47話 計算高い犬と様子見に徹する村人たち
人目がない荒野の夜道。
俺は地面から数センチ浮いた状態で、滑るように低空飛行を続けていた。
サキュバスの翼と尻尾は隠さず、魔力を使っての移動だ。
徒歩よりも速く、高空を飛ぶよりも目立たない。隠密行動にはうってつけの方法だった。
ただ一つ、問題があるとすれば──。
「……んふ。ミア、いい匂い」
背中に張りついている荷物が、やけに重くて熱いことだ。
俺の背中には、大きな荷袋の代わりに、フードを目深に被ったレジエが密着していた。
彼女は竜族としての正体を隠すため、俺に運ばれる形をとっているのだが、その抱きつき方が尋常じゃない。
絶対に離さないとばかりに俺をロックし、首筋に顔を埋めている。
「……なあ、レジエ」
俺は飛行しながら、呆れ混じりに昨日の一件を蒸し返した。
「いくらなんでも、あの犬アピールは限度を越えてるだろ。……お前、誇りある竜族じゃなかったのかよ。恥ずかしくないのか?」
会議の場であれだけ堂々と犬の真似をした度胸。
あれは一種の自暴自棄かと思っていたのだが。
「恥ずかしい? 違う」
レジエは俺の耳元で、平然と答えた。
「あれは戦略。……わたしは、イリスには勝てない。力でも、魔力でも、狂気でも」
「まあ、そうだな」
相手は何百年も生きていて、副魔王という立場を得るほどのサキュバス。
本気を出さなくても、どれくらい厄介かはすでに見てきた。
「勝てない相手に牙を剥けば殺される。でも、ただ怯えて遠ざかったら、ミアのそばにはいられない」
レジエの腕に力がこもる。
「だから、犬になった。……愛玩動物の地位を確立すれば、イリスもわたしを排除しにくい。安全に、確実に、一番近くでミアを堪能できる」
「……お前、計算高いな」
壊れたわけじゃなかったのか。
生存本能と執着心が、彼女をあざといペットへと進化させたらしい。
「それに……飼い主が躾をしないから、こうなるの」
「ひゃっ!?」
不意に、首筋を舐められた。
人間のそれとは違う、少しザラついた爬虫類のような舌の感触。
さらには、音を立てて吸いつかれる。
「……うん。マーキング完了」
「お、お前……!」
「キスマークが残ってる間は、ミアの所有権を主張できる」
レジエは悪びれもせず、喉を鳴らして笑った。
完全に確信犯だ。俺はため息をつきつつ、飛行速度を少し上げた。
◇◇◇
夜も更けた頃、前方に小さな明かりが見えた。
規模からして、村だ。
俺たちは地面に降り、レジエも自分の足で歩き始めた。
旅人を装い、村に入る。
村人に交渉して、銅貨数枚で古びた空き家を借りることができた。
「ふぅ……疲れた」
家具もろくにない部屋だが、屋根があるだけマシだ。
荷物から保存食を取り出し、二人でかじる。
「せめて夕方に着いていれば、どこかで情報収集できたんだが」
俺がぼやいていると、レジエがぴくっと反応した。
無言で俺の腰を、竜の尻尾でつつく。
(……なんだ?)
レジエは人差し指を口に当て、壁の方を指差した。
壁に耳あり、ということか。
俺も静かに壁に近づき、慎重に聞き耳を立てる。
薄い壁の向こう、隣家か、あるいは外の通りからか、話し声が聞こえてきた。
『……うちの魔王様、大丈夫かねえ?』
『さあな。……なんでも、ここから西の方にできた新しい魔王と取り決めをしたらしいが……そっちに助けを求めたりとか、しないんだろうか』
『無理だろ。お互い攻めないってだけの約束だって聞いたぞ。……それに、あのドガ様が頭を下げて回ってるくらいだ、よっぽど切羽詰まってるんじゃねぇか?』
村人たちの世間話だ。
どうやら、この地域の支配者である魔王はかなり追い詰められているらしい。
(……西の新しい魔王は、俺のことか)
西の新しい魔王。そして、使者のドガ。
俺は先日訪ねてきたドワーフの男を思い出した。
あの時は、不可侵条約を結んだだけだ。援軍を出す義理はない。
それにしても、辺境の村人にまで不安が伝播しているとは、状況は深刻そうだ。
『まあ、俺たちにゃ関係ねぇよ。……支配者が誰になろうと、税を納める相手が変わるだけだ』
『だな。変に抵抗して村を焼かれるより、おとなしくしてるのが一番だ』
村人たちの声は、どこか冷めている。
彼らにとって魔王同士の争いは、天災のようなものなのだろう。
「……寝よう、ミア」
声が遠ざかったのを確認して、レジエが小声で言った。
「明日は早く出て、もっと大きなところで情報を集める」
「ああ、そうだな」
俺は古びたベッドに横になった。
すると当然のように、レジエが潜り込んでくる。
「……狭いぞ」
「火竜は体温が高いから、湯たんぽ代わりになる」
「今日はそこまで寒くない」
「……念には念を入れないと。もしも病気になったらよくない」
言い訳をしながら、太ももで俺の足を挟み、腕を絡めてくる。
柔らかい感触と、確かに高めの体温。
もう慣れてしまった自分が悔しい。俺は諦めて、レジエの赤い髪をよしよしと撫でた。
「……んー、ミアの手、好き」
頭を撫でられると、レジエは途端におとなしくなる。
規則正しい寝息が聞こえ始め、俺も意識を手放した。
◇◇◇
翌朝。快適とは程遠い目覚めだった。
「……ん、ぺろ……ちゅ……」
「……うあ!?」
頬を舐め回される濡れた感触で、俺は飛び起きた。
目の前には、舌を出したレジエがいる。
「……おはよう、ご主人様」
「お前な……こういう起こし方やめろ」
「だって犬だから」
涼しい顔で言い訳をするレジエ。
こいつ、ペットであることを理由にすれば問題ないと考えてるだろ。
「ダメな犬には躾が必要。さあ、お仕置きして?」
「……ここ村の中なんだが」
絶対に声とか外に漏れる。
俺は呆れつつ身支度を整え、早々に空き家を出て村の出口へ向かう。
「……待って、向こうから誰か来る」
「なんだ?」
蹄の音が響き、人を乗せた馬が村へ駆け込んできた。
どこかの伝令だ。
俺たちはフードを目深に被り、道端に避けて遠くから様子を見る。
広場に止まった伝令兵は、大声で宣言した。
「村の者たちに告げる! 魔王ディフは我が軍によって完全に包囲された! もはや勝ち目はない!」
村人たちがざわめきながら集まってくる。
「この地は、新たな支配者であるルーサー様の統治下となる! 無駄な抵抗は考えずに、ルーサー様に忠誠を誓え!」
魔王ディフ。ドワーフの使者が口にしていた名前だ。
そして新しい支配者の名はルーサー。
どうやら戦局は決定的らしい。
不可侵を結んだ相手が、あっという間に詰んでしまった。
しかし、村人たちの反応は意外なものだった。
「へぇ、そうですか。……じゃあ、税は貯めておきますわ」
村の長老らしき男が、飄々と答えた。
「まだディフ様が負けたって確証もねぇですし、決着がついたら、勝った方にまとめてお支払いしますんで」
「なっ……貴様ら、ルーサー様に逆らう気か!?」
「滅相もありません。ただ、二重に払う金はねぇってだけです。……お引き取りくだせぇ」
徹底した様子見。
伝令は顔を真っ赤にして怒鳴り散らそうとしたが、村人たちが動じないのを見て、何も言わずに去っていった。
その様子を見送りながら、俺たちは村を出て歩き始めた。
「……なあ、レジエ」
俺は小声で話しかけた。
「どう思う? あの伝令」
「……変」
「だよな。一人だけだったし、村人の態度も強気すぎた」
もし本当に完全包囲して勝利目前なら、もっと大人数で制圧に来てもいいはずだ。
村人たちは、伝令の言葉には誇張があると疑っているのかもしれない。
「実際の戦局はわからないけど……普通、占領するなら部隊を置くはずだろ」
「……多分、ハッタリ半分、本気半分」
レジエが冷静に分析する。
「包囲によって、敵が対応できない間に……戦後を見据えて動いてる。既成事実を作って、周囲からの介入をさせない作戦」
「勝つこと前提で動いてるのか……」
強気だ。あまりにも大胆な手だが、その背後に竜族がいるなら頷ける。
圧倒的な武力を背景にした、スピード勝負。
「……急ごう。このルーサーって奴、かなり手強いぞ」
俺たちは警戒を強め、雲がまばらに浮かぶ空を見上げた。




