9.懺悔
翌日、あんなに高かった熱は嘘のように引いていた。
汗ばんでべたついている以外は体も軽く調子がいい。
ユリアーナはまだ寝ているようだ。
昨夜遅くまで起きていてくれたから今はまだ寝かせてあげよう。
「目が覚めたか」
反対側から声がして心臓が跳ねた。おそるおそる見てみれば、腕を組んで椅子に座っているカールハインツの姿があった。
「失礼」
「っ!?」
骨張った手が額に触れる。
あまりに驚き過ぎて悲鳴が喉につかえてひゅっと鳴った。
「熱は下がったようだな」
「……どうして、ここに?」
カールハインツは基本的に家にいない。
今までも、私が体調が悪かろうが出産しようが、すぐに職場である王城へ帰っていた。
むしろ王城が本拠地で、公爵家は別邸と言われても不思議ではないくらいだったのに、昨日からずっといることが落ち着かない。
「今まで通りあなたの好きな仕事に行けばいいじゃない。……別宅に行ってもいいのでは?」
カールハインツは私を見て、目を逸らした。
「お腹空いただろう。まずは食べて、そのあと話をしよう」
「質問に答えて」
再び私を見て、小さく溜息を吐いた。それが腹立たしくて睨んでも何とも思われていないのが腹が立つ。
「仕事は暫く休暇を貰った。ロッテと元侍女長の件もあるし使用人たちと面談をし、処遇を考えなければならないだろう。落ち着いたらまた出仕する。王太子殿下には許可を得ている」
言い募ろうとして身を乗り出したが、全てはあとだと言わんばかりに踵を返し部屋を出て行く。
悔しくて食事なんかいらないと言おうと思ったそばからくぅ、とお腹が鳴った。
「おはようございます、お母さま」
音に反応したのか、ユリアーナが寝起きの微笑みを私に見せた。
一瞬で嫌な気持ちが霧散してつられて笑顔になる。
──そうだわ。
私はこの笑顔を守る為にやり直しを願い、叶ったのだ。
やるべきことはただ一つ。反芻して確認する。
ユリアーナが起き上がり、私のベッドに入り込んで来る。
遠慮がちに、けれども今までできなかった分甘えたい気持ちが出てきたのか、小さな手を伸ばして私にくっついた。
「お母さまお熱下がったみたいでよかったです。
昨日は熱くて、そのままだったらどうしようって怖かった……」
「大丈夫よ。お母さまはあなたのそばにいるわ」
撫でてやると安心したのかすりすりと頬を寄せる。
こんなにも可愛らしい存在がいたのに、今まで知ろうともしなかった自分は本当に愚かだ。
ユリアーナを抱き締めてお話していると、ワゴンを押したカールハインツが入って来た。
「ユリアーナ起きたのか」
「おはようございます、お父様」
ワゴンを見れば三人分の食事が乗っている。どうやら彼もここで食べるようだ。
慣れたようにテーブルに食事を移動させるとスープを継ぎ始めた。
私はユリアーナを促してテーブルに移動した。
器に盛られたスープからは、湯気が立っている。
温かい食事は久しぶりだ。
生前は食べるか食べないか分からない食事を、無駄にはできないからと余り物ばかりだった。
当然冷えていたし、具もない。パンは安物で堅かった。
目の前にあるのは、柔らかそうな白パンに湯気の立つスープ。
卵とベーコンは焼かれ、艶々と輝いている。
当主がいるとこうまで違うのか、と自嘲気味になるが、私も公爵夫人として精を出していたわけではないから当然かも、と怒りをおさめた。
「毒見はした。食べられる分で構わないから一緒に食べよう」
「美味しそうですね。お母さま、一緒にいただきましょう?」
ユリアーナに言われれば断る術なんてない。
椅子を引いた彼を無視しておとなしく着席し、食べ始めた。
「美味しい」
「卵がふわふわで美味しいです」
「そうか。良かった」
ホッとしたような表情を浮かべたカールハインツもカトラリーを手に取り食べ始めた。
会話も無く、部屋の中は静かで食べることに集中する。
ユリアーナはまだ五歳なのに、きちんとしたマナーを覚えているようだ。
「ユリアーナのマナーは誰に習ったの?」
「えっ、えと、あの、クラークと……マルテが教えてくれました」
「そう」
二人は私が不甲斐ない間、ユリアーナにまで目を配ってくれていたのか。
ロッテの件さえなければマルテはずっと侍女長でいられたかもしれない。
「マルレーネ、食べながらでいいから話をしたい」
スープを飲み干して、おかわりをどうしよう、と思ったところでカールハインツが口を開いた。
無意識に目でスープボウルを見たのに気付かれ、立ち上がった彼はスープをよそってくれた。
まるで私が食いしん坊になったようで恥ずかしい。するとユリアーナもお代わりを所望した。
おそろいなら、まあ、いいか。
カールハインツが席について再び口を開いた。と思えば頭を下げた。
「今まですまなかった」
初めて見る光景にスプーンを口に運ぶ手が止まる。
今までの彼とは全くの別人ぶりに思考がついて行かず、落とす前に、と一旦スプーンを置いた。何に対しての謝罪だろう、と見ていると、吸い込まれそうな金の瞳とかちあった。
「それは……何に対しての謝罪ですか?」
カールハインツは真っ直ぐに私を見てくる。
「今まで、自分のことばかりを優先していた。
アカデミーに通って、周りとの会話が刺激的で自分の力を試して、認められて……。
やればやる程夢中になった。
その分、きみとの時間を疎かにしてしまって、久しぶりに会えばどう話していいか分からなくなった」
カールハインツは自嘲するように下を向く。
今まで私やユリアーナを疎かにしてきた理由とでもいうのだろうか。呆れて声も出ない。何と返せばいいか迷って、結局私も口をつぐんだまま続きを促した。
「沈黙が耐えられずに自分の話ばかりして、きみの気持ちも考えずに目を背けていた。
ティアナの……グラウ嬢のことは何とも思ってはいない。彼女はフォルクハルト元殿下と恋仲だったし、婚約者がいるのに距離感が近く苦手だった。
だが当時、話が合うのは彼女の方だったのは確かだ」
なんだ、真面目に聞こうとした私がバカみたいだ。
「それで? ティアナがもうすぐ刑を終えて行き場が無いから迎えたいとでも言うの?」
まだるっこしい言い方は不要。懺悔も要らない。
「……いや、罪人になった女性を囲うなどしない」
前回のあなたは私が死んですぐに後妻にしたけれどね、という言葉を呑み込んだ。
「私の妻はきみで、娘はユリアーナだけだ。それ以外にいないし、今後どうなっても変わらない」
まるでそれ以外は認めないと言わんばかりの表情。前世との違いにどう反応したらいいか分からず俯いた。
「これから公爵家を正していく。許してほしいとは言わないが、きみとユリアーナをこれ以上煩わせるようなことはしないと誓う」
どうだか、と吐き捨てようとすると、ユリアーナは父親をじっと見ていた。
「その言葉、きちんと守ってくださいますか?」
幼い子の真っ直ぐな瞳に、カールハインツは息を呑む。
無垢で穢れないからこそ胸が詰まり、呑まれないようしっかりと見据えた。
「約束は守る。己の無力で、二人を……失いたくはないから」
数秒見つめ合って、ユリアーナは微笑んだ。
「お父様が不利益なことをなさったら、私、お母さまを連れて家出しますから」
ぷん、と可愛らしくそっぽを向く様は私の中の毒気を抜いた。
ユリアーナの味方になると決めたけれど、ユリアーナが私の強力な味方なのかもしれない。
「ああ。……必ず、二人を死なせないよ。……必ず」
カールハインツは何かを決意したかのように呟きながら右手の拳を握り締める。
最後の方は小さくて、あまり聞こえなかったけれど。




