第八章 犯人の手法
20億円を要求してきた犯人は、この大量の金をどの様にして受け取り逃走するのか?
果たして警察庁と警視庁はこれを阻止して、犯人を逮捕する事が出来るのか?
新たな展開を迎えて物語りは佳境に入る。
〔1〕犯人へのメッセージ
9日、東京中央新聞の朝刊に、犯人へのメッセージである「東京都の水道水の安全宣言」の広告が載せられた。
「東京都の水道水は安全です。安心してご使用下さい。」と言う内容で、都知事と水道局長の連名であった。
広告は新聞の中ほどの1ページの全面を使って、大きな活字で印刷されていた。
東京中央新聞を指定している事から、犯人はこの時点ではこの新聞が販売されている首都圏に潜伏していると思われる。
新聞社への広告の依頼は、都の広報部によって行われた。
一方都民銀行に依頼された、古い札による20億円を集める作業は手間取り、9日の夕方までかかって1億円の束にして20個の塊にする事が出来た。
知事室の大場は、午後5時過ぎに銀行からの電話連絡を受け、知事室長の大野に報告した。
大野は現金を直ぐに都庁に届けるように指示して、都民銀行から二台の車に分乗した7名の銀行員によって届けられた。
大場他2名の職員が、現金警備の目的でこの日の宿直を命じられ、交代で仮眠を取った。
こうして都庁に於ける準備はすべて終わった。
この日の朝から、都庁には警視庁の係官が待機していた。
いつ、どのような方法で犯人からの連絡が入るか解らない。
如何なる方法によっても、即座に対応出来るように、警視庁は10名以上の係官を派遣していた。
知事室長は、自分の部屋に近い会議室の一つを、係官の控え室として用意した。
しかしながら、この日は犯人からの連絡は無かった。
3月22日にマスコミが犯行予告を発表してから、都庁には犯人を装った何通かの手紙や電話が寄せられていたが、これらは「山田太郎」と言う犯人の仮名を知らず、犯人を装った模倣犯だという事が解った。
「山田太郎」と差出人名を記した手紙は、今回の20億円を要求する手紙だけであった。
10日の午後になって「山田太郎」から都知事宛の手紙が届いた。
「20億円を2億円づつ10個の黒いボストンバッグに詰めろ。携帯を1台用意しろ。明日「山田太郎」が知事に電話を掛ける。直ぐに電話を知事に繋げろ。その時に携帯の番号を教えろ。電話は30秒で切れるから急げよ。『怪人21面相』」と言う内容であった。
この内容で30数年前の「怪人21面相」の手法と異なっている点が2つ有る。
1つは携帯電話を利用する点であり、もう1つは、この手紙では関西訛りが無くなっている点である。
勿論30数年前には携帯電話という便利なものは無かったので、犯人は各地の店の電話を利用して、次の指示を出していたのであるが、今回は携帯電話で指示を伝えるつもりらしい。
知事室長は、秘書室で用意した携帯電話を今回の取引の道具として使うよう指示した。
大場は今回の取引の道具である、2億円が入る黒いボストンバッグを10個用意するよう室長の大野に命令され、都内の百貨店やカバン店を走り廻って用意した。
それを都庁に持ち帰って、2億円づつバッグに詰めた。
全ての準備が終わったのは、午後10時頃であった。
今日の宿直は他の職員が指名されたので、大場は官舎に帰って寝る事が出来た。
待機していた警視庁の係官は、知事室の電話と、秘書室で用意した携帯電話の両方に相手先を突き止める為の装置をセットした。
後は明日の犯人からの電話を待つのみである。
〔2〕警視庁の動き
一方、警視庁では犯人を逮捕する為に捜査本部を設置して、犯人がどのような動きをしても対処出来るよう、警察庁に対して他府県警に即座に連絡が取れるように、警察庁から通達を出して貰った。
そして覆面パトカーや公用車を10台用意して、燃料を満タンにし、それに乗る係官を30名指名して、いつでも出動出来る態勢を取った。
その他に、ヘリコプター2機と高速のモーターボートも2艘用意した。
これで上空からも、河川や海上も監視追跡が出来る。
更に万一の場合に備えて、海上保安庁にも協力の要請をした。
この様な警視庁の動きをマスコミ各社が見逃す訳がない。
各社とも犯人から、何らかの接触が有ったに違いないと感づき、近いうちに何らかの動きが有ると本社に報告して、記者の増員を要請した。
各社とも数台づつの社用車を、警視庁や都庁の周りに配置した。
この様な動きに対して警視庁から、犯人に感づかれる恐れが有るので、自粛するよう要請が有ったが、各社とも分散待機して、警察の目に触れないように監視を続けた。
勿論都庁では、マスコミが知事室近辺に近寄れないように、警備員を増員して警備を強化していた。
9日の朝から、都庁に派遣されている係官10数名は交代で仮眠を取りながら、犯人からの電話連絡を待っていた。
11日の夜明けを迎えてからは、徐々に緊張感が漂い始めた。
今日は犯人からの連絡が入り、大金の受け渡しが行われるはずである。
犯人を逮捕できるのは、その時だけである。
その事は、ここにいる全係官が承知している。
用意された朝食も、全員が慌しく済ませて、中にはトイレの洗面台で顔を洗って、充分な睡眠をとることが出来ない頭を目覚めさせる者もいた。
そうした慌しさの中、午前9時15分頃に犯人からの電話が掛かってきた。
〔3〕犯人の指示
山田太郎と名乗る男から知事を指名して電話が入った。
すでに警視庁の係官がそれぞれの部署に着き、電話を逆探知出来るように手配した。
知事室長の大野が電話に出た。
「山田太郎だ。都知事か?」
「もしもし、知事室長の大野です。私が知事より依頼されて、お話を承るように指示されています。」
「そうか。金と携帯の準備は出来たか?」
「はい、20億円は10個のバッグに入れました。携帯電話も準備しています。」
「携帯の番号を教えろ。」
「はい、090-444-××××です。」
「090-444-××××だな。」
「はい、そうです。」
「よし、解った。今後はそっちに掛ける。」と言って電話は切れた。
この間に要した時間は25秒ほどであった。
逆探知の結果は、渋谷区内から掛けてきた事が判明したが、これだけでは手の打ちようが無い。
5分後に、用意した携帯のベルが鳴った。
「もしもし、大野です。」
「金を、白色のバンに積んで、この携帯を持った人間が助手席に乗れ。運転は他のものに遣らせろ。」
「二人だけで、指示された通りに車を走らせろ。燃料を満タンにしておけ。」
「30分後に電話を掛ける。」と一方的に命じると、電話は切れた。
今度はわずか15秒ほどで電話は切れたので、逆探知は全く出来なかった。
しかしながら、この携帯電話に相手の番号が表示されていた。
03-232-××××である。
警視庁の係官は、この番号の持ち主を調べさせた。
5分ほどでこの電話の持ち主は判明したが、渋谷駅近くのホテルの公衆電話から掛けたものであった。
フロントやその周辺にいた人に、電話を掛けていた男に着いて聞き込みをしたが、フロントからは植木が邪魔をしていて電話ボックスは直接見通せなく、ロビーにいた人たちは朝刊を読んでいる人が多くて、誰も見ていなかった。
電話機からはいくつかの指紋が検出されたが、この中に犯人の指紋が有るのかどうかは解らなかった。
その調査結果は直ぐに、都庁の係官に連絡された。
大野は公用車の中から、白色のバンを用意させ、燃料を満タンにして、20億円を入れた10個のバッグをこの車に積ませた。
そして大場に携帯を持たせて、「犯人の指示通りに行動するように。」と言って、大場をこの車の助手席に乗るよう命じた。
大場はこの芝居の主役に抜擢されたのである。
警視庁からは、新たに10台の車に分散された、30名の係官がやってきた。
都庁で用意した車と警視庁から派遣された車には、相互に無線で連絡が取れるように器械が取り付けられた。
こうして準備が終わって、後は犯人からの連絡を待つのみとなった。