18.悪夢から目覚めて【side ラルス】
信じていた女の不自然に歪んだ笑みと、頬に飛び散った鮮血が忘れられない。
「うああああああ!!」
「殿下!!」
夜も深まった頃、悪夢から目覚めて飛び起きる。
外は雪が降り積もっているのに、全身汗でぐっしょり濡れていた。
心臓が早鐘を打ち、見慣れぬ小さな手が震える。
「これ……は……」
震える手が、力の入らぬ小さな身体が、禁術の成功を物語っていた。
ユリアーナへの婚約破棄騒動のあと、私は王城にある塔に幽閉された。
父上に打診され、自ら入ったといったほうが正しいか。
二大公爵家の令嬢で婚約者だったユリアーナを冤罪で殺したせいだ。
──そう、ユリアーナは冤罪だった。
アカデミーで会ったクラーラは、最初からユリアーナに虐められていると涙ながらに訴えてきた。
婚約者として接していたユリアーナは全くそんな気配を見せなかったから驚いた。
私の前では仮面でも被っていたのだろうか。
婚約者交流のお茶会では穏やかな笑みを浮かべていたのに。
疑問に思いながらもクラーラが儚げに涙を零して訴えるので、半信半疑ながらユリアーナを注意深く見ていた。
だがクラーラの言うような素振りは全く見せない。
クラーラがお茶会に入り込んで来ても終始笑みを崩さない。
だから、「大げさだよ」と慰めたが、クラーラは納得がいかないようだった。
このとき、クラーラに王家の密偵を付けていれば、運命はまた変わったのかもしれない。
一つ下のユリアーナがアカデミーに入る頃には、相談という名目で近付いてきていたクラーラとの距離は近くなっていた。
とはいえ伯父の件もあったので、あくまで友人としての付き合いだ。
「ラルス様、クラーラとの距離が近いのではありませんか?」
「彼女は友人だよ。周りにも沢山いるだろう? デニスやシュバルツもいる」
「しかし……」
私は大きなため息を吐いた。
未来の国王ともなると、交友関係を拡げることは必須だ。今のうちから派閥を固めておかねばならない。
二大公爵家のクラーラとシュバルツは特に重要で、今のうちから盤石にしておきたかった。
シュバルツは色々とうるさかったが、クラーラは少しのことでも大げさに喜んでくれた。
「クラーラはきみの姉だろう? 姉のことが信じられないの?」
ユリアーナは唇を噛み締め黙り込む。
今にも泣きそうな彼女に湧いた感情は、面倒だった。
「交友関係に口出しするなんて、心が狭いのね」
「全くだよ。こっちは何とも思っていないのに、変な勘繰りされて疲れてしまうよ」
「私はブランシュ公爵家としてお付き合いさせていただいてるだけなのにね」
ストロベリーブロンドの髪をサラリと揺らし、クラーラは小首を傾げて微笑む。
ピンクに染まる頬にぷっくりとした唇。細いのに女性らしい身体付きはユリアーナには無い物だ。
正直小言ばかりのユリアーナより、クラーラの方が気楽だし、案外ユリアーナが虐めているというのも嘘ではないのかもしれない。
一度そう思い始めると天秤が傾くのは容易いことだった。
「体調はどうだ」
「……」
ユリアーナとの婚約を破棄し、自室に軟禁された私は眠れぬ日々を過ごしていた。
目を閉じる度ユリアーナは衛兵に斬られ、クラーラのつんざくような高笑いが耳に響く。
それでも何とか眠りについても、絶望の表情をしたユリアーナは血飛沫を飛び散らせ何度でも絶命する。
その度起き上がり、汗だくになって全力疾走したかのような息苦しさに見舞われた。
眠るのが怖くても限界を迎え、微睡んだところで繰り返すのだ。
頭がおかしくなりそうで、父上の言葉に反応できなかった。
「あれから王国は真っ二つに割れた。
二代続けて婚約破棄騒動を起こしたのだ。貴族を、国民を軽んじていると不信任票が増え続けている」
父上は第二王子だった。
伯父にあたる男は、断種後に廃嫡されて市井に出されたと聞く。
「婚約者を大切にするだけで良いのに、なぜ己の欲に負けるのか」
「……申し訳ございません」
一瞥した父上は小さく溜息を吐いた。
「これから国は荒れる。王族交代もあるだろう。
お前は……黒の塔に入るか?」
黒の塔は生活に必要な魔道具の使用を禁止される、最も刑が重いと言われている塔だ。
生活のほとんどを魔道具に頼るこの世界では不便極まりない。
出入口は外から頑丈な魔法鍵で封印され、塔の高い場所に空気入れ替えの為の小さな窓がある以外、外界とは遮断される。一度入れば出ることはできない。そこに生涯幽閉となる。
「申し出を謹んで、お受けします」
それでも生温いと思う。
けれども、これは父上の最期の温情なのだとも。
王国は荒れる。私の愚かな行いによって。
塔の上から眺める景色は様々な感情を呼び起こさせた。
郷愁も、切なさも、憂いも、後悔も、湧き上がっては己を苛んでいく。
日々懺悔をし、やり直しを願う日々。
そして己が手で殺めてしまった婚約者の安寧を祈る日々。
許されないことをした。
もっと耳を傾けていれば。
あんな場所で婚約破棄をせず、穏便に話し合えていれば。
彼女の未来を考えることもせず、ただ言われたままに負の感情を押し付けて楽な方に逃げていた。
ユリアーナは真っ当に生きていた。
彼女となら、愛し合うことはなくても穏やかに支え合い尊重しあい統治できていたかもしれない。
苦言を呈するのは難しい。
嫌われるかもしれない、嫌な顔をされるかもしれない、傷付けられるかもしれない。
そんな感情を押さえても、改善を求めなければその者が辛い思いをするかもしれないから発言される。
甘美な言葉に酔い痴れても、課題は残る。
苦行を成し遂げてこそ、人は成長していくのに。
クラーラはただ何もしなくていい、と堕落させていくだけだった。それを愛だと勘違いした。
ユリアーナは私の未来に憂いが無いように苦言を呈してくれていた。それを煩わしいと撥ね付けた。
「ユリアーナ……」
何度己を害そうと思ったか分からない。だが魔道具も無いここでは皮膚を掻き毟るしか無い。
そうして無為に日々が過ぎて行ったが、ある日窓の外の景色を見て言葉を失った。
街から押し寄せる人の群れ。
王城に投げ入れられる松明、人々の叫び声、そして悲鳴、断末魔──
あの日、王国は革命が起きた。
俺の伯父にあたる、廃嫡されて無一文で市井に放り出された男が、王城に攻め行ったらしい。
父上と母上はその前に毒杯を賜られた。私の代わりに。
さらに、俺の寵愛を得ていたクラーラは、その男の娘なのだとも……
それを教えてくれたのは、瀕死になりながらも私に文句を言いに来た衛兵だった。
「殿下に贖罪の気持ちがあるならば償ってくださいよ」
血塗れの彼はニィッと笑って息絶えた。
手に持っていた毒入りの小瓶が力無く転がる。
狂いそうだった。
私の判断の甘さで、罪も無い人が死んでいく。
楽な方に逃げたせいで、父上も母上もユリアーナも殺し、目の前の見知らぬ男まで殺してしまった。
クラーラに誘惑され、ユリアーナを敵視しなければこんなことにはならなかった。
全ては私が招いたことだ。
転がっていた小瓶を手に取り蓋を外す。
私はまた死に逃げるのか?
逃げたところで、罪を背負わせた人々が報われるのか?
だがもう耐えられなかった。
震える手を制し、それを飲み干そうとしていると何故か弾き飛ばされた。
「間に合った」
「何をする!!」
小瓶は音を立てて割れ、中身が無残にもこぼれてしまった。
こんなことをするのは誰だ! と睨めば、窶れたブランシュ公爵と、難しい顔をしたノワール公爵がいた。
「命を粗末にするのならば、その命の有効活用をさせてほしい」
それはノワール公爵家に伝わる、時を戻す禁術だった。
王族と六大公爵家の者の命を捧げることで発動する禁術があると聞いたことがある。
それは当主のみが存在を知るもので、他の者は知らないらしい。
「時を……戻す……では、父上や母上、ユリアーナは生き返るのか?」
「どれほど時が戻るかは分かりません。記憶があるかどうかも。もし無ければ同じ過ちを繰り返すかもしれません」
同じ過ちを繰り返すのは嫌だった。けれど、三人が生き返るならばやってほしいと思った。
「それに対価があります」
「……私の命か」
ノワール公爵は無言で頷く。
彼が術の発動者ならば命を捧げるのは──
「ユリアーナがやり直せるならば……私の命を捧げる」
互いに迷いは無かった。
ノワール公爵が魔法陣を描いている間、ブランシュ公爵と少し話した。
「もしも……やり直せるならばどこからやり直したいですか?」
「私は……妻が生きていた頃からやり直したい。
もっと二人を大切にできていれば、こんなバカなことは起きなかった」
ブランシュ公爵は前妻を亡くした直後に後妻と再婚したと聞いた。だから矛盾しているようで押し黙る。
「やり直せたら、妻と娘を幸せにする。話を聞いて、望み通りに……」
この男もあの母子の色香に迷ったのか。
私がやり直せたら、記憶があるならばユリアーナに謝罪したい。
記憶が無いユリアーナは戸惑うだろうか。
記憶があるユリアーナは怒るだろうか。
会いたい。きみに、会いたい。
「準備ができたぞ」
ブランシュ公爵が懐から短剣を二つ取り出した。
一つ受け取ると重みがずしりと伝わってくる。
「後戻りはできないぞ」
ノワール公爵の言葉に表情を正して頷いた。
「先に逝く」
ブランシュ公爵は迷い無く自分の胸を一突きにした。
血が魔法陣に飛び散り、あの日の惨劇を思い出させた。
「殿下! これは希望に繋がるものです。
どうか、恐れ召されぬよう……」
──そうだ。
これはユリアーナをやり直しに導く為のもの。
もし──もし、やり直せたら、また微笑んでくれるかな?
「己に都合の良い夢を見過ぎだ、バカが……」
幻想の中のユリアーナが振り返ったが、表情を見る前に自嘲してそのまま胸を貫いた。
世界がぐにゃりと曲がっていく。
走馬灯のように今までの所業が映像として流れていく。
逆行して、ユリアーナに笑みが戻っていく。それでもぎこちないのに気付かなかった私はどれだけ彼女を見ていなかったのだろう。
時を遡りながら、もう、恋はしないと誓う。
きみを守る為に。
これが私を愚かにし、きみを傷付けるだけのものならば、その想いは捨て去ろう。
──私は、きみが笑ってくれるならそれでいいや。




