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54話 居場所のなかった竜と生まれた大義

 緑竜たるレアの背に乗せられ、俺は日が傾きつつある空を飛んでいた。

 今度は口の中ではなく、ちゃんと背中の上に座らせてもらっている。


 「……なあ、レア」


 吹きつける風の中、俺は前を向いたまま尋ねた。


 「人の姿になれない竜って、竜族の国ではどういう感じだったんだ?」


 少し踏み込んだ質問だとは思ったが、このマイペースな飛竜がどう答えるか気になった。

 レアは首だけを少し後ろに向け、風に声を乗せて返してきた。


 「……居心地が、悪かった」


 短い言葉の中に、かすかな苛立ちが混じる。


 「排除まではされない。でも、視線が嫌だった。同情も、見下しも……何もかもが、違う生き物みたいに見てる気がして」


 群れの中、集団の中で、自分だけが異質であることの孤独。

 だが、その声は悲痛というよりは、すでに過去のことと割り切っているような響きがあった。


 「だから、出てきた。……今は、ルーサーのところで働いてる」


 レアは少し声のトーンを上げて続けた。

 話題を切り替える意味もあったかもしれない。


 「……ルーサーは、妻にわからせられた元男だって言うけど、時々本当に男なの?って思う」

 「……まあ、あれだけいやらしい空気を振り撒いてたらな」


 あの豊満でだらしない肉体と、恍惚とした表情を思い返し、俺は顔をしかめた。


 「でも、働く相手としてはそこそこ悪くない。食事も住む場所も無料でくれた。お金が欲しいと言えば、いくらでもくれる。ただの戦力として扱ってくれるから、気が楽」


 なるほど。レアにとっては、竜族としての同情や偏見を向けられるよりも、単純な雇用関係で結ばれている方が心地よいらしい。


 (それにしても、至れり尽くせりだな……)


 食事付き、寮完備、高給与。ホワイト企業ならぬホワイト魔王軍だ。

 だが同時に、ルーサーの姿が未来の自分に重なり、不安が腹の底で渦を巻いていた。


 (男のプライドを折られて、妻に逆らえなくなった魔王……)


 お姉さんにぐちゃぐちゃにされて、自分を完全に壊されるのって、どれくらい気持ちいいのか。あんな風に、幸せそうに笑えるようになるんだろうか──。


 「……っ! いかんいかん!」


 俺は慌てて頭を振り、その危険すぎる思考を頭から物理的に振り払った。

 堕落の入り口に立つな、俺。

 男としての自分を見失うんじゃない。


 「何一人で暴れてるの?」

 「いや、なんでもない。……それより、決戦のことだ」


 俺が咳払いをして尋ねると、レアは気のない声で答えた。


 「数日もすれば、使者とかが条件を伝えに来ると思う。それまで、のんびり待ってて」

 「のんびり待ってたら、その間にルーサーは他の魔王を倒して、残りの地域を支配してしまうってのに?」


 決戦を提案して時間を稼いでいる間に、残りの勢力を併合してさらに戦力を拡大する腹積もりなのは見え見えだ。

 すると、レアは首をぐるんと捻り、赤い瞳で俺をギロリと睨んだ。


 「……今すぐ殺そうか?」


 低い声。冗談には聞こえない。


 「……いや、なんでもない」


 空の上では竜が圧倒的に有利だ。

 サキュバスである俺も飛べるとはいえ、一方的にやられるしかないので、深いため息だけで不満を呑み込んだ。


  ◇◇◇


 やがて、空が茜色に染まる頃。

 俺たちはディフが籠城する渓谷の要塞の上空へと到着した。


 「じゃあ、ここで」


 レアは要塞の少し手前に降り立ち、俺を降ろすと、あっさりとUターンして飛んでいった。

 俺が一人で要塞の城門へ歩いていくと、そこには非常に気まずい空気が流れていた。

 まず、城壁の上から向けられる、兵士たちの大量の警戒と敵意。

 散々苦しめられてきた敵の竜に乗って帰ってきたのだから当然だ。

 そして、城門の前で待ち構えていた二つの影。


 「……無事でよかった」

 「お帰りなさい、私のミア♡」


 レジエとお姉さんだ。

 無事に戻った俺を見て安堵している。

 いや、それだけじゃない。

 二人の瞳には、怒りや心配を通り越して、劣情の混ざったかなりドロドロとした視線が。


 (なんでそんな目で見るんだ、怖すぎる)


 特にレジエは、自分の大事なものに別の竜の匂いがついているのが気に食わないのか、今にも飛びかかってきそうな勢いだ。

 お姉さんも、笑顔のまま背後に黒いオーラを背負っている。


 「……まあ、無事で何よりではある」


 その重苦しい空気を割って現れたのは、魔王ディフだった。

 彼は大きな斧を肩に担ぎ、俺の姿を見て深くため息をついた。


 「まさかその日のうちに帰ってくるとは思わなかったが……。で? 敵の総大将と会ってきた結果はどうなった」


 ディフの疑念に満ちた視線を受け、俺は事の顛末を説明した。

 ルーサーから一騎討ちならぬ、勢力の総力を挙げた決戦を申し込まれたこと。

 勝敗によって、ミアとルーサーのどちらかが主従になるという取り決めを交わしたこと。

 それを聞いたディフは、きょとんとしたあと、腹を抱えて大笑いした。


 「ガッハッハッハ! とんでもないバカがおるわ! たった一度の戦いで、すべてを決めると!?」


 ひとしきり笑ったあと、ディフはスッと真面目な顔になり、鋭い眼光で俺を射抜いた。


 「……だがな、小娘。その意味を理解しておるか?」

 「意味、とは」

 「勝っても負けても、大陸南部は統一され、巨大な勢力が生まれるということ。……それが、周囲にどういう波紋を呼ぶか、わかっておるのか?」


 ディフの指摘はもっともだった。

 俺が勝てば、南部全域を支配する魔王の誕生だ。負ければ、代わりにルーサーがその立場になる。

 どちらにせよ、均衡を望んでいた他の大きな勢力が黙っているはずがない。


 「えっと、それは……」


 俺が返答に迷っていると、横からお姉さんが優雅に一歩前に出た。


 「まず、大陸東部の竜族とは敵対することになるわね。彼らは南部が統一されることを望んでない」


 お姉さんは手を口元に当て、淡々と語り始めた。


 「西部の西方諸国連盟は、巨大化した我々を警戒するでしょうね。でも、こちらから交易や外交で歩み寄ることを怠らなければ、表向きの友好は保てるはずよ」

 「ふむ……」

 「一番厄介なのは、北部にいる旧魔王軍の残党。彼らがどう動くかは、現状では不透明。南部の統一を脅威と見て攻めてくるか、あるいは東の竜族を牽制するために我々を利用するか……まあ、見物ね」


 まるでチェス盤を俯瞰するプレイヤーのように、冷徹で的確な分析。

 ディフは感心したように深く頷いた。


 「……よろしい」


 そのまま俺とお姉さんを交互に見た。


 「魔王本人は未熟なれど、それを支える者が優秀であり、補えるならば……それでいい。上に立つ者には、有能な配下を使いこなす器も必要であるからな」


 (……使いこなしてるというよりは、振り回されてる方が近いんだけどな)


 俺は心の中で泣いたが、結果的にディフの信頼をある程度勝ち取ることには成功したらしい。


 「軍議については、そちらの本隊……歩兵と傭兵が到着し、戦力をすべて集めてからにしよう。その間にこちらもかき集める」


 ディフの提案に、俺も同意した。


 「ああ。俺たちも、一度オロネスへ戻って態勢を整える」


 ひとまず、要塞の防衛とルーサー軍の牽制のために、連れてきたアンデッド部隊や魔物たちは要塞に駐留させることにした。これで、ディフの軍も要塞の外で自由に動けるようになる。


 「行くわよ、ミア。……帰ったら、たっぷりお風呂に入れてあげるからね♡」

 「……お手柔らかにお願いします」


 俺は背中に悪寒を感じながらも、レジエとお姉さんに両脇を固められ、転移魔法によってオロネスへの帰路についた。


 ◇◇◇


 「……は?」


 オロネスの執務室において、帰還した俺たちの報告を聞いたカーミラは手にしたペンを落とし、完全に唖然としていた。


 「いつ決戦が起きるかわからないのに、傭兵を含めた全戦力を常に整えて待機しろと……? せめて時期が明確にわかるなら、無理な出費もできるのですが」


 カーミラは頭を抱えた。


 「大軍を維持するのは、それだけで莫大なお金がかかるのですよ! 食べて、寝て、武器を手入れする……何もしなくても、毎日集めた税が飛んでいくのです!」


 内政担当としての切実な叫びだった。

 だが、その悩みは数日もしないうちに解決することになる。

 オロネスの空に、あの緑竜が姿を現したのだ。

 レアは上空から手紙を落とし、ルーサーからの通達を伝えてきた。


 【決戦は、二週間後】


 準備期間としてはギリギリ。だが、逃げることもできない明確な期限。

 南部の平原での大決戦。その火蓋が切られるまで、残された時間はあとわずかだった。

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