8話 威厳のない勧誘と予期せぬ隣人
魔王としての仕事。
今のところ、それは荒野を歩き回ることだ。
今日は朝早くから屋敷を出発し、離れたところへの遠征をすることになっている。
長く歩き続けたからか、すでに足の裏に痛みを感じていたが、泣き言を漏らすわけにはいかない。
隣を歩くイリスお姉さんが、まるでピクニックにでも行くかのような足取りだからだ。
「はい、これを持っていて」
渡されたのは、薄い金属の板だった。
表面には精緻な魔術的?な刻印が施され、淡い光の点が明滅している。
よく見ると、光点は俺たちの動きに合わせて移動していた。
「……地図、か? しかも現在地がわかる」
「ええ。屋敷を起点にして、周囲の地形を把握できる優れものよ」
文明の利器だ。いや、魔導の利器と言うべきか。
こんな高度なアイテム、辺境の荒野に転がっているわけがない。
「これ、どこで手に入れたんだ?」
「旧魔王軍の宝物庫から」
「……は?」
「先代が消滅したどさくさに紛れて、拾ってきたのよ。あそこにあっても、埃を被るだけだもの♡」
お姉さんは悪びれもせず、事も無げに言った。
言葉の定義が壊れている。
国一つを滅ぼす手引きをしたついでに、宝物庫の中身まで漁っていたのか。
拾ったんじゃなく、火事場泥棒と言うんだそれは。
この人の準備には、一体どれほどの犠牲が含まれているのだろう。
「便利でしょう? 迷子になったら大変だから、肌身離さず持っていてね」
その言葉は優しかったが、逃げても無駄という警告にも聞こえた。
GPS付きの首輪を渡された気分だ。
◇◇◇
しばらく進むと、また魔物の群れに遭遇した。
だが、昨日のような凶暴な肉食獣ではない。
丸々とした体に、愛嬌のある大きな耳。
人間の子どもほどのサイズがある、大きいネズミのような魔物たちだ。
彼らは地面の草の根をかじっていたが、俺たちに気づくと一斉に身をすくませた。
「……戦う気はなさそうだな」
「ええ。臆病な魔物よ。でも、土を掘るのが得意だから、拠点の整備には役立つわ」
お姉さんは一歩下がり、俺の背中をトンと押した。
「さあ、勧誘してらっしゃい」
「勧誘って……言葉、通じないだろ」
「昨日のように力でねじ伏せる必要はないわ。彼らは弱いもの。……あなたの魅力で落としなさい」
ひどい無茶振りだ。
とはいえ、命懸けの殴り合いをするよりはだいぶマシだ。
俺はため息をつきつつ、魔物たちの前へと進み出た。
「えっと……その……」
ネズミたちは、俺を警戒してジリジリと後退する。
敵意はない。ただ怯えている。
ここで威圧したら逃げられるだけだ。
俺は武器を持っていないことを示すように両手を広げ、できるだけ友好的な笑みを浮かべた。
「怖くないぞー……何もしないぞー……」
幼児に言い聞かせるような口調。
我ながら情けない。魔王の威厳など欠片もない。
言葉は通じないので、身振り手振りで伝えるしかない。
俺は地面を指差し、次に屋敷の方角を指差し、両手を握手するように合わせた。
「一緒! 仲間! わかるか!?」
内心、なにやってんだと思わなくもないが必死だ。
背後にお姉さんの視線がある以上、失敗は許されない。
俺はしゃがみ込み、目線を合わせ、上目遣いでお願いのポーズを取った。
(頼む……伝わってくれ……! 俺の尊厳がかかってるんだ……!)
翼をパタパタ動かし、尻尾を緩やかに振る。近づけないがゆえの、涙ぐましい努力だ。
その必死さが、奇妙な形で伝わったらしい。
群れの一体が恐る恐る近づいてきた。
鼻をひくひくさせ、俺の指先を舐める。
「……お?」
その一体が、俺の足元に体を擦り寄せてきた。
それを見た他の個体も、次々と集まってくる。
気づけば俺は、もふもふしたネズミの群れに囲まれ、甘えられていた。
「……ちょ、くすぐったいって!」
どうやら無害な存在として、あるいは守ってくれる上位者として認められたらしい。
サキュバスの特性なのか、単に俺が舐められているだけのか。
とにかく安堵して息を吐くと、背後から熱っぽい吐息が聞こえた。
「……はぁ……♡」
「えっ」
振り返ると、お姉さんが頬を染め、口元を押さえていた。
「一生懸命、身振り手振りでお願いして……上目遣いで弱い魔物に媚びる魔王ちゃん……」
「……おい」
「可愛すぎて、胸が苦しいわ。そのまま屋敷で飾っておきたいくらい」
「物騒な愛で方をするな!」
どうやら俺の必死な交渉は、お姉さんの歪んだ性癖に突き刺さったらしい。
屈辱だが、結果オーライとするしかない。
◇◇◇
ひとまず魔物たちを解散させたあと、俺たちは岩陰で昼食ついでに休憩を取ることにした。
広げられた布の上には、お姉さん手作りのお弁当。
彩り豊かな野菜と、柔らかく煮込まれた肉料理に、サンドイッチ。荒野の真ん中とは思えない贅沢さだ。
「はい、あーん♡」
「……自分で食うよ」
「だめ。私の手から食べなさい。どうしてもと言うなら、口移しにしてあげる」
拒否権はない。
脅し文句のレベルが高すぎる。
差し出されたフォークから肉を頬張りながら、俺はふと景色が変わっていることに気づいた。
荒涼とした岩肌が減り、まばらに緑が見え始めている。
遠くには、草原らしき緑の地域も確認できた。
「……なあ。思ったより、緑地が近くないか?」
お姉さんの屋敷は、人里離れた未開の地にあるものだと思っていた。
だが、歩いて半日かそこらで植生が変わる距離だ。
「荒野の真ん中にしては、端っこ過ぎる気がするんだけど」
「鋭いわね」
お姉さんは、自分用のサンドイッチを優雅にかじりながら頷いた。
「あの屋敷を建てる時ね、資材は都会の方から転移魔法で運んだの」
「ああ、言ってたな」
「でも、大量の資材を運ぼうにも、転移魔法には距離の限界があるのよ」
なるほど。
便利な魔法にも制約はあるわけだ。
「安全な隠れ家を作るには、人目のつかない荒野がいい。でも、都会から離れすぎると魔法が届かない。だから──」
「転移魔法がギリギリ届く、荒野の端っこを選んだってことか」
「正解よ♡」
なんとも合理的だ。
隠れ家としての機能と、建築のコストを天秤にかけた結果の立地。
その時、俺は遠くの空に一筋の煙がのぼっているのを見つけた。
「……じゃあ、あれは?」
「ん?」
「あの煙。……たぶん、生活の煙だよな」
お姉さんが視線を向ける。
その目が、すっと細められた。
わずかな驚きのあと、すぐに計算高い光が宿る。
「……あら。意外と近かったわね」
「想定外だったのか?」
「ええ。屋敷の周りの結界構築と、地下の備蓄に忙しくて。荒野の外側までは詳しく見ていなかったわ」
そもそも、昔、荒野に向かう際にあの辺りを通ったが当時は誰も暮らしてなかったとのこと。
「長い月日の間に、村とかができたのね」
お姉さんは、地図にない煙の正体をねっとりと見つめた。
「もっと離れていると思ったけれど……。これは嬉しい誤算ね」
「誤算?」
「ええ。労働力や資源がすぐ近くにあるってことだもの♡」
その笑顔を見て、俺は背筋が寒くなった。
村か、街か。
どちらにせよ、あそこに暮らす人々にとって、俺たちが近づくことは災害でしかないだろう。
「……行くのか?」
「もちろんよ。お腹もいっぱいになったことだし、偵察に行きましょう」
お姉さんは楽しそうに立ち上がり、俺の手を取った。
その手は温かいが、俺を逃がす気配は微塵もない。
予期せぬ隣人の発見。
それは、俺の魔王としての仕事が、対魔物ではなく対人間になることを意味していた。
……争いは避けたいが、どうなることやら。




