28話 暴虐の炎と尻尾による目潰し
館の内部は静まり返っていた。
表の騒ぎに兵士たちが出払っているおかげで、廊下に人影は少ない。
たまにすれ違うのは、逃げ遅れたメイドや執事といった使用人たちだけだ。
「っ……!」
「しっ、声を出さないで」
カーミラが人差し指を口元に当てると、使用人たちは目を大きく見開き、驚愕と安堵が入り混じった表情で深く頭を下げた。
彼らはかつてカーミラに仕えていた者たちなのだろう。
侵入者である俺たちを見て見ぬ振りをするどころか、無言であちらですと目配せして、兵士のいないルートを示してくれた。
人徳だな、と俺は感心しつつ、先導するカーミラの背中を追った。
そして、ついに目的の場所──中庭を見下ろす二階のバルコニーへと続く扉の前にたどり着いた。
扉の向こうからは、夜風と共にあの豪快な笑い声が聞こえてくる。
「……行くぞ」
俺は剣を構え、扉を蹴り破った。
「なっ!?」
バルコニーの手すりに寄りかかっていた巨漢、ヴァルゴが振り返る。
俺は床を蹴って肉薄した。
扉から数歩もすれば相手に届く、そんな短い距離。
必殺の間合い。首を刈り取る一閃。
決まった──と思った瞬間。
「ッラァ!!」
ガギィンッ!
金属音が鼓膜に響く。
ヴァルゴは状況が完全に理解できてはいなかった。ただ、肌を刺す殺気に反応し、反射的に背負っていた大剣を盾にしたのだ。
くそっ、野生の勘かよ。
だが俺の勢いは死んでいない。
「だったら、落ちろ!」
「ぐおっ!?」
俺は全身の体重を乗せてヴァルゴに突っ込み、手すりを破壊して、そのまま二人で空中に飛び出した。
わずかな浮遊感のあと、すぐに重力が俺たちを捕まえ、下にある中庭へと叩き落とす。
二人同時に着地、というか落下して石畳が砕け散った。
俺は即座にバックステップで距離を取り、剣を構え直す。
砂煙の向こうで、ヴァルゴが大剣を担ぎ直しながらゆらりと立ち上がった。
「……痛ってぇな。なんだ、てめぇは?」
ヴァルゴが殺意に満ちた目で俺を睨む。
見上げるほどの巨躯。丸太のような腕。
これに竜人としての翼と尻尾があるので、圧迫感が半端ではないが、俺は不敵に笑って返した。
「ここの新しい支配者となる魔王だ。挨拶に来てやったぞ、不法占拠者!」
「魔王だと? ギャハハ! 笑わせるな、こんな小娘が!」
ヴァルゴが咆哮と共に踏み込んでくる。
速い。巨体に似合わない瞬発力だ。
ブンッ!
大剣が風を切り裂き、横薙ぎに襲いかかる。
まともに受ければ剣ごと体を持っていかれる。
俺は身を低くして回避した。頭上を通り過ぎた剣風だけで髪が逆立つ。
「ちょこまかと!」
追撃の縦斬り。
俺は石柱を蹴って三角跳びの要領でかわす。
さっきまで立っていた場所に大剣が突き刺さり、美しい庭園の噴水が粉砕された。
「ああっ! わたくしの噴水が!」
上のバルコニーから悲鳴が聞こえた。
カーミラだ。
彼女は手すりから身を乗り出し、怒りに震えている。
「そこは特注の大理石なんですよ! ちょっと、もっと端で戦いなさい! 館に傷がついたらどうするんですか!」
「無茶言うな!」
俺が叫び返している間にも、ヴァルゴの破壊劇は続く。
花壇が踏み荒らされ、彫像が砕け、館の外壁に大剣がめり込む。
「ええい、援護します!」
カーミラが業を煮やして魔法を放とうとした、その時。
館の内部から飛び出した影が、カーミラの妨害をするかのように剣で斬りかかった。
音もなく現れたのは、ヴァルゴと対になるような赤い髪をした少女。
おそらくは妹のレジエだ。
「……兄さん。遊んでる場合じゃないよ」
レジエはカーミラと対峙しながら、淡々とした声で下にいる兄に告げた。
「外に、《化け物》がいる」
その言葉に、俺は内心で苦笑した。
よくわかっているじゃないか。
そう、本当の脅威は俺じゃない。外でアンデッドを指揮しているお姉さんだ。
「あぁん? 化け物だぁ?」
だが、ヴァルゴは鼻で笑った。
「俺様以上の化け物がいてたまるかよ。……まずは目の前のこいつらを片付けてからだ!」
「……はぁ。バカ兄」
レジエは呆れたように息を吐くと、双剣を構えてカーミラに向き直った。
上と下、二つの戦場が出来上がる。
(……赤い髪に、赤い目。それにあの熱気)
俺はヴァルゴと対峙しながら、冷静に分析していた。
こいつら、個人的な想像だが、たぶん火竜の血統だ。
体から発散される熱量が尋常じゃない。
あとは、兄妹どちらも赤い髪と目をしてるというのもある。
「いや、それはさすがに決めつけが過ぎるか……?」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!」
戦闘は膠着状態に陥っていた。
ヴァルゴの一撃は重いが、大振りで見切りやすい。
対する俺の剣は速いが、ヴァルゴの硬い皮膚と筋肉を深く切り裂くには至らない。
だが、時間は俺たちの味方だ。
外からの戦闘音が、徐々に近づいてきている。
お姉さんの軍勢が押している証拠だ。
「ちっ……外の雑魚ども、不甲斐ねぇな」
ヴァルゴもそれに気づいたのか、苛立たしげに舌打ちをした。
「めんどくせぇ。一気に消し炭にしてやるよ」
彼が大剣の柄を強く握りしめる。
すると刀身が赤熱し、一気に激しい炎が噴き出した。
あれは、魔法剣ってやつか?
「消えろ!」
炎をまとった大剣が振り下ろされる。
俺はバックステップでかわすが、剣が地面に叩きつけられた瞬間、爆風が発生した。
「ぐっ……!?」
熱波と衝撃に煽られ、俺の体勢が崩れる。
直撃しなくても、周囲一帯を爆破する範囲攻撃。
魔法も使える脳筋とか厄介すぎる。
服の端が焦げ、肌がじりじりと焼けるような痛みを訴える。
「ハハハ! 魔法と武器を組み合わせりゃ、こんなもんだ!」
ヴァルゴが得意げに笑う。
単純だが、それゆえに強力だ。
俺は崩れた石畳の欠片を拾い、牽制のために投げつけた。
だが、ヴァルゴはそれを片手でパシッと払い落とす。
「なんだぁ? 石投げか? もう終わりかよ」
余裕の笑み。
俺はさらに足元の土を掴んで投げつけるが、それも大剣の腹で防がれる。
「退屈させんなよ。……そろそろ死ね」
ヴァルゴがトドメを刺そうと踏み込んでくる。
俺は唇を噛み──心の中でにやりと笑った。
(……かかったな、脳筋)
すぐに剣を構えて迎え撃つ体勢を取る。
その背後で、死角になっている尻尾の先を動かし、こっそりと地面の土をたっぷりと掴んだ。
サキュバスの尻尾は、ただの飾りじゃない。
第三の手だ。
「オラァッ!」
「はぁっ!」
大剣と長剣が交差する。
鍔迫り合い。至近距離での力の押し合い。
とはいえ、体格や筋力などを含めるとさすがに向こうのが強い。
ヴァルゴが俺をねじ伏せようと顔を近づけた、その瞬間。
「ほらよっ!」
俺は背後から尻尾を振り上げ、掴んでいた土をヴァルゴの顔面に対して叩きつけた。
「なにっ、ぐおっ!?」
不意打ちの目潰し。
剣で俺の手が塞がっていると思い込んでいたヴァルゴは、完全に反応が遅れた。
土の一部が目に入り、一瞬だけ動きが止まる。
その隙を見逃す俺じゃない。
「隙あり!」
俺は体を捻り、剣を滑らせてヴァルゴの脇腹を薙いだ。
ザシュッ!
硬い皮膚を切り裂き、鮮血が舞う。
「ぐっ……この、クソガキがぁ!!」
ヴァルゴがでたらめに大剣を振り回す。
俺はすぐに距離を取った。
脇腹には深い傷。致命傷ではないが、十分なダメージだ。
だが、ヴァルゴは痛がるどころか、血に濡れた脇腹を見ると口元を吊り上げて笑っていた。
「ったく……やるじゃねぇか。ちょこまかと動き回るだけじゃなく、そういう小細工まで弄するとはな」
その目から理性が消え、純粋な闘争本能だけが燃え上がっている。
全身から立ち上る熱気が、さらに増していく。
「いいぜ、認めてやる。お前は雑魚じゃない。……もう出し惜しみはなしだ」
ヴァルゴの皮膚の下で、何かが脈打った。
バキッ、メキメキッ……。
骨が膨張し、皮膚が裂け、その下から真紅の鱗が現れる。
人の形が崩れ、災厄の姿へと変わっていく。
「見せてやるよ……本物の力ってやつをなァッ!!」
中庭に、竜の咆哮が轟いた。




