4話 お風呂での甘い屈辱
お姉さんに連行された先は、脱衣所だった。
俺は心のどこかで期待していたのかもしれない。
屋敷は大きく、無駄に豪華なのだ。
浴室もさぞかし広く、大理石の彫刻があるような大浴場が待っているのではないか。
広い場所なら、距離を取ることができる。逃げ回ることもできる。
だが、その淡い希望はドアを開けた瞬間に打ち砕かれた。
「……狭くないか?」
目の前にあったのは、庶民的なサイズの浴室だった。
前世で一人暮らしをしていたアパートのものよりはマシだが、洗い場は二人でギリギリ、浴槽に至っては足を伸ばせるかどうかのサイズだ。
「そう? 二人で入るなら、これくらいが一番密着できていいでしょう?」
イリスお姉さんは、当然のように言った。
確信犯だ。最初から密着することを前提に設計してやがる。
「ほら、ミア。着ているものを脱ぎ脱ぎしましょうね」
「い、いや、自分で脱げるから……」
「だめよ。さっきの戦闘で腕が痺れてるでしょう? 無理させられないわ」
反論しようとしたが、確かに指先がまだ震えている。
魔物の攻撃を必死に防いでいた時の反動が、まだ残っているのだ。
俺が言葉に詰まった一瞬の隙を見逃さず、お姉さんの指が素早く、しかし丁寧に俺の服を剥ぎ取っていく。
「あ……」
抵抗する間もなかった。
ボタンが外され、下着が滑り落ち、あっという間に生まれたままの姿にされる。
冷たい空気が肌に触れ、俺は思わず体を縮こまらせた。
「うぅ……冷える」
「ふふ、綺麗な肌。傷一つなくてよかったわ」
お姉さんの視線が、俺の全身を舐めるように這う。
いやらしいというよりは、自分の所有物の状態を確認するような、値踏みするような目。
恥ずかしさで顔が熱くなる。
男としての尊厳を守るために隠そうとした手は、優しく、けれど強引に払いのけられた。
「隠さなくていいのよ。あなたのすべてを作ったのは私なんだから」
その言葉に、反論の言葉が喉で詰まる。
そうだ。この体は彼女の作品だ。隠すことすら、彼女にとっては無意味な抵抗に過ぎない。
俺は諦めて浴室へと足を踏み入れた。
湯気が立ち込める浴室は、甘い香りで満ちていた。
お姉さんが壁に設置してある魔道具に触れると、壁に固定してあるシャワーから適温の湯が降り注ぐ。
「さ、そこに座って」
小さな椅子に座らされ、背後にお姉さんが陣取る。
「まずは髪からね。……力を抜いて、私に任せて」
たっぷりと泡立てられた指先が、俺の頭皮に触れる。
びくっ、と肩が跳ねた。
「こら、動かないの」
「だ、だって……」
「くすぐったい? それとも、気持ちいい?」
耳元でささやかれ、ぞくりとする。
悔しいが、お姉さんの手つきはあまりにも上手かった。
指の腹で優しく揉みほぐされ、戦闘で張り詰めていた神経が強制的に緩まされる。
泥と汗が洗い流されていく爽快感。
そして、慈しむように髪を梳く指の感触。
「ん……」
油断すると、変な声が漏れそうになる。
だめだ。ここで気持ちよさそうにしたら、完全に飼われることを受け入れたことになる。
俺は必死に唇を噛んで耐えた。
「次は体よ」
泡だらけのスポンジ(たぶん海綿とかが素材)が、首筋から鎖骨、そして胸へと滑る。
「ちょ、そこは自分で……っ!」
「だめ。洗い残しがあったら大変でしょう?」
お姉さんは楽しそうだ。
俺が恥ずかしがれば恥ずかしがるほど、その手つきは執拗になる。
特に、背中だ。
「翼の付け根はデリケートだから、優しくね……」
翼の付け根を、指先でくるくると撫でられる。
そこは、自分でも知らなかった急所だった。
「ひゃうっ!?」
情けない声が出た。
背筋に電流が走り、腰が砕けそうになる。
「あら、ここが弱いの? サキュバスは翼で魔力を感じるから、敏感なのかしら」
「や、やめ……わざと、そこ……っ!」
「ふふ、可愛い声」
お姉さんはやめない。むしろ、反応を楽しむように丹念に洗う。
男の意識はやめてくれと叫んでいるのに、女の体は快楽に震えて、されるがままになっている。
この乖離が、たまらなく恐ろしい。
体の主導権が自分ではなく、彼女にあると思い知らされる。
「……尻尾も、念入りに綺麗にしないとね」
付け根から先端まで、しごくように泡を滑らせる。
俺はもう、抵抗する気力すら削ぎ落とされ、壁に手をついて荒い息を吐くことしかできなかった。
「……はい、ピカピカになったわ♡」
全身をくまなく──足の指の間から口では言えない部分まで本当にくまなく洗われたあと、俺は半ば放心状態で浴槽に沈められた。
温かいお湯が、冷えた心を溶かしていく。
だが、安息は訪れない。
ちゃぷん。
当然のように、お姉さんも入ってきたからだ。
お湯が溢れ出し、狭い浴槽の水位が一気に上がる。
「……狭い」
「水は節約しないと♡」
逃げ場はない。
背後から抱きすくめられ、俺の背中にお姉さんの素肌が密着する。
豊満な胸の感触。滑らかな肌。
心臓が早鐘を打つ。
「ねえ、ミア」
お姉さんが、俺の濡れた髪に頬ずりしながら呟いた。
さっきまでのふざけた調子とは違う、低い、静かな声。
「さっきの魔物、怖かった?」
「……ああ。死ぬかと思った」
正直に答える。強がる余裕なんてない。
「そうね。私がいなかったら、ミアの可愛い顔はズタズタになって、この柔らかいお腹も食い破られていたわ」
お姉さんの手が、お湯の中で俺の腹部を撫でる。
ぞわり、と恐怖が蘇る。
「外の世界は残酷よ。弱ければ死ぬ。奪われる」
腕に力がこもる。
抱擁がきつくなる。
「だからね、ミア。私のそばにいなさい。私があなたを守ってあげる。……私の言うことを聞いて、いい子にしていれば、痛い目には遭わせない」
それは、甘い毒のような誘惑だった。
外に出れば死ぬかもしれない。
でも、この腕の中にいれば、温かいお湯と、美味しい食事と、絶対的な安全が約束されている。
その代償として、男としての自我と自由を差し出せばいい。
(……なんて、魅力的な取引なんだ)
一瞬、思考が揺らいだ。
もう、このままでいいんじゃないか。
魔王なんて面倒なことはやめて、この人のペットとして……。
「……っ、ふぅ……」
俺は大きく息を吐き、頭を振った。
だめだ。ここで頷いたら本当に終わる。
「……のぼせてきた。先に出るよ」
「あら、もう?」
逃げるように浴槽を出る。
お姉さんは引き止めなかった。
ただ、妖艶な笑みを浮かべて、俺の背中を見送っていた。
「いつでも堕ちておいで」と言うように。
◇◇◇
風呂上がり。
着替えとして用意されていたのは、案の定、フリルたっぷりの可愛らしいネグリジェだった。
文句を言う気力もなく、俺は袖を通す。
肌触りは最高にいい。悔しいことに。
「ミア、一緒に寝ましょうか?」
ベッドルームの前で、これまたネグリジェ姿のお姉さんが手を差し伸べてきた。
満面の笑みだ。
「……いや、一人で寝る」
「あら、寂しい」
「疲れたんだ。一人でゆっくり休みたい」
そう言って、俺は自分の部屋へと逃げ込んだ。
パタン、と扉を閉め、鍵をかける。
ようやく一人になれた。
「……はぁ……」
ベッドに倒れ込む。
ふかふかの枕に顔を埋め、今日一日の出来事を振り返る。
鏡の中の自分。
魔物の恐怖。
お姉さんの圧倒的な力。
そして、お風呂での甘い屈辱。
「……ん?」
ふと、鼻をくんくんと鳴らす。
枕から、自分の体から、甘い香りが漂ってくる。
これはお姉さんの匂いだ。
お風呂で使った石鹸の香りか、それとも抱きしめられた時に移ったのか。
「……取れないな」
一人で寝ているはずなのに、まだお姉さんに包まれているような錯覚に陥る。
まぶたを閉じると、あの青い瞳に見つめられているような気がした。
「くそ……勝てるのかよ、これ」
俺の呟きは、誰にも届くことなく闇に溶けた。
魔王への道は険しいが、それ以上に、貞操と自我を守る戦いの方が遥かに絶望的かもしれない。
俺は残り香に包まれたまま、深い眠りへと落ちていった。




