8.守るべき命
「カールハインツ様、アカデミーの食堂に行きませんか?」
「すまない、昼食は仲間と食べることにしている」
「カールハインツ様、長期休暇に我が家の別荘へお越しになりませんか?」
「長期休暇は王太子殿下に付いて行くことにしている。新学期前に王都の屋敷に立ち寄るよ」
「カールハインツ様、今度のダンスパーティーの件ですが」
「王太子殿下と主催を任されていて相手ができないかもしれない。エスコートは別の者でお願いできないか?」
過去の私が泣いている。
相手にされなくて、惨めで、恥ずかしくて。
それでもどうにかして振り向いてもらおうと必死になって疲弊して。
結局彼の愛する人には敵わなくて心から血を流して苦しんでいる。
きっと、彼の中の私の優先順位は最下位なのだろう。
それでも愛していたから。
きっと、結婚したら、子を授かれば、私を見てくれる。愛してくれる。
そんなこと、あるはずないのにね。
もう期待しない。期待したくない。だから。
「私のことは……放っておいて……」
目が覚めると見慣れない天井。自分の部屋ではないことが不思議だ。
重くて熱い身体の先を動かそうとすると、それに触れている手に気付く。
「お母さま……無茶をしないでください……」
小さなか細い涙ぐむ声が耳に届く。
私はまた……あなたに心配をかけてしまったのね……
「ユリアーナ……」
「お母さま! 体調はどうですか? 額のタオルお取り替えしますね」
小さな手が私の額に置かれていたタオルに手を伸ばし取り上げる。
侍女の真似事をさせてしまって申し訳ないわ、と手を伸ばそうとすると、ユリアーナの手に別の大きな手が伸びた。
「お父様……」
「お父様がやるから、ユリアーナはお母さまの手を握っていなさい」
小さく頷くとユリアーナは私の手を握ってくれた。
柔らかな手から、温もりが伝わってくる。守るべき人なのに、逆に守られているようで恥ずかしくなる。
時を遡って上手くやれるはずなのに、結局失態ばかり見せている。己の不甲斐なさに涙が滲むが、瞼に力を込めてぐっと耐えた。
「ユリアーナ、あなたはケガしなかった?」
「大丈夫です。お母さまが守ってくれましたから」
「なら良かったわ……」
頬に触れると温かい。
あの時は触れられず、盾にもなれなかった。
今回はちゃんと守れた? あなたにケガがなくてよかったと安堵する。
「ユリアーナ、今までごめんなさい。これからはあなたを守るから……」
「お母さま、私は大丈夫です。お母さまは私を守ってくださいました。私は無事です。傷一つありません」
小さな子が一生懸命に伝えてくれる。
この子はいつの間にこんなに優しくて強い子になっていたのだろう。
ユリアーナの姿を見るたび罪悪感に苛まれ、許しを乞いたくなる。
額にひやりとしたタオルが乗せられた。
「何か口にできるか? まる一日何も食べていないんだ。もし食欲があるならスープを持って来る」
食欲は……スープくらいなら、とは思うけれど、使用人たちの態度を思い返し、ロッテのような者が他にもいるかもしれない、と思うと気軽に食べたいとは言えなかった。
「私が配膳し、毒見もするから、きみが食べられるなら……」
答えに躊躇していると、カールハインツがとんでもないことを言い出した。
「そ、んなこと……」
「使用人たちをのさばらせたのは私の失態だ。
きみの立場を慮らなかったせいで食事もままならない環境にさせてしまった。
きみに悪態をついていた使用人たちは解雇した」
あまりにも対応の早さに驚き、自然と目が見開いてしまった。
何かを言わなければ、と思いながら口を動かすも声が出ない。
「私を信用できないのも承知だ。だがこれからは毎日家に帰り、きみとユリアーナとしっかりと向き合おうと思っているんだ」
信じられるわけがない。
何を言っても、何をしても約六年……婚約していたときを合わせれば十年近くも突き放されていた。
「好きに……なさってください。今更ですが……」
簡単に許せるはずもない。
前回のことを併せても失望が勝っている。
「ああ。……食事を持って来る。少しでも口にしてほしい」
カールハインツはそう言うと出て行った。
ユリアーナはまだそばにいてくれるけれど、夜も遅いせいか少し眠たそうにしている。
「ユリアーナ、そろそろ自室に行って寝ていいのよ」
「お母さまさえよければ……お部屋で一緒に寝たいです。お父様からは許可をいただきました」
「でも……」
「ベッドは別にします。もう運んでもらったのですが……。このまま自室に行っても、心配で眠れないと思うんです。だから……」
ユリアーナさえよければ私が拒否するはずはない。嬉しい申し出に、重い体が少し楽になった気がした。
「あなたがいいなら喜んで。近くにいるだけで熱も吹き飛ぶわ」
ユリアーナは嬉しそうに微笑み、既に近くに設置してあるベッドに横になった。
五歳の彼女は限界だったのだろう。少しして小さく寝息が聞こえた。
それを遮るように扉を叩く音が響く。
「寝てしまったか」
配膳ワゴンを押しながら入ってきたのはカールハインツだった。
まさか本当にするなんて思ってもみなかった。
クローシュを取るとスープの匂いがして胃を刺激する。くぅ……と小さな音がして顔が熱くなった。
カールハインツは素知らぬ顔をしてカップにつぎ分け、差し出してきた。
「これならそのままでも飲めるだろう?」
「ありがとう……」
身体を起こして受け取ると少し温かいくらいだった。これなら負担なく飲み干せそう。
野菜が煮込まれたスープの甘さが、空腹に優しく染みていく。
スプーンで何度も口に運ぶのではなく、カップに入れて飲むのなんて初めてだ。
「おかわりはいるか?」
無くなったタイミングで声をかけられ頷いた。
もう少し飲めそうだった。
カップの半分ほどいただいて、再び横になった。
スープのおかげで体が温まり、少しずつ眠気に誘われだしたから。
「体調が治るまでゆっくり休んでくれ。治ったら……今までのこと、これからのことを話したい」
あなたはここで寝ないの? ……と言いかけて止めた。
気持ちを断ち切ると決めたばかりだ。
少し優しくされたからといって簡単に絆されたくない。
本当に信用できるまで、ユリアーナの父親として、味方になるかどうか分かるまで見極める必要がある。
また敵となるならば……そのときはユリアーナを連れて逃げなければならない。
もしも、また私の命が終えても、ユリアーナだけは幸せになれるように準備をしなくてはならない。
今は助かった命を大切にしよう。
守れるのは、私だけなのだから。




