39話 魔力回路の鍛練と吸血鬼の嗜好
レジエの背に乗り、俺たちはオロネスへと一時的に帰還した。
領主の館に到着するなり、俺は出迎えてくれたカーミラに今後の予定を告げた。
「……というわけで、残りの街道整備はレジエに任せることにした」
「一人で、ですか?」
「ああ。本人もやる気だし、効率を考えればそれが一番だ。……その分、俺の手が空く」
俺は横に控えているレジエを見た。
彼女はやる気満々だ。なにせ、仕事を早く終わらせればご褒美が待っているのだから。
「それじゃあね」
レジエは俺に熱っぽい視線を一つ送ると、再び竜の姿に変身し、空へと飛び去っていった。
その背中を見送りながら、俺はカーミラに向き直る。
「それでだ、カーミラ。俺はこの空いた時間で、鍛練をしたい」
「鍛練、ですか」
「ああ。今のままじゃ弱すぎる。……もっと力が欲しい」
副魔王イリスという怪物に対抗するためにも、竜族のような強敵と渡り合うためにも。
カーミラは少し考え込んだあと、ふむと頷いた。
「良い心がけです。王たる者、常に己を研鑽するのは美徳ですからね。……では、現在のミア様の状態を確認させていただきます」
「え?」
言うが早いか、カーミラが距離を詰めてきた。
「失礼」
彼女の手が、俺の体に伸びる。
「ちょ、おい……!」
抵抗する間もなく、俺の腕、肩、そして胸元を触診される。
医者のような手つきではない。もっとねっとりとした、品定めをするような手つきだ。
「ふむ……筋肉の張りは悪くない。魔力の循環も、イリス様の調整のおかげかスムーズですね」
カーミラの指が、首筋から鎖骨をなぞり、さらにその下へ滑り込む。
「っ……くすぐったい!」
「動かないでください。……ここ、少し魔力が滞っていますね」
胸の膨らみを無遠慮に揉みしだかれる。
いやらしいというよりは、家畜の肉付きを確認するような淡々とした態度だが、される方としてはたまったものではない。
「心拍数、体温、血流……。なるほど、基礎的なスペックは高い。ですが──」
カーミラは手を離し、ハンカチで指を拭きながら結論を下した。
「魔王という立場を考えるなら、剣を振り回して前線に出るのは感心しませんね」
「……やっぱり、そう思うか?」
「はい。万が一の怪我も困りますし、なにより……泥臭い殴り合いは、配下の仕事です。王は後方から、戦局を支配すべきです」
もっともな意見だ。
それに、脳裏に浮かぶのはお姉さんの姿だ。
彼女は基本的に、魔法によってすべてを片付ける。あの圧倒的な理不尽さこそが、副魔王としての強さなのだ。
「魔法……だな」
「ええ。ミア様には膨大な魔力があります。剣撃の補助に使うのではなく、放出する手段として磨くべきです」
遠距離からの魔法攻撃。
それなら安全圏から一方的に攻撃できるし、威力も範囲も剣とは比べ物にならない。
「とはいえ、俺が今使える攻撃魔法なんて、火球を放つくらいだぞ」
「それで十分です。まずは一つのことを極めましょう。あれこれ手を出して器用貧乏になるより、必殺の一撃を持つ方が脅威になりますから」
確かにそうだ。
俺は深く頷いた。
「用意させました。あれを的にしてください」
館の裏手にある広場に、スケルトンたちがせっせと岩を運んできていた。
大小様々な岩が並べられる。
「狙うはあの大岩です。……さあ、どうぞ」
俺は指定された位置に立ち、深呼吸をした。
お姉さんに教わった感覚を思い出す。
腹の底、丹田に熱を集める。
(……集まれ、俺の魔力)
イメージするのは、圧縮された炎。
右手を突き出し、手のひらに熱を集中させる。
「いけ!」
ソフトボールくらいの大きさをした火球が放たれ、岩に直撃した。
ドォン!
岩の表面が焦げ、少しだけ砕ける。
「悪くありません。ですが、遅いですね。今の三倍の速度で、三倍の威力を出せるようになりましょう」
「……なかなかの鬼コーチだな」
それから、俺の魔法特訓が始まった。
ひたすらに火球を作り、放つ。
魔力を練り、撃ち出す。
単純作業の繰り返しだが、回数を重ねるごとにコツが掴めてくるような気がした。
「はぁっ! せいっ! おりゃあ!」
数時間後。
俺は地面に大の字になっていた。
「……はぁ、はぁ……」
息が荒い。
全力疾走したわけでもないのに、体が鉛のように重い。
筋肉痛とは違う、体の芯から力が抜け落ちたような気だるさ。
「お疲れ様です。休憩にしましょう」
カーミラがワゴンを押してやってきた。
銀のトレイには、温かい紅茶と焼き菓子が乗っている。
「……ありがとう。なんか、すごく疲れた」
起き上がるのも億劫だ。
俺は差し出された紅茶をすする。甘い香りと砂糖の糖分が、疲弊した脳に染み渡る。
「魔力欠乏……とまではいきませんが、魔力を使いすぎた反動ですね」
カーミラが焼き菓子を俺の口元に運んでくれた。
自分で食べる気力もないので、ありがたくあーんで食べる。
「……俺、魔力は多いって聞いてたんだけどな。これくらいでバテるのか」
「量はありますよ。それこそ、イリス様が丹精込めて作り上げた器ですから、容量は規格外です」
カーミラは俺の腹部──魔力の源がある辺りを指差した。
「ですが、出口が未熟なのです」
「出口?」
「はい。例えるなら……巨大な貯水槽に、細い水道管しか繋がっていない状態です」
なるほど。
水はたっぷりあるのに、それを外に出すためのパイプが細いから、一度に大量に出そうとするとパイプに負荷がかかる。
無理やり押し出そうとして、疲労するわけか。
「魔力回路を太くし、スムーズに流れるようにする。それが今のミア様に必要な鍛練です」
「……地道な作業だな」
「魔法に王道なし、です。イリス様のような理不尽な領域に達するには、それ相応の積み重ねが必要なのですよ」
俺はため息をつきつつ、二つ目の焼き菓子を頬張った。
あの最強のお姉さんも、昔はこうやって地道な努力をしていたのだろうか。
いや、あの人のことだ。最初から天才だったのかもしれない。
「あと、手っ取り早い方法としては……」
カーミラが少し言い淀んだ。
視線を泳がせ、俺の顔ではなくティーカップを見つめている。
淡い金髪が、午後の日差しを受けて輝いていた。真紅の瞳はどこか妖艶で、白い肌は透き通るようだ。
黙っていれば、深窓の令嬢にしか見えない美貌。
「……わたくしのような、ある程度の魔力を持つ者と……その、肌を重ね合わせる、というのも一つの手です」
「……は?」
「い、いえ、別に変な意味ではなく! 魔力回路を直接繋げて、強制的に広げるというか……」
カーミラの白い頬が、ほんのりと赤く染まる。
「粘膜の接触とか、体液の交換とか……そういう、深い繋がりを持つことで、魔力の回路が太くなるのです」
「……いやらしいこと、って言いたいのか?」
俺が直球で聞くと、カーミラは咳払いをして誤魔化した。
「効率的な手段、と言ってください」
「……まあ、理屈はわかるけど」
俺はジト目でカーミラを見た。
「それなら、お姉さんに散々されてきたぞ。……風呂とか、ベッドとか、夢の中とかで」
毎日のように弄られ、開発され、魔力を注ぎ込まれてきた日々。
あれが修行だったと言うなら、俺はとっくに最強になっていてもおかしくないはずだ。
「イリス様ですか……。まあ、あの方なら当然でしょうね」
カーミラは呆れたように肩をすくめた。
「ですが、ミア様。あなたがこの世界で目覚めてから、どれくらいが経っていますか?」
「……えっと」
俺は指折り数えた。
転生してから、魔王になって、ここに来るまで……。
「三ヶ月……経ってないな」
「でしょう? たったそれだけの期間で、あれだけの魔法が使えるようになっているのです」
カーミラが指差した先には、黒焦げになり、砕け散った岩の山があった。
「普通の魔術師なら、火種を作るだけで数年はかかります。それを、あなたは数ヶ月で……しかも、実戦で使えるレベルまで引き上げている」
「……そう言われると、すごいのか?」
「異常ですよ。イリス様の教育がなければ、あり得ない成長速度です」
お姉さんの歪んだ愛情表現も、魔力回路の拡張という点では凄まじい効果を発揮していたらしい。
複雑な気分だ。
「だから、わたくしとも……その、試してみますか?」
カーミラが上目遣いで俺を見る。
恥じらいを含んだ視線。
「……いや、やめとく」
「あら、不満ですか?」
「違う。……カーミラには、まともでいてほしいんだよ」
俺はもじもじしながら本音を漏らした。
「お姉さんはあれだし、レジエもまともではないし……。せめてカーミラだけは、俺の周りで唯一の常識人枠でいてほしいんだ」
これ以上、俺を変な目で見たり襲ってきたりする奴が増えたら、俺の精神が持たない。
それに、仕事仲間とそういう関係になるのは気が引ける。
「……ぷっ、あはは!」
カーミラが吹き出した。
「常識人枠、ですか。……ふふ、ミア様にそんなことを言われるとは思いませんでした」
彼女は楽しそうに笑い、それから急に真顔になった。
「ですが、ミア様。……あまり無防備な顔を見せないでください」
「え?」
「そんな風に弱気で、可愛らしい顔をされると……食べたくなってしまいます」
カーミラの瞳が、怪しく細められた。
声のトーンが下がる。
「わたくしの好物は……うら若き乙女の血、ですから」
ぞくり、と背筋が震えた。
吸血鬼の本能。
捕食者としての渇望が、その美しい顔の裏に隠されている。
「わ、わかった。気をつける」
俺は慌てて姿勢を正した。
試しに、ちょっとだけ手を握ってみる。
冷たい肌の感触。
それだけで、カーミラの喉がごくりと鳴ったのが聞こえた気がした。
(……こいつも結構な危険人物だ)
俺はそっと手を離し、心の中で冷や汗を拭った。
まともな奴なんて、この魔界には一人もいないのかもしれない。
俺は深いため息をつきつつ、魔王としての孤独を噛みしめるのだった。




