24話 岩場での戦いと明らかになる姉の正体
夜明け前。
東の空が白み始めた頃、斥候として放っていた巨大なネズミの魔物たちが戻ってきた。
「チューッ! チュチューッ!!」
「キュウッ! キュッ!」
彼らは俺の足元で跳ね回り、しきりに北の方角を指し示しては、身振り手振りで何かを伝えようとしていた。
言葉は話せない。一見すると、ただ餌を求めて騒いでいるようにしか見えない。
だが、今の俺にはわかった。
「……来たか。数は?」
俺が問うと、ネズミの一匹が地面に爪で線を三つほど書き、その周りをぐるぐると回ってみせた。
「三百近い軍勢が、移動を開始した……そういうことだな?」
「チュッ!」
ネズミが力強く頷く。
優秀だ。あとで飯を山ほど食わせてやろう。
「よし、野郎ども! 作戦開始だ!」
俺は仮眠を取っていた志願兵たちを叩き起こした。
いよいよ、開戦だ。
◇◇◇
朝日が荒野を赤く染める中、俺たちは岩陰から姿を現した。
目の前には、整然と進軍するアンデッドの軍団。
中央の輿には、日傘を差した吸血鬼カーミラの姿がある。
「おやおや。あの羽虫が、仲間を連れて戻ってきましたか」
カーミラはこちらを一瞥したが、すぐには動かなかった。
罠を警戒しているのだろう。慎重な奴だ。
しかし、無視はさせない。
「挨拶代わりだ! やれ!」
俺の号令で、魔物たちが一斉に襲いかかった。
狙うのは本隊ではなく、外周を守るスケルトンたちだ。
ガシャン! バキッ!
素早い攻撃、素早い離脱。
数体を粉砕しては、囲まれる前にすぐさま逃げる。
「……小賢しい」
カーミラが眉をひそめた。
俺たちはそれを何度か繰り返した。
蜂が刺すような、地味だが確実な嫌がらせ。
そして、六回目の襲撃でついにカーミラが扇子を閉じた。
「目障りです。……すり潰しなさい」
軍勢が動く。
重厚な死者の行進が、俺たちへと方向転換した。
「釣れたぞ! 退け! 予定通り荒野へ下がる!」
俺は叫び、志願兵たちを後退させた。
彼らは戦わせない。ただの囮だし、そもそも戦力としては微妙だ。
ジリジリと下がりながら、敵を深く、険しい岩場へと誘導していく。
◇◇◇
一時間ほどの後退戦の末、俺たちは大小様々な岩が転がる岩場エリアに到達していた。
足場が悪く、大軍が展開しにくい地形だ。
ここが、俺たちが選んだ狩り場だ。
「今だ、お姉さん!」
「はーい♡」
上空で待機していたイリスお姉さんが、指をパチンと鳴らした。
ズドォォォン!!
敵の隊列の中央にある地面が唐突に陥没した。
さらに、斜面の上から巨大な岩が数個、意思を持ったかのように転がり落ちてくる。
「なにっ、罠か!?」
十数体のスケルトンとゾンビが、落とし穴に飲まれ、あるいは岩の下敷きになってひしゃげた。
大規模な魔法ではない。あくまで地形を利用した罠に見える程度の威力。
お姉さんは加減している。自分の力ですべてを終わらせることがないように。
「散開! 散開しろ!」
あちら側の兵士たちが叫び、素早く穴を回避する。
死者に比べて、さすがに生者は反応がいい。
だが、隊列は崩れた。
「そこだ! 食らいつけ!」
俺は軍勢の一角に空いた穴へ向かって突っ込んだ。
援護にためネズミやチーターの魔物たちも続く。
俺は新しい剣を振るい、スケルトンの首を次々と跳ね飛ばしていく。
軽い。鋭い。
鋼の剣は、骨をバターのように断ち切ってくれる。
「うわっ、汚ねぇ!」
ゾンビが腐った腕を伸ばしてくるのを、俺は顔をしかめて蹴り飛ばした。
こいつらは斬ると体液が飛び散るから嫌だ。なるべく触れたくない。
乱戦の中、剣を振るい、敵を蹴散らす。
息が上がり、汗が流れる。
そして──ふと、俺は自分の口元が緩んでいることに気づいた。
(……なんだ、これ)
心臓が早鐘を打っている。
恐怖じゃない。
自分の力で敵を圧倒し、付け焼き刃の作戦で格上の軍勢を翻弄できているという事実。
それがたまらなく、ぞくぞくするような高揚感を生んでいる。
「ふふ。楽しいでしょう? ミア」
風に乗って、甘い声が届いた。
見上げると、お姉さんが楽しそうに空を舞っていた。
「力が溢れて、敵をゴミのように砕けていく快感……。体が、心が、疼いてくるでしょう?」
否定できなかった。
俺の中にあるサキュバスの本能が、暴力と支配を悦んでいる。
前世では味わえない快感。
ああ、これが魔王か。
「……悪くない気分だ!」
俺は叫び、眼前の敵を薙ぎ払った。
そして、視線の先には本命がいる。
護衛が薄くなった今こそ、好機。
「カーミラ!!」
「またあなたですか、野蛮な!」
俺は一気に距離を詰め、吸血鬼の懐へと飛び込んだ。
一騎討ちだ。
ガギィッ!!
俺の剣と、カーミラのレイピアが火花を散らす。
以前戦った時とは違う。
振るっているのは、メイスのような大振りで重い得物ではない。速さでも、今の俺なら食らいつける。
「くっ、前とは動きが……!」
「学習したんでね!」
剣戟の嵐。
お互いに一歩も引かない。
俺の服は刃で切り裂かれ、カーミラのドレスも俺の剣でぼろぼろになっていく。
肌が露わになるのも構わず、俺たちは殺し合った。
数合、数十合。
やがて、徐々に俺が押し始めた。
勢いと魔力の爆発力。
そしてなにより、勝てるという確信が俺の剣を加速させる。
「──お遊びは終わりです!」
カーミラが焦りの色を見せ、大きくバックステップした。
その全身から、どす黒い赤色のオーラが噴き出す。
大技だ。
あの時は見せなかった、吸血鬼としての本気の魔法。どういうものかわからないが、危険であることは確か。
「発動させるかよ」
俺は踏み込むが、その進路を数体のゾンビが塞いだ。
肉の壁。魔法発動までの時間稼ぎだ。
「邪魔だ!」
でも俺は止まらなかった。
ゾンビの爪が俺の肩を裂き、脇腹をかすめる。
強い痛みと激しい鮮血。
だが、そんなものは些事だ。
肉を切らせて、骨を断つ。
回復魔法とかがある世界だ。死なないならどうにでもなる。
「なっ、肉壁を強引に……!?」
カーミラが驚愕から目を見開く。
目前まで、俺は肉薄していた。
魔法はまだ発動していない。
そこにあるのは無防備な懐。
「これで──終わりだ!!」
俺は剣を突き出すフェイントを仕掛けつつ、カーミラの足元を蹴り払った。
体勢が崩れ、彼女が仰向けに倒れる。
その胴体目掛けて、俺は逆手に持った剣を全力で突き立てた。
「がはっ……!」
剣はカーミラの腹部を貫き、背後の岩盤ごと彼女を地面に縫いつけた。
鮮血が噴き出す。
吸血鬼の生命力だ、これでも即死はしないだろう。
だが、勝負はついた。
「……チェックメイトだ」
俺は荒い息を吐きながら、縫いつけられたカーミラを見下ろした。
彼女は血を吐きながら、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけてくる。
「……殺しなさい。敗者に情けなど不要です」
プライドの高い女王の言葉。
俺は腰のナイフに手をかけた。
トドメを刺して、首を取れば終わりだ。
しかしそれを邪魔する者がいた。
「待ってください! お助けを!」
「カーミラ様を殺さないでくれ!」
周囲の戦闘は止まっていた。
カーミラの配下である生身の兵士たちが、武器を捨てて俺に向かって懇願していたのだ。
彼らの目は必死だった。
ただの恐怖による服従ではない。この吸血鬼に対する、確かな忠誠心が見えた。
(……なるほどな)
オロネスという拠点を奪われても、付き従っている古参の者たち。その関係は、かなり深いはず。
俺はナイフをしまった。
そして、カーミラの胸ぐらを掴み、顔を近づける。
「殺さない。……俺の配下になれ」
「……は? 何を言って……」
「生者は大事にするんだったな? なら、自分の命と引き換えに、こいつらが路頭に迷うのを見過ごすのか?」
カーミラが歯ぎしりをする。
屈辱と、配下への情。
葛藤の末、彼女は力なく首を垂れた。
「……わかりました。あなたの軍門に下ります。……ですから、彼らには手を出さないでください」
「契約成立だな」
俺は刺さっている剣を引き抜いた。
普通なら死んでいるだろう傷が、目に見える速度で塞がっていくのを確認し、俺は勝利の雄叫びを上げようとした。
「よくやったわ、ミア。最高にかっこよかったわよ」
その時、空からお姉さんが降ってきて、血まみれの俺に抱きついた。
戦闘終了の合図だ。
お姉さんは俺の頭を撫で回し、頬ずりをしてくる。
「あ痛たたっ! 傷に触るな!」
「勲章よ。あとでたっぷり舐めて治してあげるからね」
いつものようなイチャイチャ。
それを見たカーミラは呆れたように、あるいは苛立たしげにしていた。
「……決着がついた直後に、そういうのを見せつけられる身にもなってもらいたいのですが。それに、その女は……」
カーミラの言葉が止まった。
彼女の視線が、俺ではなく、俺に抱きついているお姉さんに釘付けになる。
苛立ちは消え、代わりに信じられないものを見るような、戦慄の色が浮かび上がる。
「……え? まさか……その魔力、そのお姿……」
カーミラはガタガタと震えだし、先ほど俺に負けた時以上の速度で、その場に平伏した。
地面に額を擦りつけるほどの、絶対的な服従の姿勢。
「……し、失礼いたしました! まさか、副魔王イリス様が直々に動かれているとは露知らず……!」
声が裏返っている。
副魔王。
魔王がいるなら、副魔王がいるのは当然といえる。
そしてこの場合、先代魔王が存在していた時の副魔王という意味になる。
「このカーミラ、生涯の忠誠を誓います! どうか、どうかご慈悲を……!」
俺に対する態度とは桁違いの敬いようだ。
「……どういうことなんだ?」
「あらあら」
お姉さんは悪びれもせず、にっこりと笑った。
「いつかバレるとは思ってたけど……意外と早かったわねぇ」
しみじみと言うその姿に、俺は言葉を失った。
命懸けで倒して、ようやく従わせた相手が、お姉さんの顔を見た瞬間に土下座した。
この格差。
俺の努力はいったいなんだったのか。
勝利の達成感は、とてつもない疲労感と共に、荒野の風に吹かれて消えていった。




