表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

毒を吐く

作者: にこた
掲載日:2026/06/18

紫陽花が病院の中庭に青色に咲いている。おりんは毒を吐くように語り始めた。生きることは、毒を身体にためることだ。時折、吐き出さないととてももたない。

毒を吐く



夏。正確に言えば初夏、いやまだ梅雨と呼ぶべきだろう。暑いから夏でいい。どうでもいいと、おりんは思っている。湿った空気がじっとりと肌にまとまりつくので、やはり今は梅雨なのだと考えを正す。


おりんは額紫陽花が好きだ。中央花を取り巻いている鮮やかな、とくに青い花弁のやつが好きで、子供の頃からいつか育ててみたいと思っていたけれども、憧れで終わってしまっている。となりの家の鉢植えには朝顔もあったが、まだ咲くには早いだろう。紫陽花と朝顔が同時に咲いている時期はあるのだろうか、紫陽花にしか興味がなかったのでわからない。


おりんは、ときどき思い起こすことがあるという。それらは生涯忘れることのできない宝と呼ぶものではなくて、記憶を呼び起こすと落ち込むことだそうで、できるならば脳から削除してしまいたいと強く願っている。そういうことばかり脳裡に浮かんでくるのは自分だけかと不思議に思うが、そんなことないことは充分に知っている。皆どういう手段をもって消してしまいたい感情を処理しているのかをゆっくり教えてもらたいくらいだ。もちろんよい思い出もたくさんあるけれども、年を重ねるごとにそれらは脳の隅にしまわれていくことが多くなり彼女はその寂しさを処理できなくて、なにか心のうちから大切なもが漏れてゆくような気分になる。そしていたたまれなくなるそうだ。



おりんは自分は淋しいと、薄っぺらいと言う。その中で、どうしても忘れられない不快な思い出を5つ挙げてもらった。


2番は、結果的に追い出されたときのことだそうだ。そのときは、バーカ!と一念発起し、そして40名が所属するこの場をつくり上げた。その果て、5年がこれか、しらけた・・・傷づついたので、立ち直るまでに時間がかかったが、いいえ、まだまだ引きづっている。あいつらのほうが悪い!やれるもんならやってみろと思うことにした。いまもそうしている。思い出す度にだ。でも結局できないでいる。。まるで幽霊のようだ。しつこいと。無理だ、おまえらはもって3年がいいとこだろう。あんなに世話をしてきたのに、そういう風に切り捨てるのか。場所、時間、内容、イベントの準備、飲み会の設定、すべておりんがやってきて30名のメンバーをまとめてきたのだった。あんなに楽しい時間をともに過ごしてきたはずなのに、だれにそそのかされたかは知らないが何人もあちらへ行く。たしかにあのことに関しては彼女の方が悪いが、あのときはいつもの彼女ではなかった、それを分かっていてほしかったが話してもしようがない。話したところで理解できないだろう。こうも思う。話していなかった自分が悪いのだろうと。ただ彼女はが元来そんなことをする人間ではない・・・と伝わっていなかったことが、情けないし、馬鹿らしいと吐き捨てた。だいたいそんな場で友人をつくるなんてことはできるはずはないのだと、つくづく思った。当たり前だと彼女は思う。でも無駄な時間をすごしたとは、彼女はこれっぽっちも思っていない。それはそれでよかったのだと自分に言い聞かせているようだ。しかしこころのなかで、まだくすぶっているわだかまり消えていない。その時の彼女の表情は悲し気だった。



3番目は、冗談で言った言葉を間に受けて反応して、おりんが何度謝っても駄目だったとき。あのときもいつもの自分でなかったと後から気づいた。それ以来彼女を無視し続けたのは職場で仲のよかった先輩だ。たしかに傷つけたのは彼女の方だが、さんざん他人のことを、そうやって面白おかしく、他人のことをあれこれと陰口を叩いていたのはそいつだ、自分は言いふらすくせに自分が言われたときは絶対に許せないのだ。そうなんだ・・・そういう奴だったんだ、いったいこれまでのつきあいは何だったのか、自分には人を見る目がなかったということか、アホらしくなった。腐った女と自分のなかで確定させた。その先輩は若くして亡くなったが、正直、ざまーみろ!と激しく思っていたので通夜にも葬儀にも行かなかった。後悔はない。



パワハラにあった。それがおりんが言った4番目だった。典型的なものだった。地獄の毎日でしたと下を向きながら小声になっている。実際気が狂ったと言う。課長も係長も同僚もだれも味方になってくれなかった。一度でも逆らっていたならば・・・と思うが後の祭りで、そもそもそんなことはできなかった。そうやってターゲットを追い込むのがパワハラというものだ。そいつはターゲットを変えて、いつもパワハラしていると言われていたらしい。なぜだか知らないが、最終的に部長まで昇任した。どうしてだろう?と不思議だった。自分の後のターゲットは誰だか知ってはいたけれども、どうすることもできず。ただそいつを激しく憎むだけで悔しかったと静かに語った。


5番目。高校生活で担任をどうしても好きになれず学校を休みがちだったこと。創立90周年の歴史があるだけの、地元国立大学に合格するのは毎年せいぜい20名ほどしかいない1流半の校舎で授業を受けた。西日が当たる3階角の教室で奴はおりんのことを皆の前で何度も罵倒した。ひたすら3学期が終わってくれるのを待ち毎日毎日耐えた。いつかのテレビで奴がどこか高校のサッカー部顧問として姿が映っていたのをみたときは、あのときの感情がふつふつとこみあげてきた。年からいってもう死んでいてもおかしくはないと彼女は思っている。



最後、1番にあげたのは、大学受験に失敗し浪人したときだ。おりんは予備校に通った。それはJRの線路沿いに建てられた、今になってはよく思い出せないが、たしか8階建てでなにかの専門学校と併設していたような気がすると朧げな記憶を辿っているようだ。地元では古くからある予備校だったけれど、そのころ王手予備校の進出があって人気はそちらのほうがあったと記憶している。一度そちらの方に遊びに行ったことが妙に記憶に残っているそうだ。そこで何をしたかまでは覚えていない。

予備校での彼女は成績優秀で模擬試験は学内トップになり玄関に名前を張り出され、図書券をもらったことを覚えている。彼女は、余計なものには目をくれないで勉強だけに集中した。1日10時間は机に向かっていただろうと目を細めた。英語の構文は700覚えて、歴史の教科書を穴が空く程に読んだ。でも、それは秋までしか持たなかった。ガソリン切れになって張っていた糸がプツンと切れた。それからは勉強をやろうとしてもできなくなった。あるとき予備校の先生から電話があった。予備校に顔を見せない彼女を心配して受話器を取ったらしい。どうしたの?と30半の髪が長くて、やさしく、そしてゆっくりと話すひとで、最初から気に留めてくれていたひとでした、と懐かしんだ。彼女は人の顔を覚えるのが苦手な方だけれども、今もその人の顔をはっきりと思い出すことができると言い切った。あのとき予備校に行き彼女と話せば何かが変わっていたのかも・・・いまでも会いたい、一言でもお礼を言いたいと後悔している。それでも予備校には行かなかったそうだ。結局、夏がようやく終わりが見えてきた、あの柔らかに日が射すようになった頃から勉強ができず、そして一体何をしていたのか全く覚えていない時間を無駄に過ごし、一切勉強をしないで受験シーズンを迎えた。2流大学に合格した。親からは、おめでとうとかは何も言われなかった。父から、そんなものかと言われ、深く傷ついた。

あのころはまだ新聞が大学別に合格者を掲載する欄があって、彼女は恥ずかしくて情けなかったと当時のことを忌まわしく言う。



ここまで言うとおりんは身体中の毒を吐いたようにみえた。そして言う。


「どれだけ自分が未熟であったことの証明です。これまでもこれからも繰り返して、繰り返すだろうと思う。そしてまわりには誰もいない。それがわたしの人生」と言った。


「でもおりんさん、それもあなたのよいところに繋がっているの」




「おりんさんは夏は好き?」


「好きです。朝顔と向日葵も、いつか紫陽花と並べて一緒に咲くところを見ながら西瓜を食べたい」


「そうね。それじゃあ、今日はこれまでにしておきましょう。また明後日」


「はい。ありがとう」



西野は静かに戸を閉めて、規則正しい足音を残して去っていった。

すこしだけすっきりとしたと、おりんはシンプルに思った。


病院の中庭には、青い額紫陽花が見える。その近くで鉢植えされている朝顔と向日葵が咲くには、まだ早いみたいだ。どうなんだろう、同時期には咲かないのか、でもやってみよう。退院したら勉強して3つの鉢で育ててみよう。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ