32話 統治者としての身だしなみと忠誠の首輪
南西方面への遠征から帰還した翌日。
オロネスの領主の館にある衣装部屋で、俺は試練の時を迎えていた。
「これ、必要か?」
「必要です。統治者たるもの、身だしなみは最重要事項です。民は魔王様の姿を見て、畏怖と安心を抱くのですから」
カーミラが、山積みになった衣服を前に力説する。
そしてその隣では、イリスお姉さんが目をキラキラさせて頷いていた。
「ええ、その通りよ。ミアは素材が良いのだから、磨けばもっと輝くわ。……さあ、着せ替えの時間ね♡」
俺はため息をつきつつ、されるがままになることを選んだ。
これも魔王の仕事のうちだ。そう割り切るしかなかった。
「まずは、こちら。伝統的な夜会服です」
カーミラが持ってきたのは、黒を基調としたゴシックなドレスだった。
レースやフリルがふんだんに使われているが、現代的なゴスロリとは違い、もっと重厚で歴史を感じさせるデザインだ。
着せられて鏡の前に立つ。
「……重い」
より正確には、絡みついて動きにくい。
「威厳はありますが、少し動きにくいみたいですね。これではいざという時に剣が振れません」
「じゃあ、これなんてどう? サキュバスの正装よ」
お姉さんが満面の笑みで取り出したのは、布面積が極端に少ない、踊り子のような衣装だった。
透けるような薄いシルクと、金属の装飾品だけで構成されている。
ほぼ下着だ。いや、下着より扇情的かもしれない。
「……嘘つけ。勝手にそれを正装にすんな。こんな格好で街を歩けるか」
「あら、似合うのに」
文句を言うも、結局は着替えさせられることに。
肌に直接触れる冷たい金属と、滑らかなシルクの感触。
鏡の中に映るのは、恥ずかしさに頬を染め、肢体を晒している銀髪の美少女だった。
「ふふ。やっぱり素敵よ、ミア」
背後から、お姉さんが忍び寄る。
彼女もまた、似たような──しかし、より大人の色香を漂わせる衣装を身にまとっていた。
鏡越しに目が合う。
お姉さんは俺の腰に手を回し、自身の体を密着させてきた。
「ん……っ、離れろよ」
「見てごらんなさい。鏡の中の私たち、まるで双子のようでしょう?」
お姉さんの黒い尻尾が、俺の尻尾に絡みついてくる。
スルスルと蛇のように這い、先端同士が触れ合い、きつく結ばれる。
尻尾は俺にとって、性器ほどではないが敏感な器官だ。
そこを愛撫するように絡め取られる感覚に背筋がぞくりと震えた。
「……っ! 変なところ、触るな……!」
「変じゃないわ。挨拶みたいなものよ」
鏡の中で、二人のサキュバスの尻尾が妖しく蠢いている。
その光景はあまりに背徳的で、俺は直視できず目を逸らした。
だが、お姉さんは俺の顎を掴み、無理やり鏡を見させる。
「逃げちゃだめ。自分の体と、私との繋がりを……その目でしっかり確認しなさい」
「ん、くぅ……っ」
熱い吐息と、尻尾からの刺激。
俺が膝から崩れ落ちそうになったところで、ようやくお姉さんは満足げに離れてくれた。
◇◇◇
その後もいくつか試着が続いた。
そして、ようやくまともな衣服に着替えることができた。
白を基調とした、清楚なワンピース。
装飾は控えめで、体のラインが綺麗に出る上品なデザインだ。
(……お、これは悪くないな)
お姉さんとカーミラが小物の準備で席を外している隙に、俺は一人、鏡の前で自分の姿を確認した。
くるりと回ってみる。
スカートがふわりと広がり、銀髪がサラサラと揺れる。
「……うん。可愛い」
思わず呟いていた。
鏡の中の少女は、客観的に見ても可憐だった。
俺は無意識のうちに、スカートの裾をつまみ、少し首を傾げて、にっこりと微笑んでみた。
アイドルのような、あるいは深窓の令嬢のような、完璧な女の子のポーズ。
その瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
(……は? 何やってんだ俺……?)
我に返る。
俺の中身は男だ。
年齢はぼかすが、くたびれた男の魂が入っている。
だというのに、なんでこんな自然にふわっとポーズを取っているんだ?
しかも、それを悪くないと思っている自分がいる。
「う、うおぉぉぉぉ……!」
遅れてやってきた羞恥心が、津波のように押し寄せる。
顔から火が出るほど熱い。
俺は鏡の前でうずくまり、頭を抱えて悶絶した。
肉体に精神が引っ張られているとでもいうのか?
このままでは、俺の男としてのアイデンティティが、可愛い服と笑顔によって上書きされてしまう。
「……ミア様? どうなさいましたか?」
「な、なんでもない!」
先に戻ってきたカーミラに不審がられながらも、俺は必死に表情を取り繕った。
◇◇◇
最終的に選ばれたのは、機能美を重視した軍服っぽさのあるドレスだった。
色は黒を基調として、白い線が所々に存在している。生地は丈夫で、要所には軽い装甲が縫い込まれている。
スカートの下には動きやすい短パンを履き、足元は頑丈なブーツ。
腰には、鋼の剣とサンドワーム素材の短剣を帯びている。
「露出は控えめ、かつ戦闘も可能。……これなら文句ないだろ」
「ええ。凛々しくて素敵であるかと」
カーミラも納得の出来栄えだ。
これにて着せ替え大会は終了──かと思った時、部屋の隅で待機していたレジエが歩み寄ってきた。
その手には、革製の重厚な首輪が握られている。
布のリード付きだ。
「……ご主人様」
「なんだ、レジエ」
「これ。……つけて」
レジエは首輪を差し出し、自分の細い首筋を指差した。
「わたしは所有物。だから、それを示す形が必要だと思う」
「……は?」
「ご主人様の手で、これをつけて。……そして、街を歩く時はリードを持ってほしい」
彼女は真顔で言っている。
俺は試しに想像した。
軍服っぽいドレスを着たサキュバスの魔王が、首輪をつけた竜族の美少女を、リードを持って引きずり回しながら街を練り歩く光景を。
(……さすがに絵面がやばすぎるだろ)
サディスティックにも程がある。
ただでさえ竜族を倒した魔王ということで恐れられているのに、そんなド変態プレイを見せつけたら、住民たちの恐怖はドン引きへと変わり、威厳もクソもなくなるだろう。
それになにより俺の良心が痛む。
「……却下だ」
「どうして? わたしは逃げないし、抵抗しない」
「そういう問題じゃない。俺の美的センスに反する」
俺はきっぱりと言い切った。
内心の動揺を隠し、あくまでも魔王としての美学を盾にする。
「無駄に悪評を広めたくない。お前が俺に従っていることは、態度で示せば十分だ」
「……そう。残念」
レジエは首輪を引っ込めた。
その時、彼女の口元に、ほんのかすかな──見逃してしまいそうなほど微小な、意味深な笑みが浮かんだ気がした。
(……なんだ、今の笑みは?)
試されたのか?
それとも、別の意図があったのか。
彼女が一礼してから下がる姿を見送りながら、俺は釈然としないものを感じていた。
◇◇◇
身支度を整えた俺たちは、政務の一環としてオロネスの街並みを視察することになった。
崩れた建物の修復工事が進み、通りには活気が戻りつつある。
俺が歩くと、住民たちは作業の手を止め、深々と頭を下げる。
「魔王様だ……」
「本当に、あの美しい少女が……」
畏怖と好奇の視線。
俺は努めて堂々と、手を振って応える。
「順調そうだな」
「建物の修復は、ですけどね」
隣を歩くカーミラが、少し声を落として報告する。
「問題は人口です。ヴァルゴとレジエたちから逃れるため、多くの住民が街を捨て、各地へ難民として散らばってしまいました。……戻ってきた者もいますが、全盛期の六割ほどまで落ち込んでいます」
「それは痛いな」
「はい。労働力の低下は税収に直結します。血の供給源としても心許ない。……呼び戻すための施策が必要ですが、時間がかかるでしょうし、戻らないという選択をする者もいるでしょう」
復興の現実は厳しい。
異世界だからといって、魔法でなんでもすぐさま元通りになるわけではないのだ。
俺は瓦礫の撤去作業をしている人々を見つめ、統治者としての責任の重さを改めて噛み締めた。
「任せるぞ、カーミラ。必要な物資があれば、他の村から回す」
「はい。……必ずや、かつての繁栄を取り戻してみせます」
視察を一通り終え、俺たちは街外れの小さな広場へと向かった。
ここからは、次のステップだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
お姉さんが、転移魔法の用意をする。
行き先は、荒野。
俺たちの始まりの場所であり、次なる拡張の起点となる土地。
「オロネスはカーミラに任せる。俺たちは、荒野の完全制圧を進めるぞ」
俺はレジエと共にお姉さんにくっつく。
転移魔法は基本的に術者本人にしか効果がなく、複数人で移動する場合、密着しないといけないためだ。
「ミア、なんだか密着の度合いが足りない気がするわ」
「もう十分に密着してるだろ!」
一瞬の浮遊感のあと、俺たちの姿は都市から消え失せた。
それなりに平穏な日々は終わりだ。
再び、乾いた風と、魔物たちが跋扈する荒野での戦いが始まる。
俺は気を引き締め直し、視界の向こうにある荒野を見据えた。




