朝起きたら『些細な罰』を受けていた
しいな ここみ様主催『朝起きたら企画』参加作品です。
「あ、すいません」
その声を聞いた瞬間、僕は思い出した。
──夕べ、眠っているときに聴こえた声を。
「いえ、大丈夫です」
肩越しに後ろを見て声をかけ、電車を降りる。
何事もなかったように歩き出しながら、脱げかけた靴の踵を押し込み、夢の中で聞いた声を思い出そうとした。
『昨日お前が神社に来て拝んだ願い。嬉しくないわけではないが──あの願い方は神を侮辱することでもある。よって、お前に罰を与える。その罰とは──』
毎日一回、踵を踏まれる。
さっき踵を踏まれた瞬間、夢で聞いた声が神様のものだったのかもしれないと思った。
たしかに先日お参りしてお願いをした。
『宝くじで一億円当たったら、三割お納めします』と。
……どうやら神様に“取引”を持ちかけるようなお願いは失礼になるらしい。
五割だったら許してもらえただろうか。
いや、こういう考え方そのものがもう良くない気がする。
まあでも、大した罰じゃなくてよかった。
これが戦国時代だったら、敵と向かい合ってる時に踵踏まれてすぐやられてただろうけど、今の時代なら別に困らない。
びっくりはするけどね。
──このときの僕は、そう軽く考えていた。
〜〜〜〜〜
翌朝の通勤時。
小粒の雨が降る中、僕は駅へ向かっていた。
傘を差すか悩むような微妙な雨で、周りを見ると差す人と差さない人が半々くらい。僕はスーツを濡らしたくなくて傘を差した。
前を歩く男性は傘を差さず、手元を握りしめて歩いている。まるで“後ろの誰かを刺す”ような勢いと角度で傘を振っていた。
たまにいるんだよな……
こういうとき、軽く膝を当てて分からせるようにしている。タイミングを見計らって、こっちが痛い思いをしないように──
いきなり訪れる、右足を縫い付けられたような感覚。
上体だけが前に傾き、視界に入ったのは──
前を歩く男性が持っていた傘の石突。
その先端が目の前まで迫り、僕は反射的に首を傾けて地面に倒れ込んだ。
前の男性は物音に気付いて振り返ったが、そのまま歩き去った。
後ろを歩いていた“踵踏み男”は僕に近づいて何度も謝っている。
僕は謝罪を受け入れ、スーツに付いた汚れをハンカチで拭き取りながら──
この“些細な罰”の恐ろしさを思い知った。
踵を踏まれる、それだけのこと。
けれど、ほんの一瞬、僕は“死”を感じた。
もしかしたら怪我程度で済んだのかもしれない。
けれど、その感覚は確かに僕の心に刻み込まれていた。
〜〜〜〜〜
その日から、僕と“罰”との勝負が始まった。
どんなに後ろに気を配っていても、ふとした瞬間に現れる"踵絶対踏むマン"にやられる日々が続く。
どうやってもこの罰からは逃れられないようだ。
武術の達人や、「オレの背後に立つな!」の人がこの罰を受けたら、どんな躱し方をするだろう。
そんなくだらないことを考えるのが、いつしか楽しくなっていた。
毎日一回“必ず”踵を踏まれる。
どうしても避けられないなら、前方の安全確保が最優先だ。
そう考えて、通勤に使っていた手提げ鞄をリュックに変え、両手をフリーにした。
こうかはばつぐんだ。
踏まれることは避けられないが、転倒して前の物に頭をぶつける可能性は低くできそうで、妙な安心感が増した。
仕事はデスクワーク中心で、社内ではサンダルに履き替えている。
ある日、座っていた椅子のキャスターがサンダルの踵部分を踏んでいて、立ち上がるときにバランスを崩した。
……今のは一回にカウントされた……?
その日の帰り道、駅の中を歩いていてしっかり踏まれた。
どうやらノーカンだったようだ。
……いや、たまたまか? 判断出来ないな。
一日それが起きずに帰宅できたとき、玄関で自然とガッツポーズが出た。
一人暮らしの寂しさを紛らわせるために飼い始めた、シャム猫のポン太も出迎えてくれる。
嬉しい気持ちのままリビングへ向かうと、ポン太が突然、僕の踵にじゃれついてきた。
前のめりになりながらも、なんとか踏ん張って耐える。
……後ろに残った足じゃなくて、前に出した足もアリなのか!
初めてのじゃれつき方に驚いてポン太を見ると、もう興味を失ったようで座り込んで毛繕いを始めていた。
「神様、僕の踵好きすぎーー!」
〜〜〜〜〜
「あっ、すみません!」
電車が降りる駅に到着し、開いたドアを出ようとした瞬間。
いつもの足の感触と、よく聞く謝罪の言葉。
「いえ、大丈夫です」
軽く後ろを向いて返答し、前を向いて歩き出す。
この“罰”が始まって一ヶ月。身体も意識もすっかり慣れてしまった。
踏まれるパターンは色々あるが、今日は命の危険を感じるようなパターンじゃなかった。むしろ“今日のノルマが終わった”と安心すらしている。
──踏んでくれて、ありがとう。
心の中でそうつぶやき、僕は会社に向かった。
その翌日。
「ご、ごめんなさい!!」
電車を降りる瞬間、足の感触と、よく聞く言葉……?
「いえ、大丈夫です」
いつものように返して歩き出す。
今日も無事にノルマ達成。これで一日ビクビクせずに過ごせる。
──踏んでくれてありがとう。
心の中でそう思いながら、会社へ向かった。
……なんか聞き覚えのある声だったような……。
さらに翌日。
電車が止まり、ドアが開く。
出ようとした瞬間、足に“いつもの感触”が走った。
ただ、今日は──声がしない。
気になって後ろを見ると、女性が俯いて顔を赤くしていた。恥ずかしいのか、肩が小刻みに震えている。
その足は、しっかりと僕の踵を踏んでいた。
「あっ、あの……!」
「いえ、大丈夫ですよ」
頑張って謝罪しようとする女性に、出来るだけ優しく笑顔を浮かべて伝えると、女性は一瞬だけ目を見開いて、また俯いた。
そのまま僕は電車を降り改札に向かう。
すると背後から、走る足音が近づいてきた。
「あの! 本当にごめんなさい! 毎日踏んでしまって……!」
「いえいえ、本当に大丈夫です。むしろ……ありがとうございます」
「……!?」
彼女が目を丸くしたのを見てハッとする。
やってしまった。
今の言い方は完全に誤解を生むやつだ。
「実はちょっと事情があってですね。踏んでもらえると助かるんです」
「………………」
女性が一歩、後ずさる。
物理的にも精神的にも引いているのが分かる。
この説明もダメか。でも朝の通勤でこれ以上時間を取るのも申し訳ない。
「少し卑怯なお願いですが……もし悪いと思っていたら、今日の夕方、僕の話を少しだけ聞いてもらえませんか? 変なことはしないし危害も加えません。ここで、18時半。10分待って僕が来なければ気にせず帰ってください」
「……それなら、はい……」
「ありがとうございます。それじゃ!」
僕は軽く頭を下げて改札へ走った。
遅刻にはならないけど片付けたい仕事がある、急がなきゃだ。
改札を抜けて会社へと駆け出す。
何故か、気持ちまで駆け出している気がした。
〜〜〜〜〜
ヤバい! 遅くなった!
急な仕事が入って大急ぎで片付けて走ってきたけど……
駅に到着してスマホを見る。画面の表示は『 18:50』。
間に合わなかったけど、まあしょうがない。そのうちまた会うかもしれないな。
改札を抜けて歩いた先、今朝少し話したあの場所に、彼女が立っていた。
なんでまだいるの!?
彼女は僕に気付いて、はにかんだ笑顔でお辞儀する。僕は駆け寄って声を掛けた。
「遅くなってごめんなさい! 待っててくれたんですか?」
「はい、急な用事で遅くなることってありますから。あ、19時になったら帰るつもりでしたよ?」
「ありがとうございます。……少し壁に寄りましょうか」
他の人の邪魔にならないよう二人で壁際に寄った。
「……で、僕の事情なんですが……」
僕は神様から受けている"罰"のことを話した。かなり眉唾な話なのに、彼女はちゃんと聞いてくれた。
「……それで、踏まれると助かるわけなんですね」
彼女が理解してくれた。踏まれると喜ぶ男だと勘違いされなくて本当に良かった。
「はい。一度死にかけたので本当に助かります」
「……今朝、すごく不思議な感じがしたんですけど……聞いてもらえますか?」
彼女の方から話すことがあるとは思わなかった。意外に思いながら、彼女に頷いた。
「昨日も一昨日も踵を踏んだから今日は気を付けていたんです。踏まないように間に一人挟んで……。でも、私が後ろの人に押されて、そうしたら前の人が横に避けて。なんだか"踏まされた"ような気がしました……」
神様……踵踏むために連鎖も仕込んできたのか? 僕の踵はそんなに魅力的か。
「神様の考えてることなんて、やっぱり分かりませんね。……きっと踏まされたんでしょう」
「……聞いてて思ったんですけど、あの……私が毎朝、貴方の踵を踏んであげるのはどうでしょうか」
!?
「い、いや……それは助かるんですけど。そこまでしてもらう理由がないです」
「お話を聞いてたら何だか気になってしまって。朝、貴方の最寄り駅のホームで待ち合わせるってどうですか? そうすれば大して時間も掛からないです」
彼女は微笑みながら提案してくれて、僕もその優しさが嬉しくてお願いすることになった。
二人で帰宅電車に乗り込み、車内で連絡先も交換した。誰かと話しながら帰宅したのは初めてだった。
彼女の自宅は僕の最寄り駅の二駅奥、『なら丁度良いですね』と笑う彼女が、なんだか可愛く見えた。
翌朝。
彼女を待たせないようにしようと早めに駅に向かうと、彼女はホームで待っていてくれた。少しモジモジしている彼女と挨拶を交わす。
「それではっ!」
彼女は僕の後ろに回り込んで妙な意気込みを見せる。その意気込みとは裏腹に、優しく踏まれる僕の踵。その日の罰をクリアして向き合い、二人して笑った。
みんな見ろ! これがバカップルだ!
声に出して言うことは出来ないけど、すごく叫びたかった。
到着した電車に二人で乗り込み、降りる駅に到着するまでの僅かな時間、他愛のない話をして過ごした。
ある日の朝。
駅に向かう途中で通行人に踵を踏まれた。
クリア出来たことを彼女に連絡すると、『ホームで待ってます』の返信が来た。……秒で来た。
いつものようにホームで待っている彼女に近づくと、無言で僕の踵を踏んだ。
なんか不機嫌? いつもより踏む力、強くない? ……えっ、何で二回踏むの??
平日だけ行われていたそれは、いつしか休日にも行われるようになった。
流石に踵を踏んでもらって終わりというわけにもいかず、踵踏みのついでにデートをするようになった。
デート中、二人で歩いているときに僕の踵が他の人に踏まれたとき、彼女が小さく呟いた。
「私のかかとなのに……」
いや、キミも踵好きか? 魅力的な踵でごめんね。……僕、踵からフェロモン出てる?
そんなふうに笑い合って過ごす日々が続いた。
──でも、その時間は永遠じゃなかった。
会社の都合で、転勤することになったのだ。
……楽しかった踵踏まれの日々が終わってしまう。
仕方ない。けど、やっぱりツラい。彼女に伝えるのは、もっとツラい。
約束の時間に、いつものホームで会う。
いつもと同じように、彼女は僕の姿を見つけると笑ってくれた。
──その笑顔が、たまらなく愛おしかった。
「実は……転勤することが決まって……」
彼女の笑顔が、すっと消えた。
少しの沈黙。俯いたまま、握りしめた拳が震えている。
「……私も、一緒に行く」
その瞬間、心の奥で何かが弾けた。
僕は彼女のことを好きになっていた。
いや、ずっと前から好きだったのかもしれない。
嬉しさと、離れたくない気持ちが溢れ出して、気付いたら言葉が口をついていた。
「じゃあ、僕の踵、これから一生……踏んでくれませんか?」
プロポーズの言葉なんて決まってる。僕にしか言えない、大事な言葉だ。
僕の言葉を聞いた彼女は驚いたあと、ゆっくりと涙を零した。
「もう、踏めなくなるのは……嫌です」
そして彼女は──小さく頷きながら、そっと僕の踵を踏んだ。
〜〜〜〜〜
「貴方、いってらっしゃい」
彼女と結婚し、その"罰"は毎日執行されている。
世の中に"いってらっしゃいのキスやハグ"をする夫婦は多いと思う。大昔には火打石で送り出す夫婦もいたらしい。見たことないけど。
でも、『いってらっしゃいの踵踏み』をするのは僕たちだけのはずだ。多分……。
こんな幸せな"罰"なら受けて良かった。
神様。その節は失礼なお願いをしてしまい申し訳ございませんでした。
宝くじは当たらなかったけど、それよりずっと大切なものをいただきました。これからも大事にしていく、本当に大切なものです。
"罰"を与えてくれて、ありがとうございました。
先日、通勤中に踵を踏まれて思いついた物語です。
そしてその同じ日、私が書いた別作品に「これは恋愛ジャンルです!」という感想をいただきました。
正直、私に恋愛ものは無理だと思っていました。
でも、その感想が嬉しくて──勇気を出して“恋”を描いてみました。
ちゃんと恋愛物語に見えていたら嬉しいです。




