◆星屑糖
南の夜空を狩人が駆けるころ、年に一度の星屑糖が降ってくる。
「年に、一度?」
鉛筆型の観測塔。
ぐるりを囲む、水晶硝子に真白い両手をくっつけて。紅玉は、不思議そうに僕をみた。
あぁ、と僕はうなずいた。
生まれたばかりの紅玉には、まだ難しかったらしい。
「じゃあ、一日は? どういうことかわかる?」
紅玉は、硝子越しに星の林をじっとみつめた。
すこし考えて。
「二十四時間」
と、答えた。
「よし。賢いよ」
年っていうのはね、その〝一日〟が〝三百六十五日〟あるってことだよ。つまり今日は、その〝三百六十五日〟のうちの〝一日〟。星屑糖が降ってくる、特別な夜なんだよ。
「年……三百六十五日……特別……」
紅玉は、何度かおなじことをぶつぶつ呟くと、
「記憶、した」
僕をみて瞬いた。
林檎色の髪が、肩のうえでふわりと揺れる。
僕の父親が造ったアンドロイド。
紅玉は、僕の妹だ。
野花に覆われた高台。そこに建つ観測塔は古びていて、まるで草原のなかの遺跡のようだった。
夜に沈んだ草原は真っ暗で、星の明かりだけが頼り。
遥か遠くに、停泊中の船――緑色の丸いひかりが滲んでいる。
翡翠の煌めき。
迷える者を導けるようにと、僕の名前――翡翠――はそこから付けられた。
パリリ――……
空気が凍りつく、硝子の深夜。
星屑糖は、地球が眠って風がやむ、その瞬間を契機に降り注ぎはじめる。
影絵の世界に、紅、白、碧――蛍みたいな煌めきが、ひとつ、ふたつ、みっつ。
「来た」
紅玉の手をひいて僕は、ジュラルミンの螺旋階段を駆けおりた。
遺伝子構造さながらの階段は、ぐるぐる目が廻る。僕のうしろに続く、紅玉は小気味よくカスタネットの足音を響かせていた。
期待に胸がふくらむ。
立てつけの悪い、樫の扉をぎしぎしと押しひらいたとき。そこには網膜に染み入るような、星の草原がひかり輝いていた。
「楽園だ……」
立ちつくす僕の傍らを、紅玉がすり抜けた。頼りない足取りで、野花を踏みしめていく。
降り積もった星屑は、生まれたての紅玉を祝福するように、ふわりと舞いあがる。
ほんの数分の奇跡。
地球が眠りから醒め、ゆらりと空気が動いてしまえば、星屑糖は、儚く溶け消える。
紅玉は、踊るようにひかりと戯れていた。
浮遊するそれを両手で掬い、口もとに運ぶ。
「甘い」
甘い、甘いと繰り返しながら、紅玉はくるり、くるりと回転した。コートの裾が花ひらき、舞いあがる星屑が紅玉をつつみこんだ。
守られるためだけに生まれてきたのか、そう思うほど、その姿は無垢で可愛かった。
やがて遠い地平線から、微風が吹きよせた。
空気が甘く香った途端、ひかりは霧散するように消えた。
一瞬の幻。
永遠の楽園なんて、どこにもない。
「あーれー?」
不意に紅玉が、とぼけた奇声を発しながら転倒した。派手に霜の割れる音。
「紅玉!」
アンドロイドも眩暈を起こすのか。
濡れた野草に足を取られそうになりながら、僕は慌てて駆けた。暗くてよくみえず、「どこ!」と呼びかける。
気づけば光源がない。
雲? と夜空をみあげれば、そこには磨きぬかれた硝子のような、冷たい闇があるばかり。
月も星も、在るべきものが、忽然と消え失せているのだ。
「紅玉!」
ゾッとして僕は、悲鳴に近い声を張りあげた。
返事はない。
乾いた静寂を聴きながら、辺りをぐるりと見回す。
視界の端に、緩やかに移動していく翡翠の灯り――船の航行――を捉えたときだった。
「ここー」
背後で暢気な声がした。
「紅玉!?」
ふりむいた僕の視線の先で、紅玉らしき塊がムクリと起きあがった。
僕はひとたび安堵の息をつく。
「あぁ、よかった」
頼むから、心配させないで。
そんな僕の気なんて、紅玉が知るわけもなく。
「みつ、けた」
みてー、と言うように片手をかざして、へらりと笑った。丸っこい指に摘まれたものが、金色にピカピカと明滅している。
レアな星屑。
仔犬座の欠片だ。