Intro
「すっかり遅くなってしまったか……」
五月はじめの暖かな日の夜。
朝倉 恭子は家への帰り道をため息まじりに歩いていた。
多くの人でごったがえす大通りは、しゃべり声や足音で今日も騒がしく、恭子はそれを不快に感じながら歩道を渡る。
もう時刻は7時を過ぎている。本来ならばもっと早い時間に家に着いているはずだったのだが、今日は大事な生徒会の仕事をするために遅くまで学校に残っていたのだ。
それらを終えるまで恭子は休む暇もなくそれに専念していたため肉体的にも精神的にも疲労が大きく、今の恭子にはこうして歩くことすら億劫に感じられる。家から学校まで特に長い距離があるというわけでもないのだが、まるで今日はその距離が誰かに引き伸ばされているかのように感じられる。
まだこれから明日の予習と宿題とをしなければならないのだが、本人としては30分だけでもいいから少し横になりたい気分だ。
横断歩道にさしかかると信号が点滅し始めたので、恭子は立ち止まる。
(あ……そういえば、今日の夕食の当番は私か……)
そのことを思い出すと同時に、恭子は憂鬱な気分になる。
あれだけはたらいた先にまた自宅で家事をしなければならないかと思うと、落ち込まずにはいられなかった。
彼女は父子家庭の一人娘で父親は仕事に出ているのだが、このくらいの時間になれば仕事から帰ってきていてもおかしくはない。つまり、寝ている暇など微塵もなし。
もう活字などしばらくの間見たくもないほどに大量の書類を一気に処理させられたあげく、今度は休む間もなく食材と台所で格闘するというのはなかなかの責苦だ。
今日だけでも休むことはできないか……とそんなことを考えていると、ちょうど車のクラクションが甲高い音で鳴り響いた。
まるでそれが今の恭子を叱責してきたかのように聞こえて、恭子は肩を落とす。
「いかんな……少したるんでいるかもしれん……」
自分の両頬をピシャリと叩き、気持ちを入れ替える恭子。
いったい自分はなにを考えているのか。
わが子を養うために一人ではたらく自分の父親の苦労とくらべれば、これくらいのは大したことはない。どうして自分だけそう甘えることができるだろうか。
これからあと少しくらい、どうってことはないはずだろう。
こったものを作るのは少々キツイが、ありあわせのものでやりくりすることくらいはできないかと、自宅にある食材を思い返してみる。
と、そのとき。
「……ん?」
メール受信の着信音が恭子の鞄から聞こえてきた。
誰からだろうと思って鞄からケータイを取り出してみると、恭子は嫌なものを見たように苦々しく表情を変える。
From : 西崎 瑛士
『明日宿題みして~~(^O^)/』
「――はぁ」
思わずため息が漏れてしまう。
昔からの幼馴染から、宿題を見せろとの要求。
前々から自分でやるようにと言い聞かせてはいるものの、相手はまるでこちらの言葉に耳を貸そうとしない。
いつもならば無視してやるところだが、今日こそは説教の一つでもしてやろうかと憤慨しながら返信メールに文字を入力していく。
『断る。もう自分の力でやっていけ』
そう送ってやると、すぐに相手は返信を送ってきた。
普段はなにもしようとしないのに、どうしてこういうときだけはすぐ動くのだろう。
呆れながらも恭子はメールを見る。
『委員長がいないと俺死んじゃうよ~(/_;)』
『一度は自分でやってみろ。どれだけみんなが苦労しているのかわかるだろうさ』
『委員長はオツムの出来が悪いヤツの気持ちがわかってへんねや! やることはおんなじでも一人ひとりがどれだけ苦労するかは一緒とちゃうんやで!(;_;)』
『今やらないとこれからもっと苦しむぞ。悪いことはいわん。やれ』
『そんなこと言わんと助けてーな! 今度はちゃんと自分でやるよぉ!(;´・ω・)』
『そういって今までずっとやってこなかったのはどこのどいつだ。もう面倒は見きれんぞ』
『そないゆーても委員長は今まで助けてくれたやん! 今回もせやろ!? ね、ね!?( ;∀;)』
『もう金輪際そんなメールを送ってくるな。不愉快だ』
『委員長の馬鹿! 俺が留年したら委員長のせいやからな! ウェーン。・゜・(ノД`)・゜・。』
もう途中から恭子は返信をすることすら面倒になってきた。
それから何度も何度もケータイにメールが送信されてきたのだが、どうせ性懲りもなく同じ内容のメールを送っているのだろう。
(なんでこんなときに不機嫌の種は尽きんのだ……)
自分の中で蓄積されていく苛立ちを押さえこんで、なんとか恭子はケータイを鞄にしまった。
「――って、あ……」
と、そのときふと恭子が前を見てみると、信号の色が変わって青色になっていた。しかも、もう点滅までしている。
あわてて渡ろうとするもすぐに信号は赤色に代わってしまい、恭子はがっくりと項垂れた。
「……ああ、今日はどうしてこんなにも……」
悲しげに声を出しながら、恭子は首を垂れた。
小さなミスではあるのだが、今の気分とあいまって恭子は落胆を禁じ得ない。
最後の信号についてはともかく、今日はなんだか嫌なことがよく起こる。
次から次へと起こる災難に、恭子はどうにもやりきれない気持ちになった。
もういい。とにかく今日はさっさと自分のやることをすませてさっさと寝よう。帰ったら夕餉をつくってすぐに食べて、宿題をやってしまおう。
やがて信号が青に変わり、やけくそな気持ちになって歩き出そうとしたそのとき。
パチッ、と。恭子のつま先に何か小さなものが当たった。
「?」
気になって足元を見てみると、なにやらアクセサリーらしきものが転がってきたらしい。
千切れているため紐状だったが、拾いあげてみるとブレスレットのようなものであることがわかった。
誰かが近くでこれを落としたのかと思い恭子は周りをキョロキョロと見回してみるが、それらしき人はどこにも見当たらない。
いったいなぜ自分の足元にこんなものが転がってきたのだろうか。
「……なんなんだ? いったい……」
恭子は首をかしげたまま、横断歩道を渡る。
今はこんなおかしなもののことよりも、自分がしなければならないことをどうするのか考えるのでいっぱいだった。
……このとき拾ったこのアクセサリーが、自分の人生を大きく変えてしまうなんて、恭子は微塵も思っていなかった……
短くてごめんなさい。
次はきっと長くするから(~_~;)
サブタイトルのIntroは、よくアルバムの最初なんかにあるあれです。
恭子の人生が大きな転換期をむかえることを示す、という意味で。
次回でちょっと戦闘が入る予定。やっとだけど。