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31話 領土拡大の遠征と失われたモノへの哀歌

 「平和だ……」


 オロネスにある領主の館。

 その執務室の窓から復興が進む街並みを眺め、俺はしみじみと呟いた。

 ヴァルゴとの決戦から数日が経過した。お姉さんに完全敗北した件は……考えないようにしよう。

 治安は回復し、カーミラの辣腕によって経済も回り始めている。

 俺は魔王として、玉座にふんぞり返っているだけでいい。

 なんて素晴らしいんだ。これこそが俺の求めていた──。


 「安寧の日々が来るとでも思っているのですか? 平和ボケするには早すぎますよ、ミア様」


 背後から、冷ややかな声が飛んできた。

 振り返ると、大量の書類を抱えたカーミラが、呆れたような目で俺を見下ろしていた。


 「……いや、少しは休んでもいいだろ」


 体の半分が炎に焼かれたんだし。

 回復魔法がない前世の世界だと、まだ安静にしないといけないほどの怪我だったんだぞ。


 「休んでいる暇はありません。現状の地図をご覧ください」


 しかし、意外と手厳しいカーミラは机の上に地図を広げる。

 そこには、俺たちの支配領域が簡易的に赤く塗られていた。

 辺境も辺境な荒野にある開拓村。

 荒野との境目となる草原の村。

 そして、この交易都市オロネス。


 「……飛び地だな」

 「ええ。三箇所がバラバラに点在しています。これでは物流も人の移動も非効率。経済圏として機能しません」


 カーミラは細い指揮棒で、拠点の間にある地域──南西に広がる平原や小都市を指し示した。

 大陸全体を描いている地図上では、わずかな範囲。地域として見るならそこそこ。


 「この一帯を切り取り、領土を接続させる必要があります。そうすれば、オロネスの物資を荒野へスムーズに運び、逆に荒野から得られる魔物の資源を各地へ売るルートが確立できます」

 「なるほど。繋げるために間を埋めるわけか」

 「ということなので、遠征をお願いします」


 カーミラは事も無げに言った。


 「わたくしはここの運営と事後処理で手一杯です。副魔王……イリス様には、後方支援として二つの村の統治と防衛をお願いしました」

 「お姉さんが留守番? 珍しいな」

 「『可愛い妹には旅をさせよ、って言うでしょう?』とのことです。……まあ、本音は『たまには一人で頑張る姿を遠くから見守るのも興奮するわ』らしいですが」


 ……絶対、どこかから覗き見してるな。魔法か魔道具か何かで。

 俺は背筋に寒気を感じつつも、提案を受け入れた。


 「わかった。俺が行く。……だが、兵はどうする? ここの守りをあまり減らすわけにはいかないだろ」

 「ですので、こちらをお貸しします」


 カーミラが指を鳴らすと、中庭に整列していたスケルトンの兵団が一斉にカタカタと顎を鳴らした。

 その数、およそ百体。


 「彼らは魔力だけで動く存在です。ミア様には死霊術の技能がありませんので、複雑な動きはできませんが……進め、止まれ、殺せ、程度の単純な命令なら従います」

 「便利なもんだな」

 「それと、案内役兼護衛として、彼女を連れて行ってください」


 柱の陰から、赤い髪の少女が音もなく現れた。

 竜人のレジエだ。

 彼女は俺の前に来ると、恭しく膝をついた。


 「……護衛任務、承ります。ご主人様」


 所有物となった彼女は、今のところ殊勝な態度を見せている。

 こうして、俺とレジエ、そして百体のスケルトンによる、領土拡大の遠征が始まった。


 ◇◇◇


 遠征は、拍子抜けするほど順調だった。

 南西の平原には、いくつかの村や小さな宿場町が点在していたが、そのほとんどは俺たちの姿を見ただけで白旗を上げた。


 「ひ、ひぃぃぃ! 骸骨の軍団だ!」

 「それにあれは……竜族まで従えているのか!?」


 百体のアンデッドと、強者オーラを隠さないレジエの存在感は抜群だった。

 俺は剣を突きつけ、「降伏か、死か」と凄むだけでよかった。

 もちろん、中には血の気の多い自称魔王が支配している町もあった。


 「オラァ! 俺様のシマに何しに来やがった!」


 トロールの亜種のような巨漢が、棍棒を振り回して襲いかかってくる。

 だが、今の俺にとってはその程度、敵ではない。


 「遅い!」


 俺は真正面から踏み込み、鋼の剣を一閃させる。

 ヴァルゴとの死闘を経験した俺の目には、その動きは止まって見えた。

 すれ違いざまに足の腱を斬り裂き、膝をついたところに剣先を突きつける。


 「ここで降参するなら、怪我を治すポーションをやる」

 「ぐっ、小さいサキュバスなのにつええな。……参りました」


 圧倒的な実力差を見せつけ、そこを支配しているボスを叩く。

 そしてこれが地味に大事なことだが、相手を倒しても殺しはしない。

 そうすれば、配下ごと総取りだ。

 税収を得られるし、そこを守る戦力も確保できる。

 俺たちは破竹の勢いで、荒れている街道を進み、次々と地図の色を塗り替えていった。


 ◇◇◇


 ある日の夜。

 街道沿いの森に野営を張った。

 スケルトンたちは眠る必要がないので、周囲の警備に立たせている。

 俺は一人用のテントに入り、ブーツを脱いで息を吐いた。


 「ふぅ……。順調すぎて怖いな」


 緊張感の欠片もない征服劇。

 これなら数日で目的を達成できそうだ。

 いや、移動を含めるともっとかかるか。

 毛布にくるまり、横になろうとした──その時。


 「……ご主人様」


 ぬるりと、テントの中に誰かが入ってきた。

 レジエだ。

 だが、格好がおかしい。

 いつもの戦闘に向いた服ではなく、薄いシャツが一枚だけ。

 ボタンがいくつか外れており、白い胸元や太ももが惜しげもなく晒されている。


 「おい、なんだその格好は」

 「……夜伽の準備」


 何を言ってるんだこいつは?

 そもそも今の俺は、長い銀髪と琥珀色の瞳を持つサキュバスの少女だ。それに遠征の最中でもある。

 レジエは無表情のまま、這うように俺に近づいてきた。


 「わたしはご主人様の所有物だから。……使い潰してもいいし、慰み者にしてもいい」

 「そんな命令はしてないぞ。そもそもそういう気分じゃない」

 「でも、寒そうにしてたから」


 レジエは俺の隣に潜り込み、ぴたりと体を密着させてきた。

 熱い。

 火竜の血を引く彼女の体温は、人間やサキュバスよりも遥かに高い。

 まるで生きた湯たんぽだ。

 そして、肌の感触も違う。

 イリスお姉さんのような、吸いつくような柔らかさとは違う。筋肉の引き締まった、弾力のあるしなやかな肉体。


 「……体温が高いの。温めてあげる」

 「っ……近い!」


 俺の腕に、それなりに豊かな胸の膨らみが押し当てられる。

 甘い匂いではない。日向のような、あるいは火薬のような、乾いた刺激的な匂い。

 心臓がドクンと跳ねる。

 こいつ、誘ってやがる。


 (……待て待て待て、流されるな。明らかに裏がある)


 俺の理性が警鐘を鳴らす。

 ヴァルゴは言っていた。「あいつは可愛いだけの女じゃねぇ」と。

 この従順さは演技だ。俺の懐に入り込み、隙を見て寝首を掻くつもりか、あるいは別の目的があるのか。

 それに、きっと嫉妬深いだろうお姉さんにバレたら、とても大変なことになる。


 「……俺は暑がりなんだ。あっちで寝ろ」


 強引にレジエを引き剥がし、テントの隅へ追いやった。


 「……ちぇ。つまんないの」


 レジエは一瞬だけ拗ねたような顔を見せたが、すぐにおとなしく自分の毛布にくるまった。

 なんとも油断ならない奴だ。

 ようやく落ち着くことができた俺は、天井を見上げた。

 テントの中は、レジエの熱気が漂っていてだいぶ暖かい。


 「……はぁ」


 俺は自分の下腹部に手を伸ばし、とある部分で止めると虚空を握った。

 ない。

 前世ではあったはずのモノが、今はない。


 「体が……男だったらなぁ……」


 思わず本音が漏れた。

 もし俺が男のままだったら、今のシチュエーションは最高のご褒美だったはずだ。

 美少女に迫られ、その温もりを堪能し、支配者としての悦びに浸れただろう。

 だが、今の俺には穴はあるが棒がない。

 レジエに迫られても、どう反応していいかわからないし、機能的な意味でも応えられない。


 (……それに)


 俺の手が、無意識に自分の太ももやお腹を撫でて、指が股間に触れたりする。

 ぞわり、と肌が震える。

 レジエの熱を感じた時、俺の体は相手に襲いかかることよりも、向こうから触れられることを期待してしまっていた。

 お姉さんに開発された感覚。

 与えられる快楽を待ち望む、愛玩動物としての反応。


 「……くそっ」


 俺は自分の体を抱きしめ、身を小さくした。

 失われた男の証への未練と、書き換えられていく体への恐怖。

 そして、お姉さんがいない夜に感じる、どうしようもない寂しさと疼き。

 新たな日々の幕開けは、なんとも言えない切なさと共に過ぎていった。

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