30.多忙の裏側
前回、リュディガー殿下とイルゼ様の間の子は、ラルス殿下のみだった。
私は社交界から離れていたし、詳しいことは分からないが、二人の仲は悪くはなかったと使用人たちの噂で聞いている。
ただ、その噂の中で、聞き逃せない事もあった。
【どちらかには愛人がいる】
あんなに仲がよく、思いやりのある二人だった。
それでどうしてそんな噂が流れるのかが分からなかった。
「実を言うとね、……私、子は一人でいいと思っていたの」
「え?」
イルゼ様は膨らんだお腹を撫でながら言った。
「フォルクハルト元王太子殿下が婚約破棄騒動を起こして、リュディガーが王太子になった。それで、私たちは根本からやり直さなくてはならなくなったの」
イルゼ様いわく、リュディガー殿下は元々王太子殿下のサポートをするべく教育はなされていたが、国の運用に関わることはカリキュラムに含まれていなかった。
だから比較的自由に過ごせたし、二人の時間もたっぷり取れていたのだとか。
だが、フォルクハルトの件でリュディガー殿下が王太子となった。
元来ならばこの時点で二人の婚約は解消され、王太子妃殿下となるべく教育を受けていたリーラ・ヴェール様は隣国の公爵令息に望まれ嫁いでしまった。
だから二人の婚約はそのまま継続され、再教育を受けそのまま結婚。王太子、王太子妃殿下となられたのだ。
再教育はかなり詰め込まれたようで、最初は意気込んでいた二人だったが、次第に余裕がなくなっていった。
それでも何とか一人子をなしたはいいが、二人目はとてもじゃないが作れないと、いつしか寝床も別になってしまったそう。
「けれど、それじゃあだめだって、ラルスに言われたの。王家は必ず血を繋がなくてはならない。自分がどうにかなった時、あとを任せられる人がいないと王家を維持できなくなるかもしれない、って」
それから二人はラルス殿下の執り成しで話し合い、少しずつ歩み寄り、再び一緒に寝るようになったらしい。
「そうでしたの……。私、イルゼ様がそんなに大変だったなんて知らず……恥ずかしいですわ」
「むしろ謝らなければならないのは私たちの方だわ」
イルゼ様は痛ましげな表情になり、一度目を伏せて小さく息を吐いた。
「あなたの旦那様……ブランシュ公爵を、ずっと王家に縛り付けていたのだもの。私たちは慣れない事を理由に、フォルクハルト元王太子殿下の近くにいた彼に頼りきりだった。
それで……あなたの不安を増長させてしまったわ」
その言葉はつまり、カールハインツの多忙の理由は、お二人に構いきりだったから……?
「ラルスが生まれた頃は特に……。産後不安とリュディガーの多忙が重なって、二人ともそばにいてほしかったの」
イルゼ様が申し訳なさそうに頭を下げた。
ラルス殿下が生まれたあたり……つまり、ユリアーナを授かったあのとき。
「ラルスに叱られたわ。『ブランシュ公爵にも娘がいるはずだ。彼を拘束すると、その子が寂しい思いをする』と」
ラルス殿下はユリアーナの一つ上だから、まだ七歳。もうすぐ八歳になるとしても、理解したような言葉に違和感が募る。
……本当にあの婚約破棄騒動を起こしたラルス殿下なのかしら。にわかには信じ難い。
「あの子のおかげで、私たちの仲も改善されたわ。すれ違う中で……危うく互いに愛人を作ってしまうんじゃないかと嫌な想像までしてしまったの」
「愛人!?」
驚きのあまり声が大きくなってしまい、慌てて口を閉じた。
隣のユリアーナは幸いお菓子に夢中だ。
子どもに聞かせていい話題ではない。
「もちろん現実的にお互いに愛人なんて作る暇がないから、悪い想像でしかないわ。
でも、すれ違う中で話したいのに話せなくて、辛い気持ちを誰かに縋ることで解消したくて……不貞ってそうして始まってしまうのかもしれない、と思ったわ。
私たちはまだ思い合っていたけれど、政略結婚の夫婦は仲が拗れると歩み寄りも難しいもの。簡単に他を求めてしまうのではないかしら」
イルゼ様の言葉は私に重くのしかかる。
私は政略結婚をした立場だ。
私ばかりが愛して、愛し疲れてしまった。
カールハインツは以前と比べて屋敷にいる時間は増えたし、引き継ぎも順調らしい。
歩み寄りもしてくれるが、どうしても私の中のわだかまりが消えないでいる。
「それが分かっていながらあなたたちの新婚生活を台無しにしてしまったわ。なんてお詫びしたらいいか……」
その一因が、まさかこんなところでしわ寄せとなっていたなんて……と、絶句してしまった。
「王太子妃殿下、発言してもよろしいでしょうか?」
不意に隣のユリアーナが手を上げてイルゼ様を見据えた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。……私は、生まれた時からお父様の存在を知らずに育ちました。
マルテやクラークに聞いても、『お仕事が忙しい』ばかりで、ちっとも会えませんでした」
イルゼ様が息を呑む。王太子妃殿下に対して不敬ではないか、と内心ヒヤヒヤした。
「お母さまも寂しそうでした。私ももちろん寂しいです。だから、お父様のお仕事を減らすようにしてほしいのです」
それは、幼い子どもの切実な願いだった。
「最近、ちょっとずつお父様とお母さまとの時間が増えたんです。でも、今までいなかったぶん、もっともっと一緒にいたいです。だから……お父様が沢山お家にいられるようにして下さい」
目上の方相手に淀みなく言い切ると、ユリアーナは頭を下げた。
イルゼ様は幼な子の戯言とは聞き流さずに、真剣に聞いていた。
「そう、そうよね。ごめんなさい、ユリアーナ。
私たちが至らないせいで……あなたたち家族の時間を台無しにしてしまったわね……。分かったわ。勤務の見直しをリュディガーにも伝えます。もっと家族の時間を増やせるようにするわ」
それはイルゼ様の心に刺さったようで項垂れていた。
もしも、カールハインツが宰相などしておらず、常に屋敷にいるような人ならば、前回の私は死なずに済んだのかしら……
互いに向き合い、話し合えていたのかしら。
そうすれば、ユリアーナを死なせずに済んだのかしら……
どうしても一度失敗してしまったことが引っ掛かってしまう。
「ありがとうございます! 突然わがまま言ってごめんなさい」
「いいのよ。ラルスにも言われたし、子どもに言われるなんて……」
「大丈夫です。お父様が変わるならそれでいいので。赤ちゃんおめでとうございます。生まれるのを楽しみにしています」
ユリアーナの笑顔に、イルゼ様は微笑む。
……もしかして、ユリアーナって、ひとたらしだったのかしら? と、ある意味で少し不安が芽生えた。
「それにしても、ユリアーナ嬢はとてもしっかりしているわね。どうかしら? ラルスのお嫁さんにならない?」
イルゼ様に朗らかに言われ、ぎょっとした。
今まで打診がなかったから油断していた。確かにユリアーナはしっかりしているし優しいし可愛い。
だがラルス殿下は御免被りたい。
「申し訳ございません、イルゼ様。ユリアーナの婚約はまだ決めないでおこうと思っておりますの」
「そうなの?」
「ええ。……私たちが政略結婚でその……色々とありましたでしょう? ですから、幼いうちに早々に決めてしまうのはよくないと思っておりますの」
いくら親しくさせていただいていたとはいえ、王太子妃殿下となられたイルゼ様に対し、不敬ではないか、と思わなくもないが、ここはしっかりと守らねばならない。
「まあ、確かに、特にアカデミーなどは誘惑が多いものね。私もラルスが変な真似をするような子とは思わないけれど、恋をすると人って変わるから」
そのラルス殿下は恋をして変わったんですよ、と声を大にして言いたい。
だがイルゼ様にすればラルス殿下は愛息子。
味方をしたい気持ちはよく分かる。
「申し訳ございません。私はまだまだ未熟者で、不勉強なところが多くございます。 ですので、現時点でのお返事は控えさせていただきます」
ユリアーナも物怖じせずにはっきりと言った。
「……筆頭候補もだめかしら……」
最終的に、イルゼ様はとても残念だわ、と肩を落とされてしまった。




