14話 暴力という名の癒やし、空を飛ぶ竜の影
ドゴォッ!!
乾いた荒野に、重い衝撃音が響き渡った。
俺が振り下ろした鉄の棒が、巨大なトカゲ型魔物の脳天を打ち砕く──寸前で止まり、その硬い鱗を強打する。
魔物は白目を剥き、どっと倒れ伏した。
「……ふぅ、ふぅ……」
俺は肩で息をしながら、手に持った無骨なメイスを地面に突き立てた。
刃物ではない。ただの鉄の棒に近い鈍器だ。
相手を殺さず、骨の一本か二本をへし折って、心を折るための勧誘用の武器である。
「あー……すっきりした」
額の汗を拭う。
暴力はいい。何も考えなくていい。
ここには、甘い言葉で脳を溶かしてくるお姉さんもいなければ、夢の中に侵入して行われるいやらしい訓練もない。
あるのは、殴れば倒れるという単純明快な物理法則だけだ。
今の俺にとって、魔物との命のやり取りこそが、唯一の心の平穏だった。
「グルル……」
「キュウ……」
俺の背後で、護衛として連れてきたチーター型の魔物と、数匹の巨大ネズミたちが鳴いた。
殺してしまったんじゃないかと心配している様子。
イリスお姉さんは、村で情報収集をしている。
だから今の俺は、お目付け役なしの自由行動中というわけだ。
「大丈夫だ。……ほら、飲め」
俺は腰のポーチから、赤い液体が入った小瓶を取り出した。
お姉さんは回復魔法を使えるが、俺は使えない。その代わりポーションを大量に持たされている。
俺は気絶しているトカゲの口をこじ開け、液体を流し込んだ。
みるみるうちに傷が塞がっていく。
意識を取り戻したトカゲは、俺を見て「シャァッ!」と威嚇しようとし──俺が再びメイスを持ち上げたのを見て、瞬時に腹を見せて降伏した。
「よし。お前も今日から俺の配下な」
俺はトカゲの頭を撫でてやる。
殴って、治して、撫でる。
単純ながら効果は絶大だった。
魔物たちは恐怖と恩義を同時に覚え、忠実な下僕となる。
「……俺、意外と魔王向いてるのかもな」
そんな自惚れすら、荒野の風が心地よく感じさせてくれた。
これなら、やっていけるかもしれない。
少しずつ勢力を増やし、あの規格外なお姉さんにも認められるような王になれば、扱いも少しはマシになるはずだ。
俺は地図を取り出し、新しく見つけた水辺の位置を書き込んだ。
護衛のネズミたちが、俺の足元にすり寄ってくる。
もふもふとした毛並みの感触。温かい体温。
「よしよし、いい子だ……」
「キーキー」
俺は人間の子どもくらいあるネズミの魔物を抱き上げ、顔をうずめた。
癒やしだ。
ここには下心も、将来への不安もない。ただ純粋な動物的な思いだけがある。
心が洗われるようだ。
その時だった。
「ギャウッ!」
チーター型の魔物が、空を見上げて低く唸った。
警戒の声だ。
俺もつられて空を見る。
「……え?」
はるか上空。
雲の切れ間を、巨大な影が滑るように横切っていった。
長い首、巨大な翼、陽光を反射して輝く硬質な鱗。
間違いようがない。
あれは竜だ。
「……でかいな」
息を呑む。
小さく見える高度なのに、その威圧感は地上にまで届いていた。
あれが、東の山脈を支配する竜族の一体か。
今はただ通り過ぎるだけのようだが、もし目が合えば、俺もこの魔物たちも、一瞬で灰にされるだろう。
「あんなのと、いつか戦うことになるのか……」
魔王として覇道を歩むなら、避けては通れない相手だ。
武者震いか、それともただの恐怖か、手が震える。
だが、ふと思い出した。
(……先代魔王は、竜を配下にしていたんだよな?)
魔王軍の残党と竜族は、今はどちらも独立した勢力として睨み合っているが、それ以前は魔王に仕えていたはずだ。
(そんな魔王を、裏工作で破滅させて消したのが……イリス)
背筋が凍った。
空を飛ぶ竜よりも、今ここにいない黒髪の美女の方が、遥かに恐ろしく感じられた。
そんな怪物が、今は妹のお世話に執着しているという落差。
「……帰ろう」
竜の姿が見えなくなると、俺は小さく呟いた。
まだ、あんな領域には手が届かない。
今は地道に、足元の小石を拾い集めるしかないのだ。
帰り道、俺たちは岩場に住むアルマジロのような魔物の群れに遭遇した。
当然、言葉は通じない。
「向こうがすぐ逃げないよう、群れを包囲」
「グル……」
「チチッ」
命令したあとは武器をしまい、両手を広げ、身振り手振りで「敵意はない」「俺についてこい」と言いながらアピールした。
以前の俺なら恥ずかしさから微妙な感じになっていただろうが、必死さが伝わったのか、あるいは俺の魔王としてのオーラが出始めていたのか、彼らは警戒を解いてくれた。
群れの一部が俺の後ろについてくる。
小さな一歩だが、確実な前進だ。
屋敷に戻る前、俺は連れていた魔物たちを解散させた。
「よし、今日はここまで。それぞれの縄張りに戻って待機してろ。何かあったら呼ぶから」
魔物たちは名残惜しそうに俺に擦り寄ったあと、それぞれの住処へと散っていった。
俺は一人、夕暮れの屋敷へと足を踏み入れた。
◇◇◇
「おかえりなさい、ミア♡」
中に入ると、お姉さんが出迎えてくれた。
朝の夢のことはおくびにも出さず、完璧な笑顔だ。
今は文句を言う気力がなかった。
荒野での労働が、程よく毒気を抜いてくれていたからだ。
「ただいま。……何か聞けたのか?」
「ええ。村に来てる行商人から、とても興味深い、そして使える情報をね」
お姉さんは楽しそうに目を細め、俺をソファへと促した。
「少し離れた都市で、自称魔王同士の抗争があったらしいの」
「抗争?」
「潰し合いよ。それで街が焼けて、住む場所を失った難民たちが、こっちの方へ流れてきてるらしいわ」
お姉さんは地図を広げ、指でルートをなぞった。
「全体の規模は数百人。その一部、数十人程度が、数日もすればあの村に到達するでしょうね」
「避難民か……」
受け入れる余裕はあるだろうか。
あの村はそこまで豊かではない。外から数十人が一気に来ればパンクする。
「労働力が増えるのは歓迎だけど、食い扶持が増えるのは問題ね。……でも、魔王としての慈悲を見せるチャンスでもあるわ」
お姉さんは計算高い目をしていた。
ピンチをチャンスに変える。彼女らしい発想だ。
だが、一つ懸念があった。
「なあ。今までは田舎の村だったから誤魔化せたけど、外から来る連中にはどう接するんだ?」
村人たちは、俺たちが何者か深く追求してこない。
だが、都市から来る人間は知識があるかもしれない。
俺の角や翼を見ればサキュバスだと気づくだろうし、逃げていった自称魔王のように、お姉さんの顔を知っている者がいるかもしれない。
「そうね。そろそろ、設定を固めましょうか」
お姉さんは指を一本立てた。
「ミアは、正体を明かしなさい。サキュバスの魔王として、堂々と君臨するの」
「俺だけ?」
「ええ。サキュバスは種族として多くないけど、魔族の王としてはわかりやすい。美しく、恐ろしく、魅力的。民衆をひれ伏させるには十分よ」
「……そっちは?」
俺が聞くと、お姉さんは悪戯っぽく唇に指を当てた。
「私は隠すわ」
「隠す?」
「角や翼や尻尾は、外套とかで隠して、ただの人間……あるいはそれに近い種族として振る舞う」
「どうしてだ?」
「目立ちすぎるからよ」
話す声が、少しだけ低くなった。
「私の顔を知っている長寿の種族は多いの。私がいると知られたら、田舎の小競り合いじゃ済まなくなるわ。恨みを持ってる先代魔王の信奉者が、全力で潰しに来るでしょうね」
……とんでもない指名手配犯だ。
まあ、魔王を裏切って消したんだから、当たり前か。
「それにね、私が前面に出たら、ミアが霞んじゃうでしょう? 主役はあくまで、あなたなのよ」
「……よく言うよ」
「だから、私は表向きはただの側近。有能だけど、戦う力はない秘書官……なんてどうかしら?」
お姉さんはくるりとその場でターンしてみせた。
楽しそうだ。
絶対に、か弱い秘書のロールプレイを楽しもうとしている。
「魔王ミアと、その忠実な秘書イリス。……ふふ、素敵な響きだと思わない?」
お姉さんの瞳には、新しいおもちゃを見つけたような光が宿っていた。
俺はため息をつきつつも、覚悟を決めた。
避難民の受け入れ。そして、魔王として自らの正体を明かす。
おままごとは終わりだ。
本当の意味での統治が、始まろうとしていた。




