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27話 地下水道の管理者と戦場の火蓋

 村を出発してから二週間が過ぎた。

 深夜、交易都市オロネスから少し離れた森の中。

 木々のざわめきに紛れて、俺たちは二つの部隊に分かれようとしていた。


 「ミア、合図である火球の撃ち方は覚えた?」

 「……ああ、進軍してる二週間の間にある程度は」


 俺が頷くと、イリスお姉さんは「念のため実践してみましょうか」と言って、背後から俺の手を包み込んだ。

 背中に密着する柔らかな感触。耳元にかかる吐息。


 「イメージして。お腹の底……丹田のあたりに、熱いものを溜めるの。私の魔力が注がれて、あなたの奥が熱くなっていく感覚……わかるでしょう?」

 「っ……言い方がいやらしいんだよ」

 「ふふ。魔力放出も快楽も、出口が違うだけで似たようなものよ。……その熱を、指先から一気に解き放つの」


 お姉さんの指が、俺の指に絡まる。

 言葉にできない感覚と共に、俺の手のひらに小さな、しかし高密度の火の玉が生成された。

 物理的な熱さよりも、精神を直接撫で回されるような熱さだ。

 横にいるカーミラは、なんともいえない表情を浮かべ、無言で視線を逸らしているのが気配でわかる。


 「上出来よ。……それじゃあ、おまじない」


 お姉さんは俺の体を反転させると、唇にちゅっ、と口づけを落とした。

 甘く、深い、奇襲のような触れ合い。


 「もしどうしようもなくなったら、すぐ逃げるのよ? ミアは私だけのものなんだから」


 その言葉には、姉としての心配と、支配者としての独占欲が半々に混ざっていた。

 傷一つつけさせたくないが、それは所有物としての価値を損なわせたくないからだと言わんばかりの重さ。

 以前の俺なら過剰にうろたえていただろう。

 だが、今は違う。


 「……わかってる」


 俺は少し顔を赤らめつつも、短く返し、戦士の顔を作った。

 ここで失敗して逃げ帰れば、待っているのは慰めという名の教育だ。

 どろどろのぐちゃぐちゃに愛されて、二度と外の世界に出られなくなる。

 それだけは回避しなければならない。


 「行ってくる。……暴れる準備をしておいてくれ」

 「ええ。派手に踊りましょう」


 お姉さんはアンデッド軍団を引き連れ、森の闇へと消えていった。

 残されたのは、俺とカーミラ、そして選抜された数名の兵士たちだ。

 志願兵たちは置いてきた。

 今回必要なのは数合わせの者ではなく、経験を積んだ兵士であるからだ。


 「では、参りましょう。……こちらへ」


 カーミラが案内したのは、枯れた古井戸の底にある隠し扉だった。


 「……あまり臭くないな」


 地下水道に足を踏み入れた俺は、意外な清潔さに驚いた。

 足元には水が流れているが、ヘドロのような悪臭はほとんどしない。石造りの壁や床は整然としており、機能的に作られている。


 「当然です。ここはわたくしが設計し、徹底的に整備させた動脈ですから」


 カーミラが魔法のランタンを灯しながら、誇らしげに、しかしどこか苛立たしげに言った。


 「衛生管理は基本です。疫病が流行れば税は減り、対処に費用がかかり、なにより血の質が落ちますから」


 あくまで管理者の視点。

 民のためというよりは、家畜小屋を清潔に保つ農場主の理屈だ。だが、そのおかげで住民が健康に暮らせていたなら、結果としては良い領主と言えるだろう。


 「……ちっ、ここも詰まっている」


 進むにつれ、カーミラの舌打ちが増えていった。

 排水路の格子のいくつかがゴミで詰まり、水が淀んでいる。壁の一部が崩れかけている場所もあった。


 「あのトカゲ共……メンテナンス一つ満足にできないのですか。これでは大雨が降れば、オロネスの一部が浸水してしまいます」

 「管理が放棄されてるんだな」

 「ええ。奪うだけ奪って、維持することを知らない。……滅ぼすべき害獣です」


 彼女の怒りは、都市計画への冒涜に対する怒りだった。

 俺たちは複雑な水路を迷いなく進み、やがて地上へと続く梯子を見つけた。

 重い蓋をゆっくり押し上げると、そこは狭い路地裏。

 夜のオロネス。

 かつては賑わっていたであろう石造りの街並みは、見る影もなく荒れ果てていた。

 建物の窓は割れ、壁には焦げ跡や剣でつけられた傷が残っている。

 城壁もあちこちが崩壊し、修復が間に合ってないのか瓦礫が積んであるだけという有り様。


 「おい、もっと酒を持ってこい!」

 「ひぃっ、もう、もうありません……!」

 「うるせぇ!」


 通りから怒号と悲鳴が聞こえる。

 路地の隙間から覗くと、竜の紋章をつけた鎧を着た兵士や、亜人のおそらくは傭兵たちが、商店の主人を蹴り飛ばしているところだった。

 住民たちの目には、反抗の意思すらない。

 ただ諦めと、嵐が過ぎ去るのを待つような絶望だけが漂っている。


 (ああ、くそっ、こういうの見せられると……)


 俺の胸に、義憤の炎が灯る。

 助けに飛び出したい。助けられる力がある。

 しかし、今騒ぎを起こせば作戦は失敗してしまう。

 俺が拳を握りしめていると、カーミラが冷たい手で俺の肩を抑えた。


 「我慢なさいませ。……あの者を助けても、元凶を断たねば意味がありません」

 「……ああ。わかってる」


 俺たちは影のように路地を抜け、街の中心にある領主の館を目指した。

 館まであと少しという場所。

 角を曲がった瞬間、見回りをしている亜人の兵士と鉢合わせそうになった。


 「あ? 誰──」


 兵士が声を上げようとした、その刹那。


 ヒュッ……!


 風のような速さでカーミラが動いた。

 音もなく背後に回り込み、左手で兵士の口を塞ぐと同時に、右手で首筋に短剣を突き立てる。

 湿った鈍い音のあと、兵士は声もなく崩れ落ちた。


 「……行きましょう」


 カーミラは表情一つ変えず、死体を近くの樽の陰に引きずり込んだ。

 手の震えも、躊躇いもない。

 自分の街の住民ではない、侵略者の兵士だからか、どこか事務処理のような手際だった。

 俺も死体の足を掴んで手伝う。

 その時、ふと自分の胸に手を当てた。


 (……静かだ)


 目の前で人が死んだのに。

 俺の心臓は、驚くほど静かに脈打っていた。

 前世の頃なら吐き気を催していたかもしれない光景。

 けれど今は、見つからなくてよかったという安堵と、次はどう動くかという思考が先に来る。


 (ああ、慣れてきてる。いや、適応してるのが近いか?)


 乾いた実感が胸に落ちた。

 俺は少しずつ、こちらの世界の住人になりつつある。

 それが成長なのか、喪失なのかはわからない。


 ◇◇◇


 領主の館の裏口付近。

 警備の配置を確認し、俺たちは物陰に身を潜めた。

 ここが突入ポイントだ。

 俺は空を見上げ、深く息を吸い込んだ。


 「始めるぞ」


 お姉さんに教わった感覚を思い出す。

 腹の底から、熱い塊を練り上げる。

 いやらしい指の感触と、耳元のささやきをトリガーにして、魔力を圧縮する。

 俺は右手を夜空へ掲げた。


 「行け……!」


 指先から放たれた火球が、赤い尾を引いて夜空を駆け上がった。

 それは街のどこからでも見える、鮮烈な印。

 数秒後。

 街の南方向から、地響きのような爆発音が轟いた。


 「敵襲ー!」

 「アンデッドだ! 死人の軍団が攻めてきたぞぉ!!」


 監視塔にある鐘が激しく叩かれ、街中が大混乱に陥る。

 どんどん南に兵力が集中していく。

 かつては城壁に覆われていたオロネスだが、以前起きた戦いのせいか、城壁がない部分ばかり。

 そこをお姉さん率いるアンデッドたちは攻め立てている。


 「突入!」


 俺たちは混乱に乗じ、手薄になった裏口から館の敷地内へと侵入した。

 中庭を抜け、建物の壁に取りつく。

 その時、頭上のバルコニーから、豪快な笑い声が降ってきた。


 「ギャハハハハ! 来たか吸血鬼! そろそろ取り戻しに来ると思ったぜぇ!」


 見上げると、豪奢なバルコニーの手すりに足をかけ、身の丈ほどある大剣を担いだ巨漢の影があった。

 逆立った髪に、太い腕。竜としての翼や尻尾もある。

 はぐれ竜族の兄、ヴァルゴだろう。

 好戦的な笑みを浮かべ、南の方角を睨んでいる。


 「返り討ちにしてやるよ! 俺様の力でな!!」


 向こうは完全に、カーミラの軍勢による攻撃だと思い込んでいる。

 俺たちの存在には気づいていない。

 俺は壁に張りつきながら、にやりと笑った。


 「カーミラがこっちの配下になったことは知られてない、と。……なら、思いっきり驚かせてやる」


 奇襲の条件は整いつつある。

 俺は剣の柄を握りしめると、一度深呼吸をした。

 ここからが正念場だ。

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