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9話 三下魔王の処世術と逃げゆく者への憧れ

 煙の上がっていた場所へ近づくと、イリスお姉さんが足を止めた。

 そこはもう荒野ではなく、背の低い草がまばらに生える平原の入り口だった。


 「ここから先は人目があるわ。変装しましょう」


 お姉さんがどこからともなく取り出したのは、旅人が着るような厚手のローブだった。

 地味な色合いで、フードもついている。


 「……なあ。翼と尻尾、どうするんだ?」

 「隠すのよ。ほら、こっちを向いて」


 お姉さんは楽しそうに俺の背中に回り込むと、まるで着せ替え人形を扱うような手つきで服を整え始めた。


 「翼はね、こうやって畳んで、肩甲骨に寄せるの。……うん、可愛いわ♡」

 「っ、くすぐったい……!」


 翼の付け根を弄られる感覚に、背筋がぞわぞわする。

 だが、お姉さんはお構いなしだ。


 「尻尾は、お腹の方へ回して……こう。軽く固定しましょうね」

 「ぐるぐる巻きじゃねえか。血が止まるぞ」

 「大丈夫よ。サキュバスの体は柔軟だから、これくらいなら平気。……ふふ、ちょっとお腹が苦しそうな顔も素敵よ、ミア」


 結局、俺はローブの下でボンテージのように体を締めつけられることになった。

 確かに外見からは魔族だとわからないが、着ている本人は拘束感でいっぱいだ。


 「さあ、行きましょうか」


 変装した俺たちは、何食わぬ顔で煙の元である小さな村へと向かい、足を踏み入れた。


 ◇◇◇


 村は想像していたよりも活気があった。

 木造の質素な家屋が並び、畑には作物が実り、家畜の声が聞こえる。

 けれど、その空気はどこか寒々しい。

 村人たちが、広場の方を恐る恐る見ているからだ。


 「……何かあったのか?」


 俺が小声で呟くと、お姉さんはフードの下で目を細めた。


 「先客がいるみたいね」


 村の中央広場。

 そこには有り合わせの材料で作っただろう即席の玉座っぽい椅子があり、一人の厳つい魔族の男がふんぞり返っていた。

 派手なマントに、無駄に宝石をつけた剣。

 周囲には、槍を持った十数人の男たちが付き従っている。

 兵士というより、ただのごろつきにしか見えない。


 「おい、そこの旅人!」


 広場を横切ろうとした俺たちに、玉座にいる男から鋭い声が飛んだ。


 「見ない顔だな。この村を通るなら、通行税を払ってもらおうか」


 ベタだ。あまりにもベタな展開だ。

 俺はため息を我慢し、フードを深く被り直す。

 面倒ごとは避けたい。


 「……金なら、ない」

 「ふん、金がないなら荷物を置いていけ。あるいは……」


 男の視線が、俺の隣に立つお姉さんに釘付けになった。

 ローブを着ていても、隠しきれないプロポーションと、立ち振る舞いからにじみ出る妖艶さ。

 男の目が下卑た光を帯びる。


 「ほう、いい女を連れているじゃないか。その女を置いていくなら、通してやっても──」


 その瞬間、空気が凍りついた。

 物理的な温度が下がったわけではない。

 お姉さんが、一歩前に出ただけだ。


 「あら。私をご所望かしら?」


 鈴を転がすような、甘く、美しい声。

 だが、その声を聞いた瞬間、玉座の男の顔からヘラヘラした笑いが消えた。

 まるで猛毒の蛇が足元にいることに気づいたかのように、目を見開いて硬直した。


 「……お前、その声……いや、その立ち方……」


 男の喉が、ひゅっと鳴る。

 ただのごろつきの親分かと思ったが、どうやら多少は見る目があるらしい。

 あるいは、古い記憶の引き出しが開いたのか。

 男は玉座から立ち上がり、震える手で剣の柄を握り──そして離した。

 顔色が青を通り越して、土気色になっていく。


 「……し、失礼ですが……お名前を、伺っても?」


 声が震えている。

 周囲の部下たちは、どうしたんだみたいな顔をしているが、その男だけは脂汗を流して直立不動だ。

 お姉さんは、フードを少しだけ持ち上げ、唇だけで笑った。


 「イリスよ」


 短く告げられた名前。

 その瞬間、男の時間が止まった。

 絶叫はなかった。

 悲鳴も、腰を抜かすような無様な姿もなかった。

 ただ、魂が口から抜けかけ、必死に戻そうとしているような、奇妙な静寂があった。


 「…………ッ」


 男は音もなく息を呑み、数秒間、パクパクと口を開閉させる。


 「こ、これはこれは! 遠路はるばる、ようこそお越しくださいました!」


 深々とした、直角に近いお辞儀だった。

 さっきまでの傲慢さはどこへ消えたのか。見事なまでの手のひら返しである。


 「し、知らずとはいえ、数々のご無礼……どうかご容赦を! ささっ、立ち話もなんです。どうぞこちらへ。一番良い席をご用意いたします!」

 「あら、いいの? 通行税は?」

 「め、滅相もございません! むしろ金貨の一枚でも差し上げるべきところでございます!」


 部下たちに「おい、椅子だ! あと茶! 最高級の茶葉を出せ!」と怒鳴り散らしながら、男は俺たちを村の集会場へと案内した。


 (……変わり身が早すぎるだろ)


 俺は呆気にとられながら、その背中を追った。

 ここまで徹底していると、いっそ清々しい。

 通されたのは、村で唯一の石造りの建物だった。

 男は甲斐甲斐しく、自ら俺たちのために椅子を引き、茶を淹れた。

 手が震えて、カップとソーサーがカチャカチャと音を立てているのが哀愁を誘う。


 「……あの」

 「は、はいっ!」

 「あんた、ここの魔王なのか?」


 俺が尋ねると、男はぶんぶんと首を横に振った。


 「とんでもない! ただの……そう、ただの自称です! 魔王を名乗れば、箔がつくかと思いまして……ハハハ……」


 乾いた笑い。

 こいつ、完全に心が折れてやがる。

 お姉さんは出されたお茶を一口飲み、優雅に微笑んだ。


 「悪くないお茶ね。……で、あなたは私の顔を知っていたの?」

 「は、はい……昔、遠目ですが……先代魔王様の軍事パレードで……」


 直立不動のまま、絞り出すように答えた。


 「その……裏切りの日に微笑んでいた姿が、脳裏に焼きついておりまして……」


 トラウマじゃねえか。

 俺は心の中でツッコミを入れた。

 そりゃ怖いわ。

 国のトップを破滅させた張本人が、ふらっと目の前に現れたのだから。

 死神が訪問販売に来たようなもんだ。


 「そう。昔のことなのによく覚えているのね。感心だわ」

 「き、恐縮です……」

 「じゃあ、ちょっと席を外すわ。この村の様子を見ておきたいの」


 お姉さんは唐突に立ち上がった。

 俺を残して。


 「え、おい」

 「すぐに戻るわ。ミアはそこでゆっくりしていてね♡」


 俺の頭をぽんぽんと撫でると、お姉さんは部屋を出て行った。

 残されたのは俺と、冷や汗まみれの自称魔王。

 気まずい。

 男は、お姉さんの気配が完全に消えたことを確認すると、へなへなとその場に座り込んだ。


 「……し、死ぬかと思った……」

 「……そんなにやばいのか? あの人」


 軽く質問すると、ハンカチで額の汗を拭いながら、信じられないものを見る目で俺を見た。


 「やばいなんてもんじゃねえよ……。嬢ちゃんは、あの人の連れなんだろ? 知らねえのか?」


 そのまま声を潜め、震える声で言った。


 「……やばい出来事はいくつもあるが、共通してるのは一つだ。あいつに関わった組織は、内側から食い荒らされて消滅する」

 「うわぁ……」

 「先代の魔王軍だけじゃねえ。何十年か前の竜族の派閥争いも、西方諸国の争乱も、裏にあいつがいたって噂だ。……あいつは、魔王よりタチが悪い災害なんだよ」


 俺は出されたお茶を飲んだ。

 味はしなかった。

 俺を飼っているお姉さんは、想像以上に歴史の闇に根を張った怪物らしい。

 そんな怪物が、今は理想の妹作りに精を出している。

 世界にとっては少し平和かもしれないが、俺にとっては地獄だ。


 「……なあ、あんた」


 俺は同情を込めて言った。


 「災難だったな」

 「ああ……。だが、命があるだけマシだ。へこへこ頭を下げて嵐が過ぎ去るなら、いくらでも下げるさ」


 そいつは、ある意味で達観していた。

 プライドよりも命。

 三下には三下の、生き残るための知恵があるのだ。

 その時、ドアが開いた。


 「ただいま♡」


 お姉さんが戻ってきた瞬間、男はバネ仕掛けのように跳ね起き、再び直立不動になった。

 早すぎる。脊髄反射レベルだ。


 「おかえりなさいませ!」

 「ええ。……いい村ね。気に入ったわ」


 お姉さんはにっこりと笑い、爆弾発言をした。


 「ここ、欲しいわ」

 「はい……?」

 「今日からこの村は、私の妹である新魔王ミアの領地よ。文句あるかしら?」


 男はわずかに反応が遅れるも、次の瞬間、満面の笑みを浮かべた。

 心底、ほっとした様子で。


 「どうぞどうぞ! 喜んで献上いたします!」

 「あら、いいの?」

 「もちろんです! 私ごときが管理できる器ではございませんでした! さあ、野郎ども! 撤収だ! 荷物をまとめろ、今すぐ出るぞ!」


 部下たちに号令をかけると、逃げるように──いや、実際に全力で逃げ出した。

 その背中は、助かったという歓喜に満ち溢れていた。


 (……いいなぁ)


 俺は、窓の外を去っていく男たちを見送りながら、心底思った。

 領地を奪われ、プライドを捨て、逃げ出した彼ら。

 だが彼らは、イリスという危険過ぎる存在から逃げ切ったのだ。

 物理的に距離を取ることができたのだ。

 それに比べて俺はどうだ?

 振り返ると、お姉さんが至近距離で俺に抱きついていた。


 「楽に村が手に入ってよかったわね♡」

 「……うん。そうだね」


 自称魔王だった男よ。達者で暮らせ。

 俺はこの最強で最悪な飼い主の元で、もうしばらく足掻いてみることにするから。

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