22話 月無き夜の奇襲、吸血鬼との謁見
夜の帳が下り、分厚い雲が月明かりを遮っていた。
視界の悪い闇夜は、吸血鬼にとってホームグラウンドだ。だがそれは、夜目が利くサキュバスにとっても好都合な舞台だった。
「……行くぞ」
上空数十メートル。
そこまでなんとか飛んだ俺は、翼を畳み、重力に身を任せて急降下を開始した。
狙うは陣の中央。
豪奢なテントの前に立つ、日傘の女。アンデッドを使役する吸血鬼。
(向こうは気づいてない。これなら……)
加速する。風切り音が轟音に変わる。
心臓を狙うのは博打だ。吸血鬼の弱点が心臓というのは定説だが、メイスで狙うのは難しい。
なら、物理的に思考を奪う頭部こそが最適解。
(潰れろ!)
俺は落下速度を乗せた全力のメイスを、脳天目掛けて振り下ろした。
死角からの奇襲。
反応できるはずがない──はずだった。
「……騒がしい羽虫ですね」
相手は優雅に、日傘を閉じた。
ただそれだけの動作。
だが、閉じた傘の先端から、赤黒い霧が噴出し、強固な障壁となって展開される。
ドンッ!
鉄塊と魔力の壁が衝突し、爆音が夜の荒野に轟いた。
直撃は防がれるも、逃げ場を失った衝撃波が周囲へと拡散し、護衛のスケルトンやゾンビたちを木の葉のように吹き飛ばす。
「ちっ……!」
俺は着地と同時に回転し、勢いを殺さずにメイスを横薙ぎにした。
バキボキッ!
起き上がろうとしたスケルトンの上半身が粉砕される。
(よし、読み通りだ!)
骨だけの体は、斬撃には強いが打撃には脆い。
粉々に砕いてしまえば、魔法による再生にも時間がかかる。
俺は邪魔なゾンビを蹴り飛ばし、殴り飛ばし、再生しようと集まる骨をさらに細かくすり潰していく。
『左、魔法が来るわよ』
頭上から、のんびりとした声が降ってきた。
見上げれば、イリスお姉さんが戦場の上空にふわりと浮き、腕組みをして観戦していた。
完全にコーチ気取りだ。
『ほら、詠唱の隙が大きい。……えいっ』
お姉さんが指先で小さく何かを弾く動作をすると、どこからか飛んできた小石が、魔法を撃とうとしていた吸血鬼の部下の額に直撃し、詠唱を中断させた。
「くっ、敵は複数!?」
「守りを固めろ!」
さらに、俺を包囲しようと動いたゾンビ集団の足元が隆起し、土の壁となって進路を塞ぐ。
(……地味に助かるけど、そこまでやってくれるなら降りてきて戦ってくれよ)
俺が心の中でぼやいていると、目の前の砂煙が晴れた。
そこに立っていたのは、無傷の日傘の女だった。
彼女は最初、俺を鬱陶しい羽虫を見るような目で見ていた。
だが、次々と配下のアンデッドを粉砕する俺の怪力と、そして何より──上空に浮かぶお姉さんの異質なプレッシャーに気づき、目を細めた。
「……なるほど。ただの羽虫ではないようですね」
吸血鬼の女は日傘の柄を握り、ゆっくりと引き抜いた。
現れたのは、月光のような冷たい輝きを放つ細身のレイピアだった。
仕込み武器というわけだ。
「サキュバスの子ども? 夢にまでやって来て勝手に愛をささやく種族が、わざわざ戦士の真似事ですか」
「あいにく、俺は愛よりも暴力が得意なタイプでね!」
俺はメイスを構え直す。
相手はレイピアを切っ先を俺に向け、妖艶に微笑んだ。
「わたくしはカーミラ。……あなた、なかなか活きが良さそうな血をしていますね。血袋というペットとして飼って差し上げましょうか」
「お断りだ! 飼い主ならもう間に合ってる!」
カーミラと名乗った吸血鬼の突きは速く、鋭かった。
俺は大振りのメイスで応戦するが、どうしても振りが遅れる。
かわされ、いなされ、カウンターで細かな傷が刻まれていく。
(速い……! それに、重い!)
細腕に見えて、吸血鬼の筋力は人間を遥かに凌駕している。
俺が渾身の一撃を叩き込んでも、障壁で防がれるか、あるいは片腕を盾にして即座に再生されてしまう。
決定打がない。
「聞きたいことがあります。なぜいきなり奇襲を?」
鍔迫り合いの最中、カーミラが涼しい顔で問うてきた。
「あんたのこと、少し観察していたからだ。……危険な隣人は早めに排除したいんでね」
「野蛮ですねぇ。おとなしく我が軍門に下れば、悪いようにはしませんが?」
カーミラは距離を取ると、近くに控えていた生身の人間の兵士を手招きした。
攻撃を加えるために俺は近づこうとしたが、アンデッドが立ち塞がり邪魔をする。
「血」
短く命じる。
兵士は恐怖する様子もなく、恭しく袖をまくり、腕を差し出した。
カーミラはその腕に噛みつき、喉を鳴らして血を吸う。
数秒後、彼女は口を離し、傷口を舐めて塞ぐと「下がりなさい」と告げた。
兵士はふらつきながらも一礼して下がる。
使い捨てではない。資源としての管理。
「死者は使い潰しますが、生者は大事にしますよ。……わたくしはこれでも、他の吸血鬼よりは優しいという自負があります。ただし、敵対しないならば」
「……このままどっかに帰ってくれるなら、こっちも敵対しないさ」
「おや。先に仕掛けてきたくせに、生意気ですね」
交渉決裂。
戦闘が再開される。
数分ほど打ち合うと、俺の息は上がり、体中は切り傷だらけになっていた。
一方、カーミラは息一つ乱していない。まだ奥の手──魔法や変身を残していそうな余裕がある。
(……勝てない。せめてメイスより軽い武器じゃないと)
実力差を痛感した。武器の相性の悪さもある。
粘ってもいいが、ジリ貧で負ける。
その時、頭上から審判の声が響いた。
『はい、そこまで。これ以上は危ないわよ』
お姉さんの声だ。つまり撤退の合図。
ひとまず威力偵察は切り上げるべきだ。
俺は残った全魔力をメイスに込め、足元の地面を殴りつけた。
爆発的な砂煙が舞い上がり、視界を遮る。
目くらましだ。
「なっ……!?」
「じゃあな」
相手が腕で顔を覆った隙に、俺は全力で跳躍し、夜空へと逃げ出した。
「はぁ……はぁ……!」
上空の冷たい風を切って飛ぶ。
背後からの追撃はない。どうやら振り切ったようだ。
だが、体中が痛い。
怪我は浅いものばかりだが、出血が多くて意識が遠のきそうになる。
「お疲れ様、ミア」
横を飛んでいたお姉さんが、すっと俺に寄り添ってきた。
そして、空中で俺の腕を掴むと、まだ血がにじむ傷口に唇を寄せた。
「んっ……ちゅ、じゅる……」
「うぁっ!?」
「動かないで。治療してあげる」
お姉さんの舌が、傷口を這う。
ざらりとした感触と、唾液の熱さ。
傷口から魔力が染み込み、痛みが引いていくのと同時に、背筋がぞくぞくするような甘い痺れが走る。
「ん、ぷは。……合格よ。あの格上相手に、よく生きて帰ってきたわ」
「……そりゃ、どうも」
「血の味も……頑張った味がして、美味しいわ♡」
治療なのか、味見なのか。
俺はいやらしい水音を聞きながら、必死に村を目指した。
◇◇◇
「無事に戻れたか」
村の拠点にある、俺たち用の空き家に滑り込む。
ようやく一息つけると思ったのも束の間。
お姉さんは俺をベッドに押し倒すと、治療の続きを始めた。
「ほら、まだここにも傷があるわ」
「そ、そこは傷なんてないだろ!」
「心の傷よ。癒やしてあげないと」
お姉さんは俺の腕を持ち上げ、無傷な脇の下に顔を埋めると、長い舌を這わせた。
「なっ!? くすぐったい!」
「いい匂い。汗と恐怖が混ざって蒸れた匂い……」
傷口だけでなく、首筋、耳の裏、お腹。
無傷な部分まで、ねっとりと舐め上げ、撫で回してくる。
これは治療じゃない。ただの毛づくろいだ。
あるいは、自分のものであることを刻むマーキング。
「やめ……やめろってば!」
俺は抵抗しようと手を伸ばし、お姉さんの頭にあるねじれた角を掴んだ。
弱点であれと願いながら、ぐいっと力を込める。
「ん? なぁに?」
これといった効果はない。
お姉さんの頭を軽く揺らしただけだった。
むしろ「角を持って遊ぶなんて、甘えん坊さんね」と解釈されたのか、さらに愛撫が激しくなる。
「〜〜ッ! くそぉぉぉッ!」
俺の悲鳴は、深夜の空き家に虚しく響いた。
吸血鬼との死闘よりも、このあとの治療の方が体力を消耗することを、俺は身を持って知るのだった。




