28.予想外の発表
「マルレーネ様、お久しぶりですわ」
「お久しぶりね。すっかり元気になられたようですが、お加減はいかが?」
「ええ、おかげさまですっかりとよくなりましたの。毒気も抜けましたわ」
ほら、このとおり、とアルビーナ様は朗らかに笑った。
以前見たときはやつれ、ヨレヨレになっていたが、今は見違えるほどきれいになった。
彼女は今、実家のハイツマン伯爵家に住み、兄夫婦の補佐をしていると聞いた。
「今はお義姉様が身重なので、お兄様のエスコートで参りましたの」
アルビーナ様の柔らかな髪がさらりと揺れる。
貴族女性は結婚すると結い上げるが、独身の令嬢は髪をおろしているのが主流だ。
アルビーナ様は離婚して夫人から令嬢に戻ったせいか、ハーフアップでまとめられている。
「いきいきとなさっておいでで、私も嬉しいわ」
「ありがとうございます。マルレーネ様に、あのとき背中を押していただけなかったら、私はきっとあの家の醜聞に巻き添えになってしまっていましたわ」
あの家とは、もちろんボルク伯爵家のことだ。
アルビーナ様の元夫のエッカルト様は、離婚後すぐにティアナと再婚した。
ティアナの娘のクラーラも、養子として迎えた。
ところが、先日のお茶会でクラーラがラルス殿下に許可なく近寄り、殿下の不興を買ってしまった。
その結果、二人は不敬罪で投獄されたため、事情を聞いたエッカルト様のご両親がカンカンに怒り、エッカルト様とティアナは強制離婚させられた。
さらに言えば、エッカルト様は後継者から外され、ボルク伯爵位は父親に返上され、次期後継者はデニスになった。
今のエッカルト様は伯爵令息で、デニスが成人するまでのサポート役という立場らしい。
「今日エッカルト様は……」
辺りを見回していると、アルビーナ様に目線を送られた。その先を見てみると、こちらをチラチラと見ている、どこかやつれた風のエッカルト様がいた。
「無様よね。自分が迎えた女によって、家を危機に晒すなんて」
アルビーナ様の冷ややかな目線がエッカルト様を刺している。
だが、そこには捨てきれない情けも混ざっているような気がした。
「ご子息とは会えているの?」
子どもの話に切り替えると、彼女は瞬時に母の目になった。その表情は暗い。
「月に……一、二度程度よ。元義父の……ボルク伯爵のご意向で、里心をつけないためらしいわ。
それはそうよね。ボルク伯爵家の後継者は、デニスだけだもの」
貴族の結婚は、後継者を儲けるためでもある。
それは六公爵家だけでなく、どの家も等しく義務としてある。
ボルク伯爵家の正統な血筋は、デニス様だけだった。
アルビーナ様は産みの母ではあるが、離婚したら他人となる。
あのときは命の危険性があったため、一刻を争う事態だった。
ボルク伯爵も、エッカルト様にこれ以上醜聞を作らせないため、再婚させる可能性は低いだろう。
むしろまだ貴族籍にあるだけで奇跡のような物だ。
デニス様が母親に会い、母恋しさに家を出てほしくないため、あまり会わせたくないだろうが、それではアルビーナ様の気持ちを無視していることになる。
だから、月一、二度程度の面会は譲歩した結果なのだろうと思う。
なんの過失もなく子に会えなくなったアルビーナ様からすれば、納得はいかないだろうが、貴族とはそういうものだ。
「全く、ティアナに関わるとロクなことがないわね。どれだけの人の幸せを壊せば気が済むのかしら。もう二度と出てきてほしくないわ」
「本当、その通りだわ。娘もだけれど、王族に不敬を働いて罪を言い渡されるなんて、常識がないにしても限度というものがあるでしょう」
色恋沙汰に振り回されれば悲惨な結果しか生まないというのは、身をもって体感した。
誰かに恋をし、愛しても、正しく返ってくるとは限らない。
自分が正しい感情でいられるかも分からない。
よく熱病に例えられるが、本当にそう思う。
一時の感情に振り回され、周りの人を巻き込み、時が経ってまともな思考になったとき、幸福であるか破滅しているかの究極の二択になるのだから。
しばらくアルビーナ様と談笑していると、小さく声がかかった。
「アルビーナ」
それは先程見たエッカルト様だった。
せめて社交場にはまともな正装を、とボルク伯爵が準備したのだろう。
窶れ、目の下に隈を作り、少し残ったヒゲと、パリッとしたタキシードを着る風貌が何だかアンバランスな印象だ。
「元気かい? ……その、あのときはすまない。どうかしていた」
アルビーナ様は閉じたままの扇子を口元にあて、一応耳は傾けているようだが、目線は別方向を向いている。
「あ……、その。デニスとの交流のときも、会えないから、どうしてるかな、って気になってたんだ」
「…………」
「アルビーナ……ごめん。本当に、ごめん。俺、これからちゃんとやるから、できれば、戻ってきてほしいんだ。デニスのためにも」
「お断りいたします」
エッカルト様が息を呑む。
捨てられた犬のように瞳を揺らし、口を動かすが次の言葉が出てこないようだ。
対してアルビーナ様の瞳は冷え切っている。
「今、私が生きていることが不思議なくらいの毒を盛られておりました。ただ、愛人が正妻になりたいという理由で。それだけのために、私は死ぬところでしたの」
デニス様は目を見開いた。
アルビーナ様の窶れ方は尋常ではなかった。
まるで前世の私のように、急激に痩せていた。
もしかしたら、同じ毒を盛られていた……?
「証拠不十分で誰に盛られていたかは有耶無耶になりました。幸い、解毒剤が間に合う段階でしたから奇跡的に生きておりますが……」
アルビーナ様はエッカルト様に向き直る。
その表情はもう、見限ってしまっているものだ。
「例えあなたのもとに戻っても、またティアナが出所してきたとき、あなたは彼女を迎えたいと言うでしょう?」
「言わない。言わないよ、絶対。もう二度とティアナもクラーラも迎えない。だから……」
「いいえ、もう信用できません。婚約していたときも、あなたはティアナを見ていた。結婚してからも、ずっとティアナを想っていたわ」
違う、違う、とエッカルト様は言うが、二度も裏切られれば信用できなくなるのは仕方がない。
私もカールハインツを信用しているわけではないから、アルビーナ様の気持ちはよく分かる。
「デニスをよろしくお願いいたします。立派な後継者として育ててください」
そう言って、アルビーナ様は頭を下げた。
エッカルト様は絶望的な顔をしていた。
「ごめんなさいね、マルレーネ様。私たちの茶番に付き合わせてしまって」
「いえ、いいのよ、気にしないで」
アルビーナ様は穏やかに微笑われるが、内心は複雑だろう。
婚約していたときから辛い気持ちを我慢して、それでもエッカルト様のそばにいたのは彼を愛していたからだ。
その愛を壊したのは紛れもなくエッカルト様。
今さら戻りたいと言っても、もう遅い。
「そろそろ国王陛下から何か発表があるそうだから、行きましょうか」
アルビーナ様に促され、その場を離れる。
視界の隅にいたエッカルト様は、肩を震わせていたが、すぐに視界から消えた。
「それにしても、何の発表でしょうかね」
「マルレーネ様の旦那様は宰相をなさっているのですよね? 何か聞いていませんか?」
夫婦の会話はあまりない、とは言えず、苦笑でごまかした。
何と返せば、と逡巡するうち、国王陛下が姿を現した。
隣には王妃殿下、そしてその後ろには久しぶりに見るリュディガー王太子殿下とイルゼ様、さらにまだ六歳のラルス殿下の姿まである。
……気のせいかしら。
イルゼ様のお腹回りが、少しふっくらして見えるのは。
「皆のもの、静粛に」
国王陛下の声がかかると、辺りがしん、と静まった。同時に頭を垂れ、挨拶をする。
もう一度お声がかかるのを聞いて姿勢を正すと、国王陛下が手を挙げた。
「今日、素晴らしき夜に集まってもらえたことに感謝をする。今宵、皆によき知らせがある」
リュディガー殿下が、イルゼ様の手を取り一歩前に出た。
「この度、リュディガーとイルゼは、再び新たな命を授かった。安定するまで秘匿していたが、母子ともに順調だ。どうか皆の者、祝福してほしい」
瞬間、どっと拍手が沸き起こった。
私は驚愕で目を見開く。
こんなこと、前回はなかった。
リュディガー殿下とイルゼ様の間には、子は一人……ラルス殿下しかいなかった。
「まあ! これはおめでたいですわね!」
アルビーナ様は笑顔で拍手を送り、祝福している。
対して私は、前回と変わったことに、思考が追いつかないでいた。




