序章 グリコ、森永事件
序章は四半世紀前に実際に有った事件のあらすじである。
第一章以後はフィクションで、作者が創作したものです。
序章 グリコ、森永事件
[グリコ社長誘拐事件〕
1984年3月18日午後9時35分頃、西宮市に有る江崎グリコ社長の江崎勝久氏の自宅で、子供二人と入浴中に二人組みの男に拳銃と空気銃のようなものを突きつけられ、全裸のまま拉致され誘拐された。
自宅前には赤い車が待機していて、江崎氏は車に押し込められ薄い毛布を掛けられ、車は急発信して逃走した。
二人の男は浴室に押し入る前に、二階東側に有る寝室でテレビを見ていた社長婦人と小学校2年生の長女を襲い、粘着テープで後ろ手に縛り、隣のトイレに閉じ込めた。
その後暫くして、婦人は自力でテープを解き、寝室の電話で警察に連絡しようとしたが、電話線が切られていた為、1階の別の電話で警察に通報した。
通報した後、娘の所に戻った時に初めて主人が誘拐された事を知った。
犯人は江崎邸に押し入る前に、別の場所に住んでいる一人暮らしの社長の母親の家に押し入り、母親を縛り上げて、社長宅の合鍵を奪い、その鍵で江崎邸に押し入った事が、社長宅の勝手口の鍵穴に刺さったままになっている事から解った。
19日午前1時頃、高槻市に有る江崎グリコ取締役の自宅に男から「高槻市真上北自治会の釜風呂温泉の看板の前に電話ボックスが有る。その中を見ろ。」と言って来た。
大阪府警機動捜査退院が電話ボックスを見に行った所、犯人から身代金10億円と金塊100キロを要求する脅迫状が置いてあった。
会社は現金10億円と100キロの金塊を用意して高槻の取締役の自宅で犯人からの指示を待っていたが、約束の午後5時になっても犯人からの連絡は無く、午後6時23分にやっと電話が掛かってきた。
「茨木のレストラン『寿』、81局の7500番。お前の名前は今後『なかむら』や。一人で連絡を待て。」
その後電話は5~6分おきに同じ内容で4回掛かってきた。
このレストランは茨木市ではなく高槻市に有った。
レストランには捜査員が張り込み、副社長である社長の弟が現金5000万円を持って、レストランの近くの取締役宅で待機したが、犯人からの連絡は無かった。
兵庫県警は江崎社長の安全を考えて、報道各社に対して報道協定を申し込んだが、すでに朝刊及び、テレビニュースで報道された後だった。
その後正式に報道協定は結ばれたが、新聞協会に加盟していない一社のみ報道を続けた。
江崎社長は3日後の21日午後2時15分頃、大阪市茨木駅近くの作業小屋から自力で脱出し、摂津市の国鉄大阪貨物ターミナル駅構内を、古びたオーバーと濡れたズボンを履き、裸足で歩いているところを保線区の作業員に発見され、無事に警察に保護された。
だがこれは、これから始まる一連の事件の始まりだった。
グリコ本社の入社式がある4月2日朝、社長宅に6000万円を要求する脅迫状が届いた。
「この要求に応じるかどうか、土曜日までに、全国の新聞広告で回答せよ。
西宮市熊野町の喫茶店『マミー』で日曜日(8日)の午後7時に連絡を待て。
現金受け渡し場所は改めて指示する。
要求に応じなければコンチを爆破する。」
コンチとはチョコレート製造工場に有る機械である。
脅迫状を入れた封筒には録音テープと目薬容器が同封されていて、テープには社長誘拐時に録音された社長の声が録音されており、目薬容器には塩酸が入っていた。
犯人からのこの要求には、社長は捜査本部と相談の上で、要求に応じない事にした。
4月7日警察と複数の新聞社に、新聞や週刊誌を切り抜いた活字を貼り付けた手紙が届けられた。
これには「けいさつのあほどもえ」と題された手紙で、まさに警察への挑戦状と思わされるものだった。
4月10日午後8時50分頃、大阪市西淀川区にあるグリコ本社の工務部試作室から出火した。
火は棟続きの作業員の更衣室に延焼し、合わせて150平方メートルを全焼した。
同日午後9時20分頃には3キロほど南に有るグリコ栄養食品でも、車庫に止めてあったライトバンが放火された。
こちらは従業員が気づき、すぐに消化活動をしたため、車の天井部分を焼いただけで消し止められた。
この時に不審な男がバッグを抱えて逃げるのを目撃されている。
4月12日に警察庁は「広域重要114事件」に指定した。
その後、4月23日に初めて「かい人21面相」と名乗る犯人からの脅迫状が新聞社に届けられた。
それには「グリコのせいひんにせいさんソーダいれた」と書いてあった。
そして予告どうりコンビ二店頭で「どくいりきけん たべたらしぬで かい人21面相」と書かれた青酸ソーダ入りの菓子が見つかった。
そして店の防犯カメラに野球帽を被った不審な男が写っていて、捜査本部はこの男を重要参考人として捜査を開始したが、有力な情報は得られなかった。
その後も江崎グリコは度々犯人から脅迫を受けていたが、事件に新たな進展が有ったのは、一月ほど後の6月2日であった。
犯人から3億円の要求が有り、グリコはこれを用意して、犯人が指定したファミリーレストランで犯人を待っていた。
レストランの駐車場に若い男の乗った車が入って来て、現金入りのカバンを積んだ車を受取って走り去ったが、捜査員がこの車に仕掛けを施していた為エンストし、追跡していた捜査員がこの男を拘束した。
しかし、この男は、午後8時15分頃、以前江崎氏が監禁されていた作業小屋に近い堤防で、彼女と車内で音楽を聴きながら話をしている所に3人組の男が現れて、銃のようなものを突きつけて脅した。
3人のうちの一人は乗ってきた車に彼女を乗せて走り去った。
残る二人は「ファミレスに駐車している白色のカローラバンの運転手から車を受け取って、堤防まで持って来い」「言うことを聞かないと彼女の命は無い」と脅し、途中で車から降りた。
ファミレスに車を取りに来た男は、脅されてその支持に従っただけだった。
拉致された彼女は、犯人から電車賃2000円を渡されてすぐに解放されていた。
6月26日に各新聞社に「グリコゆるしたる」との収束宣言と思われる手紙が届いたが、この間にグリコ製品はスーパーやコンビにから撤去され50億円以上の損害を受け、工場は操業停止状態に追い込まれていた。
株価も下がり続けていたが、収束宣言と思われる手紙が届いてからは、スーパー、コンビににもグリコ製品が並び始め、工場も再開され、株価も持ち直してきた。
後日、犯人グループの本当の狙いは、この株価捜査で利益を狙ったのではないのかとの憶測も流れたが、本当のことは解らない。
[丸大食品脅迫事件]
こうしてグリコ事件は終わったに思えたが、6月22日に今度は丸大ハムに「グリコとおなじようになりたくなかったら5000万円をよういしろ」との脅迫状が届いた。
丸大ハムは要求通り5000万円をカバンに入れて、京都行きの東海道線の鉄橋から旗を見つけ次第、窓からカバンを投げるように指示されていたが、カバンを持った捜査員は電車の速度が速すぎて投げられなかった。
しかしこの間カバンを持った捜査員の後をつけているらしい不審な「キツネ目の男」を複数の捜査員が目撃している。
この男は、カバンを持った捜査員が京都駅で下車し、高槻駅に戻る時にも尾行するように電車に乗り込んでいた。
[森永製菓脅迫事件]
7月11日にはハウス食品など数社にも手紙が届き、9月12日には森永製菓に1億円を要求する手紙が届き、この時には要求通り指定された場所に現金を届けたが、犯人は現れなかった。
捜査本部は、今回の一連の事件は[グリコ脅迫事件]とは脅迫状の活字とは特徴が違い、文章表現も異なる事から、便乗犯によるものと断定した。
しかしながら9月25日に報道各社に、森永の事件は便乗犯ではなく、グリコ事件同様に自分たちの犯行で有るとした挑戦状とも思える手紙が届いた。
その後も10月7日に複数のスーパーで青酸ソーダ入りの森永製菓の菓子が多数発見された。
その一週間後にはNHKに青酸ソーダの塊が送られてきた。
[ハウス事件]
11月7日にハウス食品に1億円を要求する手紙が届いたが、捜査本部は誘拐事件以外では異例とも思える報道協定をマスコミ各社と結び、14日に送られてきた脅迫状の指示通りに車に1億円を積み、名神高速道の大津パーキングエリアの指示された場所に待機した。
この時にも捜査員は「キツネ目の男」を目撃しているが、見失ってしまった。
ハウス食品の社員に成り代わった捜査員は、犯人が指定した場所に有った指示書を読み、それには「なごやほうめんにむかい、しろいはたがみえたら かんにいれたしじしょをみよ」と書いて有った。
捜査員は指示通り名古屋方面に向けて車を走らせた。
これとほぼ同じ頃、白い旗が取り付けられた場所の近くで高速道路と交差する県道で、県警のパトカーが通常のパトロール中に不審な車を見つけ、尋問をしようと近づいたところ、不審者は急発進し逃げ去った。
パトカーは追跡したが見失ってしまった。
その後不審な車は発見され、車内に警察無線を傍受できる機械が残されているのが見つかった。
このパトカーは滋賀県警のもので、大阪府警から滋賀県警には今日の現金受け渡しに関しての情報が連絡されていなかった為の不手際で有った事が明らかになった。
この責任を感じて、翌年の8月7日に当時の滋賀県警の本部長が辞任直後に公舎の庭で焼身自殺した。
[不二家脅迫事件]
12月7日に不二家の労務部長宅にテープと青酸ソーダが同封された脅迫状が届いた。
11日には裏取引に関する確認電話が有り、不二家側はこの取引に応じると返事をした。
15日には「24日に大阪、梅田の阪神百貨店の屋上から2000万円ばらまけ」との指示が有った。
しかし不二家は指示に従わなかった。
26日には東京のスーパー社長宅に脅迫状が届き、「1月5日に不二家が、池袋のビルの屋上から2000万円ばらまくように」と指示が有った。
この指示にも不二家は従わなかった。
その後2月、3月と食品会社、スーパーなどに種々の脅迫状や電話が掛かってきたが、8月7日の滋賀県警本部長の自殺に呼応したように、8月12日に報道各社に対して、犯行の終結宣言とも言える手紙が送られてきた。
これ以後犯人は姿を隠し、呼吸をも止めたようである。
その後捜査本部の必死の捜査にも、また多量の遺留品が有るにも関わらず、犯人に結びつく手がかりは無く、事件は15年後の2000年2月12に、関連した全ての事件の時効が成立した。
今、2010年2月14日、バレンタインデーのこの日、怪人21面相が再び息を吹き返したようである。