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9/12

◆南十字座

 骨董屋〝エマイユ〟には、使い物にならないガラクタのみならず珍しい雑貨や化学物質類まである。

 何故なのかは判らない。

 もしかしたら瑠璃子が僕の趣味に合わせて仕入れているのかも、そう思うのは自惚れだろうか。

 アルバイトで貯めた金で、僕はロケット用の液体燃料を購入した。

 もっとも、僕にうんと甘い瑠璃子は幾らか安くしてくれるのが常だけど。

 寂しがりの兎々が、はやく月へと帰れるように――

「帰ることのできる故郷があるっていいわね」

 ――そんな言葉をつけ足して。


 厳しい冬の日暮れは、あっという間に訪れる。

 僕はふと、商店街の路地から振り返った。

 先刻まで茜色に染まっていた瑠璃子の部屋。

 古めかしい木枠に囲まれた窓辺で、竪琴をもてあそぶ瑠璃子は純真な女神のようだった。

 別れ際、〝旦那がもうすぐ帰ってくる〟と瑠璃子は言った。だからしばらく会えなくなる、と。

 僕はまた瑠璃子からの連絡――タイプライターへの暗号――を待つだけの身となるわけだ。


 瑠璃子は人工的な照明を嫌う女だった。

 窓硝子に薄く伸びた月光。

 暗青色に沈んだ彼女の部屋からは、息遣いの気配すら感じない。

「未練がましいよぉ翡翠」

 右手をグイグイと兎々に引っ張られて我に返った。

「月に帰っちゃう前にこの惑星を楽しんでくる!」

 などと活発な台詞で紅玉を誘い、夕方まで中央公園で遊んだ兎々はまだ元気だった。軽くスキップして、ふわふわと兎耳を弾ませるのだ。

 きっと〝もうすぐ帰れるんだ〟という喜びがそうさせている。

 犠牲になるのは僕の金貨ロケットなんだけど。

 まぁ、可愛いじゃないか。

 柄にもなくそんなことを思いもしたけど、待て。「未練がましい」とはどういうことだ。

 子供のくせに大人の色恋を理解できるのかコイツは。

「紅玉もなにか言ってやりなよぉ」

 兎々がけしかけた途端、左手をつよく紅玉に引っ張られた。

 ヒュウと木枯らしが吹きつけて、柔らかに翻った横髪にキラリと発光する紅いもの。

 瑠璃子がプレゼントした新商品。紅玉ルビーを中心に据えたアネモネの髪飾りだ。

 瑠璃子はまるで娘にするように、紅玉にそれを飾ってやった。

 もしも僕が、息子ではなく娘だったなら。

 あの母親も瑠璃子と同じように、僕のことを可愛がり慈しんだろうか。

 そう考えて、気づいた。

 僕はきっと母性に飢えているのだ、と。

「翡翠、未練」

 感傷に耽る暇はない。

 月灯りの届かないうら寂しい路地で、左右それぞれから「未練未練」とはやし立てられた。

「うるさいな」

 子供らの相手は本当に疲れる。

 反論したい、だけど子供相手にそれも面倒だった。

 未練などでは決してない。あくまで僕と瑠璃子は割り切った関係だからだ。

 それに別れたわけでも、会えなくなったわけでもない。

 これから数日が経てば、また瑠璃子から暗号じみたラブレターが届くだろう。未練なんてあり得ない。

 そもそも僕は、女という身勝手な生き物を憎んでいるのだ。

 瑠璃子は僕と不倫をする女、愛するには値しない。

 身体――体温――の交わりで寂しさを埋める、それが互いの目的だから。

 それでいいじゃないか。


 〝ミモザの丘〟の頂にできた真新しい陥没の周りには、すこし湿った土くれが防壁のように盛り上がっていた。

 散切れた詰草の混ざるその土で、僕らはザクザクと穴を埋めていく。落下地点のこの場所から飛ばないと来た道を辿れない、兎々がそう主張して聞かないのだ。

 外灯のない丘は、それでも互いの顔がみえる程には明るかった。

 夜空の星がおびただしい。

 まるで兎々の目指すべき道を、天体たちが意思をもって示しているようだった。

「翡翠、あそこの〝散開星団NGC 4755〟がわかる?」

 西南の空をふと指差して兎々が訊いた。

 生意気だな、と間髪入れず僕は返した。

「子供らしく〝Jewel Box〟って言えよ」

「生意気は翡翠だよ。僕はユイから〝散開星団NGC 4755〟って習ったの」

 唇をツンと尖らせた兎々はもう一度、「わかるよね」と知ってて当然の口ぶりで確かめてきた。

 その華美な煌きから〝星の宝石箱〟と呼ばれる〝散開星団NGC 4755〟。

 紅玉ルビーさながらの赤色超巨星を中心に据えて、幾つもの青玉サファイアのごとき青色超巨星がその周りを取り囲んでいる。

 姫をひかりで守護する騎士のように。

「〝散開星団NGC 4755〟なら常識だよな」

 フンと鼻を鳴らした僕をみて、兎々は「それなら話が早いや」と続けた。星団を差していた指をわずかに右斜め上へずらし、

「南十字座β星を狙って」

 と、命じた。

 南天でクロスする四つの星の中のひとつ。

 ひときわ輝く一等星、ベクルックスに照準を合わせてロケットを打ち上げろと言う。

 無茶苦茶だ、このガキは。

「可愛らしく『〝ミモザ〟を狙ってください』ってお願いしてみろよ」

「何それ!?」

「え、おまえ知らない? 南十字座β星は別名〝ミモザ〟って言うの」

 兎々はポカンと呆けた顔をした後、悔しげに地団駄を踏んだ。

「ユイィ~!」

「まぁいいだろ、おまえと僕じゃあ経験値が違うってことで」

 軽やかに肩を叩いてやると、兎々はフーッと威嚇する猫みたいに耳毛を逆立てた。

「はやくして!!」

 僕はこれから兎をみる目が変わってしまいそうだ。

 金貨ロケットを犠牲にして帰してやるというのに、コイツは礼儀という大切なものを教育されてないのか。

 いっそのこと南十字座の左下を狙ってやろうか。南天銀河にポッカリと空いた黒い穴――石炭袋コールサック――に。

「暗黒星雲だけは狙わないでよ!?」

 見透かされていた。

「わかったよ、わかりましたよ」

 さっさとコイツを帰して平和をとり戻したい。

 陥没はしっかり塞がっていた。紅玉が、小さな手でポンポンと土を叩いて固めている。

「紅玉ありがとう」

 僕がそう言うと、紅玉はどことなく複雑そうな表情をして手を引っ込めた。

「さよなら?」

「そう、さよならだよ」

「さよなら……」

 初めての友達との別れを、紅玉はちゃんと理解していた。

 土に汚れた自分の手のひらを、寂しげに凝視する。そんな姿をみると、さすがの僕でも胸に詰まった。

 きっと本当の気持ち――アンドロイドに気持ちが自然発生するのか疑問だが――は、帰ってほしくない。

 なのに紅玉は、金貨ロケットを設置するための場所をせっせと整えていたのだ。

 想いと行動の矛盾に、恐らく紅玉は戸惑っている。

 僕もまた同じように混乱していた。アンドロイドは素直に動くものとばかり思っていたからだ。

「紅玉、寂しいよね」

 僕のその言葉は、真から出た言葉だったろうか。

 紅玉はじっと僕をみつめ、目覚めたようにフルリと頭を振ってみせた。

「翡翠、帰したい」

 僕はハッとした。

 そうだった、またしても忘れていた。

 紅玉は人の心が――いや、〝僕の心〟が読めるのだ。

 そして、たった今ここで気づいた。


 ――紅玉は、僕の想いの通りに動く。


 それは衝撃であり恐怖でもあった。

 聖人ではないのだ、僕は。

 もしも誰かを呪ったら? もしも誰かに殺意を抱いたら?

 紅玉は、僕のその〝いけない望みを実現するため〟に動くかもしれない。

 人間でも人形でもない、知能をもった生き物。

 生まれたての真っさらな紅玉を、あろうことか僕は初めて恐ろしいと感じ

た。

 心臓がドキドキする。

「翡翠?」

「あぁ、わかってる」

 兎々にも紅玉にも動揺を悟られたくない。慌てて平静を装って金貨ロケットを地面に置いた。

「掴まれよ」

 兎々は僕をみて、真面目に「ありがとう」と礼を言った。

 コイツから礼が聞けるとは予想してなかった。

 拍子抜けして返答できない僕には構わず、兎々はフワリと紅玉を振り返った。

「帰ることができたら、かならず星屑糖を降らせるから」

 土まみれの手を取って、

「かならず」

 甲にそっと口づけた。

「約束するからね」

 金貨ロケットに、幼い兎人間がしがみついた。

 どうみても素敵な姿ではない、けれど笑う気にもなれなかった。

 この生意気な少年には二度と会えないのだ。ふたたび月から〝ミモザの丘〟へと落ちて来ないかぎり。

 乾いたミミズみたいな導火線に、マッチで火をつけた。

 燃える硫黄の匂いに胸を締めつけられたのは、生まれて初めてだ。

 なんだかんだ言って、兎々との弾けたやり取りは楽しかった。

 決して兎々には伝えないけど。確かに僕は、何年ぶりかの明るい会話を楽しんでたんだ。

 パチパチと七色の火花を散らしながら、小さな炎は僕らを別れへ導いていく。

「途中でまた落ちるなよ」

「大丈夫だよ。このロケットよく出来て――」

 最後まで聞くことは出来なかった。

 シュンッ――と凍った空気を裂く音がした瞬間、夜空にはもう兎々の姿はなかった。

 炎だけが残像をひいて、やがて星々の中に紛れて消える。

 あっけない別れだった。

「約束……」

 いまだ手のひらを凝視して、紅玉がポツンと呟いた。

 寂しい、哀しい。だけど泣き方がよく判らない、そんな表情だった。


 ――かならず星屑糖を降らせるから。


 たった一人の友達と別れた紅玉にとって、ほのかな甘い約束は希望になるだろうか。

 約束。

「僕もきみに約束するよ」

 思わず僕はそう言った。

 あまりにも不憫だったのだ、喪失感を全身で表して立ち尽くす紅玉が。

「夏がきたら流星をみよう」

 さわさわと風が吹いて、黄色い小花が足元を流れていく。それこそ流星のように。

 新しい言葉に興味を示した紅玉が、キラキラした瞳で僕をみた。

「りゅうせい?」

「流れ星」

「甘い?」

「甘くはないよ」

 僕はつい小さく噴き出した。

「だけど綺麗だよ」

 夏になると、ペルセウス座流星群が訪れる。

 ペルセウス――その首をみた者だれもを石にする怪物メドゥーサを倒し、さらには化け鯨の生贄にされかけていたアンドロメダ姫を救った英雄。

 紅玉と〝ミモザの丘〟に寝転んで、英雄がもたらす壮観を眺めるのも幸せかもしれない。

 きっと紅玉は喜ぶだろう。

 もっとも季節感の狂った硝子の惑星では、春のイベントになる可能性もあるけど。

 こんな風に、色んな情報で刺激を与えてやる。

 そうすれば、いつか紅玉にも自我が芽生えるはずだ。

 僕はそう信じた。

 もっと育ちさえすれば、僕なんかの想いに振り回されることもなくなる。

 紅玉――僕の妹――は、恐ろしい生き物じゃない。

「翡翠、流れ星、約束」

 だっていま僕に笑いかける紅玉は、こんなに純真で可愛いのだから。


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