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36話 依存する妹竜と恐怖する吸血鬼

 ズズズ、と音を立てて、土と布で作られた簡易テントが崩れ落ちた。

 密閉空間が解かれ、荒野の乾燥した風が吹き込んでくる。


 「ん……っ、ぷはぁ……」


 俺は新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 外の空気は爽やかだ。

 だが、俺たちの体には、テントの中で充満していた濃密な魔力の残り香と、情事の熱気がべっとりと張りついている。


 「ふふ。いい躾ができたわね♡」


 隣ではイリスお姉さんが涼しい顔をして髪をかき上げた。

 その表情は、極上のフルコースを堪能したあとのような、深い満足感に満ちている。

 対照的に、俺の足元にはレジエがへたり込んでいた。


 「……はぁ、はぁ……ミア……」


 焦点の合わない瞳で、俺を見上げている。

 以前のような、俺を獲物として見る鋭い視線ではない。かといって、ただ恐怖に屈した敗者の目でもない。

 そこにあるのは、崇拝。

 そして、抑えきれない食欲と性欲が混ざり合った、どろどろとした依存の色だった。


 「さて、予定変更よ」


 お姉さんは衣服についた砂を払い、ついでに俺の消されてた衣服や下着を復活させると、話を始めた。


 「私はこれから、少し遠くへ出稼ぎに行ってくるわ」

 「出稼ぎ?」

 「ええ。鉱山の開発にも、都市の復興にも先立つものが必要でしょう? だから、小金を持ってそうな盗賊団や、悪徳商人の隠し倉庫をいくつか襲って、資金を回収してくるわ。変装した上でね」


 盗賊狩りと言う名の強盗だ。

 まあ、乱世な魔界における魔王軍の資金源としては、ギリギリ正当な手段かもしれない。


 「だからミアは、この駄犬を連れてオロネスへ戻りなさい。カーミラにここの鉄鉱石と水晶のことを伝えて、現物を届けるのよ」

 「わかった。……いや、一緒に連れて行っていいのか?」


 俺がレジエを指差すと、お姉さんは冷ややかな目で見下ろした。


 「ええ。荷運びには使えるでしょうし」


 そして、レジエの顎をくいっと持ち上げ、低い声で釘を刺す。


 「次に裏切ったり、ミアを傷つけようとしたら……」

 「っ……!?」

 「二度と、ミアには触れさせない。視界に入れることも許さないし、残り香を嗅ぐことすら禁止した上で、自由の身にしてあげる」


 レジエの顔色が、死人のように青ざめた。

 彼女にとって、それは死よりも恐ろしい罰なのだろう。

 ガクガクと震えながら、必死に首を縦に振る。


 「は、はい……」

 「物わかりがいいようでなにより。ミアに依存することを許すわ」


 お姉さんは満足げに手を離すと、俺に向き直って甘いキスを落とした。


 「じゃあ、行ってくるわ。お土産を待っててね♡」


 言うが早いか、お姉さんは転移魔法を発動させ、瞬きする間に姿を消した。

 あとに残されたのは、俺とレジエ、そして遠巻きに様子を見ていたネズミたちだけだ。


 「……あー、その」


 気まずい。

 さっきまで足にむしゃぶりついてた相手と二人きりというのは、どう振る舞えばいいのか。

 俺は咳払いを一つして、努めて魔王らしく振る舞おうとした。


 「レジエ、立てるか? 出発するぞ」

 「……うん」


 レジエはふらつきながらも立ち上がった。

 だが、その視線は俺の足元に釘付けだ。


 「……ご主人様」

 「なんだ?」

 「足、砂で汚れてる……。綺麗にしていい?」


 うっとりとした顔で、舌なめずりをしている。

 完全に中毒者の反応だ。

 俺はドン引きしつつ、一歩下がった。


 「だ、だめだ! さっき散々やっただろ!」

 「ちぇ……ケチ」


 不満げに頬を膨らませるが、襲いかかってくる様子はない。お姉さんの脅しが効いているのだろう。

 俺は頭を抱えたくなった。

 これが、魔王に求められる器量……なのか?

 敵対者を力でねじ伏せ、快楽で屈服させて配下にする。

 結果だけ見れば支配完了だが、過程が色々とアウトな気がする。

 というか、ほとんどお姉さんがやったわけだが。


 「……はぁ。とにかく仕事だ」


 俺は気を取り直し、ネズミの魔物たちに指示を出した。


 「お前ら、ここの採掘は続けたい奴だけ続けろ。無理はしなくていい」


 そしてレジエに向き直る。


 「変身しろ。荷物を運ぶぞ」

 「わかった」


 レジエは素直に従い、赤い竜の姿へと変わった。

 以前よりも一回り小さく見えるのは、精神的な摩耗のせいか、それとも従順さの表れか。

 俺たちは掘り出した鉄鉱石と水晶を袋に詰め、レジエの背中にくくりつけた。


 「よし、行くぞ」


 俺はレジエの背中、翼の付け根あたりにまたがった。

 その瞬間、嫌な音がした。


 「うっ!?」


 俺の下半身と、レジエの鱗の間から、湿った粘液のような音が響いたのだ。

 お姉さんの魔力と、俺自身の体から出た愛液、そして汗などが混ざり合ったものが、まだ乾ききっていなかったらしい。


 「……あたたかい」


 竜状態のレジエが、嬉しそうに喉を鳴らして身をよじった。

 俺が座った感触と、その音に喜びを感じているようだ。


 (……やばい。これは本当にやばい)


 思わず顔を覆った。

 お姉さんというラスボスの影響力が強すぎる。

 この体は、少しずつだが確実に雌として、それも快楽に溺れやすいように作り変えられている。

 心では男として踏ん張ろうとしても、体が、反応が、環境が、それを許してくれない。


 「心が男でいられるのは……あとどれくらいなんだ……」


 俺の切実な呟きは、荒野の風にかき消された。


  ◇◇◇


 徒歩なら十日以上かかるオロネスへの道のりも、竜の翼を使えば地形を無視できるので一日とかからなかった。

 空の旅は快適だ。風を切り、地上を眼下に眺めながら進む。

 だが、問題は夜だった。

 途中、休憩のために森に降りて野営をすることになった時のことだ。


 「……ご主人様」


 焚き火の前で休んでいると、人の姿に戻ったレジエが擦り寄ってきた。


 「またか。今はしないぞ」

 「違う。……汗と砂で汚れてる」

 「ああ、そうだな。風呂に入りたい気分だ」

 「ここにはお風呂がない。だから……わたしが綺麗にする」


 言うが早いか、レジエは俺の銀髪を手に取り──口に含んだ。


 「は?」

 「んむ……ちゅ、じゅる……」


 飴玉でもしゃぶるように、俺の髪を口の中で転がし、唾液で濡らしていく。

 恍惚とした表情。とろんとした目。

 髪についた埃や汗を舐め取っているつもりなのだろうが、どう見ても捕食か、あるいは異常な儀式にしか見えない。


 「おい、やめろ! 髪がべとべとになる!」

 「んぅ……美味しい……」

 「聞けよ!」


 俺は慌てて髪を引き抜き、レジエを押しのけた。


 「風呂は明日、オロネスに着いてから入る! そういうことはしなくていい!」

 「……ぶー」


 レジエは不満げに唇を尖らせたが、なんとかおとなしくなった。

 焚き火のそばで丸くなる彼女を見て、俺は深い悲しみに襲われた。

 最初敵対していたとはいえ、彼女は誇りと力のある竜族だったはずだ。

 それが、たった一度のお仕置きで、こんな風に壊されてしまうなんて。


 (……お姉さん、やりすぎだろ)


 これはあんまりだ。

 カーミラに相談したら、少しはまともな状態に戻せるだろうか?

 髪に残ったレジエの唾液を拭いながら、暗い森の中でため息をついた。


  ◇◇◇


 翌日の昼過ぎ。

 俺たちはオロネスの上空に到達した。


 「降りるぞ、レジエ。あの館の庭だ」

 「わかった」


 レジエは大きく旋回し、領主の館の中庭へと急降下した。


 ズドン!


 派手な着地音と共に、砂煙が舞い上がる。


 「な、敵襲か!?」

 「いや、あれは……!」


 警備の兵士たちが慌てふためく中、砂煙の中から俺たちが姿を現した。

 館から、カーミラが血相を変えて飛び出してくる。

 着替えてる途中に急いだからか、淡い金髪は少し乱れていた。


 「何事ですか! ……って、ミア様!?」


 カーミラは目を吊り上げ、仁王立ちになった。


 「いきなり庭に降り立つなんて、どういうおつもりですか! せっかく修復した花壇がまた台無しです! 正規の手順で門から入ってください!」

 「わ、悪い。でも、急ぎの用事だったんだ」


 俺はレジエの背中から飛び降りると、積んでいた荷袋を解いた。

 ごろりと、中から赤茶色の鉄鉱石と、青く輝く水晶が転がり落ちた。


 「これは……!」


 カーミラの説教が止まった。

 彼女は駆け寄り、鉱石を手に取ってまじまじと観察する。


 「鉄鉱石……それに、高純度の魔力水晶ですか!? どこでこれを?」

 「荒野の地下だ。鉱床を見つけた」


 その瞬間、カーミラの表情が一変した。

 口うるさい小姑のような顔から、冷徹で計算高い統治者の顔へ。


 「……素晴らしい。これがあれば、武具の生産に、簡単な魔道具の生産も可能になります。交易品としても一級品……。すぐに加工班を編成せねば」


 彼女の頭の中で、そろばんが高速で弾かれているのがわかる。


 「で、運搬のためにそこの竜を使ったわけですね。……贅沢な使い方ですが、合理的です」


 カーミラは満足げに頷き、ふとレジエの方を見た。


 「ふん、ご苦労でした。荷を下ろしたら下がって……」


 言葉が途切れた。

 レジエが、俺の背中にぴったりと張りつき、俺の服の匂いを嗅いでいたからだ。


 「……あの、ミア様?」


 カーミラが引きつった笑顔で俺を見る。


 「彼女、どうされたんですか? 以前よりだいぶ……その、様子がおかしいようですが」

 「あー……」


 俺は視線を逸らし、小声で告げた。


 「……お姉さんが、ちょっとお仕置きというか、躾をしたんだ」

 「そ、れは……!」


 カーミラはすべてを察したらしい。

 顔色がさっと青ざめ、ドン引きという言葉では生ぬるいほどの恐怖と嫌悪の表情を浮かべた。


 「あの御方直々に、このような…」


 彼女はぶるりと身震いし、レジエに同情の眼差しを向けた。


 「……かわいそうに。誇りも何もかも、へし折られてしまったのですね」

 「なあ、カーミラ。こいつ、少しは元に戻せないか? このままだと、その……俺の身が持たないというか」


 物理的にも精神的にも、依存されすぎてきつい。

 カーミラには、俺の周りで唯一の常識人枠でいてほしいという願いもあった。

 カーミラは、俺の背中で幸せそうに鼻を鳴らしているレジエを見て、困ったように眉を下げた。


 「……難しいですね。イリス様の呪縛は、魂に残るほどのものですから」

 「そこをなんとか」

 「まあ……竜族なので、時間が経てば少しずつ落ち着いてくる……かもしれません」


 自信なさげな返答。

 俺はがっくりと肩を落とした。

 どうやら俺の魔王生活は、姉という怪物と、その姉によって作られた依存症の狂犬に挟まれながら、綱渡りを続けるしかないらしい。


 「……とりあえず、風呂だ。風呂に入らせてくれ」

 「わかりました。用意させます」


 俺はレジエを引き剥がし、逃げるように館の中へと駆け込んだ。

 背後から「一緒に入る」というレジエの声が聞こえたが、全力で無視した。

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