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徒花

作者: ねぎとろ
掲載日:2026/10/25

何処まで落ちていくのだろうか。

この長いトンネルを進んだ先には何があるのだろうか。

今私は落ちている。

落下している。

落ちていく。

不思議なものだ。

もう何も思い出すことができない。


「こうなったのも、あなたのせいよ」

「冗談はよしてくれ、君のせいだろう」


私は今落ちている。

でも、それはどうしてだったか。

思い出せない。


「あれ、わたし。なにをしていたのだっけ」

「君が知っているのだろう?私に聞かないでくれ」

「”わたし”って何?”私”って何?わたしはわたしなの?」


どうして落ちていたのだろう。

思い出せない。

記憶をたどる。

思い出せない。


「誰か教えてくれないか。私はなぜ落ちているのだ」

「知らないわ、あなたが教えて頂戴」

「きっと疲れているのだ、これは夢に違いない」


目をつむり、視覚をシャットダウンする。

音が聞こえる。

落ちていく音だ。

空気の音だ。

風の音だ。

私が、落ちていく音だ。

だがどうして私の思考は、一向に夢から覚めないのだ?


「ねえあなた、これが夢じゃないことくらい分かっているでしょう?ふざけていないでどうにかしなさいよ」

「ふざけてなんかないさ、これは夢なんだ。こんなことはありえない。君も私の夢ならば黙りたまえ、私はいま起きようとしているのだ」

「はあ、もうそれ108回目よ。いいかげんにしてちょうだい。あなたの盲言に付き合ってる余裕はないのよ」


落下の感覚。

もう慣れてしまった、日常の感覚。

あれ、日常ってなんだっけ。

落ちていく。

偶然か、必然か。

そうだ、あの日はドライブをしていたんだ。

それで、

それで、どうなったのだっけ?


「少しは落ち着いた?」

「ああ、少しばかり落ち着いた気もする」

「あなたはいつも曖昧ね。もうすこし頼りになればよいのだけど」

「うるさいな、君も文句ばかりで何もしないじゃないか」

「だったらこの状況をどうにかしてみなさいよ!」

「それはすまない」


永久とも思える時間。

落ちていた。

ただ落下していた。

落ちていく。

先の見えない、明るいトンネルを。


「どれくらいたっただろうか」

「もう18日目よ。どうして生きているのか不思議だわ。何か変なものでも食べたかしら。」

「そんなもので不死身になったっていうのかい?冗談じゃない。」

「あら、ナイフで刺したのをまだおこっているの?いいじゃない。死ななかったのだし。」

「いつまで続くんだこの穴は!どうしてこうなった!」

「知らないわよ!あなたが思い出しなさい!」


あれ、どうしてだったか。

そうだ、妻が死んだんだ。

あれ、妻が死んだんだっけ。

そうだ、妻が死んだんだ。

ああ、そうだった。

本当に?

どうにかなってしまいそうだ。

苦しい。

落ちるだけなのに、苦しい。

どうしてこんなに苦しいのだ。

ああ、そうか、妻が私の首を締めているのだ。

どうして?


「どうして首を締めるんだい?」

「何かあるかもしれないじゃない。あなたの口から何か出てくるかもしれないわ」

「苦しいからやめてくれないか?」

「冗談じゃない。私が殺されちゃうじゃない」

「どうせ不死身だろう?だったら変わらないさ」

「嫌よ、あなたが死んで」

「力が入らないんだ。空気をいただけないだろうか」

「あと18時間経ったらね」

「ああ…」


意識が薄れる。

明るい光を背に、妻が見える。

落ちていく。

落下していく。

落ちる。

私は落ちた。

そうだ、落ちてしまったのだ。

思い出してきた。

私はトンネルに落ちたのだ。

トンネルに落ちた?

一体どうして?

わからない。

わからない。

わからない。

どうして、妻はそんな顔をしているのだ。


「そんな顔しないでおくれ、美しい顔が台無しだよ」

「あら、お世辞かしら。あなたに向ける感情なんて、ほんの少ししかないわよ」

「かなしいね」

「独りよがりね。自分勝手はやめてほしいわ。さっさとここから出る方法を考えなさい」

「君、そればかりだね。わからないと言っているじゃないか」

「わからないなら考えなさい。あなたの悪い癖だわ。すぐに諦める」

「わからないことだらけなんだ。」


言葉が泡になって水面へ上がっていく。

私とは真逆に進んでゆく。

あれ、どうしてだ。

どうして私は落ちているのだ。

忘れてしまった。

何もかも、おもいだせない。


「私は誰だ」

「知らないわよ、あなたがかんがえなさい。そんなことより、私の体知らない?確かあなたの後ろ辺りを飛んでいたんだけど」

「それなら、あそこを飛んでいるじゃないか。君の左後ろだ」

「ああ、ほんとね。ありがとう」


どうしてこんなことをしているのだっけ。

どうしてこのトンネルから抜け出そうとしていたのだっけ。

段々思考がクリアになっていく。

そうだ、思い出せないんだ。

何も思い出せないんだ。

だからどうしようもないのだ。

でも、何を忘れたのだっけ。

そもそも、本当に忘れたのか?


「私は、私なのか?」

「しらないわ。わたしも知りたいわよ。」

「私の記憶は、本当に私のものだろうか」

「何をいっているのかわからないわ」

「…私もだ。何を言っているんだ」


段々日が沈んでいき、夕暮れの光がトンネルに差し込んでいた。

夜になると星が見える。

落ちていく。

このさきには何が待っているのだろうか。

自分が上を向いているのか、下を向いているのかもわからない。

ただ、落ちているのだけがわかる。

落ちていく。

落ちる。

落下している。

落下していく。

どうして?

きっと何かの引力に引き寄せられているのだ。


「何に引っ張られているのだろう」

「独り言?わたしもう寝たいから、静かにしてよね」

「ああ。すまない」


なんで引っ張られているのだ。

どうしてだろう。

でも、足がつかない恐ろしさを感じる。

何か恐ろしいものに近づいているのではないか。

はて、どうして落ちているのか。

私ももう一度目をつむり、眠る準備を始めた。

頭を下にしていると、脳に血が溜まって寝起きの気分はさいあくだ。

だから起きたら最悪の気分だ。


「起きなければいいじゃないか」

「ダメ」

「どうしてダメなんだい?」

「そんなの、自分でかんがえなさい」

「冷たいな。いつからそんな風になってしまったんだい?」

「うるさい。私は寝たいの。静かにして頂戴」

「こんなやり取り、何回目だっけ?」

「ええと、まだ10回目とかじゃない?」

「嘘だ、87回じゃなかった?」

「嘘じゃないよ」


わからないで頭がショートしそうだ。

私はめを瞑り、目を見開いた。

あれ、どうして君がここにいるんだ。

思い出せない。

君って誰だっけ。

名前は?


「あれ、?」


そこに君はいなくなっていた。


「どうして、何処に行ったんだ」

「いるわよ、ここに」


そこに君は居た。

どうしてかわからない。


「君、名前はなんだっけ?」

「知らないわよ。あなたが付けなさい。」

「あれ、最初から…?」

「どういう意味かわからないわ」

「ああ、ああ…」


落ちていく。

落ちていく。

何処までも、落ちていく。

どうして落ちていくのか。

わからない。

君が何者なのか。

そうだ、妻だったはずだ。

あれ、私に妻はいたのだっけ。

思い出せない。

落ちていく。

その繰り返し。


「朝よ」

「そうか」

「どうしたの?あなたがそんな顔をするなんて珍しい」

「少し…な」

「脳内の友達と喋るのはたのしい?」

「…!?今、なんて」

「いいえ、何でも」


ああ、もう何もわからない。

わからないが重複している。

停滞している。

渋滞している。

変わらない景色。

トンネルの灰色の壁と、橙色の蛍光灯。

思考を放棄ししたい。

もう何も考えたくない。

頭はとてもクリアだった。


「変なことを聞くが、君は私の幻覚なのか?」

「そんなわけないじゃない。何、いつから私が幻覚に見えているの?」

「いや、だよな。すまない、変なことを聞いて。」

「最初からに決まっているじゃない」

「私には君がわからないよ」

「冗談」

「…」


ああ、わからない。

君の名前を思い出したいのに。


「あれ、私は誰だっけ」

「……」

「なあ、何か知ってるなら教えてくれ!」

「……」


妻はもう反応しない。

頭がからっぽだからだ。

目も飛び出して、血液が首からドバドバと上に落ちている。


「君はいいよな、何も考えなくてよくて」


落ちたら私は何処へ行くのだろう。

トンネルを抜けたら、何処へ繋がっているのだろう。

空の光が差し込んでくる。


「あなたほどじゃないわ」


星が私の手に落ちた。

私は落ちている。

甘い匂いがする。

砂糖菓子のようだ。


「そうだ、君にプレゼントがあるんだ」


二人だけの時に渡そうと思っていた。

私は妻の手に、空気を手渡す。


「うん、よく似合っているよ」


そうか、そうだった。

あの日は妻との結婚記念日だった。


「…ッ」


痛い。

頭が、痛い。

落ちていく。

あの日、なにがあったんだっけ。

頭を抱えることすら、ままならない。


「ああ、ああ、ああ…」


もう言葉を返す人もいなかった。

落下して、落ちている。

ただ、落ちている。


「…きて」


妻はもう、目を覚まさなかった。

私は頬に手をおき、死体に口づけをする。

落ちていく。


「起きて」


今度ははっきり聞こえた。

入口の方から聞こえる。

私は落ちていた。

落ちていった。

落ちていく。


「起きて!」


あまりにも強く扉を叩くものだから、私は玄関へと向かった。


「はーい」


扉に手をかけ、戸は開かなかった。

鍵が閉まっていた。

鍵がないとあけられないようだ。

ドンドンドンドンと、激しく扉がノックされている。


「ちょっとまってくださいー」


私は落ちていく。

たしか、トンネルの底においていたはず。


「待ってあなた」

「どうしたんだい?」

「これを探しているのでしょう?」

「ああ、そう。それだ」


妻の手には幼い少女が握られていた。

私の大切なものだ。


「娘をわたしてくれるかい?」

「…しょうがないわね。今回限りよ」


妻は優しく微笑み、鍵を手放した。

私はあわててそれをキャッチする。

視界が歪み、空がねじれ、私は空に落ちていった。

扉がある。

まだノックの音が聞こえる。

振り返ると、そこには何もなかった。


「起きて!!!」


意識が持っていかれる。

轟音と共に、世界は崩れていく。










































































「パパ!!!」

娘の声が聞こえた。

真っ白な視界が、色で彩らえていく。

私は娘の手を握っていた。

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