30話 所有物となった妹竜と魔王ミアの決意
夜明けの光が、半壊した中庭を照らし出し始める。
そこには、かつての威容を失い、人の姿に戻って泥にまみれた敗者──ヴァルゴが倒れていた。
彼の周囲には、お姉さんが指揮していたアンデッド部隊の一部が到着し、無数の槍と剣を突きつけている。
「……終わりましたね」
館の影から、カーミラが姿を現した。
彼女は倒れているヴァルゴを見下ろすと、ドレスの裾を翻して俺の前にひざまづいた。
そして、冷酷な眼差しで懇願する。
「ミア様。どうか、こやつの処刑許可を。……我が街を蹂躙した罪、万死に値します。殺して、死体を再利用するのが最も利益になるかと」
憎悪のこもった提案だ。
無理もない。四十年かけて育てた場所を奪われ、屈辱を味わうことになったのだから。
俺が判断を下そうとした、その時だった。
カラン……。
乾いた音が響いた。
見ると、中庭の入り口で赤い髪の少女──妹のレジエが、手に持っていた双剣を地面に落としたところだった。
彼女はゆっくりと両手を上げ、無防備な姿を晒して歩み寄ってくる。
「……降参」
抑揚のない声だった。
戦意はないが、感情は読めない。
「貴様! 今さら命乞いですか!」
カーミラが噛みつくが、レジエはそれを無視して、まっすぐに俺を見た。
その瞳は、兄とは違ってどこまでも静かで、底が見えない。
「……バカ兄はほんと、どうしようもないね」
彼女は倒れている兄を一瞥し、ため息をついた。
「言うこと聞かずに戦って、目潰しの小細工にかかって、竜になったのに負けて……。竜族の面汚し」
辛辣な言葉。だが、そこには諦めと、かすかな情のようなものが混ざっていた。
レジエは俺の前に来ると、ぺこりと頭を下げた。
「取引をしたい」
「取引?」
「うん。……わたしが、魔王様の所有物になる。だから、兄さんを見逃してほしい」
所有物。
その言葉に俺の眉がぴくりと動いた。
配下になる、ではない。
物として扱われてもいいと言っているのだ。
「ふざけないで! そのような条件、釣り合うはずが──」
「カーミラ、待て」
俺はカーミラを制し、レジエに問いかけた。
「……その提案、お前の兄貴の命に見合う価値があると?」
「あると思う。……わたしは兄さんより賢いし、竜族の知識もある。……なにより、わたしは逃げない」
レジエは淡々と言った。
「兄さんはバカだけど、わたしにとっては唯一の血縁だから。……殺されるくらいなら、わたしが代価になる」
俺は少し考え込んだ。
視線をカーミラに向ける。
「なあ、カーミラ。こいつらにオロネスを奪われた時……死者はどれくらい出た?」
「……へ?」
「ここの規模に対して、犠牲者の数だ」
カーミラは不満げに唇を尖らせながらも、正確に答えた。
「オロネスには五千人ほどが暮らしていました。……侵攻時の戦闘では、兵士と民間人あわせて数十名ほどです。その後、圧政による怪我人などは多数出てましたが……」
数十名。
人の命に差をつけるわけではないが、都市一つを制圧したにしては少ない。
ヴァルゴは力を見せつけることが目的で、虐殺そのものを楽しむタイプではなかったということか。
そうなると、竜族という強力なカードを手札に加えられる可能性が出てくる。
(……それに)
俺はレジエを見た。
一目見てわかるくらいに整った顔立ち。
サラサラとした長く赤い髪を垂らし、その赤い瞳はどこか神秘的。
こんな美少女が「所有物になる」と言ってきているのだ。
男としての本能がいくらか刺激される。
俺はまだ、心まで完全に女になったわけじゃない。
こういうシチュエーションに興奮する男の部分が、残っているはずだ。残っていると思いたい。
それを確認するためにも──頷いた。
「……いいだろう」
「ミア様!?」
「戦力は多い方がいい。死体にして操るより、生きた竜族の方が使い道はあるだろ?」
「それは、そうですが……」
カーミラは渋々といった様子で引き下がった。
レジエは表情を変えず、ただ「……うん。交渉成立」と小さく呟いた。
何か企んでいるようにも見える。
だが、あのお姉さんが後ろでニコニコと見守っている以上、変な真似はできないはずだ。
◇◇◇
俺はポーションをヴァルゴにぶっかけた。
館に常備してあった安物だが、竜族の回復力と合わされば、意識を取り戻すには十分だ。
「……がっ、はぁっ!?」
ヴァルゴが激しく咳き込み、目を覚ました。
状況を理解するのに数秒。
自分が生きていて、妹が降伏しているのを見て、すべてを察したようだった。
「……ちっ。余計な真似しやがって」
「妹に助けられたな、脳筋」
俺が見下ろして告げると、ヴァルゴは悔しげに地面を殴った。
「……殺せよ。情けなんざいらねぇ」
「情けじゃない。取引だ。お前の命は、妹が買った」
俺は顎で門の方角をしゃくった。
「出て行け。……俺の領地で暴れるなら、次はないぞ」
ヴァルゴはふらつきながら立ち上がった。
その瞳には、敗北の屈辱と、底知れぬ怒りが渦巻いている。
だが、彼は暴れなかった。
「……おい」
「なんだ?」
「魔王様に見送りしてもらいたいんだが?」
「なっ、貴様! どこまで図々しいのですか!」
カーミラがキレそうになるが、俺は片手をあげて止めた。
ただの嫌味じゃない。奴の目には、何か別の意図が見えた。
「……いいだろう。門まで送ってやる」
俺はカーミラとレジエをその場に残し、数体のスケルトンを連れてヴァルゴと共に歩き出した。
◇◇◇
朝焼けに染まる大通り。
住民たちは家の中に隠れており、通りには俺たちの足音だけが響く。
城門にたどり着くまで、ヴァルゴは一言も発しなかった。
そして、門をくぐり、外への一歩を踏み出したところで立ち止まった。
「……おい」
背中を向けたまま、ヴァルゴが問うた。
「お前は、なんだ?」
「……は?」
「この世界の者か?」
心臓が、ドクンと跳ねた。
俺は動揺を顔に出さないよう、必死に無表情を作った。
「……何の話だ?」
「とぼけるなよ。……戦い方、発想、そして匂い。お前からは、こっちの常識とは違う妙な気配がする」
ヴァルゴが振り返る。
その竜の瞳は、俺という魂の形を見透かそうとしているかのようだった。
「俺は長く生きてるからな。……たまにいるんだよ。お前みたいな、混ざりものが」
「混ざりもの、ね」
「体と魂の不一致とでも言うべきか」
転生者。
その言葉が脳裏をよぎる。
俺以外にもいるのか?
この世界に、別の世界から来た誰かが。
ヴァルゴは俺の反応を見て、鼻で笑った。
「まあいいさ。深くは詮索しねぇ。……この乱世、勝った負けたはよくあることだ。俺が負けたのは、てめえが強かった。それだけのくそったれな話だ」
それ以上は追及しなかった。
ただ、去り際に一つだけ忠告を残してきた。
「妹は心配じゃないのか?」
「ああん? あいつはどこでもやっていける。……むしろ」
ヴァルゴはにやりと、意地悪く笑った。
「どうやって飼い殺すか、考えとけよ? あいつは、てめえが思ってるような可愛いだけの女じゃねぇぞ」
それだけ言い残し、一度も振り返ることなく歩き去っていった。
敗北を背負い、それでも折れずに。
「……飼い殺す、か」
その言葉は、俺がお姉さんにされていることに似てなくもない。
奇妙な因縁を感じながら、俺は踵を返した。
◇◇◇
オロネスの広場には、不安げな顔をした住民たちが集められていた。
俺が戻ると、カーミラが進み出て高らかに宣言した。
「聞きなさい、オロネスの民よ! 暴虐の竜は去り、正統なる統治者が戻ってきました!」
カーミラが俺を示す。
「こちらにおわすのが、新たな支配者……魔王ミア様です! わたくしカーミラも、その忠実なる配下として、再びここの繁栄に尽くすことを誓いました!」
おお……っというどよめきが広がる。
かつての領主であるカーミラが従っているという事実は、住民たちに何よりの安心感を与えたようだ。
拍手と歓声が湧き上がる。
「魔王ミア万歳!」という声まで聞こえてくる。
俺はバルコニーから手を振りながら、群衆の中に一人の人物を見つけた。
一般人の衣服を着て、フードを目深に被った女性。
変装しているイリスお姉さんだ。
彼女は俺と目が合うと、誰にも気づかれないように小さく手を振り、満面の笑みを浮かべた。
(……とりあえず、愛玩動物からは遠ざかったかな)
俺は安堵と、少しの寒気を感じながら、新しく支配下に置いた街を見下ろした。
◇◇◇
領主の館、二階にある寝室。おそらくは客人向け。
かつてレジエが使っていたであろうその部屋は、やや装飾が目立つものの、ベッドだけは最高級の羽毛を使った豪奢なものだった。
事後処理や街の警備配置といった面倒な仕事は、すべてカーミラとレジエに丸投げした。
カーミラは言わずもがな。レジエは、あの脳筋な兄の代わりに統治をしていたためだ。
対する俺は、そういう統治とかの経験がない。
そして重厚な扉が閉まった瞬間。
「……んあぁぁぁ……っ」
俺は糸が切れた操り人形のように、ベッドへ倒れ込んだ。
柔らかいシーツの感触に、全身の力が抜けていく。
竜との死闘、その後の緊張感、そして民衆への演説。
それらが終わった今、鉛のような疲労がどっと押し寄せてきていた。
「ふふ。お疲れ様、ミア」
頭上から、とろけるように甘い声が降ってきた。
お姉さんがベッドに腰を下ろし、俺の髪を優しく梳く。
その指先から流れてくるのは、いつもの支配的な魔力ではなく、純粋な慈愛と治癒の光だった。
「よく頑張ったわね。本当に……立派だったわ」
これまでで一番甘く、優しい声だった。
お姉さんは俺の体を裏返し、ぼろぼろになった服──ヴァルゴのブレスで焦げ、あちこち破れた服を、器用な手つきで取り去った。
素肌が外気に触れる。
けれど寒くはない。お姉さんの体温と魔力が、すぐに俺を包み込んだからだ。
「見て、あちこち火傷だらけ。……痛かったでしょう?」
お姉さんの指が、治癒したばかりの薄ピンク色の皮膚をなぞる。
脇腹、背中、太もも。
指が触れるたび、熱い痺れが走る。
「この傷も、流した血も、勝利の栄光も……全部、私のものよ」
耳元でささやかれる言葉は、呪いのようだった。
俺がどれだけ強くなっても、どれだけ偉くなっても。
俺という存在のすべては、この人の所有物なのだと刻み込んでくる。
「ん……っ、勝手に決めるな……」
俺はかすれた声で抵抗しようとした。
けれど、体は正直だ。
戦いの高揚感で火照った神経が、お姉さんから注がれる魔力の快感によって溶かされていく。
拒絶したいのに、細胞の一つ一つがこの安らぎを求めて悲鳴を上げている。
「ふふ。口ではそう言っても、体は正直ね」
お姉さんは俺の上に覆いかぶさった。
黒い髪がカーテンのように視界を遮り、青い瞳だけが輝いている。
「魔王として立派になったわ。……でもね、あなたは一生、私の可愛い妹よ」
逃げ場はない。
お姉さんの……イリスの愛は、俺を魔王として立たせつつも、その存在すべてを自分の中に囲い込む、決して壊れない檻なのだ。
俺はそれを、悟ってしまった。
(……ああ、そうか)
目を閉じながら、ぼんやりと考えた。
事故で死んで、異世界でサキュバスになって、魔王になった。
最初は、この理不尽な運命から逃げ出したかった。
男としての尊厳を守りたかった。
でも今は──この状況を、悪くないと思っている自分がいる。
力の快感を知った。支配の味を知った。
そして何より、この最強の共犯者が与えてくれる全能感と安心感に、依存している。
(逃げられないなら、食らい尽くすしかない)
俺の中で、何かがカチリと音を立てて切り替わった。
魔王になったんだ。
いつか、この檻ごと支配してやる。
「……やるからには、征服してやるよ」
俺はお姉さんの瞳をまっすぐに見つめ返した。
「この大陸も……お姉さんのその歪んだ愛情も、全部だ」
その宣言に、お姉さんは一瞬だけきょとんとし──次の瞬間、花が咲くように美しく笑った。
「あら。私を征服するだなんて、その時が楽しみね♡」
余裕の笑み。
ただの戯言だと思っている。
俺は起き上がると、お姉さんの首に腕を回し、強引に引き寄せた。
「本気だぞ」
言い終わる前に、俺の方から相手の唇を塞いだ。
これまでの受け身のキスじゃない。奪うためのキス。
驚いているお姉さんの唇を割り、舌を絡める。男としての攻め気を見せてやる。
だが、その勢いはわずか数秒で崩れ去った。
「んっ……ふふ、口は達者になったわね。……でも」
唇が離れた瞬間、お姉さんの手がするりと背中へ回った。
狙いは、腰の付け根。
「ここがお留守よ?」
「ひゃぅっ!?」
情けない悲鳴が漏れた。
お姉さんの細い指が、俺の尻尾の付け根を優しく、しかし執拗に愛撫したのだ。
そこは、サキュバスの体になってから自分でも触れるのを避けていた、神経の集中する急所。
「あ、や……っ! そこ、は……!」
「あらあら、ビクビクしてる。威勢がいいのは口だけかしら?」
背筋を駆け上がる電流のような痺れに、俺の体が弓なりに跳ねる。
攻撃しようとしていた腕から力が抜け、お姉さんの肩にしがみつく形になってしまう。
抵抗しようとする意志とは裏腹に、尻尾が嬉しそうにお姉さんの腕に巻きついていくのがわかって、顔から火が出そうだ。
「く、そ……離せ……っ!」
「いいえ、離さない。……もっと女の子にしてあげる」
お姉さんのもう一方の手が、無防備な前面へ這い降りる。
へそを通り過ぎ、さらに下。
柔らかい下腹部──子宮のある位置を、手のひらでじっくりと円を描くように撫で回された。
「あ、ぐぅ……!? な、なにを……っ」
「ここ、熱くなってるわよ? ミア」
「ひ、ぁ……っ、やめ……んぁぁっ!」
声にならない嬌声が喉から飛び出した。
ただ撫でられているだけなのに、お姉さんの魔力が皮膚を通して直接内臓を甘やかしてくる。
男だった頃には決してありえなかった、奥の奥が疼くような得体の知れない快感。
体の芯がとろとろに溶かされ、足の指先が勝手に丸まる。
「あは♡ 可愛い声。さっきの『征服してやる』っていう威勢はどこに行ったのかしら?」
「う、るさ……いっ……! 俺は、まだ……っ」
必死に睨みつけようとするが、涙目で潤んだ瞳では威圧などできるはずもない。
お姉さんは嗜虐的な笑みを深め、尻尾の敏感な部分を爪でカリッと引っ掻きながら、下腹部をいやらしくぎゅっと押し込んだ。
「ひあぁぁぁあーーっ!?」
限界を超えた快楽に、脳が白く弾けた。
全身の力が抜け、糸が切れた人形のようにベッドへ崩れ落ちる。
あられもない姿でベッドに沈む俺の上に、お姉さんが覆いかぶさってきた。
「はぁ……はぁ……っ、く、そぉ……」
悔し涙がにじむ。
体は完全に言うことを聞かない。
尻尾は媚びるように甘く揺れ、下腹部はもっと触れてほしいと熱を発している。
完全敗北だ。同じサキュバスでも格が違いすぎる。
「愛してるわ、ミア。……焦らなくていいの。あなたはゆっくり、私だけの可愛い妹になればいいんだから」
お姉さんの唇が、勝利の証とばかりに俺の額に落とされる。
視界が揺れる中、俺は震える手でシーツを握りしめた。
(……まだだ)
快楽に溺れ、意識が飛びそうになりながらも、俺は心の奥底にある男の意地だけは手放さなかった。
あらゆる部分で負けている。
でも、心まで完全に屈して愛玩動物に成り下がったわけじゃない。
いつか……いつか必ず。
このふざけた姉を、この手でひぃひぃ言わせてやる。
「……覚えとけ、よ……」
「うふふ」
消え入りそうな捨て台詞は、お姉さんの甘いキスによって呆気なく封じられる。
今はまだ、負けている。
けれど、いつか必ず勝つ。
どろどろとした快楽に脳を揺さぶられながらも俺は誓った。




