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◆子守唄

 〝眠りの精よルゲイエよ

 わが子のまぶたに魔法のミルクをくださいな


 眠りの儀式をはじめましょう

 足音たてず

 カラフル傘をそうっとかざ

 七色衣装でおやすみなさいと囁いて


 わが子のまぶたに魔法のミルクをくださいな


 おやすみなさい

 おやすみなさい


 ひらいた扉のむこう側

 幸福なる夢のお国の妖精たちと

 わが子よしばし

 遊んでおいで――……〟


 人間とは忘れる動物だ。

 苦しい感情を伴う出来事さえも、いつしかおぼろになる。

 忘却の沼。

 リセットボタンほどの強制力も威力もないけれど。

「遊んでおいで……」

「紅玉やめて」

「遊んでおいで……」

 それでも――

「やめろってば」

「遊んでおいで……」

「紅玉」

 

 ――傷んだ心は、薄れる記憶と共に自然治癒へと向かう。


「やめろ!!」


 子守唄がピタッと止んだ。

 眠りに落ちかけていた兎々が「キャア」と覚醒して、驚きまなこで僕をみつめた。

「どうしたの!?」

 僕の前世――というものが実際にあるなら――は、執念深い蛇なのかもしれない。

 十数年もの昔に聴いた子守唄をまだ憶えている。

 僕は自分自身に苛立った。

 父親にも怒りが湧いた、悪趣味にも程がある。紅玉を、よりによって僕らを捨てた母親に似せるなんて。

 フツフツとたぎる怒りを懸命に抑える。

 今ここで爆発させる訳にはいかない。紅玉に罪はない、もちろん兎々にも。

 罪深いのは母親と父親と、――怒鳴った僕だ。

 だけど僕の口から出たのは、謝罪ではなかった。

「呪詛みたいに歌詞をリピートするんじゃないよ」

 やっとの想いで紅玉に言ったのは、従わせるための〝命令〟だったのだ。

「もう二度と歌わないで」

 紅玉には意味が解らないだろう。

 キョトンとした顔をして、だけどそれでも素直に頷いてくれた。

 純粋さが胸に痛かった。紅玉が純粋であればあるほど僕は、自分自身の汚さを思い知らされる。

 紅玉は僕の妹だ。

 だけど僕には、兄だと胸を張れる大きな器がない。

 なにも知らない紅玉に、束の間とはいえ母親の姿を投影して怒鳴ったのだ。

 ごめんよ紅玉。

 頼むから歌わないで。

「約束だよ」

 きみのことまで憎みそうになるから。


 金貨ロケットが完成したのは夜明け前だった。

 濃紺の大気に漂い始めたすみれ色の朝もやが、疲れた目に優しい。

 あれから紅玉は寝台に横たわり、おとなしく眠っていた。眠る、という表現はおかしいかもしれない。

 だけどそんな風にみえるのだ。

 器用にオンとオフの切り替えができる仕組みらしい。

 さすがに寝落ちた兎々は、そんな紅玉の腕を枕にして始終ムニャムニャ言っていた。

 生意気なあの口利きさえなければ、可愛くみえるのに。

 苦労もなにも知らない子供。我儘がすべて通ると信じて疑わない態度。

 〝助けて〟と言える素直さが僕は羨ましかった。

 夜明けの町が、秒刻みで色を変えていく。

 昨夜の幻想――星屑糖――は何だったのか。空想がもたらした夢だったのか。

 そんな風に拍子抜けするほど、日常はまた当たり前にやって来る。

 例えば、深海から浮上する解放感。

 おなじ日々の繰り返しは億劫だけど、夜明けの瞬間は嫌いじゃない。

 特に、今日の朝は格別だ。柔らかな陽光を受けて、金貨ロケットが燦然と輝くのだから。


 うぅん、と微かな呻き声がした。

 顔をしかめた兎々が、紅葉もみじみたいな両手でまぶたを擦っている。

「まぶしい」

 舌足らずに呟くと、いまだ夢見心地の様子でコロンと寝返りを打った。

 さっそく僕は意地悪な気分になる、邪魔してやろう。

「おはよう、兎々」

 そっと声を掛けてみたが、兎々はどうやら朝が弱いらしい。

「うぅん」

 嫌そうに呻いて、もぞもぞと芋虫みたいに丸くなった。

 陽射しは徐々に明るさを増す。それは金貨ロケットに弾かれ屈折しながら、ゆで玉子みたいな兎々の顔をツルンと照らした。

 爽やかな煌めき。

 シーツに散った兎々の銀髪だ。涼しげな清流みたいに、けがれない美しさだった。

 透徹した冬の朝陽さえも敵わない、そんな風にすら思えた。

 僕はつい見惚れて、そして気づいた。

 夜気の中、何よりあの生意気な態度のせいで分からなかった。だけど今はどうだ。

 光沢のある上質なブラウスが、少しも着崩れていないのだ。

 子供らしさと対極にある行儀のよさ。それは育ちの環境の豊かさを想像させた。

 ユイの教育の賜物だろうか。

 眠っている兎々の全身から、高貴なる気品のオーラが滲み出していた。

「あぁ、翡翠」

 兎々が薄っすらと目を開けた。青灰色の瞳でぼんやりと僕を捕らえて、

「おはよう」

 寝ぼけた挨拶をよこすと、優雅なる仕草でフワッと片手を上げた。

 指差した先は金貨ロケット。

「ねぇ、あの金ぴかロケットは僕のために造ったの?」


 ――月に帰してくれるために。


 誰もが自分のために動いて当然だと信じている。命じなくとも、人はみな自分の望みを叶えるために行動するのだと。

 それが当たり前の環境で兎々は育ったのだ。

「帰りたいよぉ」

 茫とした瞳が宙をさ迷った。

 直観的に僕は認めた、〝兎々の身分は本物〟だと。


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