53話 発情する覇者と均衡を操る影
「んぅっ……あぁ、ダメだ。話してたら、また疼いてきちゃったよ」
元男で今は雌豚の魔王ルーサーは、立ち上がるとその下品なほど豊満な肉体を揺らして俺ににじり寄ってきた。
瞳はどこか蕩けていて、吐息は熱を帯びている。完全に発情モードだ。
「ねえ、ミア……君も、一緒に気持ちよくなろうよぉ。妻から体に教え込まれた技、たっぷりと味あわせてあげるからぁ……」
「は? ちょ、待っ……!」
逃げる間もなく、ルーサーの巨大な胸と柔らかすぎる体に押し潰された。
文字通り肉に埋もれる感覚。むせ返るような香水と汗の匂いに、頭がクラクラする。
「おい、やめろ! 今、他の魔王たちと戦ってる最中だろ! 攻め込んでるんだろ! 何考えてるんだ、正気に戻れ!」
俺は必死に説得を試みた。
「んんっ……戦争なんてどうでもいいじゃない。今は、この熱をどうにかしてよぉ……」
ダメだ、まったく効果がない。
(なんで俺、敵の総大将にマウント取られて、しかも説得しなきゃいけないんだよ……!)
俺は内心で血の涙を流しながら嘆いた。
だが、幸いなことに、このサキュバスの体は副魔王たるお姉さんによって作られている。本人曰く、最高傑作とのこと。
「……くそっ、離れろっ!」
「あやっ!?」
俺が腕に力を込め、ルーサーの大きな体を強引に押し返すと、あっさりとひっくり返すことができた。
そのまま床に押し倒し、上から関節を極めるように押さえ込む。
「……痛い痛い! わかった、わかったから離して!」
さすがに正気を取り戻したのか、ルーサーは叫んだ。
俺が手を離すと、ルーサーは床に座り込みながら、信じられないという目で俺を見た。
「……君、サキュバスにしては異常に力が強いね。魔力で身体強化をするにしても、そこまでの出力にはならないはずだよ」
なかなかに鋭い指摘だ。
(……まあ、この体はお姉さんに作られた特注品だからな。数十年もかけるほどだ)
なんてことは口が裂けても言えない。
俺が視線を逸らし、「少し、生まれが特殊なんだよ」と誤魔化すと、ルーサーは何かを察したように目を丸くした。
「君は……作られたのか。ホムンクルスのように」
勝手に納得して、一人で考え込み始めた。おかげで発情はすっかり収まったようだ。
「悪かったね、たまにああなるんだ」
少し疲れた様子で椅子に座り直すルーサー。
俺はため息をつきつつ、元の席に戻った。
目の前の、普通じゃない夫婦関係による後遺症には、これ以上触れてもいいことはないのであえて見ないふりをする。
「……なあ。そもそも、どうして大陸南部の魔王たちに攻め込んだんだ?」
俺はおずおずと尋ねた。
攻めなくても、のらりくらりとやっていけたはずだ。
「聞いたところによると、なんだかんだで小競り合いをしつつ、均衡が取れてたらしいじゃないか」
すると、ルーサーは自嘲気味に苦笑した。
「その均衡が、他の者たちの手によるものだとしたら?」
「……どういうことだ。大きい勢力が、裏から手を回してるのか?」
「そうだよ」
ルーサーは自らの火照った体を、服の上からゆっくりと撫でて慰めながら話を続けた。
「大陸北部の旧魔王軍残党に、東部の竜族、さらには君の背後にいる西部の魔王たちの寄り合い所帯である連盟。……みんなが大なり小なり関わって、この南部の均衡を維持させていたのさ」
「なんでそんなことを……」
「そりゃ、南部に強大な統一勢力が生まれたら、全部の勢力が困るからさ。……適度に小競り合いをして、それなりの勢力が潰し合ってくれていた方が、大国にとっては都合が良くて楽でしょ?」
代理戦争、あるいは飼い殺し。
それが、南部の泥沼の抗争の真実だった。
「私にだって野心はあるからさ。行けると思って仕掛けたんだよ。訳ありの竜族を引き入れてまで、ね。……まあ、どこかの誰かさんが邪魔してきているけど」
俺をジト目で見つめてくる。
何か言い返そうとしたが、確かに面倒事に自分から突っ込んでいったのは俺たちの方だ。少し口ごもってしまう。
「……その、訳ありの竜族ってどういうことだ? あのレアとかいう、緑の竜のことか?」
俺が話を逸らすように聞くと、ルーサーは頷いた。
「竜族は、最初こそ人の姿だけど、成長して力をつければ巨大な竜になれる。竜族を従えている君はすでに知っていると思うけど。……でもね、生まれついて竜の姿のままで、一度も人の姿になれない者がわずかに存在するんだ」
「人の姿に……?」
「そう。向こうでは奇病だの、呪いだのと言われているらしい。詳しいことは私もわからないけどね。……それでまあ、レアというあの子は群れを追い出され、いろいろと放浪しているうちに、ここへ流れ着いたのさ」
種族としてはかなりの強者である竜族にも、特有の差別や問題はあるらしい。
ヴァルゴやレジエのようなはぐれ竜が生まれる背景には、そうした事情もあるのだろうか。
一時的に、部屋に無言の時間が流れた。
気まずくなった俺は、ふと思いついた一つの考えを口にした。
「……なあ。大陸南部の魔王たち全員が、俺の配下になるというのはどうだ?」
ディフは従うと約束した。なら、ルーサーも傘下に収めれば、他の魔王たちもこちらに付くしかなく戦争は終わる。
俺の言葉に、ルーサーは少し渋い表情を浮かべたが、即座に否定はしなかった。
考え込むくらいには、荒唐無稽なものではないということだ。
だが、数分ほど経ったあと、ルーサーは静かに首を横に振った。
「ダメだね。……まだこちらには勝ち目がある。はぐれ竜を、お金で雇えるからね」
「はぐれ竜を……?」
俺は息を呑んだ。
大陸は広い。ヴァルゴやレジエ兄妹のような、あちこちを放浪している竜族は他にもいるだろう。
ルーサーの資金力がどれくらいかは不明だが、今までの状況を考えると、彼らを傭兵として掻き集めることは可能という前提で考えた方がいい。
(……もし、敵の竜が数体でも増えたら、どうなる?)
アンデッド部隊は空からの広範囲攻撃に弱い。というか、地上にいる兵士で空に強いものはほとんどない。
いよいよとなれば、お姉さんの正体がバレることを覚悟して、副魔王としての絶大な力を頼るべきか?
いや、しかし……。
俺が迷っていると、ルーサーがテーブルから身を乗り出して提案してきた。
「長々と泥沼の戦争をやっても、お互いに損だ。兵力も資金も無駄になる。……だから、一度の戦いで決着をつけよう」
「決戦、か」
「ディフが籠城していた渓谷の要塞の、少し東に平原がある。そこで戦おう」
目が、勝負師のそれに変わる。
さっき、自ら自分は妻の雌豚とか言っていた者とは思えないほど。
「君が勝てば、私の勢力はそのままという条件付きだけど、君の配下になるよ。……でも、私が勝てば君が配下になれ、ミア」
一発勝負。
それは、持久戦になるといろいろ苦しくなる弱小勢力の俺たちからすれば、願ってもない提案だった。
しかし、わざわざ敵の総大将から提案してくるということは、向こう側にとって絶対的に有利な状況を整えられるという自信の表れだろう。
何か罠があるのか。それとも、増援の竜族が間に合うという確信があるのか。
(くそ、どうしたらいいんだ)
今度は、俺が悩む番だった。
負ければ、俺はルーサーに……いや、あの変態夫婦に調教される未来が待っているかもしれない。
具体的には、目の前で夫婦の情事を見せつけられるとか。えぐいものを見せられそうで怖い。
だが、ここで引けばジリ貧になるのは目に見えている。
「……わかった。その決戦、受けて立つ」
俺はまっすぐに相手の目を見て、決断を口にした。
「いい返事だ。……期待しているよ、魔王ミア」
ルーサーは満足げに微笑んだ。
その後、俺は再びレアという竜族に運ばれる形で、ディフの要塞へと送り返してもらえることになった。
中庭で回復魔法を受けて少し元気になったレアに、今度は口の中ではなく背中に乗せてもらう。
飛び立つ直前、俺は小さく息を吐いた。
(決戦の提案とか、捕まえたのにあっさり送り返すこととか……絶対に、他に何か企んでるよな)
だが、考えすぎても相手の思う壺だ。
今はただ、目の前の戦いに勝つための準備をするしかない。
俺は迫り来る風を受けながら、これから始まるだろう決戦への覚悟を固める。




