魔性の百瀬さん
人生で1番つらいことって、なんだろうか。
千差万別な答えが挙げられるだろうが、俺はあえて言う。
間違いなく人生で1番つらいこと、それは。
それは、長年付き合っていた彼女にフラれることだ。
行きつけのバーの入り口の前に立つ。今日はヤケ酒をしにきた。
理由はもちろんお分かりだろう。俺の(元)彼女は、昨日の夜、荷物をまとめて出て行った。
泣きたくっても涙も枯れてしまった俺は、今夜は酒に溺れてしまおうと思い立ってここへ来たのだ。
ここのマスターはとても親身に話を聞いてくれるから、今日は酔い潰れるまで愚痴を言うつもりだ。
しかし入り口のドアを開けると、見知らぬ女性店員がカウンターに立っていた。
「いらっしゃいませ」
マスターの姿はどこにも見当たらない。
「マスターなら、ちょうど今店を出ました」
「あ、そうなんですか……」
キョロキョロと店内を見回していたので、マスターを探しているのがばれた。
くそ、少し恥ずかしい。
カウンター席に座りながらバーの制服姿の女性店員の胸元を見ると、百瀬ノノコと書かれた名札がついていた。
見たところ高校生のようだし、新しく雇われたアルバイトの子だろう。
そういえば、前に来た時お陰様で人手不足だーとか、マスターが言ってた気がする。
俺はチャージ代を支払った後、片手でカウンターに頬杖をついて、ため息をこぼした。
本当はすぐにでもマスターに愚痴を言いたかった。しかし居ないのでは仕方ない。
「大丈夫ですか」
「え?」
声をかけられて顔を上げると、女性店員――百瀬さんが、腕を組んで俺を見下ろしていた。
そして、俺の顔を見て開口一番に。
「すごいシケた面してますよ」
ストレート豪速球。腕を組んだまま良い捨てる百瀬さん。
「……おいおい、言ってくれるね」
失礼な事を言う彼女を少し怖がらせるつもりで、睨みを利かせてそう言ったが、本人は特にリアクションせず、真顔のまま少し頭を下げる。
「すみません、研修中なものですから」
いや研修中は免罪符にならないから。だってミスとかじゃないじゃん。確信犯な悪口じゃん。
物怖じしない彼女の態度に、責める気も失せてしまった。
いや、もともとそんな元気はないのかもしれない。
「悩みでもあるんですか」
百瀬さんは俺を見降ろしたまま、聞いてくる。
「別に聞きたくないですけど、客の悩みは聞けと言われているので聞いてあげます」
「君ねえ……」
マスター、どんな新人教育してるんだ?店の評判が下がってしまうぞ。
「まあいいや……彼女が出て行ったんだよ」
実際のところ、もはや誰でもよかった。
交友関係の浅く広い俺には、悩みを相談できる相手なんてあまりいなかったのだ。
この悲しみを誰かに聞いてほしい。俺を捨てたあいつの悪口を言ってやりたい。誰かが慰めてくれないだろうか。
そんな藁にも縋る気持ちで、目の前の新しいマスターに思いの丈をぶつけようとした。
「なんで出ていったのかも分からない。彼女は何も言わなかったんだよ。俺に悪い所があれば言ってくれたらよかったじゃないか。大体あいつは……」
「タバコ臭くて服もヨレヨレで、清潔感が無いからじゃないですか?」
俺の愚痴にかぶせるように回答する百瀬さん。
確かに店に入る前、一服してきたし、服は適当に着てきたしわの入ったものだ。
しかし言っていいことと悪いことがある。
俺はマスターの代わりにこの新人に喝を入れるつもりで席から立ち上がり、今度は正面から彼女をにらみつける。
彼女は何のリアクションもせず、相変わらず真顔で立っている。
悪びれる様子もない。
「……もしかして俺にアドバイスしたつもりなのか?」
「はい」
向いていない。圧倒的にこのバイトに向いていない。
くそ、なんだって彼女に振られたあげくに、女子高生から罵倒の言葉を浴びせられなくてはならないんだ。
「はは、全く俺は……どうしようもないやつだな」
席にどかりと腰を落としてため息をついた。
項垂れる俺をしばらくの間見下ろしていた彼女は、ゆっくりと手を伸ばして、俺の頬に触れる。
「……そんなことないですよ」
「えっ」
驚いて顔を上げると、眼前に彼女の顔があった。
先程まで見下ろされていたが、今は同じ高さに顔を揃えてくれた彼女の瞳、綺麗で長いまつ毛に飾られた美しいそれに、口をぽかりと開けた阿呆な自分が映っている。
思わず目を逸らすと、彼女の暗く長い髪が、カウンター席に掛かって光を反射している。
「お兄さん、ヒゲ伸びてるから清潔感ないですけど……結構顔整ってるし、立ち振る舞いも気品があると思いますよ。私が彼女だったら、捨てたりしないですよ」
彼女の指が、俺の頬からアゴを伝う。
「は……?」
さっきよりさらに近づいた彼女の、ほっぺたにあるほくろを見て、次に薄いリップの塗られた唇を見て、次にツンと尖った美しい鼻先を見て、おそるおそる再び目を合わせた。
彼女の手は異様に冷たい。
もしくは、俺の頬がとてつもなく熱いのかもしれない。
この子は、この子は一体なんなんだ……?
「……マスターが」
突然、百瀬さんの顔は再び離れ、元の位置に戻った。
「へっ?」
気圧されて、もはや腰で椅子に座っている俺は、間抜けな声を出す。
「マスターが、お客さんと仲良くなるには下げてから上げろって言ってたので。けなした後に褒めてみました。良い気分でしたか?」
椅子に座り直しながら、まったく、最近の若い子ときたら、大人をあまりからかうもんじゃないぞ。と、言おうとして。
「実にいい気分だった」
手を束ねてそう伝えると、彼女は鼻を鳴らして、真顔でドヤ顔をした。
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