#02 黄泉の鏡
秋の始め、まだ続く残暑の中、額の汗を拭いながら彼は私の前に現れた。
「やっと完成したよ。今回は、さすがにしんどかったな」
そう言って畳に腰を下ろすと、私の飲みかけの麦茶を一気にあおった。
嫌悪感に苛まれながら、私は彼に聞く。
「また、何か作ったんですか?いい加減、やめて欲しいです」
そうは言うものの、私は彼が作り出す禍々しくも神々しい作品に、心引かれ始めていた。
「よくぞ聞いてくれた。取りい出したるこの鏡。その名も『黄泉の鏡』。
…いや…壁と言うべきか…窓?」
ブツブツ独り言をはじめる変人を尻目に、私は取り出された品を凝視する。
紫色の布をかぶせられた、鏡らしきもの。
見た感じ、今までの彼の作品のような禍々しさを感じない。
やはり、布で隠れているからか?と、布に手をかけようとした瞬間、彼は急いで制止した。
「ちょっと待った。この鏡を覗く前に、一つ約束事がある。
それは、必ずもう一枚鏡を用意する事。
そうしなければ、まずいことになる。特に、一般人はね。
キミなら、多分大丈夫だろうけど…まあ、一応ね」
そういうと、似合わないウインクをする。
気色悪い。
私は、カバンから乙女のたしなみである小さな鏡を取り出し、彼にこれでいいかと確認する。
彼は嬉しそうに頷き、紫の布に手をかけた。
「では、黄泉の世界にご招待~」
現れる鏡面。
見えるのは、彼のモノであろう、鏡面に付いた指紋。
そして、後方にある中庭。
空のコップ。
テーブルに置かれた小さな手鏡。
他には…無い。
何も見えない。
黄泉の世界も。
恐ろしい悪霊も。
私自身も。
視界が回る。
世界が廻る。
目の前の鏡に、私の存在が否定される。
私は誰?
私はダレ?
ワタシハダレ?
次の瞬間、目の前にもう一つの鏡面が姿を現し、髪の長い少女が現れた。
「君はここにいる」
その瞬間、頭の中のまどろみは弾け、現世に回帰する。
冷や汗が止まらない。
まだ心の中に、嫌な不安感が残っている。
「これは何!?」
自分でも驚くほどの声が出ていた。
「だから言ったろ?『黄泉の鏡』。
命名はオレ。へへ」
知らないうちに、張り手が飛んでいた。
「まあ、そう怒るなよ。使い方を間違わなければ、便利な道具だぞ。
一つ、この鏡はこっち側の住民は映さない。
一つ、向こう側の住人は無条件で映し出すことができる。
一つ、その他、霊的な物も映し出すことができる。
まあ、そのかわり危険性もありだ。なはは」
乾いた音がして、彼の両頬にもみじが咲いた。
これは、危険すぎる。
それから私は、その鏡を布でぐるぐる巻きにし、『封』と書いた紙を張った。
ウチには、そういう類のものが結構存在するので、『封』と書いただけでも人避けとしては効果的だ。
砕いて捨てようとも思ったが、その瞬間、得体の知れないものが飛び出しそうな気がして挫折した。
「賢明だね」
彼は、そう言って笑った。
ふと、彼がどのようにしてアイテムを作っているのか気になった。
彼の額からは、今も汗が流れ続けている。
確かに今日は暑いが、体に汗がにじむ程度だ。
いくら汗っかきでも、そこまで汗をかくものだろうか。
よく見れば、顔も青ざめている。
「冷や汗?」
そう、私が口にした瞬間、彼は笑ったままテーブルに突っ伏した。
ゴンという鈍い大きな音に、様子を見に来る祖父。
彼を見た瞬間、大慌てで救急車を呼ぶ祖父。
なぜか、時報を聞いている祖父。
結局、彼は病院のベッドで目を覚ます事になった。
どうやら鏡を作るのに、自分の血を使ったらしい。
あとちょっとで、失血死だったらしい。
あとちょっとだったのに。
彼が退院して、何故あんなものを作ったか聞いてみた。
すると彼は、
「あったら色々と便利でしょ。特に君の家系は」
と、笑っていった。
たしかに、ウチの家系はそういう人間が多い。
私の妹達も、私自身も・・・。
生物を映さない鏡。
私が目の前のコップを持ち上げたら、鏡の中のコップも持ち上がったのだろうか?
それを口に出すと、
「持ち上がるよ。ポルターガイスト現象だな」
と、彼は答えた。
黄泉の鏡は、むこう側の住民を写し、こちらの住民を否定する。
ならば、普通の鏡はその逆なのだろうか。
だとすると、普通の鏡を見たむこう側の人間は、あの時の私と同じ気持ちになるのだろうか。
「幽霊には、他の幽霊が見えないと聞いた事がある。では、人間は?
彼らは、実は常に孤独なんじゃないだろうか。
でも、鏡を見たり、ふとした瞬間に人が見えてしまう。
そんな時に、藁をもすがる想いで、こちらに訴えかけてるんじゃないだろうか」
可哀想と思ってしまった。
孤独で、しかも、鏡でさえも自分を映さない世界。
きっと、堪えられる人間なんていないだろう。
「もしかしたら、そこらへんにある鏡も、向こうの住人にとっては『現世の鏡』っていう、不思議なアイテムなのかもな」
私と同じ考えに、一瞬ナルホドと頷きかけたが、すぐに矛盾点に気付く。
「鏡に映る幽霊っていうの、聞いたことありますけど」
と突っ込むと、ニッコリ笑って「あっ、そっか」と頭を掻いた。
実は、この作品が初めて書いた作品だったりします。