49話 竜の舌による洗浄と巨漢の魔王への提案
東の街道を急いで進んでいると、やがて俺たちの目の前に信じられない光景が広がった。
「なんだこれ……」
大地が、ぱっくりと割れていた。
はるか遠くまで、南北に果てしなく続く巨大な裂け目。かなりの深さを持つ大渓谷だ。
そして、その渓谷にまたがるようにして、灰色の巨大な建造物がそびえ立っていた。
それが、魔王ディフの籠城する要塞だった。
まるで前世で見た巨大なダムのような構造で、渓谷の内部にまで施設が入り込んでいるのがわかる。
(……重機もないこの世界で、どうやってあんなものを建てたんだ? 魔法を使ったのか?)
俺は魔界の技術力と、それを成し遂げただろう魔法に内心で舌を巻いた。
だが、感心してばかりもいられない。
要塞の周囲──渓谷の縁には、無数のテントが張られ、ルーサー軍の兵士たちがアリの群れのように包囲網を敷いていた。
「完全に囲まれてるな。……レジエ、飛ぶぞ」
「わかった」
俺たちは日が落ちるのを待ち、闇に紛れて行動を開始した。
兵士の配置が薄い、渓谷の張り出した岩肌のあたりを狙う。
俺は翼を広げ、レジエを抱えたまま音もなく夜空へ舞い上がった。
ルーサー軍の頭上を飛び越え、巨大なダムのような要塞の裏手、渓谷の内部にある岩棚のような場所へそっと降り立つ。
「ふぅ……なんとか潜入できたな」
着地し、翼を畳んで一息ついた、その時だった。
「……すん、すん」
隣にいたレジエが、俺の首元に顔を近づけ、鼻をひくつかせた。
「ん? どうした?」
「……ミア。臭い」
「ブッ!?」
俺は心臓に矢が刺さったような衝撃を受けた。
いや、わかってはいる。ここ数日、まともなお風呂に入っていないし、ずっと野宿や徒歩での移動、おまけに先ほどの飛行でも汗をかいた。
それでも、十代後半くらいの美少女から臭いと直球で言われるのは地味に傷つく。
「し、仕方ないだろ。風呂に入ってないんだから……」
「ダメ」
レジエは俺の両肩をガシッと掴んだ。暗闇の中でも、彼女の赤い瞳が獲物を狙うようにギラリと光っている。
「これから、ディフとかいう魔王に会いに行くんでしょ。……臭くて汚いままじゃダメ。魔王としての威厳がない」
「それはそうだけど……」
「でも、ここにお風呂はない。だから……わたしが舐めて綺麗にする」
「……は?」
俺が聞き返す間もなく、レジエは俺の右腕を取り、ローブの袖をまくり上げた。
そして、露出した手首から前腕にかけて、這わせるように舌を出した。
「ん、ちゅ……じゅるっ……」
「ひゃっ!?」
人間のそれとは違う、竜族特有の、猫の舌よりもさらにザラザラとした硬い舌の感触。
それが、汗ばんだ俺の肌を削り取るように、深く、ねっとりと舐め上げていく。
「お、おい。やめろ、こんなところで……っ!」
「動かないで。綺麗にしてるんだから」
レジエの左手が、俺の背後に回った。
「んんっ!?」
俺の最大の弱点である、サキュバスの尻尾の付け根。そこを、逃がさないようにガッチリと握り込まれた。
「あ、ぐ……っ、ひゃぁ……っ!」
急所を押さえられ、膝から力が抜ける。そこを撫で回されるだけで、口から情けない喘ぎ声が漏れる。
俺がへたり込むと、レジエは俺の服のボタンを器用に外し、肩からローブをずり落とさせた。ついでに指輪も外される。
「……毎日お風呂に入らないから、こんなに汚い」
レジエの声が、ひどく熱を帯びている。
「汗と泥と、ミアの魔力の匂い……。不潔。臭い。……犬であるわたしが綺麗にしてあげないと、どうしようもないね?」
「ぁ、んっ……や、だ……!」
言葉責め。
犬のふりをしながらも、その本性は完全に俺を捕食しようとしている獣だ。
首筋、鎖骨、そして胸元へ。ザラついた舌が這い回るたびに、痛痒いような刺激が全身の神経を焦がしていく。
「んちゅ……あむ、れろ……」
「あ、ぁあ……っ! れじぇ……やめ……っ」
「汚いご主人様。……汗の味、すごく美味しい。もっと綺麗にしてあげる」
汚いと言いながら、その声は歓喜に震えている。
屈辱的な言葉責めと、急所を握られていることによる絶対的な無力感。
それが、お姉さんによって開発された体を強制的に発情させていく。
俺の弱々しい抵抗と、濡れた瞳で喘ぐ姿が、レジエの加虐心をさらに興奮させるらしい。
やがて、そのザラザラとした舌は、俺の下半身──お尻や、さらにその奥の、決して見られてはいけない柔らかな粘膜のあたりまで、容赦なく侵略してきた。
「あ、ひぃっ……! そこ、だめ、ばかぁっ……!」
俺の悲鳴は、夜の渓谷の風に溶けて消えた。
念入りすぎる洗浄が終わった頃には、俺は全身をレジエの唾液で濡らし、自らの快楽の余韻でガクガクと震えるだけの抜け殻になっていた。
◇◇◇
「くそ……ひどい目に遭った」
俺は涙目で乱れた服を着直し、レジエを恨めしそうに睨みつけた。
「うん。ミアは綺麗になった。指輪返すね」
レジエは口の周りを拭いながら、たいそうご満悦だった。
俺は震える足に鞭を打ち、要塞の壁まで飛んで内部へと続く扉を押し開けた。
少し通路を歩くと、すぐにたいまつを持った見張りの兵士たちに見つかった。
「曲者め! 動くな!」
槍を突きつけられるが、俺は両手を上げて抵抗の意思がないことを示した。
「待て。俺は魔王ミアだ。そちらの魔王ディフと不可侵を結んでいる。……会わせてくれ」
「魔王……だと?」
兵士たちは怪訝な視線を交わした。こんな幼い少女が魔王だと名乗ったのだから無理もない。
「そこで待て。確認してくる」
槍を向けられたまま数分待たされたあと、奥の通路から重い足音が聞こえてきた。
「……本当に来なさるとはな」
現れたのは、あの時オロネスに使者としてやってきたドワーフの男、ドガだった。
彼は俺とレジエの顔を見ると、兵士たちに槍を下ろすよう合図した。
「本人だ。通せ」
ドガは俺に向き直り、短く告げた。
「用件は……この状況だ。言わずともわかる。ディフ様に会いに来たんだろう。こっちだ」
ドガの案内に従い、頑丈な要塞の奥へと進む。
やがて通されたのは、広い会議室だった。
部屋の中央にある巨大なテーブルで、一枚の地図を前にしかめっ面をしている巨漢がいた。
樽のような胴体に、丸太のような腕。顔の半分を覆うような立派な白い髭。
かなり長生きしていそうなドワーフが、南部の魔王ディフだ。
彼は顔を上げ、俺を見た瞬間、目を丸くして見開いた。
「……ドガから話は聞いておったが。小さいのう」
腹の底から響くような声で、率直な感想が漏れた。
(……お姉さんに成長を止められた肉体だから小さいのは事実だけど、そっちがでかすぎるのもあるんじゃないか?)
俺は内心で悪態をついたが、外交の場なのでぐっと抑えた。
「見かけで判断しない方がいいぞ、魔王ディフ。……こう見えても、竜族の兄妹に支配されてた都市を奪還し、支配している」
俺が胸を張って言うと、ディフは「ふはは!」と豪快に笑った。
「違いない。小娘の姿をしておろうが、魔王は魔王だ。……して、腹を割って話そうか」
ディフは椅子に座り、鋭い眼光で俺を射抜いた。
「我らを助ける気があるのか、ないのか。そして、見返りとして何が欲しい?」
なんとも直球な問いかけだ。
「現状はどうなっている?」
俺が尋ねると、ディフは忌々しげに髭を撫でた。
「要塞の備蓄は豊富だ。このまま何ヶ月も耐えることはできる。だが、それだけだ。打って出るに動けんし、勝てん。……厄介な竜族が、後方からの輸送部隊を空から襲うせいでままならんのだ」
「竜族……」
「ああ。そこのお前の付き人みたいに、女の竜族でな。空高くから火を吐いてくるだけで、地上に降りて戦おうとせん。……届かん敵には、対処のしようがない」
ディフの言葉に、一瞬だけ部屋の視線がレジエに集まった。
だが、ドガを通じて、はぐれ竜の妹を従属させているサキュバスの魔王という情報は伝わっているのか、敵意を向けられることはなかった。
問題はルーサー軍にいる竜族の厄介さだ。
空爆に特化しているなら、攻めても守ってもジリ貧になる。
(……見返り、か)
俺は思考を巡らせた。
領地のいくらかを報酬として貰うのはありだろう。だが、そもそもこの状況で俺たちに勝てるのか?
下手な約束をして共倒れになるのはごめんだ。
(……いっそ、お姉さんを話に混ぜるか)
俺は決断し、小指にはめた指輪に魔力を流し込んだ。
「お姉さん、聞こえるか?」
「ええ、ミア。聞こえているわ」
指輪から、澄んだ声が会議室に響き渡った。
「なっ!? その指輪……!」
ディフやドガたちがざわめいた。距離を無視して会話できる魔道具など、相当な希少品だからだ。
「俺の副官だ。……お姉さん、意見が聞きたい」
俺が一通りの状況を伝えると、指輪の向こうで数十秒ほどの沈黙があった。
おそらく、お姉さんの頭の中で、大陸全土の勢力図と損益計算が超高速で処理されているのだろう。
やがて、お姉さんは冷酷で、ひどく事務的な声で告げた。
「──魔王ディフが、我が魔王ミアの配下になるというのなら、全力で手助けします。……返答をお聞かせ願えますか?」
「は……?」
俺を含め、その場にいた全員が息を呑んだ。
同盟ではない。対等な条件闘争ですらない。
傘下に入れ、嫌なら見捨てる。という身も蓋もない脅迫じみた提案だった。
ドガたち兵士は殺気立ったが、ディフは片手でそれを制した。
彼は自らの髭をゆっくりと弄りながら考え込み……やがて、軽く鼻で笑った。
「……よかろう」
「ディフ様!?」
「勝利することができたなら、お前たちに従ってやるとも。……だが」
ディフは俺を値踏みするように睨んだ。
「たかが新興の勢力で、あのルーサーと竜族の軍に勝てるとは思えんな。ハッタリなら、高くつくぞ」
完全に舐められている。
だが、ここで引くわけにはいかない。
「……見てろ。まず、外の包囲を解く」
俺はディフをまっすぐに見据えて宣言した。
「そしたら、きちんと向き合ってほしい。こっちはまだ、ちっぽけな勢力だけど」
少し気まずい、しかし熱を帯びた空気が流れる中。
「籠城の足しにしてくれ」
俺は街で買い込んだ物資の大部分をテーブルの上に置き、レジエを連れて踵を返した。
長居は無用だ。交渉は成立した。
あとはもう早かった。
要塞のバルコニーから飛び降りると同時に、レジエが巨大な赤い竜へと姿を変える。
「グルォォォォッ!!」
俺はその背中に飛び乗り、包囲軍に見つかることなど気にも留めず、夜空を一直線に駆け抜けた。
できる限り急いで、俺たちの国へ帰還するために。
本格的な戦争の時が、もうすぐそこまで迫っていた。




