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20話 忍び寄る敵の影と甘いベッドへの招待状

 数日が過ぎ、荒野のオアシスに作られた拠点は急速に様変わりしていた。


 「魔王様! 柵の設置、完了しました!」

 「おう、ご苦労」


 俺は拠点内を見回りながら、ガンスの報告に頷いた。

 サンドワームの外皮をなめして作ったテントが並び、周囲には骨や牙を利用した頑丈な柵が張り巡らされている。

 殺伐とした荒野の中に、小さいながらも確かな生活圏が生まれていた。

 たった数日でここまで形になったのは、難民たちの必死さと、魔物という労働力のおかげだ。


 「サンドワームの皮は優秀ですね。熱を遮断するし、風も通さない。……あとは臭いさえ抜ければ最高なんですが」

 「贅沢言うな。野ざらしじゃないだけマシだろ」

 「肉はあんまり臭くないんですがねえ。干し肉を作ったんですが、いります?」

 「貰おう」


 俺は苦笑しつつ、ガンスの肩を叩いた。

 ここの運営は彼に任せておけば大丈夫そうだ。

 俺は次の仕事──最初に手に入れた村の視察へと向かうことにした。


 「転移するわよ♡」


 イリスお姉さんに抱きしめられ、一瞬の浮遊感。

 景色が切り替わり、俺たちは村から少し離れた岩陰に降り立った。

 そこには、転移アンカーを守るために配置しておいたネズミの魔物がいる、のだが。


 「……おい」


 岩の隙間で、大きいネズミが大の字になって腹を出して寝ていた。

 こいつ野生を忘れたのか。


 「起きろ」

 「チュウッ!?」


 俺の声に飛び起きたネズミは、俺たちの姿──正確には俺の背後にいるお姉さんの笑顔を見た瞬間、毛を逆立てて直立不動になった。

 ガタガタと震え、必死に「見張りしてました!」とアピールするように周囲をきょろきょろと見回し始める。


 (……俺にビビってるのか、お姉さんにビビってるのか)


 まあ、後者だろうな。

 もしお姉さんの機嫌が悪ければ、今頃こいつは消し炭になっていただろう。

 俺はため息をつきつつ、村へと足を向けた。

 村の様子は、いつも通りだった。

 だが、広場に見慣れない荷馬車が停まっていた。

 そしてその横には、奇妙な姿の女性が立っていた。


 「おや、いらっしゃい。見ない顔だねぇ」


 鳥のような脚に、腕と一体化している大きな翼。

 ハーピーだ。

 格好や荷馬車などを見るに、商人の類いかもしれない。


 「俺はこの村の……領主だ。行商か?」

 「へぇ、あんたが新しい魔王様かい。可愛いねぇ」


 ハーピーの女性は、俺を値踏みするように見たあと、ケラケラと笑った。

 悪意はなさそうだ。


 「あたしはただの通りすがりさ。北東のオロネスって街から、難民がこっちに逃げたって噂を聞いてね。野垂れ死んでないか、商売相手になりそうか、様子を見に来たのさ」


 わずかに警戒した。

 オロネスからの難民。それは間違いなく、今俺たちが囲っているガンスたちのことだ。

 下手に認めれば、面倒なことになるかもしれない。

 俺が口を開きかけたその時、横から秘書官イリスが割り込んだ。


 「難民、ですか? あいにくと、この村には来ておりませんわ」


 完璧なすっとぼけだった。

 表情一つ変えず、眼鏡を光らせて嘘をつく。


 「ここに来るまでに死んでしまったのかもしれませんね。荒野は過酷ですから」

 「……そうかい。ま、生き延びるのも難しいか」


 ハーピーはあっさりと納得したようだ。

 彼女にとって難民の生死は、商売になるかならないかだけの問題なのだろう。


 「で、そのオロネスって街はどうなってるんだ?」


 俺が話を逸らすと、ハーピーは翼をすくめてみせた。


 「大変さ。はぐれ竜族に街を奪われた吸血鬼の魔王様が、カンカンになって周辺で暴れてるよ」

 「暴れてる?」

 「ああ。失地回復には兵隊と金がいるからね。手っ取り早く、近場の弱い魔王を襲って、リソースを回収してるらしいよ」


 リソース。

 つまり、配下の兵士や、領民や、食料を奪い尽くすということだ。

 吸血鬼ならば、襲った相手をアンデッドにして兵隊にする可能性もあるかもしれない。


 「この村にも、そう遠くないうちに来るだろうね。あんたも逃げることをおすすめするよ。生きてたら、また会おうねぇ」


 ハーピーは不吉な言葉を残し、荷馬車に戻ろうとした。

 このまま行かせては、ただ不安だけが残る。俺はとっさに声を上げた。


 「待て! タダでとは言わない。もっと詳しい情報をくれ!」


 俺はこの世界のお金を持っていない。

 なので懐から、先ほどガンスから受け取ったばかりのサンドワームの干し肉を取り出し、放り投げた。

 ハーピーはそれを器用にキャッチし、匂いを嗅ぐ。


 「おや、こいつは……サンドワームの肉かい? しかも一番脂が乗ってる希少部位じゃないか」

 「滋養強壮にいい、らしいぞ。……奴らの現在地と規模、もっと詳しく教えてくれれば、もう二、三枚つけてやる」


 俺が残りの干し肉を見せると、ハーピーは喉を鳴らした。

 空を飛べる彼女たちにとって、高カロリーな保存食は結構な価値があるらしい。


 「へぇ、話がわかる魔王様だねぇ。いいよ、商談成立だ。この干し肉は、あれを倒せることの証明でもあるしね」


 ハーピーは戻ってくると、懐から古びた羊皮紙と木炭を取り出し、サラサラと地図を書き始めた。


 「ここがオロネス。で、奴らの本体がいるのがこの辺り。あと三日ほどでここまで来るだろうね」


 具体的な期日と場所。

 干し肉数枚で、喉から手が出るほど欲しかった情報を手に入れた。

 ハーピーは追加の肉を受け取ると、荷馬車と共に去っていった。

 残された地図を握りしめ、俺は重苦しい沈黙の中で立ち尽くした。


 「……あと三日、か」


 吸血鬼が率いる軍勢。

 ガンスの話では数百の兵がいるという。

 敗北により数を減らしているとしても、まだそこそこの数がいるはず。

 もしここが襲われれば、村も、あのオアシスもひとたまりもない。

 俺は隣に立つお姉さんを見上げた。


 「どうする、お姉さん。……これ、無視できないぞ」


 お姉さんは眼鏡を外し、いつもの妖艶な笑みを浮かべた。

 そして、俺の肩に手を置き、耳元に唇を寄せる。


 「不安?」

 「……そりゃな」

 「なら──私に頼ってもいいのよ?」


 甘い、とろけるような誘惑。

 お姉さんの指先が、俺の鎖骨をなぞる。


 「私が本気を出せば、吸血鬼の一匹や二匹、指先ひとつで消し飛ばしてあげる。この村も、難民たちも、無傷で守ってあげるわ」

 「……対価は? わざわざ言ってくるってことは、裏があるんだろ?」

 「あら、他人行儀ね。でもそうねぇ……」


 お姉さんは、ねっとりと俺の瞳を見つめ返した。


 「丸一日、ベッドの上から出ないで、お姉ちゃんと仲良くすること……かしら?」


 ぞくりと背筋が凍った。

 たった一日。言葉にすれば短く感じる。

 だが、この人相手の一日が何を意味するか、俺の本能が警鐘を鳴らしていた。

 朝から晩まで、魔力を注がれ、愛撫され、思考を溶かされ続ける二十四時間。

 そんなことをされたら、間違いなく俺の精神は崩壊する。

 魔王としての矜持も、男としての記憶も、すべて快楽に塗りつぶされて、お姉ちゃん大好きとしか言えない人形が出来上がるだろう。


 (……詰みだ。どっちに転んでも終わる)


 吸血鬼に殺されるか。

 お姉さんに堕とされるか。

 いや、待て。

 第三の道があるはずだ。

 俺は必死に頭を回転させた。逃げるな、考えろ。

 吸血鬼はまだ来ていない。あちこちを襲ってるという情報があるだけだ。


 「……断る」


 俺はお姉さんの手を払いのけ、強気に言い放った。


 「俺は魔王だ。自分の領地くらい、自分で守る」

 「あら、強がりね。勝てると思ってるの?」

 「勝つさ。そのために、こっちから偵察に行く」


 攻められるのを待つんじゃない。

 こちらから敵の懐に潜り込み、情報を得て、勝機を探る。

 それに、外の世界を見れば何か打開策が見つかるかもしれない。

 少なくとも、ベッドの上で一日中可愛がられるよりは、生存確率は高いはずだ。

 

 「偵察、ね……」


  お姉さんは少し驚いた顔をしたあと、にやりと口角を吊り上げた。


 「いいわ。その意気よ、ミア。……ベッドでの行為は、もう少しお預けにしてあげる」


 そう言って微笑むお姉さんだったが、その瞳の奥には、逃した獲物への未練と、さらなる執着が渦巻いていた。

 彼女は俺を解放するどころか、さらに強く腰を引き寄せ、逃げ場を塞ぐように密着してきた。


 「でもね、ミア」

 「な、なんだよ……?」


 耳元に、熱い吐息が吹きかけられる。

 甘い毒のようなささやきが、鼓膜を震わせた。


 「もし自力でどうにもできなくて、泣いて私に助けを求めてきたら……その時は倍の二日間、たっぷりと可愛がってあげるわね?」

 「……は?」

 「ミアの体中の穴という穴に、私の魔力を注いで、とろとろに蕩けるまで愛してあげる。……二日間、一歩も部屋から出さない。食べるのも飲むのも口移しだけ。お漏らししちゃうくらい気持ちよくしてあげるから覚悟してね♡」

 「……!?」


 条件が吊り上げられた。

 一日でも精神崩壊確実なのに、二日間なんてことになれば、俺は確実に自我を失って“お姉ちゃん専用の肉塊”になり果てるだろう。

 失敗した時のリスクが、死ぬよりも恐ろしいものに変わった瞬間だった。


 「準備ができ次第、出発する……吸血鬼だろうがなんだろうが、俺の庭は荒らさせない!」


 俺は必死に叫び、拳を握りしめた。

 それは魔王としての自覚か、それとも姉という怪物から逃げるための必死の足掻きか。

 どちらにせよ、俺はまた、死地へと足を踏み入れることを選んだのだった。

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