヒュー。と、下手くそな口笛を吹いた所で会話が途切れる。
たまにある沈黙。苦痛じゃないそれは、互いにワンクッション置こうという暗黙の了解なので、僕はそのまま、それ以上の追求は打ち切った。
「まぁ、私の睡眠事情は置いときましょう。外食中になんだけど……ちょっと面白い話があるの。オカルトサークルらしく、怪談よ。聞いてくれない?」
そのままお皿の肉を食べつくし、互いに休憩を取っていた頃。不意にメリーが再び口を開く。何事かとそちらに目を向けると、彼女はバックからタブレットを取り出していた。
「……君がタブレットを取り出す時って、大抵ロクでもない情報が飛び出して来るんだけど?」
「そんな事ナイワヨー。今回はそう……ただの死体損壊遺棄事件の話よ」
「……ワオ」
オカルトサークル何てやってると、この手の情報は結構仕入れたりするが……。今回もまた凄いのが飛び出して来たものだ。そう思いながら、僕はメリーからタブレットを受けとる。ディスプレイには、つい最近に起きた連続殺人事件のニュース……。その一幕が載せられていた。
「二駅位隣だっけ? 確か犠牲者は今三人で……あとは詳しくは知らないけど」
「そ。しかも知ってる? この事件の最初の被害者ってね。未だに身元不明なの」
「……は?」
青天の霹靂のように、その言葉が僕の脳を揺らす。死体が出てるのに、それが誰か分からない? どういう事だ?
僕の不思議そうな顔を見て取ったのか、メリーは楽しげに笑う。
「一応警察は猟奇殺人って話にしてるみたいだけど……私から言わせれば、あれは最早変死体ね」
曰く。最初の被害者は女性。見つかったのは寂れた街角の路地裏だったそうだ。
死体は損傷が物凄く、頭は丸々なくなって、未だに見つからず。胴体の方も、全身殆どの肉が抉りとられていた上に、内臓の一部も持ち去られていたという。また、以降の事件における被害者達も、頭を持ち去られた以外はほとんど同じような殺され方だったとのこと。
「皆野外で殺されてるけど、ここまで死体を破壊しつくすだなんて、手際が良過ぎるわよね」
「……お、おぅ」
ジュワジュワと、周囲でお客さんが思い思いに肉を焼いているのが、嫌でも目に入る。牛や豚の色んなお肉が、実に濃厚な香りを立てて焼けていた。
隣の席に座る家族は、一家でホルモン焼きと一緒にお肉をつついている。「不思議な食感~」何て、呑気に笑う小学生の男の子とその両親。……多分僕らの会話は聞こえていないだろう。幸運な事に。
「しかもね。これは警察が多分意図的に隠したんだろうけど……死体の傷口がね。特殊だったの」
「……まさか何かに食いちぎられたような傷だった……なんてベターな展開じゃないよね?」
「あら、その通りよ」
「……マジですか」
僕が思わず「うげー」といった顔をすると、メリーは唇に指を当てて、静かに。何てジェスチャーを見せた。まぁ、こういう場所でこういう話題なら、声を潜めた方がいいだろう。
何の気なしに周りの人を窺うが、誰もが自分達の食卓に夢中だった。こういう時、都会の無関心さは素晴らしいと思う。
「最初の死体が身元不明かぁ……。まさか、他のに比べたらあまりにも損傷が酷くて?」
「それもあるのかも。ねぇ、理論上証拠が残らない殺人って何だと思う? 私はね。全部まるごと食べちゃえばいいと思うのよ」
ついでに言うなら、理論上とは素晴らしいと思う。けど、実際はそうもいかないだろう。人が人一人を食べるなんて、出来るわけが……。あ。
「犬とか……狼に、傷口を潰させたとか、どう?」
「……犬は分かるけど、狼は無理でしょ。どっから出てきたのよ」
「あー、ごめん。純粋な奴じゃなくってさ。犬と狼の混血で……ウルフドックだっけ? 先輩の知り合いが飼ってるって聞いたよ。躾を間違えれば、とんでもなく狂暴になるとか。……いや、流石にそれはバカな予想か」
自分で言っていて、突飛すぎると判断し、すぐに考えを引き下げる。でも、獣に喰らわせるってのはいい線だとは思う。だってそれならば、凶器の特定だって不可能に出来るのだから。
タイトルは忘れたけど、昔読んだ小説にそんな展開があった気がする。僕がそう言うと、メリーもまた、「面白い理屈ね」何ていいながら微笑んだ。
「確かにその方法なら死体を身元不明に。よしんば特定を遅らせる事が出来るかもしれないわ。人間が獣を連れてきて、死体を破壊。でもね……それだとおかしな事にならない?」
「おかしな事?」
首を傾げる僕に、メリーはうん。と小さく頷いて。
「だって人が一人消えているのよ。なのに周りから行方不明の届けも出ない。既に行方不明の人と、死体の共通点もなし」
「……ホームレスが襲われたのかも」
「死体の服は、ズタズタにされてはいたけど、結構な高級品だったわ。羽振りのいいホームレスなんているかしら?」
「むぅ、それもそうか。なら……ん?」
思い描いた想像を尽く潰されているうちに、僕はふと、妙な違和感に気がついた。何だろう。何か見落としているような……。ちょっと会話を振り返ってみよう。
『私から言わせれば』
『警察が多分意図的に隠した』
『結構な高級品だったわ』
「……ねぇ、メリー。どうして君は、まるで現場を見てきたかのように話すんだい?」
気づいてしまったら、口に出さずにはいられなかった。それと同時に、僕の中で一つの確信が生まれる。恐らく彼女は……。
「あら、ようやく察してくれたの?」
青紫の瞳を爛々と輝かせ、彼女はチロリと舌なめずりする。それだけで、僕は全てを理解した。
渡リ烏倶楽部の活動が始まるのはいつも唐突だけど、そのきっかけは大きく分ければ二つ。
一つはメリーの受信。
本人は感覚とかお化けレーダーと言い張る白昼夢もどきによって、彼女は幽霊やオカルトの現象を感じ、視界に収めうる。これが活動のきっかけになるパターン。
もう一つは、僕か彼女の思い付きによる曖昧な興味によって、調査対象や活動方針を決めるパターン。
今回はどうにも前者らしい。
「見たんだね? 事故現場を。あるいは殺害現場を。しかも君の素敵な脳細胞と視神経で捉えたってことは……」
「感覚って言ってってば。実際に脳で認識しているのか、目で見ているのか曖昧なのよ?」
そう言って肩を竦めながら、メリーは己の上瞼に指を触れる。何処と無く憂いを含んだ表情だった。
「ええ。犯人はオカルト柄み。犯人は人間でも……多分獣とも違うものだった」
「……いきなりぶっとんだね。じゃあ、人食い植物とかな?」
僕が苦笑いを浮かべると、メリーは頷く事でそれを肯定する。
「見えたのは……熊だったわ」
「……熊?」
それは獣じゃないの? と言いたげな僕を手で制して、メリーは話を続ける。
「赤い目をした、真っ黒な熊だったわ。それが、顔は見えないけど女の人にのしかかっていた。ボリッポリッと、骨を噛み砕く音。そこから、クチュクチュって、口吻で内臓を掻き分けるような音がして……次の瞬間、霞みたいにその熊は消えてしまったわ。代わりにそこに現れたのは、血塗れで、全裸の、赤い目をした女の人」
「…………つかぬことを聞くけど、最初の犠牲者以外の身元は、皆判明してるんだよね?」
「ええ。顔写真もバッチリ」
「熊がいた場所に突然現れた人の見た目は? 被害者の中にいた?」
「どれにも該当しなかったわ」
少しずつ。何が起きているか見えてきた。にわかには信じがたいそれはつまるところ、人の血肉を喰らい、その皮を被った怪物が、今街を闊歩している事に他ならない。
「……熊人間とは、出来の悪い三流のSFみたいだ。食べて人になるなんて、どんな奇跡なのさ」
「私に言わないでよ。〝奇跡は起こらないようでよく起こる〟こうして出てきているんだもの。認めざるを得ないわ」
「メン・イン・ブラック、三部作目だね。奇跡の連続が過去であり、今であり、未来である……と。まぁ、君の受信で見た以上、真実なのは疑いようがないか」
メリーの見た白昼夢は、今のところ確認できたものは全て現実で起きている。つまり、今巷を騒がせる殺人事件の真実がこれという事になる。
……こんなのが彷徨いているなら、どう対処しろというのか。僕とて霊感があるし、幽霊に触れ、干渉する位は出来るものの、エイリアンはわりとどうにもならない。「怖いなぁ」何てコメントすると、メリーは少しだけ目を伏せ、今は多分大丈夫よ。と呟いた
「熊さんは……充分な蓄えを得たみたいだし」
「……どういう意味」
僕が首を傾げると、いつの間に注文したのだろうか。メリーの傍にワインボトルが置かれていた。……焼肉屋でワインですか、我が相棒よ。
「飲む? 私の奢りよ?」
「きゃーメリーカッコイイー。僕もお金出すね。……頂くよ」
ジョークも程々に、真っ赤な酒を満たしたグラスをカチンと触れあわせてから、一口煽る。……意外と焼肉と合うかもしれない。
「で、蓄えって?」
「……熊の習性って知ってる? 彼らは、食べ残しはしないの。ちゃんと後で食べれるように、取っておくんですって。見ちゃったのよ。人間の姿を借りた熊人間さんが、人を食い殺した後……残ったお肉を隠す所。大きな冷蔵庫に入れてたわ」
ヒヤリと。背中が冷たくなった。それと同時に、メリーが顔色が悪い理由も何となく分かった気がした。
「……どうして、肉なんて食べようと?」
「ここ数週間。そればかり見えるのよ。寝てるとき。お風呂に入ってる時。……食事をしてるとき。受信は本当に突然だから、逃げられないし。……ぶっちゃけた話、グロテスクなのにはもう慣れてるけど、毎回食事シーンを見せられると、流石に気が滅入りそうよ」
それは……確かに嫌すぎる。それにその状況……。まるで犠牲者になった霊の無念が、メリーに叩きつけられているように思えてしまう。見つけて。見つけて……。といった具合に。
僕が何の気なしにそんな推測を述べると、メリーはグラスを置き、不意にフフフ……。と、肩を震わせ始めた。
顔は伏せられて、その表情は見えない。急な変貌に、僕は思わず唾を飲み込みながらも、恐る恐る「メリー?」と、呼び掛ける。
彼女は……笑っていた。
「……素敵。私と全く同じ答えに辿り着いたわね。やっぱり貴方に話してよかったわ」
「お互い霊媒体質だと苦労するね。……でも、そこから肉を食べる気になる思考だけは、理解できないよ。何でそんな無茶を……」
「あら。意味ならあるわよ?」
そう言って、メリーは青紫の瞳を細める。蠱惑的な表情のまま、これまたいつのまにか届いていた、追加注文された肉を網の上に並べていく。そして……。
「寧ろ、このお店じゃなきゃ、いけなかったのよね」
そんな事を宣った。
その瞬間、僕の心は、途端に静寂に包まれた。
彼女が言った事を、再び頭の中で並べていく。熊は、肉を何処かに隠している。
冷蔵庫? 自宅の冷蔵庫に? いや……。
「……ねぇ、その冷蔵庫って……他に何が入ってたんだい?」
「お肉が沢山よ。木を隠すなら森の中って奴?」
「……冗談キツいよメリー。まさかここじゃないよね?」
消え入りそうな声で僕が問うと、メリーはひょいと肉を網から拾い上げ、ちょんちょんとタレをつけて……。
「…………この店」
パキン。と、炭が弾ける音がした。
その時僕は気持ち悪さとか、吐き気とか以前に。何故。そんな感情だけが先行した。
彼女も分かっている筈だ。その話が本当なら、ここは敵陣の真っ只中。件の熊は、すぐ近くにいるという事に……。
「お客様」
歌うような。アルトボイス。
それがすぐそばで発せられた。振り向けば、さっきのポニーテールの店員さんがいる。星マークが横についた名札には、店長の肩書きと宗像という名字が記されていて。そして……。
光の加減で気のせいだとは思いたいけど、その目は確かに……。
「あ、追加注文いいですか? キャベツ山盛りで」
「かしこまりました~」
ポーカーフェイスで注文をするメリー。いつの間にか呼び出しボタンを押していたらしい。店員さんが再び離れて行った後、メリーはそっと唇に人指し指を当て。こっそりウインクする。
目は口ほどにものを言う。その目は確信と。少しの怯えが見て取れた。
※
「今までにないくらい危ない橋だった気がする」
「ごめんなさい。でもね。こうも連続で受信しちゃうと……もうさっさと居場所なり正体なりを私の頭の中で納得させないと……止まらないのよ」
焼肉屋を脱出した後の帰り道。
歩きながら冷や汗と一緒にそんなコメントを漏らす僕に、メリーは申し訳なさそうに肩を竦めた。
つまるところ、把握さえしておけば、彼女を悩ませていた食事シーンの再生は終わる。後は知らぬ存ぜぬで通せばいい。そんな所だったのだ。
向こうさんだってバカじゃない。せっかく隠した自分の食料をお裾分けにはすまい。こっちは熊の所業をこっそり覗き見ただけで、現場に遭遇した訳でもない。何より……。
「熊なら……必要もなく人間に襲いかかったりしないか」
「うん、私もそう思ったから貴方に同行してもらったの。被害者の幽霊までいたら、触れたり話せたりする貴方がいた方がいいでしょう? 実際いなかったけど」
「まぁ、それは置いといて……言ってよ! 事情!」
うがー! といった勢いで叫ぶ僕に、メリーはビクンと肩を震わせる。
こういうのに巻き込まれ慣れているとはいえ、心の準備くらいはさせて欲しいものだ。
因みにあまり知られていない事実だけど、熊は結構臆病なので、理由もなく人は襲わない。人の味を覚えたにしても……狩りの時以外は安全……の筈だ。
「ごめんなさい。万が一襲いかかって来たら……私が食べられてる隙に、貴方を逃がすつもりだったんだけど」
「……本気で言ってる? 怒るよ?」
そういう問題じゃないのだ。別に話を聞いたら一緒に行く位はやぶさかではなかったのに。変な所でズレた気遣いをするのが、彼女の悪い所だと思う。
手助けして欲しいなら言えばよかったのだ。僕がそんな事を言うと、彼女は消え入りそうな声で、「ごめんなさい」とだけ呟いて。「じゃあ……。今度こそ、助けを求めてもいい?」と、言い出した。
立ち止まるメリー。肌が白いから、夜道でも頬が紅潮しているのがよく分かってしまう。その姿に思わず胸が一瞬だけ高鳴ったのは忘れる事にして。彼女は指をもじもじと動かしながら、か細い声で一言。
「私、メリーさん。今夜一人は……ちょっと心細いの」
……らしくない事を言う。そんな事を思いながらも、僕は無言で彼女の手を取り、引っ張るように駅へ歩き出す。。渡リ烏倶楽部は二人で一つ。怪奇と対峙する時はこうやって手を取り合い、二人で乗り切るのが御約束なのだ。
※
急に始まったサークル活動においての、怪物とのニアミスは、こうして幕を閉じた。
存在を確認し。二人揃ってビクビクしながら見て見ぬふり。締まらない幕切れではあるが、現実なんてそんなもの。
エイリアンやら宇宙人を倒せる光線銃など、僕らは持ち合わせていない。あんなのをどうこうするなど、無理がある話なのである。
だから、この話はこれ以上語ることなく、終わりを迎える筈だった。
翌日のお昼頃。僕らが、あるニュースを見てしまうまでは。
ニュースの内容は以下の通り。
都内に済む一家が、惨殺されたというもの。
それだけならば、言い方は悪いがただの殺人事件だ。問題は……。
「ねぇ、これ……」
「……うん、辰も気づいた?」
遅めの朝食となったトーストを、メリーと一緒に食べながら、僕ら二人は戦慄していた。
公開されていた顔写真は……。僕らの隣で食事をしていた家族のものだったのだ。
「……熊の習性でね。もう一つ、特徴的なものがあるの。熊が隠した食料に手をつけたり、それを持ちさってはダメなんですって。熊は執着心が強いから……どこまでも。どこまでも追ってくる」
メリーの語りが、僕の耳にこびりつくと共に、あの日の在りし親子達の会話が甦る。不思議な食感。そう言ってはいなかったか。
それは本当に不幸で、悪魔的な手違いに違いなかった。
「誰よ……。焼肉屋に羊が出ない何て言った奴」
僕が画面を食い入るように見つめている横で、メリーが自嘲するように呟く。その流れから、僕は彼女が何を言わんとしているのか分かってしまう。
「きっちり出してるじゃない。〝アミルスタン羊〟」
米澤穂信だね。なんて、僕に言う余裕はなかった。
レッツ検索!『アミルスタン羊』!
※責任は負いかねます
また、然り気無~く、拙作『名前のない怪物』の世界観