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朝起きたら『些細な罰』を受けていた

作者: 小桃 綾
掲載日:2025/10/18

しいな ここみ様主催『朝起きたら企画』参加作品です。

「あ、すいません」


 その声を聞いた瞬間、僕は思い出した。

 ──夕べ、眠っているときに聴こえた声を。


「いえ、大丈夫です」


 肩越しに後ろを見て声をかけ、電車を降りる。

 何事もなかったように歩き出しながら、脱げかけた靴の踵を押し込み、夢の中で聞いた声を思い出そうとした。


『昨日お前が神社に来て拝んだ願い。嬉しくないわけではないが──あの願い方は神を侮辱することでもある。よって、お前に罰を与える。その罰とは──』


 毎日一回、踵を踏まれる。


 さっき踵を踏まれた瞬間、夢で聞いた声が神様のものだったのかもしれないと思った。

 たしかに先日お参りしてお願いをした。

 『宝くじで一億円当たったら、三割お納めします』と。


 ……どうやら神様に“取引”を持ちかけるようなお願いは失礼になるらしい。

 五割だったら許してもらえただろうか。

 いや、こういう考え方そのものがもう良くない気がする。

 まあでも、大した罰じゃなくてよかった。

 これが戦国時代だったら、敵と向かい合ってる時に踵踏まれてすぐやられてただろうけど、今の時代なら別に困らない。

 びっくりはするけどね。


 ──このときの僕は、そう軽く考えていた。



 〜〜〜〜〜



 翌朝の通勤時。

 小粒の雨が降る中、僕は駅へ向かっていた。

 傘を差すか悩むような微妙な雨で、周りを見ると差す人と差さない人が半々くらい。僕はスーツを濡らしたくなくて傘を差した。

 前を歩く男性は傘を差さず、手元を握りしめて歩いている。まるで“後ろの誰かを刺す”ような勢いと角度で傘を振っていた。


 たまにいるんだよな……

 こういうとき、軽く膝を当てて分からせるようにしている。タイミングを見計らって、こっちが痛い思いをしないように──


 いきなり訪れる、右足を縫い付けられたような感覚。

 上体だけが前に傾き、視界に入ったのは──


 前を歩く男性が持っていた傘の石突。

 その先端が目の前まで迫り、僕は反射的に首を傾けて地面に倒れ込んだ。


 前の男性は物音に気付いて振り返ったが、そのまま歩き去った。

 後ろを歩いていた“踵踏み男”は僕に近づいて何度も謝っている。

 僕は謝罪を受け入れ、スーツに付いた汚れをハンカチで拭き取りながら──

 この“些細な罰”の恐ろしさを思い知った。


 踵を踏まれる、それだけのこと。

 けれど、ほんの一瞬、僕は“死”を感じた。

 もしかしたら怪我程度で済んだのかもしれない。

 けれど、その感覚は確かに僕の心に刻み込まれていた。



 〜〜〜〜〜



 その日から、僕と“罰”との勝負が始まった。


 どんなに後ろに気を配っていても、ふとした瞬間に現れる"踵絶対踏むマン"にやられる日々が続く。

 どうやってもこの罰からは逃れられないようだ。


 武術の達人や、「オレの背後に立つな!」の人がこの罰を受けたら、どんな(かわ)し方をするだろう。

 そんなくだらないことを考えるのが、いつしか楽しくなっていた。


 毎日一回“必ず”踵を踏まれる。

 どうしても避けられないなら、前方の安全確保が最優先だ。

 そう考えて、通勤に使っていた手提げ鞄をリュックに変え、両手をフリーにした。


 こうかはばつぐんだ。


 踏まれることは避けられないが、転倒して前の物に頭をぶつける可能性は低くできそうで、妙な安心感が増した。



 仕事はデスクワーク中心で、社内ではサンダルに履き替えている。

 ある日、座っていた椅子のキャスターがサンダルの踵部分を踏んでいて、立ち上がるときにバランスを崩した。


 ……今のは一回にカウントされた……?


 その日の帰り道、駅の中を歩いていてしっかり踏まれた。

 どうやらノーカンだったようだ。

 ……いや、たまたまか? 判断出来ないな。



 一日それが起きずに帰宅できたとき、玄関で自然とガッツポーズが出た。

 一人暮らしの寂しさを紛らわせるために飼い始めた、シャム猫のポン太も出迎えてくれる。

 嬉しい気持ちのままリビングへ向かうと、ポン太が突然、僕の踵にじゃれついてきた。

 前のめりになりながらも、なんとか踏ん張って耐える。


 ……後ろに残った足じゃなくて、前に出した足もアリなのか!


 初めてのじゃれつき方に驚いてポン太を見ると、もう興味を失ったようで座り込んで毛繕いを始めていた。


「神様、僕の踵好きすぎーー!」



 〜〜〜〜〜



「あっ、すみません!」


 電車が降りる駅に到着し、開いたドアを出ようとした瞬間。

 いつもの足の感触と、よく聞く謝罪の言葉。


「いえ、大丈夫です」


 軽く後ろを向いて返答し、前を向いて歩き出す。

 この“罰”が始まって一ヶ月。身体も意識もすっかり慣れてしまった。

 踏まれるパターンは色々あるが、今日は命の危険を感じるようなパターンじゃなかった。むしろ“今日のノルマが終わった”と安心すらしている。


 ──踏んでくれて、ありがとう。


 心の中でそうつぶやき、僕は会社に向かった。



 その翌日。


「ご、ごめんなさい!!」


 電車を降りる瞬間、足の感触と、よく聞く言葉……?


「いえ、大丈夫です」


 いつものように返して歩き出す。

 今日も無事にノルマ達成。これで一日ビクビクせずに過ごせる。


 ──踏んでくれてありがとう。


 心の中でそう思いながら、会社へ向かった。

 ……なんか聞き覚えのある声だったような……。



 さらに翌日。


 電車が止まり、ドアが開く。

 出ようとした瞬間、足に“いつもの感触”が走った。

 ただ、今日は──声がしない。


 気になって後ろを見ると、女性が俯いて顔を赤くしていた。恥ずかしいのか、肩が小刻みに震えている。

 その足は、しっかりと僕の踵を踏んでいた。


「あっ、あの……!」


「いえ、大丈夫ですよ」


 頑張って謝罪しようとする女性に、出来るだけ優しく笑顔を浮かべて伝えると、女性は一瞬だけ目を見開いて、また俯いた。

 そのまま僕は電車を降り改札に向かう。

 すると背後から、走る足音が近づいてきた。


「あの! 本当にごめんなさい! 毎日踏んでしまって……!」


「いえいえ、本当に大丈夫です。むしろ……ありがとうございます」


「……!?」


 彼女が目を丸くしたのを見てハッとする。

 やってしまった。

 今の言い方は完全に誤解を生むやつだ。


「実はちょっと事情があってですね。踏んでもらえると助かるんです」


「………………」


 女性が一歩、後ずさる。

 物理的にも精神的にも引いているのが分かる。

 この説明もダメか。でも朝の通勤でこれ以上時間を取るのも申し訳ない。


「少し卑怯なお願いですが……もし悪いと思っていたら、今日の夕方、僕の話を少しだけ聞いてもらえませんか? 変なことはしないし危害も加えません。ここで、18時半。10分待って僕が来なければ気にせず帰ってください」


「……それなら、はい……」


「ありがとうございます。それじゃ!」


 僕は軽く頭を下げて改札へ走った。

 遅刻にはならないけど片付けたい仕事がある、急がなきゃだ。


 改札を抜けて会社へと駆け出す。

 何故か、気持ちまで駆け出している気がした。



 〜〜〜〜〜



 ヤバい! 遅くなった!


 急な仕事が入って大急ぎで片付けて走ってきたけど……

 駅に到着してスマホを見る。画面の表示は『 18:50』。


 間に合わなかったけど、まあしょうがない。そのうちまた会うかもしれないな。

 改札を抜けて歩いた先、今朝少し話したあの場所に、彼女が立っていた。


 なんでまだいるの!?


 彼女は僕に気付いて、はにかんだ笑顔でお辞儀する。僕は駆け寄って声を掛けた。


「遅くなってごめんなさい! 待っててくれたんですか?」


「はい、急な用事で遅くなることってありますから。あ、19時になったら帰るつもりでしたよ?」


「ありがとうございます。……少し壁に寄りましょうか」


 他の人の邪魔にならないよう二人で壁際に寄った。


「……で、僕の事情なんですが……」


 僕は神様から受けている"罰"のことを話した。かなり眉唾な話なのに、彼女はちゃんと聞いてくれた。



「……それで、踏まれると助かるわけなんですね」


 彼女が理解してくれた。踏まれると喜ぶ男だと勘違いされなくて本当に良かった。


「はい。一度死にかけたので本当に助かります」


「……今朝、すごく不思議な感じがしたんですけど……聞いてもらえますか?」


 彼女の方から話すことがあるとは思わなかった。意外に思いながら、彼女に頷いた。


「昨日も一昨日も踵を踏んだから今日は気を付けていたんです。踏まないように間に一人挟んで……。でも、私が後ろの人に押されて、そうしたら前の人が横に避けて。なんだか"踏まされた"ような気がしました……」


 神様……踵踏むために連鎖も仕込んできたのか? 僕の踵はそんなに魅力的か。


「神様の考えてることなんて、やっぱり分かりませんね。……きっと踏まされたんでしょう」


「……聞いてて思ったんですけど、あの……私が毎朝、貴方の踵を踏んであげるのはどうでしょうか」


 !?


「い、いや……それは助かるんですけど。そこまでしてもらう理由がないです」


「お話を聞いてたら何だか気になってしまって。朝、貴方の最寄り駅のホームで待ち合わせるってどうですか? そうすれば大して時間も掛からないです」


 彼女は微笑みながら提案してくれて、僕もその優しさが嬉しくてお願いすることになった。


 二人で帰宅電車に乗り込み、車内で連絡先も交換した。誰かと話しながら帰宅したのは初めてだった。

 彼女の自宅は僕の最寄り駅の二駅奥、『なら丁度良いですね』と笑う彼女が、なんだか可愛く見えた。



 翌朝。

 彼女を待たせないようにしようと早めに駅に向かうと、彼女はホームで待っていてくれた。少しモジモジしている彼女と挨拶を交わす。


「それではっ!」


 彼女は僕の後ろに回り込んで妙な意気込みを見せる。その意気込みとは裏腹に、優しく踏まれる僕の踵。その日の罰をクリアして向き合い、二人して笑った。

 みんな見ろ! これがバカップルだ!

 声に出して言うことは出来ないけど、すごく叫びたかった。


 到着した電車に二人で乗り込み、降りる駅に到着するまでの僅かな時間、他愛のない話をして過ごした。



 ある日の朝。

 駅に向かう途中で通行人に踵を踏まれた。

 クリア出来たことを彼女に連絡すると、『ホームで待ってます』の返信が来た。……秒で来た。


 いつものようにホームで待っている彼女に近づくと、無言で僕の踵を踏んだ。

 なんか不機嫌? いつもより踏む力、強くない? ……えっ、何で二回踏むの??



 平日だけ行われていたそれは、いつしか休日にも行われるようになった。


 流石に踵を踏んでもらって終わりというわけにもいかず、踵踏みのついでにデートをするようになった。


 デート中、二人で歩いているときに僕の踵が他の人に踏まれたとき、彼女が小さく呟いた。


「私のかかとなのに……」


 いや、キミも踵好きか? 魅力的な踵でごめんね。……僕、踵からフェロモン出てる?



 そんなふうに笑い合って過ごす日々が続いた。

 ──でも、その時間は永遠じゃなかった。


 会社の都合で、転勤することになったのだ。

 ……楽しかった踵踏まれの日々が終わってしまう。

 仕方ない。けど、やっぱりツラい。彼女に伝えるのは、もっとツラい。


 約束の時間に、いつものホームで会う。

 いつもと同じように、彼女は僕の姿を見つけると笑ってくれた。

 ──その笑顔が、たまらなく愛おしかった。


「実は……転勤することが決まって……」


 彼女の笑顔が、すっと消えた。

 少しの沈黙。俯いたまま、握りしめた拳が震えている。


「……私も、一緒に行く」


 その瞬間、心の奥で何かが弾けた。

 僕は彼女のことを好きになっていた。

 いや、ずっと前から好きだったのかもしれない。


 嬉しさと、離れたくない気持ちが溢れ出して、気付いたら言葉が口をついていた。


「じゃあ、僕の踵、これから一生……踏んでくれませんか?」


 プロポーズの言葉なんて決まってる。僕にしか言えない、大事な言葉だ。


 僕の言葉を聞いた彼女は驚いたあと、ゆっくりと涙を零した。


「もう、踏めなくなるのは……嫌です」


 そして彼女は──小さく頷きながら、そっと僕の踵を踏んだ。



 〜〜〜〜〜



 「貴方、いってらっしゃい」


 彼女と結婚し、その"罰"は毎日執行されている。

 世の中に"いってらっしゃいのキスやハグ"をする夫婦は多いと思う。大昔には火打石で送り出す夫婦もいたらしい。見たことないけど。

 でも、『いってらっしゃいの踵踏み』をするのは僕たちだけのはずだ。多分……。


 こんな幸せな"罰"なら受けて良かった。



 神様。その節は失礼なお願いをしてしまい申し訳ございませんでした。

 宝くじは当たらなかったけど、それよりずっと大切なものをいただきました。これからも大事にしていく、本当に大切なものです。

 "罰"を与えてくれて、ありがとうございました。

先日、通勤中に踵を踏まれて思いついた物語です。

そしてその同じ日、私が書いた別作品に「これは恋愛ジャンルです!」という感想をいただきました。


正直、私に恋愛ものは無理だと思っていました。

でも、その感想が嬉しくて──勇気を出して“恋”を描いてみました。

ちゃんと恋愛物語に見えていたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
神罰と踵が取り持つ縁ですか。 これはまた実に意外な縁結びですね。
 一日一回踵を踏まれる……。  ストーカーに付きまとわれるとかでなくて良かったです。(笑)  ところでこのネタ、実は恋愛や金運にスピリチュアルな意味があるらしいですけど、もしかして……?(笑)
私はよく踏むほうです(*´ω`*) 踏まれたひとは意外に何も言わずサッサと歩いていくので、出会いのきっかけにはなりそうにもありません(^.^; 意外な罰が面白かったです(*´艸`*)
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