第九章 中央自動車道西進
犯人からの指示は、「中央自動車道を西に向って走れ」と言うものであった。
犯人はどこで、どのような方法で現金を受け取るのか?
警察は犯人を逮捕出来るのか?
いよいよ犯人と警察の対決の時はきた。
〔1〕中央自動車道を西に走れ
大場は携帯電話を右手に持ち、白いバンの助手席に座っていた。
携帯電話は無線機に接続されていて、音声は警視庁で用意された10台の車両の全てで聞くことが出来る。
9時50分丁度に携帯のベルが鳴った。
大場は緊張で震える手の親指で通話のボタンを押した。
「もしもし。」と大場は恐る恐る、か細い声で話しかけた。
「山田太郎だ。あんたの名前は?」と問いかけてきた。
「大場と言います。」
「大場さんか?用意は出来てるな。」
「はい、いつでも出発出来ます。」と大場は少し落ち着いた声で答えた。
「良し、高速4号に乗って中央自動車道に向へ。また電話する。」と言って電話は切れた。
今回も15秒ほどの通話時間だった。
携帯に相手の電話番号が表示されている。
運転席でハンドルを握っていた捜査員の浅田は、胸元に付けているマイクに向って「03-256-××××」と犯人が使用した電話の番号を告げた。
他の車に乗っている係官が番号照会の手配をした。
あとで、この番号は代々木公園近くの公衆電話から掛けられた事が解った。
ここからも手掛かりは得られなかった。
渋谷のホテルの受話器に付いていた指紋と、今回の受話器に付いていた指紋で共通するものは無かった。
代々木から電話を掛けてきた事から、犯人は既に高速4号新宿線に乗っている可能性がある。
犯人は先行しているのだ。
大場の乗った車は「1号車」と呼ばれる事になっていた。
今回の追跡の指揮を執る係長の船場が「2号車」に乗っている。
船場から出発の合図が無線機から流れた。
浅田はアクセルを踏み、車を高速4号に向けて走らせた。
他の車は、それぞれの待機場所から走りだした。
20分ほど走り、高井戸インターの手前に来たころ、犯人からの電話が掛かってきた。
「山田太郎だ。中央道に入ったら時速100キロで走れ。」
「また電話する。」と言っただけで電話は切れた。
今回の電話は、八王子インター手前の石川パーキングエリアの公衆電話から掛けられたものと解った。
犯人は1号車より20分ほど先行しているようである。
犯人は、これから先も公衆電話から連絡してくるのだろうか?
警察の車両はそれぞれ100メートル以上の間隔で走っている。
先頭の1号車から最後尾の10号車までは、1キロ以上離れている。
石川パーキングエリアの公衆電話の捜査は、最後尾にいる10号車が行うよう係長の船場が命令した。
10号車は速度を上げて、次々と前を走っている車両を追い抜き、石川パーキングに向った。
高井戸インターで中央自動車道に入った1号車は、時速100キロにスピードを上げた。
12~3分で石川パーキングエリアを通過した。
そこから10分ほど走り、八王子ジャンクションに近づいたころ、大場の持った携帯が鳴った。
大場が通話ボタンを押すと「この先の談合坂サービスエリアで休憩する。」
「まだ先は長い。電話が掛かるまで、トイレ休憩をしていろ。」と命令して電話は切れた。
浅田が無線で「何を考えているのでしょうか?」と係長の船場に話しかけた。
「パーキングで電話を掛けている間に、俺たちが追いついたのかも知れんな。」と船場の声が無線機から流れた。
「兎に角、言う通りにしようじゃないか。」
電話を切ってから12分ほどで9台の車が適当な間隔で走り込み、談合坂サービスエリアの駐車場に別々に止めた。
多くの車が止まっていて、この中に犯人の一味がいるかどうかは解らない。
大場と全係官は交代でトイレにいった。
その間に、今回の電話は談合坂サービスエリアの一つ手前に有る藤野パーキングエリアの公衆電話から掛けたものである事が解った。
この先の最も近い出口は大月インターで、ここから17~18キロほどある。
そこでUターンして藤野パーキングに行くには相模湖インターでまたUターンして30分近く掛かる。
それよりも、石川パーキングにいる10号車を向わせた方が早く行けると船場係長は判断した。
船場は携帯で、10号車の大前田に「そっちの様子はどうだ?」と問いかけ、大前田は「電話ボックスの指紋の採取は終わりました。聞き込みでは何も解りません。」と答えた。
「よし、解った。次は藤野パーキングの公衆電話を調べてくれ。2台有るボックスの右側の公衆××××番だ。」
「俺たちはいま、談合坂にいる。電話が入り次第出発する。急いでくれ。」と言って船場は電話を切った。
そして、3号車の井上に電話を掛けて、「犯人は藤野パーキングから電話を掛けてきた。俺たちの後ろになるが、もう藤野を出て追い越すころだ。おまえは先発して不審な車を探してくれ。」
「連絡が入ったら、新たに指示を出す。行ってくれ。」と命令を下した。
談合坂サービスエリアに入ってから20分ほどして、大場が持っている携帯が鳴った。
大場がボタンを押すと聞きなれた声で「山田太郎だ。出発しろ。今度は1時間ほど走ってもらう。」
「その頃連絡する。」と言って切れた。
2号車の船場は、高速道路の地図を広げて「ここから1時間というと、小淵沢辺りだな。」
「八ヶ岳パーキングか、その先の中央道原パーキングか諏訪湖サービスエリアだな。」とつぶやいて、マイクに向って、「7号車は八ヶ岳パーキング、8号車は中央道原パーキング、9号車は諏訪湖サービスエリアに先行して、電話ボックスを見張れ。」と命令し、全車に出発の合図を送った。
出発してまもなく、3号車の井上から船場の携帯に電話が掛かってきた。
「井上です。10分ほど前から初狩パーキングにいるのですが、電話ボックスには誰も来ませんね。」
「もう一つ先の釈迦堂パーキングに行きましょうか?」と問いかけてきた。
船場は「5分ほど前に電話を掛けてきたが、まだ何処から掛けたものか解らない。」
「井上は先行して、釈迦堂に行って貰おうか。」と指示した。
しかしながら、今回の電話は藤野パーキングの先の上野原インターを下りて、大月インターに向う国道沿いの公衆電話から掛けてきたものである事が解った。
この公衆電話の捜索は、神奈川県警に依頼した。
その後1時間ほどは何事も無く、車は順調に走り、八ヶ岳パーキングの手前5キロほどに来た時、大場の携帯が鳴った。
「大場さん、腹が減っただろう。飯にしようぜ。午後1時まで俺たちも休憩する。」
「その頃にまた電話する。」と言って電話が切れた。
船場が、「やつらには俺たちの動きが解っているらしい。パーキングの手前で電話を掛けてくるタイミングが良すぎる。」
「取り合えず、やつらの言うとおり飯にしようぜ。まだ先は長そうだ。」と無線で全車に呼びかけた。
「全車、八ヶ岳パーキングに入り交代で休憩しよう。」
「1号車の見える位置に分散して車を止めろ。」と命令した。
先行している7、8、9号車には電話で、今待機している所で昼食を済ませて、いつでも出発できるよう待機するように伝えた。
今回の電話は20キロ以上手前に有る、双葉サービスエリアから掛けてきたものである事が後ほど解ったが、離れすぎているのと、今から行っても目撃者の発見は難しいだろうとの判断から、船場は山梨県警に調査を依頼した。
〔2〕 直子の苦悩
大場は八ヶ岳パーキングで昼食を摂るように指示され、あまり食欲は無かったが、ハンバーガーなら食べられるかと思い、一人でテーブルに座り、水を飲みながらハンバーガーの出来上がるのを待っていた。
丁度その頃加藤直子は、都庁の近くに有る洋食屋のテーブル席で、父の高志と向き合って座っていた。
二人は日替わりのランチを食べながら、深刻な表情で小声で話し合っていた。
直子は大場が、大金を犯人に渡す仕事を室長の大野に命じられた時から、大場が危険な事態に遭遇するのではと心配でならなかった。
誰にでも相談できる内容ではないので、直子は高志に電話をして、昼食を一緒にする事にしたのである。
ほとんど毎日二人は、都庁の職員用の食堂で昼食を食べていたが、今日はこの洋食屋で落ち合う事にしたものである。
直子が今朝からの出来事を話し、大場の身を案じて、父の言葉に救いを求めた。
「大場さんは本当に大丈夫? 犯人に危ない事をされないかしら。」
「大丈夫だよ。犯人の指示通りにしていれば、何もされないし、周りには警察の人が大勢付いているのだから、安心していて良いよ。」と高志は直子に笑顔で答えた。
「朝10時前に出て行ったから、もう2時間以上になるわ。何処まで行ったのかしら?」
「犯人は警察に捕まら無いように考えているだろうから、簡単には受け渡しはされないだろうな。まあ、今日中にはこの騒動も終わると思うよ。」と父は冷静に言った。
高志は直子の不安を取り除くように、出来るだけ冷静に話をした。
直子はあまり食欲が湧かなくて、ランチを半分ほどしか食べていなかったが、休憩時間の終わる時間が近づいてきたので、二人は洋食屋を出て都庁に帰っていった。
〔3〕再び中央自動車道
大場は食事を済ませて車の助手席に戻り、警視庁の係官も全員が食事を済ませて、それぞれの車に戻ってきたのは0時50分頃であった。
それから5分ほどして、大場の持っている携帯のベルが鳴った。
大場がボタンを押すと、「山田太郎だ。そろそろ出発して貰おうか。中央道をまた1時間ほど走れ。1時位にまた電話をする。」と言って電話は切れた。
2号車の船場が、「1時間後と言えば、坐光寺パーキングか阿智パーキングだ。その先の神坂パーキングも有るな。」と一人ごとの様にマイクに向って呟いてから「よし、全車出発しろ。」と命じて、自分が持っている携帯で7,8,9号車にそれぞれ先行して坐光寺、阿智、神坂のパーキングに向うように指示した。
更に高速道路の地図を見つめながら、「1時間では恵那峡までは行けないだろうな。」と呟き、無線で「6号車は先行して、駒ケ岳サービスエリアに行って、公衆電話を見張れ。」と命令した。
この辺りは、右手には赤岳、八ヶ岳、天狗岳、左手には甲斐駒ケ岳、北岳などが雪を被って絶景のポイントで有るが、大場も捜査員にもその美しい景色を眺める余裕は無かった。
ただひたすら、道路地図と周りを走っている車を観察しながら走っていた。
犯人の車も、捜査員の車とほぼ同じ時刻に同じ場所を走っているのだから、度々見かけるはずである。
ところが犯人の指示通りに走ると、トイレ休憩や食事の休憩場所を同じように取る車が多いのに気付いた。
そのことに2号車を運転していた山本が気付き、係長の船場に「この時間帯に走ると同じように休憩する車が多いですね。犯人はこれを計算に入れて、我々に指示しているのではないでしょうか。」と話し掛けた。
「そうかも知れんな。1時になったらパーキングから出てくる車が多いな。」と答えていると、自分の持っている携帯のベルが鳴った。
電話は捜査本部からで、「先ほどの電話は辰野パーキングの公衆電話から掛けてきています。」という内容であった。
船場は「諏訪湖のもう一つ先か。大分先行してるな。だとしたら恵那峡まで行けるな。」と言って携帯で7,8,9号車にそれぞれもう一つ先のパーキングに行くよう指示を変更した。
そして無線で6号車に「先行して坐光寺パーキングに向え。パーキングの手前まで緊急走行してかまわん。犯人はもう駒ケ岳を過ぎているはずだ。」と断定して命令を下した。
捜査車両は20分足らずで岡谷ジャンクションを通過して、今まで北上していた中央自動車道を今度は南下した。
そこから10分ほどで、先ほど犯人が利用した辰野パーキングを通り過ぎた。
船場はここの公衆電話の調べは、すでに10号車に指示して有ったので、先行して捜査を始めている筈である。
次の犯人からの電話は30分後に掛かってくるであろう。
今度は金の受け渡しを要求してくるだろうか。