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37話 睡眠不足な日々と魔王の威光

 「……眠い」


 オロネスにある領主の館、その執務室。

 朝日が差し込む部屋で、俺は書類の山を前にして突っ伏していた。

 目の下に隈ができている自覚がある。体は重く、頭が働かない。

 原因は明白だ。

 イリスお姉さんが不在の中、俺に割り当てられた寝室にやってくる存在の対応に追われていたからだ。


 『寒いでしょ? 一緒に寝よう?』

 『足、舐めていい? ……ダメ? じゃあ髪の毛しゃぶる』

 『匂い嗅がせて……んぅ♡』


 毎晩これだ。

 レジエは俺のベッドに潜り込み、一晩中俺に張りつき、体のどこかを舐めたり嗅いだりし続ける。

 拒絶すれば捨てられた子犬のような目をするし、無理やり追い出そうにも、お姉さんに壊されたことへの同情心が邪魔をして強く出られない。

 結果、俺は毎晩レジエという生きた湯たんぽに抱きつかれながら、浅い眠りを繰り返す羽目になっていた。


 「……しっかりなさいませ、ミア様」


 向かいの席で書類を整理していたカーミラが、呆れ混じりの声を上げた。


 「統治者がそのような顔をしていては、下の者に示しがつきませんよ。……また、あの竜族に絡まれたのですか?」

 「ああ。……あいつ、俺が寝てる間に服の中に手を入れてくるんだよ。起きたら下着がずれてたりするし」

 「はぁ。……イリス様の呪縛とはいえ、難儀なことですね」


 カーミラは同情しつつも、手元の地図を広げた。


 「さて、愚痴はそこまでにしましょう。真面目な話があります」

 「……なんだ?」


 俺は顔を上げ、眠気を振り払った。

 カーミラが指し示したのは、オロネスと南西の平原、そして荒野を結ぶルートだ。


 「街道の整備が必要です。それも、本格的な」

 「道ならあるだろ? 行商人が通ってる獣道みたいなのが」

 「ええ。ですが、それでは大規模な輸送には耐えられません。馬車がすれ違うのもやっとですし、雨が降ればぬかるんで動けなくなる。おまけに魔物の襲撃もあります」


 カーミラは指揮棒で地図を叩く。


 「支配領域が広がった今、各拠点を繋ぐ動脈を作らねば経済も軍事も満足に機能しません。荒野で取れた鉱石を運ぶにも、しっかりとした舗装路が必要です」

 「なるほど……もっともだ」


 インフラ整備は基本中の基本だ。

 だが、問題がある。


 「でも、それを作るだけの人手が足りないぞ。難民たちは生活で手一杯だし、オロネスの住民も復興作業がある」

 「はい。そこが最大の悩みです。外部から労働力を雇うにも資金がかかりますし」


 金も人も足りない。

 典型的なよくある悩みだ。

 俺は腕を組み、天井を見上げた。

 何か、効率的に土木工事を進める方法はないか。

 現代の重機があれば一発なんだが、異世界にそんなものはない。

 いや、待てよ。

 重機並みのパワーを持っていて、しかも俺の言うことなら何でも聞く存在が、すぐ近くにいるじゃないか。


 「……なあ、カーミラ。レジエを使えないか?」

 「彼女を、ですか?」

 「ああ。あいつが竜になれば、巨体と怪力がある。大岩をどかしたり、地面を整えたりなんて朝飯前だろ。それに……」


 俺は、洞窟でゴーレムを倒した時のことを思い出した。


 「竜の吐く炎で地面を焼き固めれば、簡易的な舗装路くらいにはなるんじゃないか? 本格的な石畳は無理でも、ぬかるまない道なら作れるはずだ」

 「……ほう」


 カーミラが真紅の瞳を見開いた。


 「破壊の化身である竜の力を、土木工事に転用するとは……。発想が柔軟ですね」

 「資材も資金も節約できる。……レジエの機嫌取りも兼ねて、一石二鳥だろ」

 「悪くありません。……いえ、現状では最善手ですね。ひとまず、その方針で計画を立てましょう」


 カーミラは感心した様子で頷き、さっそく計画書を作成し始めた。


  ◇◇◇


 それから数日後。

 領主の館にある広間は、謁見の間にされているが、そこでは独特の緊張感が漂っていた。


 「これより謁見の儀を執り行う!」


 兵士の声が響き、扉が開かれる。

 入ってきたのは、先日俺が降伏させた自称魔王や、地元の顔役たちだ。

 ゴブリン、オーク、あるいは人間だが魔族と結託している者など、どこか柄の悪そうな連中が十数人。

 なんか初めて見かける種族がそこそこいるが、様子見のために送られてきたのだろう。

 その手には、貢物や税としての金品があった。


 「へぇ……二度も戦いが起きたのに立派な館だ」

 「骸骨の兵隊がうじゃうじゃいやがるな……」


 彼らは最初、警備に立っているスケルトンや、玉座の脇に控えている竜族のレジエを見て、明らかにビビっていた。


 「おい、あれって……竜族じゃねぇか?」

 「大陸の東部じゃなくて、こんな辺境にいるとは」

 「おとなしく控えてやがる……」


 強者への畏怖。

 だが、その視線が玉座に座る俺に向けられた瞬間、空気が変わった。


 「……あの子どもが、新しい魔王か」

 「おいおい、冗談だろ。ただのサキュバスの小娘じゃねぇか」

 「初めて見る奴もいるか。気持ちはわかる」


 彼らの目に浮かんだのは、侮蔑と値踏みの色だった。一部の者は仕方なさそうに頷いている。

 遠征の時は圧倒的な戦力を見せて従属させたが、こうして改めて玉座に座っている姿を見ると、華奢で可憐な少女にしか見えないのだろう。


 (……まあ、初見の奴もいるし、そうなるよな)


 俺は内心でため息をついた。

 見た目がこれだから、舐められるのは予想できている。

 彼らは表向きこそ頭を下げているが、腹の底では「これなら御しやすい」「隙を見て寝首をかけるんじゃないか」と考えているのが透けて見えた。

 その時だ。


 「……こいつら」


 俺の隣に立っていたレジエの喉から、低い唸り声が漏れた。

 彼女の赤い瞳が、ギラリと凶悪に輝く。

 竜族である彼女は、俺に向けられた侮蔑の感情を敏感に感じ取ったのだ。


 「ご主人様を、下に見てる」


 殺気。

 物理的な圧力を伴うほどの殺意が、謁見の間を凍りつかせた。

 レジエから熱気が噴き出し、床の絨毯がわずかに焦げる。


 「ひっ……!?」

 「な、なんだいきなり……!」


 謁見に来た者たちが、顔を引きつらせて後ずさる。

 今にも飛びかかり、全員の喉を食いちぎりそうな勢いだ。

 だが、俺は動じなかった。

 頬杖をついたまま、静かに口を開く。


 「……待て」


 たった一言。

 その瞬間、暴発寸前だった殺気が霧散した。


 「……はい」


 レジエは即座に熱気を収め、従順な犬のようにその場にひざまづいた。

 瞳からは凶暴さが消え、俺の命令に従えたことへの嬉しさすら浮かんでいる。


 「……え?」


 謁見の間に、なんともいえない沈黙が流れた。

 集まった者たちは、目を丸くして俺とレジエを交互に見ている。

 あの狂犬のような竜族が、サキュバスの少女の一言で完全に制御された。

 その事実は、俺が剣を振るうよりも雄弁に、支配者としての格を示していた。


 「す、すげえ……あんな化け物を、言葉一つで……」

 「ただのガキじゃねえってことか……」


 侮蔑の色が消え、代わりに畏怖と、そして奇妙な期待感が彼らの目に宿り始める。

 この魔王なら、長年バラバラに争い続けてきたこの地域を、本当にまとめ上げるかもしれない。

 そんな空気が醸成されていく。


 (……よし、ハッタリは効いたな)


 俺は内心で冷や汗を拭いつつ、努めて魔王らしく傲慢に振る舞った。


 「遠路はるばるご苦労。……さて、早速だが頼みがある」


 いきなり本題に入る。


 「街道整備のための人手が欲しい。それぞれ、労働者を出してほしい」


 しかし、返ってきた答えは微妙なものだった。


 「い、いやぁ……うちは魔物が出るんで、ちょっと……」

 「隣の村といざこざがありまして、人を減らすと争いが起きる可能性が……」

 「出せても、一人か二人くらいですかねぇ……」


 全員合わせても、二十から三十人程度。

 俺はちらりとカーミラを見た。彼女は小さく首を横に振る。

 全然足りないようだ。


 「……そうか。まあ、無理強いはしない」


 彼らもまだ、俺の支配下に入ったばかりで余裕がないのだ。

 魔物への備えや、これまでの相互不信が解消されるには時間がかかる。


 「人集めはまた今度にする。……だが、街道はいずれ通す。その時は協力しろ」

 「は、はいっ。もちろんでございます!」


 謁見は滞りなく終了した。

 彼らが退出したあと、俺は大きく息を吐いて玉座に背を預けた。


 「ふぅ……緊張した」

 「お見事でした、ミア様」


 カーミラが近寄ってきて、満足げに微笑んだ。


 「飴と鞭……いえ、猛獣使いとしての資質を見せつけられましたね。彼らの目が変わるのがわかりました」

 「結果オーライだよ。……レジエのおかげだな」


 俺は足元で褒めてと言わんばかりに見上げてくるレジエの頭を、無造作に撫でてやった。


 「んぅ……」


 気持ちよさそうに目を細める竜族の少女。実年齢は……聞かないでおこう。

 外見は十代なのに実際は百歳を越えているとか言われたら、どういう顔をすればいいかわからない。


 「さて、人手が集まらないなら、予定通りレジエを使った力技でいくしかないな」

 「ええ。準備を進めましょう」


 魔王としての仕事は山積みだが、少しずつ前には進んでいる。

 俺はレジエの頭を撫でながら、次なる計画に思考を巡らせた。

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