43話 平穏な日常と刺激への飢え
レジエによる街道整備が一段落し、彼女が休憩と補給のためにオロネスへ戻ってきていた時のことだ。
西方諸国連盟に所属する、近隣の魔王の一人から招待状が届いた。
「なになに……親睦を深めるため、我が都市へ遊びに来られてはいかが。だと?」
内容はそこまでおかしいものではない。
連盟とは交易を始めたばかりだ。
無視するわけにはいかないが、考え無しに出向いて罠にはまるのも怖い。
「……というわけで、偵察がてらお忍びで見に行こうと思う。レジエと一緒に」
そう提案すると、カーミラは少し考え込んだあと軽く頷いた。
「悪くない判断です。レジエなら、護衛としても申し分ないでしょう」
「ああ。で、正体がバレないように変装をする」
俺は大きな荷袋を指差した。
「これに少し小細工して、俺の翼と尻尾を隠す。レジエも同じ感じで。荷物を背負っているように見せかければ、不自然じゃないはずだ」
「なるほど。……ですが、ミア様の尻尾は敏感なのでは?」
「自分で触れる分には、耐えられる程度で済むんだよ。袋の中でうまいこと丸めておけば大丈夫だ」
それに、体格を誤魔化すために少しぶかぶかなローブを着れば、体のラインも隠せる。
「息抜きにはいいと思いますよ」
カーミラは微笑んだ。
「ただ……近隣の都市といっても、規模はこのオロネスと大差ありません。むしろ、私が心血を注いだこの街に比べれば、拍子抜けするほど退屈かもしれませんけれど」
さらりと自画自賛と他所のディスりを入れるあたり、彼女のプライドの高さがうかがえる。
都市を育ててきた愛着もあるのだろう。
レジエに向ける視線は鋭い。
まあ、一時的とはいえオロネスを奪い取ったわけだからしょうがない。
「……くれぐれも、ミア様を危険な目に合わせないように。ただの駄犬ではないところを見せなさい」
「……わかってる」
レジエは短く答え、俺の背後に隠れるように立った。
◇◇◇
俺たちは目立たないよう、土で顔や衣服を軽く汚し、薄汚れた行商人を装って出発した。
徒歩で二時間ほど。
隣の領地にある都市は、確かにオロネスと似たような雰囲気だったが、活気は少し劣る気がした。
門番に賄賂を払って細かい確認を免除してもらい、中に入ると、すぐに声をかけられた。
「ちょいとそこのお兄さん」
路地裏から現れたのは、サキュバスの少女だった。
「ここ、初めてだよね? いろいろ教えてあげようか? ……払うもの払ってくれるなら、だけど」
見たところ、十五歳のまま成長を止められた俺と同じくらいの年齢に見える。
服は継ぎ接ぎだらけで、少し貧乏な様子だ。
(……お兄さん、か)
フードを目深に被り、体型を隠しているおかげで、男だと勘違いされたらしい。
俺は内心でガッツポーズをした。
久しぶりに男扱いされた気がする。気分がいい。
「んん……ああ、頼む」
俺は出来るだけ低い声を出し、カーミラから貰った軍資金の中から銅貨を数枚手渡した。
すると、少女は手のひらのお金を見て、あからさまに顔をしかめた。
「えー、これだけ? ちょっとケチじゃない?」
お金を貰ったのに堂々と文句言うとか、一周回って感心する図太さだ。
思わず何か言い返そうとしたくなるが、喋りすぎるとバレるリスクがある。
俺はぐっと堪えて、追加で銀貨を一枚渡した。
「おっ、ありがと! 話がわかるねぇ、お兄さん!」
少女はお金を懐に入れると、ニコニコと俺の腕に抱きついてきた。
「あたしはリリ。案内なら任せてよ!」
リリの案内で、俺とレジエは街を歩いた。
「あそこが領主様の館。で、こっちが市場。あっ、あの屋台の串焼き、美味しいんだよねー」
ちらちらと視線を交互に動かしてくる。
屋台と俺に。
「……奢る」
「やった!」
串焼きを前に、リリは当然のように自分の分もねだって食べている。
まるで小動物のような図々しさだが、憎めない。
だが、話しているうちに気づいた。
こいつ、結構な節穴だ。
至近距離にいるのに、俺から漂う魔力や匂いに気づいていない。
だから平気でお兄さんと呼んでくるし、レジエが竜族であることにも気づかず、ただの無口な連れだと思っている。
(……まあ、庶民なんてこんなもんか? あるいはこいつが他人より抜けてるだけか)
平和ボケしているというか、危機感がないというか。
そんなことを考えていると、リリが串焼きを頬張りながら呟いた。
「ねえ、お兄さんたち行商人でしょ? 他の地域ってどんな感じ?」
「どんな、とは?」
「平和なのかなって。……あたしが生まれた時からずっと乱世だし、いつかここも戦場になるのかなって考えるんだよね」
彼女の瞳には、漠然とした不安の色があった。
弱小勢力の領民にとって、明日は我が身だ。いつ強い魔王に攻め込まれ、蹂躙されるかわからない。
俺が返答に窮していると、後ろからレジエが口を開いた。
「……なる時はなる。でも、この都市はその心配はない」
淡々とした、しかし確信めいた言葉。
リリは「ふーん、そっか」と軽く流したが、俺は心の中で深く同意した。
(そうだな。連盟とは交易関係を結んだし、敵対的な関係ではない。俺が攻めない限りは平穏だ)
俺はこの平和を壊すつもりはない。もし壊したら連盟全体と戦うことになる。
その時、近くの酒場で酔っぱらい同士の喧嘩が始まった。
「ああん!? やんのかコラ!」
「上等だオラァ!」
殴り合いが始まり、野次馬が集まる。
「あーあ、またやってる。……ま、ああいうのに巻き込まれないのが一番だよね」
リリは慣れた様子で肩をすくめた。
なんてことのない日常。
魔王同士の争いとは無縁の、底辺だけど平和な日々。
俺たちは夕方まで市場を巡り、リリと別れた。
◇◇◇
日が暮れた辺りで安宿の一室を借りた。
ベッドに腰を下ろし、偽装用の荷袋を解く。
「……ふぅ。疲れたな」
翼と尻尾を解放し、大きく伸びをする。
息抜きとしては楽しかった。リリとの会話も新鮮だった。
けれど、胸の奥に澱のように残る、この感覚はなんだろう。
どこか物足りない。
平和な街並みを見ても、喧嘩を見ても、ふーんで終わってしまう自分がいる。
その時、小指の指輪が熱を持った。
「──ミア? 聞こえる?」
お姉さんの声だ。
「ああ、聞こえてるよ。今、別の都市の宿にいる」
「あら、お出かけ? そろそろ帰ろうと思ってるんだけど、そっちはどう?」
「ぼちぼちだよ。……今日、案内してくれた子がいてさ」
俺は今日一日のことを話した。
そして、ふと口をついて出た本音。
「……なんかさ、楽しかったんだけど……物足りないんだよな」
指輪の向こうで、お姉さんがくすくすと笑った気配がした。
「ふふ。……もう、ただの平穏じゃ満足できなくなっちゃったのね」
「え?」
「刺激的な日々に慣れすぎてしまったのよ。……例えば、命をかけるような闘争、とかね」
脳裏に蘇る記憶。
巨大なサンドワーム。アンデッドを率いたカーミラ。そして竜族たるヴァルゴ。
傷の痛み、敵を打ち倒す興奮、勝利の心地よさ。
それらは前世では味わうことのなかった快感。
(……そうか)
記憶の中の俺は、恐怖していたと同時に──高揚していた。
死と隣り合わせの瞬間にこそ、生を実感する。
いつの間にか、俺はそういう風になってしまっていた。
「あとは……」
お姉さんの声が、ねっとりと甘く響く。
「蕩けるほどの快楽もね。……ふふふ」
「っ……!?」
その言葉だけで、条件反射のように体が反応した。
今までお姉さんにされてきた、数々のいやらしい行為。
限界まで魔力を注がれ、理性を飛ばされ、快楽の波に溺れた記憶。
下腹部が熱くなり、背筋がぞくぞくする。
「な、変なこと言うなよ!」
「あら、図星かしら? 待っててね、帰ったらたっぷり可愛がってあげるから♡」
通話が切れた。
俺は顔を真っ赤にして、指輪を睨みつけた。
(……くそっ、勝手に体を疼かせやがって……!)
すると背後から、柔らかい感触が押し当てられた。
薄着になったレジエが、俺の背中に抱きついていた。
「ミア、一人で余計なこと考えるからよくない」
「レジエ……」
「ぎゅっとしたまま、一緒に寝ればいい。そうすれば、余計な熱も収まる」
レジエは俺をベッドに引きずり込み、そのまま横になった。
俺の背中にレジエの胸が当たり、手足が絡め取られる。
その温もりに触れていると、高ぶっていた神経が少しずつ落ち着いてくるのがわかった。
お姉さんが戻ってきたら、またあの混沌とした日々が始まるのだろう。
それに比べれば、今この時間は貴重な休息だ。
「……んっ、おい」
不意に、違和感があった。
レジエが、俺の尻尾を自分の太ももで挟み込んでいるのだ。
「ぎゅ……っ」
かなり強い力で締めつけられる。
「い、痛くはないけど……やめろ」
サキュバスの尻尾は敏感だが、どうやら無駄に強い接触だと、快楽よりも圧迫感や痛みが優先され、変な感じにはならない仕様らしい。
逆に、優しく撫でられたり、甘噛みされたりするとやばいのだが。
レジエは俺の尻尾を挟んだまま、少し力を緩めた。
ふわっ、と柔らかい肉の感触が尻尾を包む。
「ひっ!?」
今度はダメだ。快楽信号が脳に走る。
「力を加減すんな! そもそも挟むな!」
俺が命令すると、レジエは不満げに竜の尻尾をバタバタと振って抗議した。
それでも命令には逆らえず、渋々俺の尻尾を解放する。
「……ちぇ」
そして、俺の耳元に唇を寄せ、呪詛のように言葉を紡ぐ。
「……好き。好き、好き、好き……大好き……ミア……好き……」
「そういうのやめろ」
「やだ。効果あるからやめない。それにこれは愛を示してるだけ」
「効果あるとか口にしておいてその言い訳が通じるとでも」
「好き」
終わらない愛のささやき。
物理攻撃はやんだが、精神攻撃が始まった。
俺は枕に顔を埋め、早く朝が来ることを祈った。




