6.きっと、別人
「ちょっと待ってくれ。なぜそこでティ……その名が……」
動揺するカールハインツを余所目に、ロッテはギリギリと私を睨んでいる。
「あの方が牢獄に入るなんて、認められないわ……。けれど、宰相を務められる公爵様なら救い出せる……。そのときにあんたがいたら邪魔なのよ……」
ブツブツ言いながら親指の爪を噛んでいる。
……まさか、とは思うけれど、私が病気で死んだのってまさか……
「お、おかあ、さま……」
私の腰元からか細い声が聞こえた。
見てみるとユリアーナがふるふると震えながら私を見ていた。
「……っ、ごめんなさい。怖かったわよね」
「わた、私は、大丈夫です。あの、あの」
かたかた震えながら、唇を青くしながら何度も瞬きながらユリアーナは私の目をじっと見ている。
まるで、何かを訴えたいかのように。
「ユリアーナ、大丈夫よ。落ち着いて。どうしたの?」
目線の高さを同じにして頭を撫でながら落ち着かせる。ユリアーナがしてくれたように手を握り、大丈夫だと伝える。
「私……わたし、見たんです。この侍女が……食事に、なにかを入れていたのを……」
ユリアーナの言葉に息が詰まる。
その場にいた誰しもが絶句し動けなくなった。
「誰のかは分かりません。お父様はいなかったからお父様のではない。では、では、私か、お母様の? そう思ったら、部屋に持って来たものは食べられなかった……!」
空を映したような碧の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
幼い娘が、どちらかと言えばおとなしい子が必死に訴えている。
どれだけ怖いだろう。ユリアーナはまだ五歳だ。自分より大きな人間に見られながら自分の気持ちを言うにはどれだけの勇気がいっただろう。
「……んのクソガキャぁ!! おとなしく引っ込んでろよ!! 余計なことしやがってぇえ!」
「きゃあああ!」
ロッテが体を振り乱し、テーブルにあったフォークを奪うと手に当たった食器が床に落ちて割れた。メイドの悲鳴が響き、カールハインツが止めるように指示を出すが、構わずユリアーナに突進するように近付いてくる。
ひと足間に合わない、と私はユリアーナを庇うようにして抱き締めた。
「っく……ぅ……!?」
背中に痛みが走る。
ぐりぐりと肉にめり込むように体重がかけられ、身体がカッと熱くなっていく。
皮肉なことに、それが私は今生きているということを実感させた。
ユリアーナに怖い思いはさせたくない。
右手で頭を少し押さえて目線を下にさせる。
「マルレーネ!」
「離しなさいよ!! 離せぇ! 私を誰だと思っているんだ! 次期公爵夫人の筆頭侍女よ!」
「黙れ! マルレーネがいるのに次期公爵夫人……? ふざけるな! 彼女に危害を加えたこと、後悔させてやる! 連れて行け!!」
背中が熱い。
私が知るカールハインツは、こんなに叫んだりしなかった。
私の名を呼ぶことも無かった。
きっとこれは別人ね。
私の知らない人なんだわ……
「お母様!」
ユリアーナは無事……?
私が省みなかったせいで、この子の食事に何か盛られていたなんて……本当に不甲斐ない。
「ごめん……ね……」
「お母様!」
ユリアーナの叫びを遠くに、私は意識を手放した。
「ロッテ、久しぶりね」
「ティアナ……無事で良かったわ……」
真っ暗な中、丸く切り取られた歌劇の舞台に、ロッテとティアナが映し出されている。
「公爵夫人は死んだわ。公爵様はどうしてか自棄になっていらっしゃる。でもチャンスよ。
行くところ無いんでしょう? 私が紹介するから一緒に行きましょう」
「ロッテ……ありがとう。カール……可哀想ね。私が慰めてあげるわ」
しおらしくしているけれど、醜悪な笑みは隠せないみたい。
今からおよそ一年後、婚約破棄の件で投獄されていたティアナは獄中出産した娘と共にやって来る。
その手引をしたのがロッテだったのね。
「最初から王太子殿下より公爵様の方が良かったんじゃない? そしたらあんな女のコブ付きになることもなかったのに」
「身分で言えばフォルだったのよ。でも……もういらないわ。私は公爵夫人として優雅に過ごすのよ」
「ティアナならすぐに愛されるわよ。ねぇ、ティアナ。ちょっとでいいから私にも……」
ロッテが擦り寄ったところでティアナが手を振り払った。
「ロッテ、友人だからって気安くするのはこれで終わり。私は公爵夫人になったの。おこぼれなんて一滴もあげないわ」
「そ、そんな……」
キャハハハハ、とティアナの不快な笑い声が響く。
耳を塞いでも頭の中で鳴り響く。
──ああ、これは前回の私が死んだあとの話。
でも、大丈夫よ。私は生きている。
ユリアーナも、生きているわ。
「お母さま……」
「泣かな……で……私が……守るから……」
濡れた頬に手を伸ばすと、小さな手で握り返された。その温もりに触れるだけで、何でもできそう。
「マルレーネ……マリー……」
反対側からも声がする。
まるで心配しているような声音。初めて聞いた。
ああ、やっぱり、私の知るカールハインツとは別人なのだわ……
夢現の私の意識が戻ったのは、日も暮れかけた頃だった。
「奥様! お目覚めになりましたか」
「クラーク……っつ!?」
身体を起こそうとすると背中に痛みが走った。
「無理をなさらないでください。奥様はお倒れになったのですから」
「痛……クラーク、ユリアーナは無事? ロッテはどうなったの? 侍女長は何て言ってる?」
「まず落ち着いてください。ユリアーナ様は無事でございます。
ロッテは……地下牢に繋いでおります。侍女長は辞職すると言っています。自室で待機させています。
二人をどうするかは、奥様の目覚めを待つと旦那様がおっしゃっていました」
背中にフォークを刺されたくらいで半日も気絶するなんて、どこの深窓の令嬢よってくらいの弱さで笑える。
こうしちゃいられない、とベッドから起き上がり侍女長の部屋へ向かった。
「奥様、お待ちください!」
「うるさいわね。侍女長に辞められたら困るのよ」
私が前回と行動を変えただけでロッテと侍女長の運命が変わった。
ロッテはともかくとして、侍女長は私にもよくしてくれた。
ユリアーナにも優しかった。そんな人を、みすみす逃すなんてできないじゃない!
ノックもせずにバタン、と扉を開け放つと、目に飛び込んできたのはまさに侍女長が首を括ろうとしている姿だった。
私に気付くと彼女はすかさずロープで作った穴に首を通し、足場としていた椅子を蹴った。
だから私は首が締まらないようにすぐに彼女の身体を支えた。
「お離しください、奥様! 私は生き恥を晒したくありません!」
「私に悪いと思うならバカな真似は止めなさい! クラーク! ぼっとしてないで誰か呼んできて! ロープを切る短剣みたいなやつも……!」
か弱い女性でも、土壇場で暴れる力は大したものだ。
侍女長は苦しいのも相まって暴れ、私は体重がかからないようにするのに精いっぱいだ。
こんなとき私に護衛とか付いてたら支えてくれたかもしれないけれど、生憎そんな人はいない。
外に出なかったからいらないだろうといつの間にか外されていた。
腕が痺れ力が抜ける。けれど緩めるわけにはいない。
クラーク……早く戻って来て……
「マルレーネ! ……っ早く、彼女を助けるんだ!」
切羽詰まったような声がして、ドドドッと人がなだれ込んでくる。
誰かに引っ張られ、けれど侍女長を支えなければいけなくてしがみついた。
そのうち侍女長の鳩尾に何かが当たり、気絶してしまったのか動かなくなったが、なぜか身体の重みが無くなった。
「奥様、もう大丈夫ですからお下がりください」
体の大きな騎士が侍女長の身体を支え、椅子の上に乗ったもう一人が柱から吊るされたロープを切った。
それが見えてようやく力が抜け、震える手がだらりと垂れ下がる。その隙に、と言わんばかりに後ろに引っ張られ、抱き締められた。




