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◆金貨ロケット

 研究室――というよりも、雑多な作業場だ――に、父親の姿はなかった。

「おいで」

 僕の密やかな導きに、紅玉は素直に従った。歪んだ形の針金椅子に深く腰かけると、

「ピカー、ピカー」

 機嫌よく両脚を揺らし始めた。

 部屋の中心では純水を湛えた円柱水槽が、蒼白く発光している。


 コポ――……


 コポリ――……


 突発的に、楕円の泡が生まれては弾ける。

 その丸い音は、いつか鉱石ラジオで聴いた母親の胎内音に似ていた。眠気を誘われる音だ。

「ピカー、ピカー」

 星の欠片を拾ったことが嬉しいらしい。紅玉は摘んだそれを、水灯りにかざして奇声を上げる。

「しーっ、静かに」

 咄嗟にくちびるの前に指を立ててたしなめた、僕のその仕草を、紅玉はそっくり真似して「しーっ」と返してきた。

 可愛らしく丸まった掌の皮膚が、ベロンと剥げている。転んだときに擦りむいたのだ。

 アンドロイドの紅玉には、もちろん血液なんて流れていない。

 痛みも感じないのだろう。

 剥がれて垂れた皮膚をゆらゆらと揺らしながら、紅玉はただ楽しそうに星の欠片をひからせては笑うのだった。

 その表情もまた、造られる過程でプログラムされたものなのだろうか。だとしたら、紅玉のご機嫌な笑顔は偽物だということになる。

 寂しいことだ。

 そう思ったけど、僕たち人間みたいに複雑な感情――心――を持たないというのは、それはそれで幸福なことなのかもしれない。

 暗闇に、ぼうっと浮かぶ青白いひかり。

 その滅菌箱をあけると、僕はシャーレの中に薄布のように広がっている人工皮膚をピンセットで摘んだ。

 紅玉はすこし興奮している。

 針金椅子に座ってプラプラと両脚を揺らす、その勢いがだんだんと増してくるのを、僕はいちいち咎めなくてはならなかった。

「危ないからおとなしくして」

 紅玉は、まるで鳥の雛のようだった。僕のことを親だとでも思っているのか、素直におとなしくなった。

 その足もと、冷えた床に片膝をついて僕は、紅玉の壊れた皮膚の修復にかかる。

 アンドロイドには、人間みたいな自然治癒力はないのだ。

 流血もせず痛覚もない、それはとても魅力的なことに思えるけど、ほんの小さな傷の治癒にさえ誰かの手を必要とするのだから面倒なことではある。

「翡翠、翡翠」

「うん?」

「音、チリチリ」

「そうだね」

 紅玉の丸こい掌――傷口にペタリと貼りつけた人工皮膚が、チリチリと微かな音を立てながら細胞分裂していく。

 ごく小さな火花のようでもある。

 増殖していく細胞たちが発する音は、快いものではなかった。

 これもまた誕生なのだろうか。やがて皮膚は完全に再生し、抉れたような傷口も綺麗に塞がった。

「紅玉」

 怪我も治ってご機嫌な紅玉の顔を覗きこみ、僕はそっと訊ねた。

「星の欠片、どうしたい?」

 一年に一度だけ拾えるその宝物は、本当は、僕がずっと欲して待ちわびていた金貨だった。

 何年もかけて集めたその金貨で、僕はおもちゃのロケットを造っているのだ。あと一つ。てっぺんに飾りを付ければ完成だった。

 紅玉は、しばらく僕の目をじっとみていた。ルビーのような硝子玉に、僕の顔が映りこんでいる。

 嘘はつけないと思った。

 プログラムで動いている紅玉は、人間ごときの些細な変化など簡単に捉えてしまうだろう。

「紅玉、僕は――」

「あげる」

 ツイ、と片手を突きだして、紅玉はもう一度「あげる」と言った。

「翡翠、たからもの」

 掌のうえで、それは金色にピカピカと煌めく。

「ロケット、つくる」


 ――思考まで読めるのか。


 それは可能なことなのだろうか。

 でも。実際そうなっているのだから可能なのだろう。

「紅玉」

 僕は、ありがたく紅玉の申し出を受けることにした。どうせ嘘をついても見抜かれるのだ。

「ありがとう」

「どういたしました」

 得意顔で微妙に間違うのが可笑しい。

「手伝ってくれる?」

 くすくす笑いながら打診すると、

「もちろんでした」

 嬉しそうに両手を万歳させた勢いで、紅玉はうしろに引っくり返ったのだった。


 直径十センチほどの丸い皿チョコに、金の塊と硼砂ほうしゃを入れる。金貨一枚にも満たない星の欠片と、天河のような――とはいえ毒性のある白い粉。

 僕はゴワゴワした耐熱手袋をはめた両手に、それぞれ酸素ボンベとガスバーナーを構える。

 年に一度しかない特別な日。

 レアな星屑をみつけた夜にだけ可能になる作業。

 金貨ロケットの完成が近いことで、僕はすこし高揚していた。

 皿チョコに向かって勢いよく青い炎を噴きかける。

 ぼうぼうと燃焼のひかりを放ちながら、金塊はみるみる内に溶けだし、やがて太陽さながらの眩しい液体になる。

 その液体を、長方形のあけ型に慎重に流しこんだ。あとは、冷えて固まるのを待てばいい。


 薄汚れた耐熱手袋を外して、ほっと息をつく。

 静かなる深夜。

 だけど僕の小部屋――いつか錬金術の本の挿絵でみたアトリエのようだ――は、雑多に物が溢れて視覚的に少々うるさい。

 整理整頓すればいい話ではある。だけど怠惰な僕は、なかなかそんな気になれないのだ。

 もしかすると、このうるさい部屋に安心しているのかもしれなかった。

 冷たい孤独を癒してくれる場所として。

「疲れた……」

 ぽつん、と独りごちて、後ろの寝台を振りかえる。

 針金椅子ごと派手に転倒して、そのまま入眠してしまった紅玉がそこに横たわっている。

 微かな寝息が聞こえるから、故障ではないだろう。もしも壊れたら、胸の中――心臓――のリセットボタンを押せばいい。

 僕は、紅玉というアンドロイドの創造主である父親からそう教わった。

 リセットボタンを押せば、紅玉はまた生き返るのだということ。

 そして、もうひとつ。


 ――その代償として記憶はすべて消去されてしまうということを。


 寝息をたてる紅玉には邪気がなく、ただただ純粋にみえる。

 夢をみているだろうか。

 アンドロイドも、僕たちみたいに夢をみるのだろうか。

 すやすやと寝息をたてる紅玉の、ツルンとした頬には紅がほんのりと差している。

 とても人間の手で生み出された生命体――そう、僕の目には紅玉が立派な生命体に映るのだ――にはみえない。

 アンドロイドの創造にのめりこんだ僕の父親は、失敗作という産業廃棄物もたくさん生み出してきた。その父親にとって、紅玉はまさに最高傑作だろう。

 おなじ趣味にしても、ただの人形創りとは訳が違う。

 なぜならアンドロイドは、人工的にではあるにせよ知能をもち、動きもする。

 人形ではないが人間でもない。けれど、限りなく〝人間に近い〟存在なのだ。

 紅玉は、健やかに眠っている。

 整った愛らしい顔を、僕はそっと上から覗きこむ。

 懐かしい気持ちがするのは何故だろう。僕はこの顔をいつか、どこかでみた記憶がある。

 だけど思い出せない。

 それは、記憶をこのまま封印していたいからかもしれない。

 紅玉、と、呼びかけた。

 とりあえず僕の寝場所を空けてもらわないと困る。

「紅玉」

 滑らかな曲線を描くひたいに指を触れかけた瞬間、紅玉はパチリと両目をひらいた。

 見事なまでの前触れのなさ。この人間とは大きく違う反応の仕方に、僕はまだ慣れることができない。

 思わず指をひっこめた僕には視線ひとつよこさず、紅玉はむくりと起きあがった。

「割れた」

「え?」

 妖しい占術師みたいな口ぶりで、紅玉はふたたび繰り返した。

「割れた」

 割れた、割れた、と呟きながら寝台から降りて窓のほうへフラフラと歩いていく。

「割れた?」

 なにが割れたの、と訊ねる僕を無視して、紅玉は両開きの窓を勢いよく両手で押しひらいた。

 むしろ窓硝子が割れそうだ。木枠をキシキシと軋ませながら、窓硝子が壁に当たって振動する。

 転倒したせいで頭がどうかしたのだろうか。

 凍りつく夜気の中に顔を突きだして、紅玉はじっと真冬の星空をみていた。

 群青色の夜風が窓硝子を撫でて、音もなく部屋の中に吹き込んでくる。

 それは分厚い辞書を積み重ねた机のうえで渦を巻き、唯一整頓して束ねていた古い紙をパラパラと撒き散らした。

 たまたま蚤の市で安く手に入れた紙だ。日に焼けて少し皺がある。

 宝の地図でも書いてあれば夢があるが、僕はこの白紙を喜んで購入した。

 日記帳にするためではない。

 ところどころに滲んだ黒い洋墨インクと、びっしり詰まった文字の羅列。幼いころから想像してきた物語がそこにある。

 そう、僕はいつか作家になることが夢なのだ。

「あぁもう! 紅玉!」

 いまだ散らかる古紙を拾い集めながら、さすがに僕は苛立って紅玉を振りむいた。

「窓――」

 閉めて、と言いかけて無意識に口をつぐんだ。

 窓のむこう、広がる星々の間にプラチナの輝きを放つものがある。その輝きは光速ともいえるスピードで膨張し、地上へむかって落下してくるのだ。

「え……?」

 流星? いや、隕石か?

 僕は、両手に抱えていた古紙の束を手放し慌てて窓辺へと駆けた。

「落ちてくる」

 よくよく観察すると、輝きの中に丸まる物体がある。

 巨大なものではない。

 その球体が凄まじい速さで回転しているのだ。プラチナの輝きは空気摩擦から発生する炎なのだと分かった。

 不思議と恐怖はなかった。

 好奇心のほうが大きかった。

 いや、それだけではない。


 僕はこの惑星ほしが壊れる瞬間をみたかったのだ。


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